一方その頃学院では
学院でアレスがワイアットの仲間を襲撃した事件は、学院内でそこそこセンセーショナルに広まっていた。
とはいえ同じ学院に通う仲間なのになんて事を! というよりは、まぁいつかそうなるんじゃないかと思ってたよ……という感想の方が多かったが。
ワイアットの仲間じゃなかったらもうちょっと周囲も酷い! なんて事を!! とアレスやファラム、そしてウィルに対して非難の声も出たかもしれない。勿論最初はワイアットの仲間である、とよく知らなかった連中はなんだってこんな酷い事を!? と言ったけれど、しかし襲われた連中が揃いも揃ってワイアットと表立って仲良くしていたわけじゃないけどそこそこ懇意にしていたと聞いた後は見事に手のひらを返したのである。
日頃の行いというか、人徳とか人望って大事なんだなと学院の生徒たちが強く思った瞬間でもあった。
テストだとか課題だとかの話題でたまたま集まって会話をしていたところを強襲した、というのを聞いた時は勿論学院の生徒たちのほとんどは驚きもしたけれど、しかし後からターゲットが集中して固まっていた所を狙ったのだと知ってしまえば、他の人を巻き込まない配慮に思わずほろりと涙が零れた生徒は多い。
大体あのワイアットに常時ウザ絡みされていたようなものだ。とんでもないストレスもあっただろう。
周囲はそう認識している。
実際アレスは確かにワイアットの事は鬱陶しいなぁと思っていたけれど、別にストレスため込んで大爆発した結果というわけではない。単純に計画的な犯行である。
まぁ、元々実行するつもりであった、という点で計画的だったが襲った時はターゲットが固まってたから丁度いいやとロクな打ち合わせもなくやらかしたのだが。
ただ、アレスとしては機を窺うよりもさっさと学園に行ってジークと対話がしたかった。
それだけの話である。
学園に来たら話くらいは聞いてやると言われた結果がこれだ。
元々襲うつもりはあったけれど、その計画を前倒ししたのは決してワイアットに対するストレスからきたものなどではない。
とはいえアレスが犯行に及ぶ前にわざわざそんな声明を伝えたわけではないので、真相を知る者は誰もいなかった。
ワイアットを直接狙えよ、と言える者は流石にいなかった。
学院の生徒たちもまた、ワイアットに喧嘩売るくらいならそいつの取り巻きから減らして戦力ダウン狙うわ、という考えの者が多かったので。
周囲の味方を削ったところでワイアット一人がやたら強敵である事にかわりはないが、それでもなんというかいきなりラスボスに挑めと言われても……となるのである。
潰せる敵から潰せ、という意味ではお約束。
今回の一件で死んでしまった生徒もいるが、そんなん付き合う人物間違えた結果ですわ、とワイアットと関わらないようにしていた生徒たちの大半はそう思っていた。
もしウェズンがその場にいたのであれば、成程、前世風の話で例えるなら、つまりは性格や人格がマトモだけどそいつの家実はヤクザで、でもそんなの関係ねぇって感じで仲良くしてたらマトモじゃない身内のとばっちり受けた感じか、と納得した事であろう。
むしろ人格者であればあるほど身内が屑だとその屑っぷりが輝くので、万一厄介ごとに巻き込まれた場合衝撃度合がより酷く感じられるはずだ。
故に、学院の生徒たちのほとんどはアレスに対して同情的であったし、一緒に出て行ったファラムやウィルに関しても寂しくなるなぁ、でも次からは敵になっちゃうのかぁ……とほんのりしんみりしたものの、案外さらっと割り切っている者が多かった。
それに、学園から学院に来た生徒というのも過去いないわけではなかったので。
実際お目にかかった事がなかったとしても、まぁそういう事もあるよな。と受け入れたりしていたのである。
仮に友人を殺した相手が今日から味方です、と言われたとしてすぐに仲良くはできないだろうけれど、そんなのは向こうだって織り込み済みだろう。
どうしても許せそうにない相手であったならそれこそ決闘でもなんでも申し込めばいいだけの話である。
だから、だろうか。
話題性としては確かに抜群であったけれど、そこまでの騒ぎになったりすることはなかった。
とはいえ。
それはあくまでも大半の生徒たちの間での事であって。
当事者からすれば他人事のようにその話題にのっかれるはずもなかったのである。
当事者、という点ではワイアットもそうなのだが、彼本人としてはそこまで何を思うでもなかった。
精々あまり大っぴらに仲良くしてたわけでもないのによくもまぁ、気付いたものだなと感心する事はあっても、仲間を殺された! 悔しい! 仇は絶対とるからね!! とかそういう気持ちはない。
突然襲い掛かられたっていうのもあるけど、でも死んだのはきみたちが弱いからだよね? とかいう考え方の持ち主にそういった感情を持てというのも難しいかもしれない。
ワイアットと表立って仲良くしていなかった者たちだって、そこら辺は分かった上での付き合いである。
そうでなかった取り巻き連中は交流会の時にワイアットに始末されているので、今からまた彼に取り入ろうなどと考えるような愚か者はいるはずもない。
……まぁ、新学期が始まった後はどうだかわからないが。
新たな新入生がワイアットに関わらないとも限らないので。
一応先輩たちは忠告くらいはしておこうね、という話をひそひそとしているようだが、その忠告を聞くかどうかは人によるとしか言いようがない。
アレスが突発的な襲撃を仕掛けた事でワイアットと関わりのあった生徒たちは命を落としたが、奇跡的に助かった者もいた。
当事者であるがゆえに、周囲の生徒たちと同じようにその話題に乗っかれなかったのは言うまでもない。
だからこそ、死の淵からどうにか生還したシュヴェルは苛立ちを隠せないままだった。最近ずっとご機嫌斜めである。
体格がよく、また見た目も厳ついし目つきも鋭いせいか普段も別に怒っているわけじゃないけれど、周囲には不機嫌そうに見えるのだろう。よく遠巻きにされているが、普段は別に機嫌が悪いわけでもないので周囲が何か勝手に怯えてんな、と思うだけであったのだが、しかし今は本当に機嫌が悪かった。
基本的に一度決まったクラスから他のクラスへ移動する事というのはあまりないらしいのだが、しかしそれでも成績の上がり具合だとか、はたまた同じクラスの生徒があまりにも減った場合だとかでクラスが変わる事はある。
進級試験を兼ねた課題の結果も含め、今までの成績によってはクラスが変更になる生徒がいる、というのもあって襲撃があった日は、他の連中と現在の成績だとかの確認をしようかという話になっていたのだ。
だからこそ集まったというのもある。
ワイアットと同じクラスになるかどうかで、自分たちの立ち回り方を変えなければならなくなる。今は同じクラスではないからワイアットと関わるには積極的に彼の元を訪れなければならないが、そうしないのであれば別段そこまで気にする事もない。
まぁワイアットと同じクラスになるかどうかはわからないが、万一そうなった場合、という可能性はゼロではなかったのもあってシュヴェルたちは他の課題だとか合同授業だとかで複数のクラスが集まる機会があったので、そのついでだったのだ。
合同授業を終わらせて後は寮へ戻るだけ。
そんなだから、他のクラスの連中とあれこれ話をしていても周囲からもそこまで不自然に思われない状況だった。
そうでもなしに別のクラスの連中が大勢集まっていたら、それこそ周囲だって何かあるのか? と思って無駄に注目を集めていたかもしれない。
まぁ、その中に一人だけ完全に蚊帳の外だった奴もいるのだが。
アレスがワイアットのお気に入りである事を、シュヴェルは当然理解していた。見た目はたいして強そうに見えないくせに、しれっと優秀な成績を出しているアレスの事をシュヴェルはなんかムカつく野郎だな、とは思っていた。
まぁムカついたところで殺してやろうとまでは思っていなかったけれど。
だがしかし。
気付いた時には襲われていて、こちらが手も足も出す間もないうちにやられた、と後になってから聞かされて激しい怒りに見舞われたのである。
ムカつくけどまぁ、どうせそのうちワイアットにマジで殺されるんだろうな、とか遊び相手としてはいい感じなんだろうな、とか。
要するにシュヴェルはアレスの事を成績優秀ではあるけれど、それでも実力は自分よりも下だと思っていたのだ。シュヴェルたちはワイアットとなるべく関わっていると周囲に悟られない程度に周囲の目を誤魔化していた。中にはあえて成績を落としている者だっていた。
同じクラスになると課題だとかで一緒に行動する事が増えて、周囲からも仲の良い友人、みたいな認識を受けかねないが関わらなければそういった認識をされる事もない。
同じクラスになっていたなら関わりをゼロになど無理だし、何か用があって話しかける時も同じクラスなら気軽に話しかけやすい。しかしそうやってワイアットに話しかける時に一切の怯えも恐れも見せなければ、実は仲良しか? と勘繰られる。
普段のシュヴェルたちとワイアットの関係は、ワイアットがたまたま目についた相手にちょっかいをかけに行く、というあくまでもワイアットがやらかしているように見せる事が多く、決して仲の良い友人のように見えるはずがないものだ。
だからこそ、ワイアットと親しいと思われて襲撃を受ける事もまずないだろうと思っていたのに。
それでも、時折関わる事があったのを目撃されて仲間であると理解して襲ってくる者がいるなんて思っていなかった。油断と言ってしまえばそうかもしれない。
けれども、自分たちがヘマをしたなんて思わなかった。
確かにワイアットと接触した事実がないわけじゃないが、決して仲の良い友人のような振舞いなどしなかったのだから。
アレスの事を侮っていたが故に、シュヴェルは危うく死にかけたのである。
生きているだけマシだろう。後になってから何があったのかを知る事もないまま死んだ者もいるのだから。
「ねぇ」
「ぁん?」
「その貧乏ゆすりやめてくれない? 気が散る」
格下だと思っていたアレスが実は自分よりも強かったという事実。
危うくそのまま死ぬところだったという事実。
それによってシュヴェルは明らかに機嫌が悪かった。
機嫌が悪くなくても勝手に周囲は彼が怒っていると思い込んで遠巻きにしている事もあったけれど、今は明確な怒気を纏っているからか、余計に周囲は怯えて彼と目を合わそうともしていない。
イラついて無意識のうちにやっていた貧乏ゆすりに、しかしそれを咎める声。
言ったのは一見するとおとなしそうな少女である。
地味な外見、という以外でどう表現すればいいのかわからないくらい地味な見た目をしている。教室の片隅で大人しく本を読んでいそう、という印象だと口にすれば、恐らく大半の者が頷くだろう。
彼女は先程の座学の授業――追試である――で出された宿題を片付けている真っ最中であった。寮に戻ってからやればいいのに、そうするとやる気なくすから、という理由でわざわざ教室に残ったまま宿題をしている。
シュヴェルは寮の自室に戻ると静かな環境のせいで余計にアレスにやられた事を思いだしてイライラするのもあって、まだ周囲に誰かしらいる学院に残っていた。
厳つい見た目のシュヴェルに、大人しそうな外見をしている少女がずばっと苦情を述べる様は、なんというか……この後殴られたりしないか? という心配がよぎるのだがしかしこの少女が大人しいのはあくまでも見た目だけだ。
「はぁ? なんでちゅかアンネちゃん、静かな環境でお勉強したいなら自分の部屋に戻ればいいのに周囲に誰もいないのが寂しいんでちゅか?」
アンネがここで宿題をしている理由を知ってはいたが、それでもシュヴェルは己の機嫌の悪さを自分でどうにかしきれずに、この自分の不快感の一端を少しでも味わえとばかりに煽るように言ってのけた。
手っ取り早く赤ん坊扱いしてやれば大抵の者は馬鹿にされているとわかりやすいので不快感を示す。
そのまま喧嘩になれば多少は憂さを晴らせるだろうかと思った結果だった。
表情は嘲るように、口調は目一杯ムカつくように。
シュヴェルは分かった上でその態度をとったのである。
アンネは特に表情を変えずにちら、と一度だけシュヴェルを見た。
アンネが今座っている右二つ隣の席がシュヴェルの席である。
いきなり殴りかかるには距離が少し開いているので、飛んでくるとしたら魔術だろうか。まぁそれはそれで、一発食らったらこっちも堂々と殴る理由が出来上がる。そんな風に考えて、にやにやとした笑みを浮かべながらシュヴェルは更に口を開く。
「あれれ? どうちまちたか? 寂しいならママのとこに来てもいいんでちゅよ?」
お前がママであってたまるかよ、と突っ込める人物がこの場にいなかったのは果たして良かったのか悪かったのか……
ここは学院なので居合わせる事はまずないが、ウェズンがこの場にいたら、
「その見た目でママ!? 新宿でお店経営してらっしゃる方!?」
と驚愕した事であろう。というかそういう突っ込みしかできそうにない。
明らかに馬鹿にした口調であるからこそ、アンネは表情にこそ出しはしないがそれでも不快感はあったのだろう。椅子を蹴るようにして立ち上がり、ガタタッ、とやや乱暴な音が椅子から発せられる。
そうしてアンネは無言のままシュヴェルの所まで移動する。
お? やるか? お? とばかりににやにやとした笑みを浮かべたままシュヴェルはアンネが次に何をするかを静観した。何をするにしても、アンネの実力は理解している。負ける気はなかった。
普段であればともかく、今はこの苛立ちをとにかく何かにぶつけたかったのだ。それが男だろうと女だろうと関係なかった。
多少の距離があったとはいえ、そこまで離れていたわけでもない。
アンネはあっという間にシュヴェルの隣に来ていたし、シュヴェルはそれに向き合うように身体の向きを横にして真正面でアンネを見上げる。
とはいえ、シュヴェルは体格もあるので座っていても立っているアンネとの目線もそう離れていなかったので、見上げるといっても本当に少し顔を上にあげた程度だ。
はぁ、と露骨にアンネが溜息を吐く。
馬鹿の相手とかしたくないんだけど、なんて今にも言い出しそうな雰囲気で、しかしアンネは無言のまま行動に出た。
「ぁだだだだだだだだっ!?」
「あのさ、ママムーブかますならせめて母乳出せるようになってから言ってくんない?」
とんでもねぇ無茶を言う。
シュヴェルは男性なので母乳なんてものは当然でない。
アンネはピンポイントに制服の上からシュヴェルの胸のあたりに手を伸ばし、容赦なく抓りあげた。乳首を。
魔物の攻撃を防いだりしてくれる防御力がある制服を着ているとはいえ、まさかピンポイントで乳首を抓りあげてくるとは思っていなかったせいか、想定以上の痛みにシュヴェルは痛みに叫ぶだけだった。
そもそも殴り合いだとかは慣れっこだが、乳首に集中的なダメージを受ける事はまず滅多にない。痛みに耐性があっても、乳首の防御力はほとんど無いに等しかった。
容赦なくギリギリと抓り上げられて、このままじゃ乳首取られる……! と割と本気でシュヴェルは己の乳首の心配をし始める。
抵抗をしようと思っても、どんどん力が強くなっていくのだ。マジでもぎ取られる……! そう思ったら恐怖で身動きが取れなくなった。
そんな永遠にも感じられた苦痛は、思っていたよりも早く終わりを迎えた。
パッ、と手を放されたのである。おかえり乳首。とれてない。
「てめっ」
「次クソみてぇな事言ってわたしを煩わせたらマジでてめぇの乳首改造して母乳でるようにするからな」
「ヒェッ」
反撃に殴り掛かろうと思った矢先に言われた言葉に、シュヴェルは思わず自分の両手で胸を隠すようにした。目がマジだ。オレのおっぱいどうなっちゃうの……!? と本気で恐怖した。
怖い怖い怖い。虫も殺せないような見た目してるくせに脅し文句が怖すぎる。人を人とも思ってない。
それだけ言うと舌打ちして自分の席に戻る。
そこまで距離があるわけでもないが、それでも物理的に距離が開いた事にシュヴェルは本気で安堵した。
宿題の続きに取り掛かったアンネはもうちらりともシュヴェルへ視線を向けなかった。
先程まで身体中を巡っていた苛立ちや怒りは、一転恐怖へと変わったことを自覚する。
アレスのやつ、どうせ殺すならこの女を確実に仕留めるべきだったんだ……!
まぁ、その怒りは完全に静まったわけではないのだが。
けれどもしかし、この日確かにシュヴェルには、トラウマとしてアンネの存在が刻まれたのである。




