選手交代
「いい加減終わらせるとしようか」
ジークがとてもつまらなさそうに口にした言葉は、間違いなくこちらにとって良い物ではない。
(相手が悪すぎる)
実力もそうなのだが、ウェズンの率直な感想はそうとしか言えなかった。
そう、どう考えても相手が悪すぎるのだ。
これが通りすがりの何かやたらと強い魔物である、だとかであればまだマシだっただろう。
アレスもイルミナも、決して弱いわけではない。
ジークと同じくらいの実力の魔物がいたとしても、苦戦するとしても勝ち目が全くないとはウェズンは思っていなかった。
直接アレスと戦った事はないけれど、それでも彼が強いのだろうなというのはなんとなく感じ取れていた。
イルミナは確かに魔術に関して欠点がないわけじゃないけれど、術の威力という点だけを見れば頼りになる存在である。
攻撃力という点では頼りになる二人であるのだが。
イルミナにとって今のジークは中身は知らんけどガワが母親であるわけだし、しかもその魂は既に亡くなっている。中身が別人であろうとも、それでも母親の身体だ。それを傷つけるという行為を避けようとするのは心情的に理解できる。
仮に傷つけるにしても、なるべく破損させずに倒してせめてその身体だけでも弔いたい、と言われてだから二人ともなるべく傷つけないで勝って! なんて無茶を言われたとしても。
ウェズンとしては気持ちが理解できなくもないので無茶振りしてきたなと思ったとしてもなるべくそうなるように動いただろう。
そういやこっちの埋葬方法はどういうのが主流なんだろうか、なんてそれどころではないのに考える。
土葬であれば最終的に骨だけが残るのだろう。火葬であれば焼いて骨を骨壺に収めるにしても、そうであるなら身体に傷が多少ついたとしても問題はないのではないか……とも。
まぁ、最終的に焼くんだから別にどんだけ傷つけたっていいだろ、とは流石に言わないが。
正直その発言は子供を失って悲しんでいる母親に、子供なんてまた産めばいいだろとか言うのと同じカテゴリで人としてどうかと思われる。
言った時点で人でなし認定されるのは確定。
アレスもガワはさておき中身はかつての友人だ。向こうは敵として容赦をするつもりはこれっぽっちもないようだけれど、だからといってアレスも「それじゃ殺しあおうか」なんて言って開き直れるメンタルまでは持ち合わせていないらしい。
いや、そんなメンタルだったらウェズンが逆にこいつとの関わり合い減らそ……ってなるのだが。
正直とんでもねぇ世界に転生しちまっただ、とか思う事もちょいちょいあるけれど、もしそういうメンタルじゃないと生きていけないとかだったらもう世界の命運も何もかも知ーらね! とか言って好き勝手に生きて最後は最悪自分でサクッと終わらせていたかもしれない。
ジークという存在は、身体も中身もどちらかがイルミナとアレスの抑止力として存在している。
普通にイルミナの母が魔女として、戦って実力を示しなさい、とかそういう展開であればイルミナも全力で臨んだとは思う。
状況だけ見れば割とそれと同じなのだが、しかし決定的に中身が違うというだけでイルミナは実力を発揮できる状態にない。
それはアレスもそうだった。
そのつもりがなくても友を売ったような結果になったのだ。
そして実際に相手からは裏切り者と呼ばれ、その状態で戦って勝利を掴んだとして――得られるものはなんだ? という話である。
イルミナの母の姿をした中身がアレスのかつての友であるドラゴン、という存在は。
何をどう考えても二人にとって相性最悪であったのだ。
攻撃力的な意味で二人の事は頼もしく思っているけれど、しかし防御力という面でとても頼りないのが現状である。
なのでウェズンは一人で必死にジークと戦っていたのだが。
(勝てる気がまるでしない……!)
相手はまだ本気すら出していなかっただろうはずで、どれもこれも片手間で対応されているとしか思えず、挙句そろそろ終わらせるなどと言い出している。
間違いなくここからは更に強くなるのだろう。
一つか二つ、かすり傷を作れたような気がするが正直ダメージとしてはこちらの方が酷い。
出血多量で死ぬような怪我はしていないが、魔術の一撃ですぱっと皮膚は切れたし、叩き込まれた拳はあばらを持ってかれた気がする。
魔術に関しては間一髪で回避したので頬をざっくりいくだけで済んだけれど、あとちょっと動くのが遅ければ顔の上半分が吹っ飛んでいるところだったかもしれない。
首から上がすぱんと切れるより、中途半端に顔だった部分が残っている状態で死ぬ方がなんとなく悲惨度合が高い気がする。というか、そんな光景普通にホラーだろう。
(ヤバイヤバイヤバイ……ここからどうすればこの状況をどうにかできるかさっぱりわからん……!)
何か、何か方法はないだろうかと考えるが、焦りもあるせいか妙案が浮かぶはずもなく。
周囲を見回して何か利用できそうなものがないかとも思ったけれど、この空間に他に何か使えそうなアイテムだとかギミックだとかがあるわけでもない。
どう考えても詰んでいる。
アレスやイルミナが今からやる気になったとしても、手遅れ感がとんでもない。
駄目だ……完全に手詰まりだ……なんて思って諦めれば、少しは楽になれるのかもしれないが、ウェズンの中でその選択肢だけは存在しなかった。
いっそ走馬灯でも浮かべば諦めもついたかもしれない。
けれどもそういった光景を幻視する事もなく、そういう意味では現実はどこまでも無常である。
『――力が、欲しいか……?』
そして唐突にウェズンの頭の中で声が響く。
幻聴だと思った。
一瞬ジークが言ったのかと思ったけれど、そもそもジークの声と頭の中に響いた声は別物だ。
ジークは現在イルミナの母の身体であるので紛れもなく女性の声である。だがしかし脳内で聞こえてきた声は男性のものだった。
確かに現状困り果てている。
現状を打破できる力があれば、と思わなくもない。
だがしかし。
だからっていくらなんでも『力が欲しいか?』はあまりにも中二病が過ぎる言い回しではなかろうか。
前世でそういった物を履修する羽目になったから余計にそう思えてくる。
なんだよ力が欲しいかってあまりにも率直すぎるだろうが。なんて思いながらもどうにかジークの放った攻撃をギリギリで回避する。直撃していたら多分死んでる。
いや、もしかしてこれは……新手の走馬灯か? とふとウェズンは思った。
もう一歩間違ったらいつ死んでもおかしくないくらい危機的状況すぎて、走馬灯を見る条件としては整っているように思える。
けれど脳裏にそういう光景がよぎるだとかはない。
とはいえ、この「力が欲しいか?」という問いのようなものは前にもあった。
あれは確かリィトと戦っていた時だっただろうか。
あの時は幻聴だとか気のせいだと思ってスルーしたけれど、しかしまさかまた聞く事になろうとは。
自分の願望だろうか、とも思ったけれど、しかし聞こえてきた声は誰のものかもわからない声だ。
これが例えば自分の妄想からくるものであったなら、身近な知り合いの声に似ているだとか、少なくともどっかで聞いた気がする声であるはずだ。誰の声かもわからない声を想像するような余裕もないし。
前世で聞いたことがあるけれど誰の声だったかなー、とかいうような感じですらないのだ。
一度ならず二度までも聞こえてきた声。
今現在この場にいる人物は限られていて、しかしその声は誰にも当てはまらない。
一体どこから聞こえてくる声なのか。
ウェズンの頭の中で響くように聞こえてきているとはいえ、これが自分の妄想から発生したものだとはどうしても思えなかった。
いや、思いたくなかった、というのが正しい。
現状をどうにかできる力は確かに欲しい。
欲しい、のだけれど……
これ、YESって答えたら、どうなっちゃうんだろうなぁ……
という心配がとても過るのである。
声の主が何者かわからないので、軽率に答えた結果悪魔に魂を売るような事にでもなるのではないか……と思うのも無理はない。
しかもこの世界色んな種族がいるので、悪魔が普通にしれっと存在している可能性は何と恐ろしい事に前世よりも有り得るのだ。
だからこそ、ウェズンはまたもや声を聞こえなかったものとして無視する事にしたのだが。
『無視をするでない。で、どうなんだ援護は必要ではないのか?』
なんと前回と異なり今回はさらに語り掛けられた。
援護、とは。
実はこの場にジークや自分たち以外の何者かがいるとでもいうのか。それがわざわざジークには聞こえないようにウェズンの脳内に語り掛けている……?
考えれば相当おかしな話だ。
今回はさておきでは前回のリィトの時はどうだという話になってしまう。
リィトの時も今回も、何気にウェズンの近くに身を潜めて見守っていた、だとか言われてもつまりそれって、
「ストーカーって……事!?」
何それヤダ怖い。
あまりの恐怖に思わず言葉も漏れる始末。
『勝手に犯罪者に仕立て上げるなやめろやめろ、こっちは純粋に善意で声をかけているというのに』
先程までの脳内でウェズンが考えていた事には何の反応もしなかったくせに、ウェズンが口から出した言葉に突っ込んできたという事は、別にウェズンの脳内を自由に覗けるというわけでもないのだろう。
そう考えると余計におかしな話の気もするが。
だって相手の声はウェズンにしか聞こえていないようなのだ。
間違いなくジークは今、ウェズンの言葉に何言ってるんだこいつ? みたいな顔をした。
そろそろ終わらせるべく徐々に攻撃の威力を上げてきているジークが先程告げた言葉に、ウェズンがそう言ったようにしか聞こえないのだからそりゃそんな顔もするだろう。
ウェズンがジークの立場であっても、まぁそうなる。
むしろ会話が通じてないなもうそろそろ駄目かもしれん、とか思うに違いない。
『なぁ本気でこのままだとお前死ぬぞ。いいのかそれで。ここで死ぬって覚悟決めてんならいいけど、決めてないだろそんな覚悟』
頭の中の声は更に語り掛けてくる。
死ぬ覚悟なんぞそう決める事があってたまるか。
反論したいが声に出せばまたジークがおかしな目を向けるだろう事はわかりきっているし、そもそもアレスにもイルミナにもこの声が聞こえていないのなら、この二人だってまぁ似たような視線を向けるだろう。とはいえ現在はそんな余裕も何もあったものではないだろうけれど。
『お前ひとりだけ死ぬならともかく、間違いなくこいつらも死ぬんだぞ。いいのか? それで』
「いいわけあるか……」
「なんだ、お前、何を聞いている……?」
あまりの恐怖か状況的に死を覚悟したかで幻聴でも聞こえているのだろうか、とジークは思っていた。
だがしかし、ウェズンの目を見れば正気であるとジークは判断していた。
正気を失った者の目は、もっと不安定にゆらゆらとしている。視界が定まっていないという意味でもそうだが、精神的な不安定さもそこに表れるのだ。
けれどもウェズンの目にはそんなものがこれっぽっちも存在していない。それどころか、この状況をどうにかしようと諦めていない目をしていた。
一体なんだ……? 浮かんだ疑問を探るべくジークはウェズンを注意深く観察したが、わかるはずもない。
周囲に何かあるにしても、あるはずがないのだ。事前に何かを仕込もうにも、そもそも彼らはこの場にジークより後に来ている。他に誰かがいるはずもない。ここに来るのは鍵を手にした者だけで、それ以外は辿り着く事すらできないのだから。
ストレスだろうか……
結局わけがわからなすぎて、ジークの結論はそういった憐れむものであった。
そして同時にウェズンの脳内では、
『ならば一時的にその身体、借り受けるぞ』
謎の声はとんでもねぇ事を言い出していたのである。
「え?」
そしてわけがわからないままに、ウェズンの身体はウェズンの意思を無視して動き出す。
「っ!?」
明らかに変わった動きに対応できず、その一撃をジークはもろに食らっていた。




