一人お留守番
「それはともかくとして、三つの鍵がなんだって?」
本人に対して面と向かって告白したわけではない。
けれども、ほぼ同然なそれにイルミナは露骨にそわそわしだしていたのだが。
そんな展開なんてなかった、とばかりにアレスが話を元に戻す。
言いながらファラムの方へと移動して、アレスはファラムの足元周辺を一瞥した。
「あと、どこにそういう文字があるのかも聞かせてくれ」
とても冷静である。
コイバナ? 知らん後でやれとでも言わんばかりである。
ファラムとしてもウェズンへの好意を明かした事は大した問題ではないと思っているのか、顔色を変えるでもなくそこです、とファラムから大体三歩程離れた距離の床に指差した。
「……どれだ」
「あぁ、えっと今使われてる文字ではなくて。一つ前の世代の文字、とでもいえばいいかしら。ほらそれ」
そもそもこの世界、かつては異世界からやって来た者が大勢いたので文字も別世界から入り込んだりもしたせいで馬鹿みたいに色んな種類がある。
精霊との契約に用いる古代言語だとかはまだいい。
下手をすれば別の世界とそれとはまた違う世界の文字とが融合合体して新しい文字が出来上がったりしている、なんてことも普通にあるのだ。
この世界全てでそれらが使用されていたかと言われればそうではない。一部の地域でしか使われていない言語なんて山ほどある。
ウェズンからすればそれは前世の自分の国と海外の国の言語みたいなものか、で納得できる話であった。
まぁ、それら言語を全部覚えろとか言われたら間違いなく発狂していたと思うが。
前世の話で例えるならば、義務教育中に英語だけならまだしもその他に五か国の言語をマスターしろとか言われるくらいの無茶振りである。むしろ五か国で済んでるなら楽勝でしょ? とか言われてるのにも等しい。
最終的に世界を股にかけるグローバルな職場で仕事をするなら覚える事は損にはならないだろうけれど、海外とか治安物騒だしツアーでも正直気が進まない、一生日本に引きこもってる、とか言い出しそうな人間からすれば英語ですら覚えてどーすんの!? と勉強したくない理由としてごねそうなのに、その他の国の言語までとなれば間違いなく発狂している事だろう。
一応こちらの世界にも共通言語と呼ばれるものが存在していて、普段はそれが主流なので昔使われていた言語の何もかもを覚えろ、となっていないのはある意味で救いかもしれない。
共通言語さえ覚えておけば一応は人とのやりとりに困る事もそう滅多にないので。
とはいえ、かつて学園の課題で出向いた先で謎言語などを使う部族もいたので、絶対に誰とでもコミュニケーションをとれる! と言い切れない部分もあるのだけれど。
ついでに精霊と契約するならそれに関する古代言語も学ばなければならないという事実も忘れてはならないのだけれど。
そうやって考えると、前世もこっちも勉強事情はそこまで変わらないのかもしれないな……と思えてきたがその事実にウェズンはそっと蓋をした。
ともあれ。
どうやらファラムの足元近くに今はあまり使われていない言語が記されているらしい、というのは理解できた。
ウェズンは履修していない文字なのでそれ、と指差されたところでわからないし、それはどうやらアレスもイルミナも同様であった。
もしかしたら理解していて当然のやつなのかと思ったが、アレスもイルミナの様子を見る限りそうでもなさそうだ。
「あぁそれと、文字を知ってるだけ、ではわからないかもしれません。これ、少し前に流行したんです。一部の魔女の間で」
暗号みたいなものですね、と軽やかに言われて、今言われた事をすぐに理解できなかった。
ウェズンは思わずイルミナを見たけれど、そもそも魔女として育てられてこなかったイルミナがそういった事を把握しているとは思えないし、今の共通言語の前に使われていたらしき文字だ。一つ前の世代の文字、と言われているが一つ前の世代が何年前までのものなのかもよくわかっていない。
何せこの世界の人間種族は様々な種族の血と混じり寿命だって随分長くなってしまっている。ウェズンの知る人間の基準は前世のもので、まぁ大体人間長生きしても百年ちょっとが限界だよな、くらいの認識だがこちらの世界の今の人間は百年程度は余裕で生きるどころか、その時点でまだ若い部類に入ってしまう。
なので、精々百年程前の文字でした、とかであれば普通にウェズン達も学校の授業で教わる可能性がかなり高いのだが、習っていないのでそれよりももっとずっと昔に使われていた文字であるという事だけは確かであると言える。
下手すりゃ千年前の文字とか言われてもおかしくないくらいだ。
まぁ千年前であっても、まだ現役で生きてる人がいるので一つ前の世代の文字とか……となってしまうのだが。
そう考えると果たしてここにあるという文字は、一体どれだけ昔のものなのか。
考えるだけでも中々に恐ろしくなってくる。
「……まぁ、いいや。細かい事は気にしない方向性でいこう。
それでファラム、その暗号とやらで記されてるらしき文にはなんて?」
魔女の娘でありながら魔女として育てられなかったイルミナもさっぱり理解できていないという時点で、魔女とちょっと関わった程度じゃ知る事のなさそうな知識なんだな、とは理解できた。
それを知ってるファラムが異常というか特殊なのだな……と無理矢理納得して、ウェズンは話の先を促す。
「はい、えぇと……とりあえずですね、そちらに……勇ましき戦士……多分これアレスの持つ鍵でいいのかしら? とりあえずそこに立って鍵を掲げてみて下さいな」
床の文字に目をやりながら、ファラムはそこ、と指差してアレスに指示を出す。
詳しい話はわからないままだが、ともあれ言われるままにアレスは移動してそこでリングから鍵を取り出し掲げてみせた。
威風堂々とした振る舞いに、手にしているのが一瞬伝説の剣かと思った程だ。だがしかしその手にあるのは鍵である。
ウェズンはなんか見てて脳みそバグりそうだなと割と失礼な事を考えてしまった。
「それでそちらの、そう、そのあたりです、そこにウェズン様、かしら……? 同じように鍵を掲げてもらえますか?」
「あぁうん、わかった」
ここでごねたところで事態が進展するわけでもない。
だからこそ言われるままにウェズンも移動して、その場で鍵を掲げた。
やってる事はアレスと同じはずなのに、なんというか自分でやると別に伝説の剣を手にしているような錯覚も何もあったものじゃない。
「あとはそちらに、イルミナさんが同じようにすればいけると思います」
「鍵を掲げるのよね……? え、鍵よね……?」
鍵は扉を開けるもの、という認識であるが故に、扉も何もない場所で鍵を手に掲げ持つという行動に本当に意味があるのか疑問しかないものの。
既にアレスもウェズンもやっているのだ。イルミナがここでそんな意味のなさそうな事したくない、などと言うわけにもいかない。
ちょっと気乗りしないな……とばかりであったがそれでもイルミナも移動して、そうして鍵を掲げてみせた。
直後。
カッ! という音でも聞こえてきそうなくらい眩しい光が室内に溢れかえる。
全員が咄嗟に目を閉じていた。
次に何が起きるかわからない以上、目を閉じるという行為もあまりしたくなかったがそれでもこのまま目を開け続けていれば間違いなく視力に影響が出そうだったので、目を閉じてしまったのは仕方のない事だろう。
ウェズン達四名が目を閉じてしまったので室内での変化には勿論誰も気付けなかった。
床に刻まれていた紋様が不規則に明滅する。とはいえ、室内に溢れた光と比べればその輝きは控えめで、仮にその場で目を開ける事ができたとしても気付けたかはわからない。
光が室内で猛威を振るっていたのは時間にして十秒にもならないものだった。
けれども、目を閉じても瞼を通り越してなお眩しい光から目を守ろうとしていた一同は、その十秒という時間を丁寧に数える余裕などあるはずもなく。
ただひたすらに光がおさまるのを待つだけだった。
そうして時間にして僅か十秒後、光は突如消える。
「……え? あら……?」
瞼越しに光がおさまった事で目を開けたファラムは、思わず周囲を見回した。
あの光が満ちていた時、誰も動いた様子はなかった。
動くにしても目を閉じたままでは下手に動けば危険でしかない。
それでなくとも、ウェズン、アレス、イルミナの三名は鍵を掲げた状態で向かい合うように立っていたので、目を閉じたまま動けば最悪数歩動いた時点で誰かにぶつかる可能性もあったのだから。
だがしかし、光が消えた今、確かにほんの少し前まではそこにいたはずの三名の姿は。
「わ、わたしだけ置いてきぼりですの……?」
忽然と消えていた。
何度周囲を見回しても、この場にいるのはファラム一人。
「えっ、鍵云々に関してわたしが謎解きしたようなものなのに、そのわたしだけ放置ですの……!?」
恐らくは余計な存在を受け入れないためなのだろう、とは頭ではわかっているがしかし、あの三人だけなら鍵を持っててもまずその次にどうするかもわかってなかったみたいなのに。
先に進むヒントを得たのは自分がいたから、というのを考えるとそれなのに自分だけ置いていかれたという事実は割とショックだった。
「えっ、えっ、戻ってきますよね? 戻ってきますわよね……?
え、でも戻って来たとしてここに戻るのか、塔の入り口に戻されるのか……どっちかしら……?」
塔の中で魔物と遭遇した事はない。
瘴気濃度を確認してみたが塔の中はほとんど瘴気がない状態なので、仮に塔の外で魔物が発生したとしても糧となる瘴気がほぼ無いのでは塔の中に入り込んだりもしないだろう。
だからこそ、ここにいたとしても特に危険な事はない……はずだ。
とはいえ、消えてしまった三人がいつ戻ってくるかもわからないというのは。
「どれくらい待つ事になるのかしら……?」
たとえば大体の時間がわかっているならまだ心の持ちようもあるのだが。
「暇をつぶすにも本とか持ってきてませんし……どうしましょう」
適当に時間を潰せるような何かがあればいいが、困ったことにこの塔の中にそういったものはなかった。
ひたすらに三人が戻ってくるのを待つにしても、限度がある。
モノリスフィアを取り出して、現時刻を確認してみる。
「……とりあえず、あまり遅くなるようなら学院に戻るべきなんでしょうね……」
流石に数日戻ってこない、とかはないと思いたいが、今日中に戻ってくるかは謎である。
困り果てながらもファラムは壁際へ移動して、ちょこんとその場に座り込む。壁に背を預けて。
「何かが封印されてるのは床に書いてるとおりなんですけれど、魔女が封印したって事、よね……?
しかも関係者しかその場に行けない仕様ときた。……もしかしなくても、ヤバい事に首突っ込んだのでは……?」
その可能性に気付いたところで。
既にこの場に三人はいない。
とても今更な疑惑であった。




