見た目だけなら優等生
見たものをそのまま述べるのであれば。
仮面をつけていた魔女だと思われる女は、現時点でボロボロであった。
白い仮面は顔から外れ落ち割れている。素顔を晒した女はではどんな顔をしているか、と問われるとどうにも答えにくかった。醜いだとか美人であるだとか、そういう評価を出せそうにないのだ。
何故なら顔面が腫れてボコボコになっているので。
着ている服と、落ちた仮面とを見て、あぁ、これがさっき自分たちを地下に落っことした魔女なんだろうなぁ……と理解はできたものの、素顔が出ているはずなのにその素顔が本来の形から大分かけ離れているであろう状態だ。
どんな顔をしているか、というのを表現するのはウェズンたちからすればとても難しかったのである。
じっくりその顔を観察できる余裕があれば、元の形がどんなものであったのか、をあれこれ考えられたかもしれないが、まぁそんな事をするくらいなら治癒魔法の一つでもかけた方が余程手っ取り早い。
とはいえ、今現在親切ぶって治癒魔法をかけてあげるにしても、もう一人の女がそれを許してくれるかは定かではないのだが。
この家に来た時にはいなかっただろう女。
地下に落ちて、そこからこうして戻ってくるまでの間にやって来ただろう女。
彼女は、学院の制服を着ていた。
つまりは、普通に考えればウェズン達と敵対する立場の存在である。
だがしかし、女はすぐさまウェズン達をどうにかしようと思っていないようだし、事を構えるつもりもなさそうではあった。やる気があるなら適当にボコってロクに逃げられそうにない魔女を放ってこっちに攻撃を仕掛けているはずだ。
学院の生徒である女は、一見するととてもこんな所に一人でやってきて女をボコボコにしそうにない見た目をしていた。髪は左右二つに分けておさげにしていて、制服も別段着崩したりもしていない。分厚すぎてさながら大昔に存在していた牛乳瓶の底のようなレンズの眼鏡のせいで、女の表情はいまいちよくわからなかった。
あまりにも、地味というかおとなしそうな外見の女。
こんな所で魔女らしき女に暴力をふるっているという事実が、やけにおかしく思える程だった。
どちらかといえば、教室の隅で文庫本でも読んでるような。はたまた図書室の片隅で純文学でも嗜んでいるかのような。
そう言われれば、ウェズンは間違いなく同意しただろうし他の者も理解は示しただろう。
どうしてこんな所にいるのか、似つかわしくないと思える程度には。
彼女の存在は浮いていたのである。
「で、あんたたち、何」
ある程度女をボコボコにし終えてから、学院の生徒は再び口を開いた。
ウェズンが学院の生徒を見て一体何事かと思っている間にも女の手足は止まる事はなかったし、それ故に合間合間で魔女の悲鳴やら助けを求める声もしていたのだが、ウェズンはどうしてだか助けようとは思わなかった。
魔女なら魔法でどうにかできるだろうと思った、というのもあるし、そうでなくともロクな説明もないまま地下に落っことすような相手だ。なんというか、こちらに対してそういう態度だった相手が他の相手に酷い目に遭わされていたとしても、あぁなんかそういう扱いを受けるような事を仕出かしたんだろうなぁ……としか思えなかったのだ。
ウェズンの中で日ごろの行いだとか、人徳だとか人望、といった言葉がよぎったのは言うまでもない。
「見たらわかると思うけど学園の生徒ですね。一応ここには授業の一環で来たんだけども……そっちは一体何事?」
態度こそぶっきらぼうであるものの、それでも会話をしようという意思があるならウェズンとしては何も問題はない。問答無用で襲い掛かられたなら話は別だが、向こうから対話を望むのであればこちらがそれを拒否する理由は今のところなかったので。
――アンネはたまたま用事があってここに訪れたに過ぎない。
というのもここの魔女とアンネは知り合いであったし、ちょっと魔法薬に関して行き詰った部分もあったから助言というよりはちょっとしたヒントになりそうな何かがないだろうか、と思ったのもある。最初から助言を求めたならば、ここの魔女は間違いなくロクな事を言わないのもわかっていた。
ところがだ。
いざ足を運んでみれば、そこにいたのは自分の知る魔女ではない相手。
しかもそれが、アンネの知り合いである魔女の名を騙り何か願いでもあるのか? などと聞いてくる始末。
一応アンネは念の為確認したのだ。何かの冗談だろうと思って。
だがしかし、女はもう一度アンネの知り合いである魔女の名を名乗った。
自分が魔女である、という事も含めて。
それだけでアンネが行動に移るには充分だったのである。
アンネは自分の外見がとてもおとなしそうで、それこそ虫もロクに殺せないような、ついでに言うなら他者からの悪意を跳ねのける気概もなさそうで、一方的に蹂躙されそうなひ弱なものである、というのを理解していた。
というかそういう風に見られるためにこんな地味オブ地味な格好をしているといってもいい。
面倒な絡みも勿論あるが、この見た目でいるだけで大抵の者は初見からこちらを侮ってくれるのでとてもやりやすいのだ。
ついでに言うと、こちらに敵意を向けてきた相手以外にも大人しい少女という印象を植え付けられるので、喧嘩吹っ掛けてきた相手をボコボコにしたとしても、そして無様にもそんな相手が自分より上だろうと思った相手にアンネに酷い事された! なんてのたまったとしても。
堂々と暴れまわったりしているわけでもないので、それ以外から見たアンネというのは大人しく集団生活を乱すような人物でもないと思われている。
だからこそ、その見た目を最大限活かして逆にこちらが被害者である、と仄めかせば。
最初に喧嘩を売ってきた相手のメンツは丸潰れになる事が多い。
大体最初に手を出してきて、挙句返り討ちにあって、更にそこから大人にチクろうとしたとしても、最初に手を出したという事実は消しようがない。アンネは基本的に自分から喧嘩を売るような言動をとったことがないので。
だからこそ周囲の反応としては、大人しそうで無抵抗そうなアンネに目を付けた虐めっ子が返り討ちにあってみっともなくわめいている、という風になるのである。
アンネの普段の言動は荒めであるが、しかしそれだって素を出していいと判断した時のみでそれ以外は礼儀正しい生真面目な少女という風を演出している。
だからこそ、アンネを陥れようとした相手が何を言ったところで、心証的に言えば言うだけそっちの株が下がるだけでもあった。
人徳だとか人望とまではいかないが、日ごろの行いが大きい。
さて、そんなアンネが、魔女を騙る何者かに近づいたところで当然そいつは警戒すらしなかった。愚かな事だ。
あっさりと間合いに入るのを許した愚か者に、アンネは容赦なく拳を見舞った。
まさかいきなり顔面に拳を叩きつけられる、などとは思いもしなかったのだろう。咄嗟の回避も防御も何もできないまま、女は拳を受けて地面に倒れ転がった。倒れた時点で、アンネは更に追撃を仕掛けた。丁度いい場所に倒れてくれたので、そのまま爪先を振り子のように振っただけだが、倒れた女の腹に爪先がめり込んで女の悲鳴が上がる。
何が何だかわからないまま暴力を受けて、状況を理解するどころではないくらいに痛みが襲ってきて、女はとにかく必死に自分の身体を庇おうとしていたけれど、それだけだった。
アンネはそんな女を冷ややかに見下ろしながら攻撃の手は止めない。
蹴って、蹴って、蹴り上げて若干身体が持ち上がったところで手で女の身体を掴んで、そこから更に顔を重点的にぶん殴った。
そうして手が疲れてきたから離せば、女の身体は再び床に落ちる。
逃げ回ろうとした拍子に近くにあった大釜が倒れて中の液体が容赦なく床に広がったけれど、見たところ大した効果のある薬でもなさそうなので放置した。
時々汚い悲鳴が上がるが、アンネはそれでも攻撃の手を緩めなかった。
そうしているうちに、どこから現れたのか知らないが学園の生徒が四名。
とはいえ、すぐさまこちらを止めようとした様子もない。
何が何だかわからない、とでも言い出しそうな顔だった。
初っ端問答無用で攻撃をしてこなかっただけ、アンネにしてみればマトモな相手だと判断出来た。
大抵はアンネの見た目で判断して、こいつなら簡単に御せそうだ、なんていうのを隠しもしない態度で接してくる。
学園の生徒は間抜けが多いと思っていたけれど、こいつはどっちの意味でそうなんだろうかな、なんて思いながらも声をかければ、思った以上にマトモな反応が返ってきた。
授業の一環、という言葉に引っかかりを覚えたが、ともあれまずアンネがやるべき事は倒れた女が一切抵抗をしようと思わず、逃げ出そうという気持ちも挫く事だった。
といってもそれはもうほぼ達成している。
ここまで徹底的に痛めつけられれば、逃げるだとか以前にマトモに身動きをとるのもやっとだろう。
それもあって学園の生徒との会話をしようと思う程度になったのだ。
「授業? こんな所に? なんかの依頼?」
「えっと、魔女からの依頼で使い魔の討伐を」
「ふーん?」
足元に転がっている女を見ながらも、戸惑いを隠しきれずに答えた男にアンネの反応は冷めきったものだった。
「だとしたら、その依頼クリアは無理じゃね?」
「えっ、なんで!?」
ツラがやたらと良い感じの奴から声が上がる。
てっきり女だと思っていたが、声からして男であることが判明した。とはいえ、アンネから見ればあんま強そうじゃねぇなぁ、というだけの感想しか持てなかったが。
「だってここの魔女に使い魔なんていないし」
アンネがそう言えば。
学園の生徒たちは戸惑いながらも、倒れている女へと視線を向けた。
「それが使い魔、とかでもなく?」
この女が何故魔女を名乗っているのかだとか、そういったものはアンネにとってどうでも良かった。
けれども、まさかこいつが使い魔だと言うのなら。
流石にボコるだけならともかく殺すのは問題かもなぁ、と思ったので。
「詳しく」
アンネはお互いに情報交換をしようぜ、と持ち掛けたのであった。




