情緒は行方不明
どれだけ記憶を手繰り寄せても、エルアと名乗る少女に見覚えはない。
というか、エルアとは出会っていないのではないか? とウェズンはふと思った。
最初にエルアはウェズンの髪の色を見て、それでウェズンだと思った。
黒に銀が混じった、というか、なんというか金属めいた色合いの髪。
遠目で見れば普通の黒髪とそこまで変わらない気がするけれど、しかしいざ近くで見ると光沢がある。女性が憧れる天使の輪だとかそんなレベルではない。
黒曜石のような、というには大袈裟かもしれないが、宝石めいた輝きがあるようにも思える。
髪そのものが鉱石みたいに硬い、とかそういう事はない。触れば普通に人の髪の毛だな、と思う程度の柔らかさでしかない。
ただ、ピッカピカに輝いてるわけではないが鈍く輝いてるという、なんとも妙ちきりんな髪色は、前世だとまずありえない色だった。
髪を染めるやつで黒染めとかなら本当に真っ黒になるから光沢なんてあるはずもない。かといって、一度脱色してそこから更に染めるにしたって黒はどうしたって最終的に黒になるのである。
輝く黒、というのは例え美容室で髪を染めてほしいといったところで無理だろう。
自然界ではちょっと有り得なくなーい? と言いたくなるような感じの色合いは、正直こちらの世界でも珍しいものだった。
黒髪の人間はそこかしこにいる。
異世界だからさぞカラフルな髪色の人間がいてもおかしくはないなと思っていたウェズンだが、しかしそこまで奇抜な色合いの者は少なくともウェズンのクラスにはいない。ついでに他のクラスの生徒でもそこまで目立つような煌びやかだとか、一風変わった、と表現するようなのは見た覚えがない。そういうのは一度見たら目立つだろうし、記憶に残っていると断言できる。
金髪や銀髪に、ちょっと他の色が混じってほんのり……みたいなのは多いけれど、ショッキングピンクだとか蛍光色みたいなのはウェズンの人生で今まで誰か一人でもいたか? と言われればこれっぽっちも記憶にないので、多分いてもごく少数だとかなのだろう。
そんな、ごく少数と言われているカテゴリに、ウェズンはギリギリ入っている……と言われてしまえば否定はできなかった。
ただの黒なら珍しくもなんともないのだけれど、光の当たり具合ではとってもメタリックに見える時もあるのだ。
お前の髪って束ねたら何か武器とかになりそうな硬質さあるよな、とか前にぼそっとレイに言われたが、生憎と髪質は普通である。
黒は黒なんだけど、なんかね、輝きがある、とかそういう感じで言われてしまえば、まぁウェズンの顔を知らずとも探す時にどうにかなりそうなのは事実だ。
「それで、君は一体……?」
わざわざ男子寮に続く道で待ち構えていたくらいだ。
下手したらすれ違うとか別ルートから帰宅とかで出会わない可能性も充分あるのに、あえてここで待っていたというのならウェズンと面識はまず無いと言ってもいい。
知り合いであるならモノリスフィアの連絡先に名前があってもおかしくないし、クラスが違っても知り合いの知り合い経由で連絡してもらうとか、そういう方法がないわけじゃない。
だが、そういった方法はとらずに、いや、とれずに、かもしれないが、こんな原始的な手段で待ち構えているくらいだ。やはり知り合いではないのだろう。ウェズンは早々に結論を下した。
「先生から聞いたの。兄から奪わないでくれた事。だからね、感謝を伝えに来たのよ」
「兄……?」
「それだけ。それじゃあ」
一方的に言うだけ言って、エルアはそのままウェズンの方へと歩き出して――そしてそのまますれ違う。途中でこちらの様子を気にする事もなく言い終わった後はもう用はないとばかりにずんずんと突き進んで行って――そうしてあっという間にエルアの姿は見えなくなった。
「…………え?
何? どゆこと?」
「どう、も何も。覚えてないの?」
「うわ」
もう既に見えなくなってしまったが、それでもエルアが去っていった方を眺めながら呟けば、突然背後から声がした。気配も何も感じなかったが敵意だとかはなかったので、悲鳴を上げて後退るだとかをするまではいかなかったが、まぁそれでも驚くには驚く。
振り返ればそこにいたのは、名も知らぬ女。
最近見かけてなかったな、とは思ったもののそれでも彼女は相変わらずのようだ。長い髪がふわりと風になびく。
「脅かすような出現はやめてほしいんだけど」
「別に驚かそうなんて思ってなかった。この程度で驚かないでちょうだい」
きっぱりと言われて、えぇ……? とそこはかとなく理不尽な気持ちになったけれど、彼女が行動を改めるつもりはなさそうなのは理解できた。仕方がない、と早々に諦める。
もっと気付く感じで出てきて、とか言って下手に敵意だとか殺気を向けてくるような事になれば、それはそれで危険なので。
敵意に反応して警戒態勢を取るだとか、いつでも迎撃できるようにするだとか、そういう風になるにしても彼女は別段敵というわけでもないし、結果としてそれに慣れてしまえば別の場所で彼女以外に向けられた敵意や殺気もいつものように受け流してしまう可能性もある。
正常に反応できなくなるというのは相当に危険であるので、そういった出現だけはやめてほしいし、であればこれ以上あれこれ言ってもどうしようもない。
「覚えてないって……? あの子とは初対面だと思うんだけど」
「そうね。初対面よ。でも、あの子の兄とは会ってる」
「そうなの?」
言われて、改めて記憶を掘り起こすように思い出そうと試みる。
兄と妹。エルアの外見は特にこう、特徴があるというわけでもない。いや、普通に可愛らしいかもしれないが、とんでもなく美少女だとかそういう感じではない。美少女度合で言うなれば、悲しい事にルシアが勝ってる。こんな所で勝者としての扱いを受けてもルシアだって喜ばないだろうに。
どこにでもいそうな、普通に可愛らしい子。
それが、エルアを表現するのに一番それっぽい気がする。
ルシアあたりだと下手をすればこんな場所になんでこんなドエライ美少女が!? みたいに思われる事もありそうだが、エルアは多分、どこにいても違和感がない。
ちょっと都会風な町の中でも、田舎でも。
着る服さえ周囲の雰囲気と合わせてしまえば、きっとどこにいたって何もおかしくはない少女だ。
強いて言うなれば、まだ制服に着られている感があった。
「新入生だよね、あの子」
「そう。お前に会うためにわざわざ学園に入った。律儀な事」
それはなんというか……とウェズンは言葉に詰まった。
自分に会うために、という事はやはりさっきのが初対面だ。
でも、感謝を、なんて伝えるためだけに学園に来るだろうか?
下手すれば学院の生徒と殺しあわなきゃならない場所に?
命の危険があるような場所だぞ?
と、思うのも無理はない。
感謝を伝えるだけであれば、それこそ学園に手紙でも出せば済む話だ。
先生に聞いた、とは一体どの先生だろう? と今更のように疑問に思ったが、確認しようにもその答えを持っている相手はとっくに姿が見えなくなってしまった。
相変わらず名も知らぬ女である彼女を見れば、彼女は既に理解しているらしい。
「ごめん、わかんないや。知ってたら教えてくれる?」
一応頑張って思い出そうとしてみたけれど、困ったことにこれっぽっちも記憶にかすりもしないのだ。このまま悩んだところで、わかる気がまるでしない。
ちょっとした事をド忘れして思い出すまでに数時間かかって、突然「あっ!」という気持ちになるようならまだしも、そうなる可能性すらこれっぽっちもしないのだ。元々知っていた事を忘れて、思い出そうとしているのなら、まぁ何かのきっかけに思い出す事もあるだろう。けれども、エルアの兄、と言われてもウェズンには全く心当たりがなかった。
兄も、エルアと同じく赤い髪だとか、そういう特徴があるのだろうか……しかしそれにしたって赤い髪、だけでは……と悩んでいれば、女は「ま、わからなくても当然だろうよ」とあっさりと言ってのける。
「あいつの兄は既に死んだ」
「えっ」
「そしてお前はその死を見ている」
「えっ?」
「まぁ、あの場にはお前以外にもいたとは思うが生憎学外の事を全て知ってるわけではない。だが、お前はあの時確かにあいつの兄が得るはずだったものを横取りしようと思えばできた」
「えぇ……?」
横取りってそんな……と思う。
状況にもよるかもしれないが、命がかかってるとかでもない限り相手から何かを奪うだとか、わかりきった悪事をするつもりはウェズンにはない。
とりあえず女の言葉から、ウェズンはエルアの兄が得るはずだった物をしれっと自分の物にできる機会があったけれどそうはせずに、結果としてエルアの兄が得るはずだったものは家族でもあるエルアの所へ渡ったのだろう……という風に受け取れる。
「エルアの兄は既に死んでる……?」
女の言葉を反芻するように繰り返して、記憶にある限りで死んだ誰かを思い出す。
この世界に転生してから死体と遭遇する回数は前世よりも増えているが、しかし大量に人が死んだ光景を見ただとかではない。いや、学園に強襲してきた学院の生徒によって色々死んだ所は見る羽目になったのだけれども。
けれど、学園に学院の生徒が襲いにやって来た時の事ではないような気がした。
あの時、別に自分は何かを得られるような状況ではなかった。ただ、不用心にも寮から出て巻き込まれるように命の危機に陥って、その後はなんとか事なきを得ただけだ。
だから、あの時の事ではない、と思えた。
エルアの顔を思い浮かべて、ふと、赤がよぎった。
赤。
赤い色。
滴り落ちる――
「……まさか、アインの妹!?」
「やっと思い出したか」
女があっさりと肯定したので、どうやら正解に辿り着いたらしい。
とはいえ。
「いやむしろ思い出せただけ凄いと思うよ我ながら」
正直アインの事なんて、今の今まですっかり忘れていたくらいだ。
よく思い出せたものだなと自画自賛しても仕方がない。
学外授業で、たまたま遭遇した別クラスの生徒。
魔女に取引を持ち掛けて、結果として死んだ生徒。
確かあの時、アインが欲しがっていたのは霊薬だった。
どんな怪我にも病気にも効果を発揮するとか言われているまさに万能の秘薬。
普通に入手しようとすれば、一体どれだけの金を積めばいいのかもわからないくらいの品が、魔女の所にはあったのだ。
それを見て、アインはどうにかして手に入れようと取引を持ち掛けて――
結果として、自分の命を落とす羽目になった。
取引相手が死んだ事で、たまたまその場に居合わせたウェズンに魔女は、ならこの霊薬はお前が手に入れるか? というような事を聞いてきたものの、流石にどうかと思って断ったのだ。
だって何か、呪われそう。
あと、魔女に何か理不尽な要求されたりしそう。
そんな風に思ってであって、決してアインの気持ちを汲もうだとかではなかったが、魔女には学園の教師にでも説明してそっちに霊薬を預ければ、みたいな事を言った気がする。
どっちにしても、自分の手に負える話じゃないと思ったから教師に丸投げしただけだ。
だがエルアの様子を思い返せば、きっとあの霊薬は学園の教師からアインの家族へと渡されたのだろう。遺品とかそういう感じで。
学園の教師がそのままねこばばする、なんて可能性もあったわけだが、どうやらそうはならなかったらしい。
「えっ、わざわざそこで僕に関わってくるって、エルアの家に霊薬届けたか何かした教師は一体何をどういう風に伝えたんだ……!?」
たまたまあの場に居合わせただけで、アインと何かをしたわけではない。魔女との契約というか取引に自分は関わるつもりはない、と伝えた程度で、そっちはそっちで勝手にやれと告げたに過ぎない。
結果がああなるとわかっていれば、多少は忠告くらいしたかもしれないが、気付いた時には既に手遅れで。
逆恨みで敵意を向けられる可能性もあったけれど、しかしそうではなかったようだし、本当に何でわざわざエルアが自分の所に来たのか、ウェズンにはさっぱり理解できなかった。
とりあえずは。
今日の夕飯どうしようかなぁ、なんて思考の片隅でぼんやりと考えていた献立から魚の開きは排除された。




