話をしようか
クラスに三名ほど生徒が増えたし一人教師も追加されたが、別段すぐに何か変化があったか、と言われればそうでもない。
というのもそろそろ新学期に向けてのちょっとした休みがあるために、課題で学外に向かわせるにしてもあまり日数がかかるものは避けるべき事態であるし、新入生が入った時の対応だとかをあらかじめ教える事の方が重要である。
何せ新入生は何も知らない状態で学院の生徒たちと渡り合わなければならない。
事前に下手に情報を漏らすような事はするなよ、と釘を刺したりしないといけないわけだ。
情報を漏らすつもりはなくとも下手に遭遇して話をするような展開になってしまえば、うっかり相手にどんな取っ掛かりを与えるかわかったものではない。
何せかなり前の話ではあるが、誰が見ても陽の者と太鼓判を押すような相手が入学し、しかもちょっと関わった先輩と何の変哲もない世間話をしていただけのはずなのに、気付けば結構重要な情報がそこから割り出されてしまった、なんてとんでもねぇコミュ力お化けの話をされてしまったのだ。
単なる世間話からでも重要な情報のピースは集められないわけじゃない。
注意していても、情報をすっぱ抜かれる時は抜かれるので、だったら最初から新入生とはしばらく接触を控えるべき。
とはいえ、同じクラスに入ってくる者もいるので完全に接触を断つと言うのは難しいだろう。
まぁテラは事前に季節外れの転入生を受け入れたために、新入生がこのクラスに入ってこない事を知っているのだがそれはそれである。
一応新入生の中で適性がうちのクラス向け、とかそういうのもいなかったというだけの話だ。
とはいえ、そうやって告げて下手に安心感から油断されて他のクラスの新入生と接触して、そこから情報をうっかり漏らされても困る。
だからこそ、テラは意図的に一部の情報を伏せて新学期に向けての心構えなどと伝えていくのであった。
たった数日ではあるが、授業も何もない完全な休みが与えられると言われ生徒たちは浮足立った。
ウェズン的には前世の感覚で言うなら春休みみたいなものかと思ったが、恐らくこれが冬休みだ。夏休みに該当する期間は交流会へ向けての準備期間で授業こそなかったがやる事はそれなりにあったし、休みを謳歌できるような余裕もなかった。
前世の学校と比べると休みとは……? となってしまうがまぁ、そこは仕方のない話なのだろう。恐らく、きっと、多分。
まぁ、たった数日とはいえ休みは休みだ。
せめてこの間に少しでものんびりと休みたいな、とウェズンは短い休日をどう過ごすか、想像を巡らせていた。
休日どうするんだ? とイアに問いかけた時、イアは図書室で本を借りて沢山読むつもりだと言っていた。どちらかといえばイアは友達と遊びに行ってこようと思う、とかそういう事を言うだろうと思っていたのでそれが少し意外だった。
聞けば調べたいことがあるのだとか。でも流石に休みの間中ずっと本を読むだけではないだろうから、ウェズンとしてはそうかと言うだけだった。
何か困りごとがあれば言うだろうし、イアだってある程度成長しているのだからずっと付き添うつもりもない。
どこかに遊びに出かけるにしても、正直あまり気乗りはしなかった。
というか下手に外をうろつくと、暇を持て余した厄介な奴に目をつけられそうな気がしたのでやっぱ部屋で大人しくしてるべきだろうか……と思い始める。
娯楽らしい娯楽はあまりないけれど、そういや学外に行く課題だとかで出向いた先で何となく回収してきた薬草だとかも一応仕分けしておくべきかもしれない。
収納魔法がかかっていて尚且つウェズンのリングの容量はかなり大きいのもあって、あまり気にせず適当にぽいぽい入れていったので、多分入れた事すら忘れている何かもありそうな気がしたので。
道を塞ぐ岩だとかをリングに収納しようと思った事はないけれど、なんとなくいざという時に使えそうな手ごろなサイズの石だとかは入れた記憶がある。いい加減そういうのは処分した方がいいかもしれない。
――なんて考えていた事もあって。
新学期を前にした短い休み期間の一日目はとりあえずリングの中の整理をしようと思い立ったわけなのだが。
それは来訪してきた人物によって中断される事となった。
特に何か約束していたわけではない。だから来るとは思っていなかったし、来た事に対して何で? という気持ちもあった。
ただ。
そう。
進級試験を兼ねた例の一件で学園に戻ってきてから、どこか暗い表情をしたままだったから、何となく気にはなっていたのだ。
イアからざっくり何があったかは聞いた。
ワイアットと遭遇した事も、クイナがワイアットとどこぞで知り合っていたらしく、そしてクイナは学園の生徒たちを手土産に学院へ行こうとしていた事も。
クイナが犯行というか凶行というか、まぁともかくそれに及んでいたとして、ワイアットがいなければそこまで恐れるべき事態でもなかっただろう。
ただ、ワイアットがいた事でどうしようもない状況になっていたのだ、とは薄々理解するしかなかった。
あれは見た目こそ柔和で人当たりの良い好青年風ではあるが、いざ実際対面してみればそんなものは本当にガワだけで中身は化物だと言われた方が余程しっくりくる。
これはとても偏見だが、もし仮にワイアットが笑顔で恋人に愛を囁きながら、そのままの表情で恋人の首をぺきっとへし折ったとしても、ウェズンはきっと驚かない。
実際にやりそうな気が凄くするのだ。想像も余裕でできるし違和感がどこにもない。
こういった想像は、本人からあまりかけ離れたものであるならやはりどこかに無理が生じて何か違うな……となるはずなのに。
ウェズンはワイアットに関して知ってる事なんてほとんどないけれど、それでもそういったどう足掻いてもヤバイとしか言いようのない事を仕出かす様の想像がとても容易だったのである。
留学生たちが死んだとはいえ、イアたちがよくぞまぁ無事に生きて帰ってきたものだ、と安堵したくらいだ。まぁ、無傷で、とはいかなかったようだが。
「とりあえず、ストレートの紅茶とココアのどっちかならすぐに出せるけど、どうする?」
「……いや、いい」
「そう? 一応両方置いておくから、気が向いたら好きな方飲みなよ」
部屋の中に迎え入れて、テーブルの上に淹れたばかりの紅茶とココアの両方を置く。
今にも死にそうな声で、なんというかご飯ちゃんと食べてる? とか聞きたくなるくらい顔色も最悪で。
けれども流石にご飯まで用意するのはな……とウェズンはそこまで聞く事はしなかった。
多分聞いたところでいらないと答えただろうし、食欲もなさそうだし。
この世の全ての不幸を一身に背負っています、とかいう顔をして座るルシアは、いつもならもう少ししゃんとした姿勢であるはずだが、今は猫背になって視線もウェズンと合わそうとはしていない。ただじっとテーブルの上に置かれた紅茶とココアを見ている。
いや、顔を俯かせているから見ているというか勝手にそれが視界に入っている、というのが正しいだろう。
なんというか今にも手首を切るか首を吊ってもおかしくないくらいにどんよりとしている。
ルシアを部屋の中に迎え入れた時、あまりにもどんよりした雰囲気に部屋の管理を任されているナビが何事かあったのかとソワソワしていたし、ルシアのあまりの顔色の悪さに保険医を呼ぶべきかと聞いてきたくらいだ。
保険医を呼ぶかという言葉に関してはルシア本人が必要ないと言っていたが。
イアからワイアットと遭遇した時の話は聞いている。
その時ルシアに何があったのかも。
なので何やら家族同然の相手をワイアットに殺されていた、という事は理解している。
自分が知らないうちにそんな事になっていた、となればまぁ、顔色が悪くても仕方がないとは思う。あれから数日が経過していて、前世基準ならとっくに忌引き休暇も終わっている頃だがだからといってすぐに気持ちを切り替えろとは言えない。
イアから聞いただけなので、詳細を完全に把握しているわけではない。
けれどもその家族同然の相手とやらは、恐らく安全を約束されていたはずだ。だがそれを裏切られた……のだと思っている。そうでなければ危険な場所にその家族同然の相手を置いてきたわけで。
流石にそうなれば殺されていてもおかしくはないわけで。
イアから聞いたとはいえ、今ここでルシアにその話題を振るつもりはなかった。最終的にイアが話をしたんだろうな、と思い至っても今ここでそれを言ったならまずルシアは「どこでそれを?」となるだろう。
それに……気軽に振るような話題でもない。というか、流石にそれをルシア本人から切り出すならともかくこちらから言うのは違うだろう。
今にも死にそうな顔をしながらもこうしてウェズンの所にやって来た理由がわからない。
イフからルシアが自分を殺そうとしていた、と聞かされて、イアからもなんかそんな感じの話があったけどでも最終的にどうにかなるから気にしなくて大丈夫、みたいな事を言われて。
実際自分に被害らしき被害はなかったから、じゃあまぁいっか、で気にしないようにしていたのだ。
下手に警戒してそれが相手に伝われば、次は手段を選ばないような事を仕出かしてくるかもしれないとも思っていたし。
それなら何も気づいていませんよ、という風を装った方がいいだろう。
それが良かったのかはわからない。
ただ、ルシアがその後も何かを仕掛けてきたといった様子はなかったし、確実に殺す……! みたいな感じもしていなかった。
ルシアがウェズンを殺そうとしていた事はイアの知る原作とやらでもあった出来事らしいが、それもそのうち解決するのであれば、下手に騒ぎ立てて余計な事――それこそ原作とやらにない事……といってもまずイアが原作内容をほぼ覚えていないのだが――はしない方がいい。
ルシアの警戒度合を引き上げたりしないように、という考えもあったのは勿論だが、なるようになるならそうしておくか……という考えだった。
実際今もまだウェズンはピンピンしているのだし、そういう意味では良かったのだろう。
ただ、ルシアに関しては何も良くないとは思うが。
「ウェズン」
「うん?」
ルシアのどんよりとした雰囲気に関してはイアから聞いているので察してはいる。クラスメイト達は何があったかをほとんど知らないので心配している者もいるようだが、しかしだからといって勝手にルシアの事情を吹聴するわけにもいかず。
心配して声をかけた相手に「なんでもない」と明らかな嘘を言っていたとしても、深入りできる状況ではなかったのだ。
どんよりしている原因はさておき、その状態でどうしてルシアがウェズンの所に来たのか。
予想ができないわけではない。
けれども、それが合っているかまではわからなかった。
精神的に不安定だろう状態で、正常な思考をしていない可能性もある。
暗く深い湖の底から呼びかけるかのような、暗い暗い声音で呼ばれた名は、まるで自分のものではないように感じられた。上擦った声を出して動揺していると悟られないように平静を装うだけで精一杯だった。
「きみに、話しておかなきゃいけない事がある……」
何だか直後に今日が君の命日だよとか言われそうな雰囲気ではあったものの。
逃げ出すわけにもいかずウェズンは「聞こうか」と言うのがやっとだった。




