悪気はこれっぽっちもない
魔本の存在が周知されてからしれっと魔本授業とかいうのが始まった。
といっても別にウェズンはそちらに参加するつもりがないので、へぇほぉふぅ~ん、というノリで聞き流していたが。
魔本授業というのは合同授業の一種で、他のクラスでも魔力量を上げたい生徒が集まるものらしい。
実際少し前に強制イベントのような勢いで巻き込まれた魔本は初心者向けとの事だったが、ウェズンからすればそこまで魔力量が上がった、という実感がなかったのだ。
あの場で効果を実感できたのはレイだけである。
ゲームのステータス風に考えるのであれば、例えばあの魔本 勇者物語をクリアした時点で増えるMPが10だと仮定して。
レイの元のMPは低く、だからこそ10であろうとも増えれば結構大きい、と思えるのだとする。
だがウェズンやそれ以外の、特にウィルなんかはMP量が多すぎて今更10増えたところで……という状況であったからこそ、効果をそこまで実感できなかったのだろう。
MP10のやつが更に10増えたら二倍になった~! と大喜びできるが、MP1000ある奴に10追加したところで……という話である。
授業に関してはクラスでの必須授業の日はクラスに来るように言われているが、そうでない時は合同授業などに参加するように……と、要するに単位制の授業のように生徒がどの授業を選ぶかを決めるものが増えた。
魔王を目指している生徒ならともかく、単純に冒険者だとか、そうでなくとも最低限自分の身を守れる程度に強くなりたいという生徒からすればそちらの授業に参加せず、去年の内容をもう一度新入生と共に学ぶという事も選べるわけだ。
全員が魔王を目指すわけでもないからこそ、学年が異なっても同じクラスになるなんて事になっているのだろう。前世基準で学年別の生徒も一緒の教室、という事がなかったウェズンからするとどうにも馴染みが薄いのは否定できない。
そんな魔本授業とやらは、場合によっては丸一日かけて行われるものもあるらしい。
数日かかるものは流石に授業指定されていないようだが、なんだかんだ魔力が物をいう世界でもあるので魔力を増やしたいというのは案外切実な願いでもある。
魔法にしろ魔術にしろ扱いをミスれば瘴気が発生するし、失敗する時の大抵の原因は魔力量が不足していただとか、集中力が欠けた事による魔力の制御ミスだとか。
魔力量が多ければ回避できただろうものが意外と多いのである。
とはいえ、それはあくまでも人が扱う場合の話であって、道具の場合はまた違うのだが。
故に自らの魔力量が不足しがちである、という自覚をしている生徒たちは率先して魔本授業に参加する事が増えたため、通常授業を受けているクラスは気付けば人がスッカスカ、なんて事も当たり前になりつつあった。
まぁ、それはさておき。
授業が終わったとある日、ウェズンは職員室に赴いていた。
ちょっと相談がありまして、とジークに声をかけた時点で、ジークは少し前にやって来たイアと同じ内容の話をする事になるのではないか……? と考えた。
もしくはイアから聞いて、文句の一つでもつけにやって来たのだろうか、とも。
「それで? 何の相談だ?」
「えぇ、まぁ、ちょっと。長い年月を生きてる人ならもしかして、こう、経験とかそういうあれこれでわかる事もあるんじゃないかなぁ、と思いまして」
どうにも煮え切らない言葉に、ジークは一瞬だけ眉間にしわを寄せた。
言い方からウェズンにとってもまだ解決できない何かだとはわかるが、とりあえずこの前のテラプロメに関する話だとかではないらしい。だが、では、一体なんだ? と考える。
ともあれあまり周囲に聞かれるのもな……という態度だったため、一応の応接スペースへと案内しそこでお互い向かい合って座っていたのだが。
一瞬の沈黙の間に、ウェズンがリングから何かを取り出す。
ボトルに入った紅茶と、あとはチョコチップクッキーである。
茶菓子付きでの相談とかどうなんだろう……と思いながらもボトルからトポポと軽やかな音を立ててカップに注がれる紅茶を眺める。
ふわりと漂う紅茶の香りはそこまで強くはない。だが、ジークの鼻はそこそこ良い茶葉であると香りから察する。
「まずはどうぞ」
「……いただこう」
勧められて、特に断る理由もなかったジークは素直に紅茶に口をつけた。
紅茶は思っていたとおりのもので、特に詳しくない者、また紅茶にうるさい者であってもそれなりに無難に受け入れられるものだ。ストレートで出されたそれを一口飲んで、次にチョコチップクッキーへと手を伸ばす。
香ばしく焼けた小麦とバター、ついでに甘さを漂わせるチョコ。
サク、と軽やかな音を立てて齧ったそれはしかし――
「ごふぅ!?」
とんでもなく不味かった。
「ごっ、はっ!? は? なん、え、なんっだこれ……!?」
舌が、というか本能的に拒否感が働いて思わず吐き出したそれは、どこからどう見てもチョコチップクッキーである。毒が混じっていた、とかではないはずだ。ジークは一応そこら辺気付けるタイプのドラゴンだが、しかし毒の気配は一切ない。
多分、今までの人生で――ドラゴンなので竜生だろうとか言ってはいけない――最も不味い食べ物は? と聞かれたら今口にしたこのチョコチップクッキーだと答えるだろうくらいには、とんでもなく不味かった。
イルミナの母の身体を使っているジークではあるけれど、彼女がたとえば小麦アレルギーで咄嗟に拒絶反応が出た、とかそういうのであればまだ良かった。しかしそんな事はなかったとジークは理解している。大体小麦を使った料理は学園に来てから既に何度か口にしているのだ。摂取量があまりにも大量すぎてアレルギーを発症した、という可能性があるにしても、そこまで大量に摂取したとは言い難い。
口の中にだらだらと涎が分泌されるのをとんでもなく感じる。今の異物をどうにか排除しようという反応なのはジークも理解しているが、吐き出してなおまだ口の中に残っている感じがするのが余計に恐怖しかなかった。
そんなジークを前に、ウェズンもまた一枚クッキーを手に取った。
そしてそのままサク、と音を立てて噛り付く。
「お、おい……!?」
大丈夫なのか? と聞きたくなった。
ジークはドラゴンなので多少の事はどうにかなるししてきた。
けれども、そんな頑丈なドラゴンですら一瞬でこれはヤバイと判断し咄嗟に吐き出すレベルの代物だ。
それを口にして本当に大丈夫なのか……? と心配になるのも当然だろう。
だがジークのそんな心配をよそにウェズンは平然とサクサク口の中でクッキーを咀嚼し、そのままごくりと飲み込んでいる。
えっ、嘘大丈夫なのそれ……? と思わず引いてしまうのも無理のない事だった。
「慣れればね、案外平気なんですよ」
凪いだ海のような穏やかさでもってウェズンが告げる。
いや、それは慣れてはいけないやつでは? と思うものの言葉が上手く出てこない。
「あと、これ材料は全部きちんとしたの使われてるので。別に腐った物が入ってるとかそういうのは一切無いです。なのでまぁ、とっても不味いだけでそれ以外は何も問題のないチョコチップクッキーですね」
「そのとんでもなく不味いのが問題だと思うのだが!?」
それなりに長い年月生きてきたけど、こんなまっずいの初めてなんだが!? と叫びたくなる。
もう今更何か心機一転新しい事とかそういう体験はなかろう、くらいに思っていたというのに、こんな驚きは求めていなかった。もっと別の新鮮な驚きであれば良かったのに。
「そう、おかしな話ですよね。材料はマトモで、作り方も間違っちゃいないんですよ。だというのにこの不味さ」
「過程で問題は何もないのに結果がとんでもない、という事か? それは確かに由々しき事態な気がするが……」
いやホントに作り方に問題がないのか? という気がしてくる。
実は知らない材料こっそり混ぜてないか? という疑いが芽生えるのも当然だった。
「ちなみにこれ、妹の手作りなんですけど」
「あいつか」
あの普段からなーんにも難しい事は考えてませーん、みたいなのほほんとした雰囲気のくせに、何気にウェインの話した内容だとか、上手く誤魔化そうとしていた事実にしっかり気付く程度には頭が回るあの娘。
え、何、まさかこの前の話の意趣返し的な? と思うのは仕方がないだろう。
何せジークは自分の目的のためにあえてウェズンを危険に晒す確率をぶち上げたようなものなので。
別にテラプロメに手を貸すつもりはこれっぽっちもないけれど、それでもジークがした事はテラプロメがウェズンにちょっかいをかけるのにちょっとやりやすくなった、とかそういうアレだ。
そのちょっと、という程度の可能性ですら、ウェインは避けたかったはずなのはわかっている。わかった上で、ジークはやったのだ。
そしてイアはそこに気付いてしまったが故に。
つい先日てめぇこの野郎、みたいな目を向けてきたわけだが。
けれどもその時の話は既に終わっている。更に追加で何か嫌がらせをしよう、という考えに至ったとして、だとすれば大成功である。
「相談っていうのが、イアのこの料理に関する事なんですが」
大真面目な顔をしてウェズンは言う。
材料がきちんとしていようとも、作り方に何も間違いがなくとも。
どうしてもイアが一人で料理を作るととんでもなくゲロまずな物になってしまうのだと。
途中である程度他の人の手も入れば味はマトモになるのだけれど、イアが最初から最後まで手掛けたら何が何でも不味くなるのだと。
例外は今のところスターゲイジーパイだけである。
「魔法薬とか作る時にはそういった事はないんですよ。ちゃんとお薬なんです。でも料理になった途端こうなんです。なんでかわかります?」
「知るか」
「え、知らないんですか? 長年生きてるのに? これに似た感じの話とかそういうのも? 解決の糸口さっぱり?」
あちゃー、アテが外れたなぁ、みたいな顔をしているウェズンではあるが、ジークとしては未だに口の中が酷い状態なのでそれどころではない。
一応きちんとした相談であるというのは理解したが、しかし最初はただの嫌がらせかと思った程だ。
せめて事前に説明されていれば食べるにしても心の準備とか覚悟ができたはずなのに、それがなかったがために無防備にとんでもない一撃を食らったのだ。
「長生きしてるからとて、必ずしも経験豊富とも限らん。というか、この案件に関しては多分どのジャンルの長生きしてる相手であっても心当たりないと思うぞ」
魔女とかエルフとか、長命種族だとか、何かその手の話題に詳しそうなのはそれなりにいるかもしれないけれど。
だがしかし、とジークは思う。
呪われてるとかならわかるけれど、しかしイアが呪われているというような気配はなかった。
であれば、もうこれはきっと世界の謎としてしまった方がいいのではなかろうか、と。
解決させるにしても、困ったことに何の手掛かりも取っ掛かりもないのだ。
とりあえず、出された紅茶が普通である事だけがこの場において唯一の救いだった。
紅茶まで不味かったら気絶していたかもしれない。ジークは割と本気でそう思っている。




