飛ばされた先で
光が溢れた時、ウェズン達もまた目を閉じていた。
うっかり太陽を直視した時のような眩しさをずっと体験するわけにもいかない。目を閉じたのはある意味で当然の事だった。
そうして瞼越しに光が落ち着いてきたあたりで、恐る恐るウェズンは目を開ける事にした。
目を開けた直後時間差でまた光が、なんて嫌がらせのような事は起こらないだろうと信じて。
結果としてそんな事にはならなかったが、
「え、どこここ」
目を閉じる前と今とで、周囲の様子があまりにも違いすぎて思わず疑問が口から滑り出ていた。
塔、の中だとは思う。
周囲の形状から見ても、それは間違いないはずだ。
どこか別の――鍵がなくて開かなかった部屋のどれかに転送でもされたのだろうか、と思いながらも見回すが、どちらかといえば最上階のだだっ広いホールとよく似ていた。
同じである、と断言しなかったのは単純な理由だ。
先程までいた場所は床にびっちり何らかの紋様みたいなものがあれこれ刻まれていたけれど、こちらの床はそういうものが一切無かったからだ。
床も壁も天井もどこもかしこも真っ白で、しかしどこからともなく柔らかな光が波のように揺蕩っていた。
思わず目を閉じてしまったような強烈な光ではない。多分眠っていたとしてもこれくらいの光ならあまり気にしないだろうな、と思えるくらいには控えめである。
ここが夜の闇の中、というのであれば。
恐らくこの光は道しるべにもならないだろう。
月明りよりも頼りない。
けれどもこの室内は一体どういう仕組みかそれくらいしか光源はなくとも昼間の外くらいには明るかった。
床も壁も天井も全てが白くはあったし、波のように光が帯のような形でもってゆらゆらしていたりもしたけれど、それ以外にもよく見れば先程の場所とは異なるものがあった。
「あれ、なんだと思う?」
ウェズンのここどこ、という思わず口から出た疑問で目を開けたアレスとイルミナはそこで先程いた場所と異なるという事実に気付いたものの、ウェズンがあれ、と指し示したそれをまだ視界に収めてはいないようだった。
ウェズンが指し示したそれは、場所が場所なら扉か何かがあるだろうと思えるようなものだった。
というか、別の空間と繋がっていてそこに本来なら扉があって然るべきはずなのに、扉は外れてしまいましたとばかりにそこにぽっかりと別の空間らしき何かが見えているのだ。
扉を開け放したまま、だとかであればまだ良かった。
けれどもこちら側にも向こう側にも開け放したままの扉があるようには到底見えず、また柔らかな光がゆらゆらしているこちらと異なり向こう側としか言いようのない空間は、赤かった。
赤、と一言で断じるよりは、茜色と表現した方が適切かもしれない。
金色にもオレンジにも見えるような光が向こう側で時々揺らめいている。
まるで日が沈む前の夕焼け空と、沈みかけた太陽を連想させるような色合いだった。
前世、学校が終わって放課後まで残っていた時に教室の窓から見た空がこんな感じだったな……なんてふとどうでもいい記憶が蘇る。
ウェズン達が今いる場所は柔らかな光が揺蕩っていて、どちらかといえば危険な物がなさそうだと思えるけれど、しかしぽっかりと扉の形に開いた空間の先はどこか不安を感じてしまう。
見ればアレスもイルミナも「えーっ、なんだろ行ってみよ」みたいなノリで行こうと言い出すような雰囲気でない事だけは確かだ。
アレスは警戒するようにその先を睨むように見ているし、イルミナは戸惑ったように視線を何か他にないだろうか……とばかりにうろつかせていた。
場所が場所であったなら、本当に前世の学校だとかであったならば、放課後だしそこそこいい時間になってるし帰らなきゃなぁ、と思うだろうなとは思うのだ。
けれども、これからそこに行かなきゃいけない、となれば話は別だ。
忘れ物をして、まだ施錠されていない学校に慌てて入り込むような事ならまだ可愛い方だ。
しかしこれから行くだろうその先は学校なんかじゃないのは確かだろうと思えるし、ではなんだと問われれば答えられない程度には未知の領域。
そんなわけのわからん場所に、黄昏時、なんて言われてそうな空を連想させるような色合いの空間に、行かなければならない……と考えるとまぁ、テンションが上がるわけもなく。
「……なんであれ、行くしかないんだろうな」
ウェズンの疑問に明確な正解を答えられる者などいるはずもない。
それもあってアレスは露骨に溜息を吐きつつもそう言うしかなかった。
「ちょっとまって、あの子は? ファラム、だっけ? いないんだけど」
「え?」
「そんなはず……うわ、本当にか」
少し先に見えていた不思議空間に意識をもっていかれていたが、そこに行くしかないとなればぼちぼち覚悟を決めなければならない。
とても気は進まないが。
ウェズンとしてはあの先の空間が何なのかさっぱりすぎて気は進まないし、アレスも同様だった。
なんというか見ようによっては血の色で満たされた空間みたいに見えなくもないというのが不吉さ極まりなく、そんな場所によし行くぞ! と勇ましく突撃できるかと言われればアレスだってそこまで無謀ではない。
その先にせめて何があるかわかっていればまだ、心構えも違ってくるのだがそれすらわからない状況だ。
行けばわかるさ、なんとかなるなる! の精神で行くには空間の見た目が不吉すぎて楽観的に見ようなど思うはずもない。
そしてイルミナもまた気は進まなかった。
この期に及んで、となってしまうが、魔女の試練。それも母が用意したであろう代物だ。
そもそも最初の試練は試練とはとてもじゃないが言えない難易度。
けれど、あれは魔術を扱うにおいてあまりにも適性がなさすぎた己が娘への、最低限のサービス問題だった。もしあれをまだ母がいた頃にクリアできていたならば、魔女として育てられただろうとは思う。
自分が思っていたよりも魔女として向いていないというわけではなかったみたい、と考え直してくれていたかもしれない。そうすれば、祖母もきっともう少しマトモに魔女として自分と接してくれていたのではないか、とも。
全てはもしもの仮定の話だ。
仮に祖母に今更そんな事を聞いたって、どうなるものでもない。
もし、まだ母がいたならば。
そうすればもうちょっと段階を踏んで魔女として育ててくれたかもしれない。
けれどもイルミナは魔女としては不向きだと見なされてしまった。
魔女として生きるより、普通の人として生きた方が良い、と祖母も母も思ってしまった。
いくらイルミナが魔女としてやっていきたいと望み願ったとしても、適性も実力も足りていないとなればいいよと頷くはずもなく。
向いていないからこそ、祖母は諦めさせようとした。
魔女として育てる事すらしなくなった。
ただ、普通の人と同じように。
それでもその上で魔女となると決めたのであれば、それが茨の道である事はイルミナとてわかってはいるのだ。
きっと、イルミナに与えられていた本来の試練は、これこそがそうではないのか。
あんな、簡単なもので終わるはずがないのはわかっていたけれど、これこそが間違いなく――
そう考えると、果たしてどんな試練なのか。想像するほどに恐ろしくなってくるのだ。
攻略した今となっては、何故あんな簡単な試練でもたついていたのか、とすら思えてくるような試練で年単位躓いていた自分が、果たして真の試練をクリアなどできるのだろうか……?
もし、ここで失敗したとして、そうしたらどうなってしまうのだろうか。
前の時は、何度だってやり直しができた。
けれど、本来の魔女の試練とはそんな生易しいものではないはずだ。
では、もしここで失敗してしまえば。
どうしたって悪い方向にしか考えられなくて、イルミナはそのせいで中々足を進める事ができなかったのである。
せめてこの先で起きる出来事が何であるかがわかっていれば、まだマシだったかもしれない。
この場にいるのはイルミナだけではない。
ウェズンもアレスもいる。
正直短い付き合いではあるけれど、ウェズンが信用できる人物であるのはイルミナは充分理解しているし、何より今まで前に進めなかった自分を導いてくれた相手でもある。
それに、アレスも。
彼はウェズン以上に付き合いなどないけれど、それでもウェズンと二人で話をしている時の様子を見る限りこちらも頼りになりそうな人物ではある。
魔女の試練が自分一人でやらなければならない、というのであれば彼らはどうしてここに一緒に来てしまったのか、という疑問もあるが、もし三人でやるのであれば心強い事だけは確かだ。
だがしかし、魔女以外も参加するような試練となれば、最悪失敗すれば命を落とす事にもなりかねないのではないか……という思いも捨てきれなかった。
ファラムだけがこの場にいない事も不安の一つだ。
魔女の一族に生まれておきながら、少し前に魔女の間で流行ったとされるらしき暗号なんてもの、自分はこれっぽっちも知らなかった。古代文字だとかも、ちょっとしか知らない。それだって授業で学んだ範囲が精一杯だ。
授業で習ってすらいなかった文字をあっさりと解読してみせたあの子の方が、魔女として向いているのではないか。
そんな風に思ってしまえば、彼女がいない事が何故だか途轍もなく不安に思えてくるのだ。
もしこの先の空間でもあのような魔女の間で使われていたらしき暗号文とやらがあるのであれば。
それは自分には対処しようがない。
さっきまでの空間でだって、ファラムがいなければあんな風に鍵を使うなんて思いもしなかった。
もし、この先でも同じような文字を解読しなければならないとなれば。
イルミナは勿論ウェズンもアレスも理解できていないようだったし、お手上げになってしまう。
引き返そうにもそもそも鍵が――
「鍵がない!」
いつの間にやら手の中から消えていた鍵に気付いて、今更のようにイルミナは悲鳴じみた声を上げた。
ウェズンとアレスもイルミナのその叫びを聞いて、今更のように自分たちがここに来る直前掲げていたはずの鍵が消えている事に気付いたようだ。
「って事はさ、これ……どう考えても先に進むしかないんじゃないの?」
マジかぁ、と言いそうな態度でウェズンが口にした事実が、思った以上にずしりと圧し掛かってくる。
ちょっと引き返してファラムから魔女が暗号に使ってたやつの解読法とかさらっとでも聞けないだろうか、と思ったもののそれすらできない状況である。
ウェズンが言うように先に進むしか道はない、となればいい加減気合を入れて先に進むしかない。
どれだけ気が進まなかろうとも。
「行くか」
「そうだね」
「大丈夫かしら……」
「なんとかなる、とかじゃない。なんとかするんだよ」
ウェズンの言葉には、妙な実感が込められていた。




