性質の悪い事故
忽然と、最初からその場にいませんでしたと言われたら信じるしかないくらい突然いなくなった兄たちに、イアも流石に不安になった。
転移魔法だとかでイアを置いて出て行った、とかそういう事も流石にないだろう。
嫌がらせでやるにしても転移魔法なんてまだ使えないし、以前ウィルがまだ学院にいた頃、レイと再会した時には転移魔法を使っていたようだがあれはしかし本人に聞けば渡されていた杖による力が大きいとの事。
自力で転移魔法はまだ無理、と言われていたのでイアもその言葉を信じている。
ウィルやファラムは魔法が得意らしいけれど、もし内緒で使えるけど使えない事にしてあったとしても、流石にイアだけを残して皆で別の場所に行くなんていう意地の悪い事はしないと思っている。
ウィルはイアにとってとっくにお友達だし、ファラムは将来的に義理の姉になるかもしれないとか言っていたくらいだ。自称姉。その姉が、義理の妹に嫌がらせみたいな真似をしたら兄だっていい気分はしないだろうし、兄に嫌われるような事をするとは思っていない。
というかファラムはジェネリックお父さん扱いしてくるアクアとも最初はちょっと戸惑いながらも一応、将来の義理の娘という事ですね!? と受け入れ態勢を取ろうとしていたくらいだ。
義理の血の繋がりどころか無関係のアクアを受け入れてイアを受け入れないとかあるはずもない。
では、こんな一瞬で一体どこに……? とうぅんと首を傾げて考えてみるも、何もわからなかった。
大体、ゲームでもこんなイベントはなかったはずだ。
ゲームだと主人公のイアが他の仲間たちとの親密度を上げて絆を強化する、みたいなのは普通にあるけれど、誰とも仲良くなれなかったからといってもこんな、一人だけ置いて、とかそういうのはなかったと思う。
それに、親密度が低くとも一応彼らは会話するくらいは可能だった。
まぁ、顔を合わせるなり「あぁきみか。用件は何?」と必要最低限にしか関わる気はない、とばかりの態度だけれど。
少なくともイアは兄を含めそれ以外の皆ともそこまで仲が悪いとは思っていない。
話しかけたところで迷惑そうな顔をされたりだとか、邪険に扱われたりはしていないし、相手が暇な時は世間話くらいはするし、休みの日に一緒に遊んだりする相手もいる。
好感度が最底辺、という事はないはずだ。
とはいえここはゲームの中ではないはずなので、皆が上手に大人の対応をしていた、と考えるとそれはそれでちょっとグサッとくるのだが。
もしかして嫌われてたかな……という考えがちらっと出てくる。
こうしていても仕方がないなと思ったイアは、とりあえず本を読もうとしていたがそれどころではないと本を片付けてまずは教室に戻って皆がいるかを確認しようとした。寮の部屋を訪ねるのは最終手段だ。
そう思って、開いたばかりの本を閉じようとして――
「あれ?」
さっきまで何も書かれてなかったはずのページに、何やら文字が浮かび上がっている事に気が付いた。
どうやらそれはタイトルのようで、イアは思わずそのタイトルを口に出す。
「……勇者物語……?」
シンプルでわかりやすいが、しかし魔王養成学校にあるまじき本の題名である。
その題名を口にした途端、本が僅かに輝いた。
「おーい、何かおかしな魔力の流れが検出されたけど一体何して……あ」
「え?」
イアしか残っていない部屋に、ガチャリと扉を開けて教師が入ってくる。
そしてイアの前に置かれている本を見て、動きを止めた。
「……えぇと、つまり、おにいたちは本の中に閉じ込められている?」
「そういう事だ。まさか魔本がこっちに紛れていたとは……」
教師はウェッジであった。別に図書室の担当者とかではないが、それでも彼はよく図書室を利用しているのと、あとは新入生が困っていそうなら声をかけておこうと思ったのもあって最近はよく図書室に出没していたのだが、ふと妙な魔力の流れを感じ取り、しかもその方向が二年になってから閲覧できる本が置かれている第二図書室の一つだ。
ちなみに第二図書室は全体的に一つの部屋というわけではなく、いくつかの小部屋に分かれている。ウェズン達が入ったのは、第二図書室の三号室だった。ややこしい。
こちら側は本の分類がまだ完全に終わっていない事もあって、二年になったばかりの生徒がわかる本は一割あればいい方だとウェッジは言う。
まぁ実際さっぱりわからない本ばっかりだったな、とイアは大いに頷いた。
ウェッジ曰く。
魔導書の中にはちょっと面倒な力を持った本もあるらしく、そういうのは魔導書というよりは魔本と称されているのだとか。
呪いの本とは違うの? とイアが聞けば、そこまで性質の悪い物ではないらしい。
ただ、これらの魔本、妖精が手掛けた物が多いらしく。
ちょっとした悪戯を仕掛ける事があるのだとか。
ウェズン達が本の中に吸い込まれたのは要するにそういう事なのだ、と言われてイアはそっかぁとしか言えなかった。
「で、これどやったらおにいたち戻ってくるの?」
「本を最後まで読めばいい。少なくともこの魔本に関しては。ある程度ストーリーの骨組みはできていて、途中でおまえさんが選択肢を選ぶ事もあるかもしれないが、まぁそうやって話をエンディングまで進める事で閉じ込められた連中は解放されるはずだ」
前に別の場所に回収したはずなんだがなぁ……たまに勝手に移動するのが困りもの。
とはいえ、学園の外にまで勝手に出かけないだけマシな方だ。
そうやって世界中に被害が及ぶような事になれば、魔本は見つけ次第焼却処理一択になりかねない。作った妖精はそこら辺一応考えてはいるのだろう。処分されないギリギリを狙って悪戯を仕掛ける。何がお前をそうさせるんだ、と問いかけてもきっと妖精の特性だと返されて終わる気がする。
「最後まで読むだけ」
「そうだ。読み終わらない限りは、解放されない」
「この場でもし本を駄目にしたらどうなるの?」
「中の連中ごと始末したいって事か? 怖い事聞くな」
燃やしたところで本は燃えない。焼却処理をする際は、通常の方法ではなくかなり特殊な方法でやらなければならないので、大抵の者ができるわけでもない。
そう言われた事でイアは思わず安堵の息を吐いた。
だってこんなの、使い方次第ではとんでもない暗殺道具ではないか。
とはいえ、本を最後まで読まない限り中に閉じ込められた人は出てこれないそうなので、時間を引き延ばせば引き延ばすだけ閉じ込められた者たちが外に出た時には数年単位で経過していた……なんて事もあるのだろう。
ウェッジに聞けばそういった事も以前はあったのだとか。
とはいえ、それは学園の外で起きた事らしくその時の魔本はとっくに回収済みなのだとか。
封印書庫と呼ばれる場所に保管するのだが――何せ普通に燃やしてもしれっと復活してくるので――時折どうやってか魔本はその封印書庫の封印を掻い潜り脱走し、こうして自分最初からここが持ち場でしたけど? と言わんばかりに他の図書室に紛れ込むのだと言われて。
イアはどういう反応をすればよかったのだろうか……と思わず考え込んだ。
そもそも学園の外で起きた事件は魔本に閉じ込められた事にすぐに周囲の人が気付けなかったことも原因であったようだ。
閉じ込められてしまった方も、そうと気付けず家族が突然いなくなったのだと思っていた方もいい迷惑である。
結果としてあれこれ手を施した結果、どうにか大半の魔本は学園や学院の書庫に保管される事になったようだが――そうなると被害に遭うのはその学園や学院の生徒、もしくは教師となる。
「呪いのアイテムとかじゃないの?」
何というか傍迷惑な代物、という認識しかできない。
燃やせないなら他の方法はどうなんだ、と思ったがイアが言うまでもなく色々な方法はとっくに試した後だろう。
「害だけではないからな。困ったことに」
そんなイアの態度にウェッジは苦笑しながらも言う。
確かに本に閉じ込められて、読み終わるまで解放されないだけとなれば、もし重要な用事がある時にそんな事に巻き込まれたら迷惑などという言葉では言い表せないくらいの怒りを魔本に抱き、ついでにこんなもん作った妖精は処すべき! と妖精憎しな風潮になるだろう。
だが、学園や学院であえてこれらの本を置いているのは、デメリットだけではないからだ。
「一応、本に閉じ込められた者たちはストーリーを進める事で、また本を読む者も読み終わった時点で、多少魔力が向上するというメリットがある。
筋トレと違って魔力を上げるためのトレーニングは人によっては中々難しいものだからね。何しても魔力量が上がらない、なんて人にとってこの本は一種の修行アイテムでもあるのさ」
「ほほぅ。え、でもどうしてあたしが読むの? 他の人じゃダメなの?」
「本が今うっすらと光ってるだろう?」
「え? うん」
勇者物語、というタイトルが浮き出た本は確かにほんのりと淡い光を放っている。
「タイトルを最初に読み上げた人物が最後まで読む事というのが、魔本におけるルールの一つなんだ」
「なんと……」
確かにさっき、突然出てきた文字を読み上げた。
読もうと思って読んだというよりは、浮かんできた文字を確認するかのように呟いたというのが正しいがそれでも声に出したという意味ではそうだ。
「だからこそ、その本はきみが読むべきものとみなされてしまった。
読み終わって、またいつかその魔本に誰かが閉じ込められた時、必ずしもきみが読まなければならないというわけではない」
その言葉には、まぁですよね、と思う。
読む人間が最初に固定化された場合、その人物が寿命だとか何らかの事故で死んだ後はもう読む相手がいなくなるだろうし、そうでなくとも。声に出して本を読め、というのなら声が出せなければ不可能だし、失明したなんて場合もそうだ。
「まぁ、この話はそこまで長くなかったはずだから、頑張れば早めに終わると思う。読んでみるといいよ。あぁ、音読で」
「音読で」
それはそれでハードルが高いな、とイアは思った。
幼い頃にウェズンが読み聞かせをしてくれた事はあったけど、果たして自分はあのように上手くできるだろうか、と思ってしまったのだ。
いやでもな、とも思い直す。
音読じゃないと駄目なのは、どうやら物語の各所にある空白を埋めるために必要な事らしい。事前に二択のような展開が出てどちらを選ぶか、などでも声に出して選ぶ事になるのだとか。
ついでに本に閉じ込められた者たちにもナレーションとしての声は届くそうなので、まぁ頑張れとウェッジに言われる。
ウェッジがいてくれて良かったようなそうでもないような……いなかったら声に出して本を読む事もしなかっただろうから、ウェズン達はその場合中々本から脱出できないだろうし、司書やテラあたりに相談しに行ったならもっと大勢の前で音読する可能性もあったわけだ。
魔本なんてものに遭遇したのが初めてだとウェッジはわかっているので、大丈夫だよと穏やかにイアに声をかけてくれる。
よし、とイアは気合をいれた。
明日の授業に間に合わなかった場合、彼らは欠席なのか公欠なのか情状酌量の余地はあるのか、などと考えるくらいなら早いところ終わらせるしかないのだ。
流石に兄が授業の出席日数足りなくて、とかそういうのは避けたい。
だからこそ、イアは覚悟を決めて本を読み始めた。




