初めての体験
先ほどまでと違い両目が見えないという状況下で、明らかに不利になっているはずだというのに。
けれども先程以上にリィトは追い詰められていた。
さっきまでダガーでもって戦ってた時の方がまだマシだったまである。
リィトがレイの両目を切り裂いて使い物にならなくした時点で、レイの手からはその武器が落ちている。そしてそれはレイから少し離れた――大体二歩分の距離でしかないが――大地に落ちたままだ。
目が見えていないから、何処に落ちているかレイにはわかっていないだろう。
けれども、倒れて地面に横たわった時にか、それとも元々リングに収納でもしていたのかまでは知らないが、今レイの片手にあるのは小石である。武器として考えるなら鼻で笑ってしまいそうなくらいお粗末なもの。
石なので、まぁ当たればそりゃあ多少は痛いかな、と思わなくもないけれどリィトからすれば精々一瞬注意を引くくらいのものでしかないし、命中する場所によっては思わず「ぁいたっ!?」と声に出すかもしれないが、まぁ大抵は無視しても構わないようなものでしかない。
だというのに、そのはずなのに。
今のリィトは何かをしようとする前に、レイが投げ放った小石を受け何もできない状態だった。
武器を拾い上げようにも、少しでも動けばその動きを阻止すると言わんばかりに小石が命中する。
それもとんでもない威力で。
小石が出していい威力ではない。魔術だとかの攻撃で食らった衝撃並みだ。魔術であればこちらも相殺できなくはないのだが、しかし実際は小石。小石が命中する前に魔術で威力を和らげるとかできなくもないが、しかしリィトが何か行動を起こそうとするのと同時に小石が飛んでくるのである。
何故。
そんな思いが消えなかった。
だってレイの目は今も閉じられたままで、見えていないのだ。
だというのに正確無比なまでに小石が投擲されてくる。
小石だからまだいいけれど、これが刃物であったなら今頃リィトはズタズタになっていたに違いない。
明らかに先程よりも強い……!? いやそんなまさか。
内心でそんな風に戸惑う。
しかしレイは明らかにこちらの動きをわかっているかのように行動しているのだ。少しでも動こうとすればすぐさま小石が飛んでくる。
リィトが動かないままであれば、小石は飛んでこなかった。
もしや音で判断している……?
動く時にいちいち物音を立てているわけではないが、しかしそれでも外ともなればそれなりに音は出る。
靴底が地面を擦る僅かな音だとかは、建物の中よりも明らかに音が出るだろう。
(そういや人間て、五感の一つがダメになると他の部分が鋭くなる、なんて言われてるけどまさかそれか……?)
戸惑いながらもリィトは一つの考えが浮かび、じっとレイを見る。
確かに今奴の目は見えていない。それは間違いないはずなのだ。けれども、まるでお前の事など全て見えているとばかりにこちらが行動に移ろうとすればすぐさま牽制なのかそれとも普通に攻撃なのかもわからないが、とんでもない威力で小石が飛んでくる。
目が見えない人間は、かわりに聴覚が優れている……なんて話を聞いた事がないわけではない。
とはいえ、だからって目を閉じたくらいじゃすぐに人間の聴覚などパワーアップするわけでもないのだ。
目を閉じて周囲の物音に意識を集中させれば、そりゃあいつもよりかはよく聞こえるかもしれない。
けれども、レイのように目を怪我で開けられない状態になったままとなれば聴覚がたとえ鋭くなろうとも痛みが感覚を研ぎ澄ますのに邪魔をするだろう。
もし本当に聴覚が鋭くなったとしても、痛みでとてもじゃないが意識を集中などできるはずもない。
決して軽い怪我などではないのだから。
(動いた時の僅かな音……服の衣擦れの音ももしかしたら……?)
その場で移動しないで動かそうとした腕にすら小石は飛んできた。
足音は極力消せるが、やはりどうしたって僅かな砂利を踏んだ時の音などは完全に消せるはずもない。気付かれないよう宙に浮けば音は出ないと思うけれど……
僅かに動いた時の音ですら聞こえているのだとしたら。
では、動かなければ問題はない。
わかっている。けれど動かなければずっとこのままであるのもわかっていた。
ならば、魔術で攻撃すればいい。
そう思って無詠唱のまま発動させようとした魔術は、しかし術を構築しようとした直後に飛んできた石で中断された。
「つっ……」
動いていなければ大丈夫。そう思ってしまった。だから油断していた、というわけではないが警戒が緩んでいたのは否定しようがない。
眉間にぶつかった石は思った以上に尖っていたのか、ぶつかった部分が熱く感じる。少し遅れてぬるりと何かが伝う感触。何か、なんて確かめるまでもない。地面にぽたりと落ちたのは紛れもなく血であった。
「なぁ、もしかして動かなきゃ問題ないとかマジで思ってたりすんの?」
そんなレイの声に反射的に顔を上げる。
目は閉じられたままだ。見えているはずがない。
では、今こいつはどうして……?
「だとしたら随分甘く見られたものだな俺も」
片手にある小石の数は気付けばほとんどなくなっていて、一つだけ残った小石をぽんぽんと弾ませるようにしているレイは、そのままゆっくりとリィトがいる方へ歩き始めていた。
「まぁ、お前が実体を持たないタイプの精霊じゃなくて助かったよ。身体があるなら打てる手段なんていくらでもあるからな」
レイの足音はほとんどしなかった。元々身のこなしは軽い方だと思っていたけれどそれにしたってリィトの耳ではレイの足音などほとんど捉えることができなかった。
どうやって移動すればそんな風に外でも足音一つ立てずに移動できるのだろうか、などどこかぼんやりと考えて、リィトの視線はレイの顔から足元へと移動する。目を動かしただけで、その場から一歩も動いてはいない。
けれども、ぽんぽんと片手で弄んでいた小石は的確にリィトの顔面に向けて放たれていた。
咄嗟に回避する。流石に鼻っ柱にぶつかったら「いてて」で済むはずもない。
人より多少頑丈であるとは思うけれど、しかし人と同じ形をしている以上急所もそう大差ないのだ。
数秒とはいえ動きに支障が出るようなダメージは避けたかった。
だが――
「っ、え――?」
がくん、と足元から力が抜ける。立っていられずにリィトの身体は不自然なくらい傾いて、気付けば地面に座り込んでいた。
一体、どうして……!?
困惑しながらもリィトの目は自らの足へ向けられ、異変の原因を探るべく視線は忙しなく移動する。
「ははっ、そんな慌てなくてももっと上、そうそうそこかな。そうその針」
レイの笑い混じりの声に誘われるように視線は上へ移動して、そうしてようやく理解する。
針が確かにそこに刺さっていた。暗殺者が使用するような投擲などに用いる長めの針であったならもっと早くに気付けただろう。けれどもそこに刺さっていたのは裁縫に使う以外に用途が思い浮かばないマチ針であった。
服に刺さるだけならまだしもそこから更に貫通してリィトの身体に突き刺さっている。リィトは決して薄着をしているわけではない。本来ならば、服の途中で止まっていたっておかしくはないはずのそれが、しかし根本までしっかりと刺さっているのだ。
わけがわからなかった。
暗殺者が使うような、攻撃に特化した針であるならばわかる。
あれはそういう用途なのだから、服を貫通させたりする程度に強度があるのは確かだ。
とはいえ、ひ弱な相手がやれば貫通しない事もあるにはあるが。
けれどもレイが放ったのはどこからどう見てもマチ針だ。
針の部分なんてその気になればぺき。という音を立てて簡単に折れそうなくらいのもので。
それ以前にリィトが着ている服は一見すれば単なる旅人風の普通の服に見えるけれど、しかしその実学院の生徒たちが着ている制服のように魔力を少しずつ取り込んで強化されるものだ。精霊の魔力だ、生半可な威力の攻撃など効果がない……はずなのに。
どうしてこのマチ針は貫通した挙句、自分の足に突き刺さっているというのだ……!?
ともあれ針を引っこ抜こうとすれば、更に複数の針が飛んできた。小石だった時と比べて更なる速さでもって突き刺さる。
「つ……っ!」
気付いた時には刺さっている。
手の甲に、腕に、膝に。
「一応急所は避けといてやったぜ」
なんて事のないような口調でレイが言う。
確かに、今刺さった部分は急所とは言い難い。だがしかし、今の言い方ではまるで。
(まるで、その気になれば急所も狙えるみたいじゃないか……)
嘘だろう? 目は使い物にならなくしたはずなのに。
現に今もレイの目は閉じたまま。血だって完全に止まったわけじゃない。
あいつは魔術があまり得意じゃなさそうで、使う時だって詠唱していたようだった。無詠唱でリィトみたいに突拍子もないタイミングで発動できるわけでもない。
それに、使おうとすれば魔力の流れを何となく察知できていた。リィトは精霊なのでそういったものを感知するのが得意ではあるけれど、レイはそういったものを少しでも隠そうという気すらない……いや、そういった考えがなかったように思える。
だから、レイが魔術を行使しようとした時リィトは簡単にそれを見抜いたし、だからこそ簡単に妨害もできたのだ。
けれど、では、先程のレイは……?
こちらはあからさまに魔力を動かすようなわかりやすい事をしてはいなかった。更には相手にわからないよう無詠唱で術を発動させるつもりだった。
感知できるはずもない。それなのにレイはリィトの行動を予測して的確に邪魔してきた。
なんだ。
なんだというのだ。
先ほどまでとはまるで別人ではないか……?
口調や態度が異なるわけではない。
けれども、明らかに先程までと動きが異なる。
一部分だけ別の何かが宿ったみたいなそれに、リィトの理解は追い付かない。
このままここで戦うのは危険な気がした。
いや、実際既に危険な状況に陥っている。
さっきまでは確実に勝てると思っていた。
けれど今は……?
行動に移ろうとすれば一体どうやっているのか簡単にそれを察知してこちらの動きを防いでくる。
(まさかこちらの考えを読んでいる……? いやそんなはずは。相手の思考を読み取るなどそうできるものでもないし、ましてや魔法や魔術を使って実行するにしたってそんな芸当ができるとなれば相当の……)
「逃げ帰るんなら見逃してやるぜ? どうする?」
リィトの思考を遮るようにレイが告げる。
その言葉で、別に考えを読んでいるとかではなさそうだな……と思うも、では何故こうも己の行動が読まれているのかが理解できない。
仮に思考が読めているなら、それをほのめかしもするだろう。そうして考えを読まれないように何も考えないようにして行動するとしても、どうしたって何かの拍子に考える事はするだろうし、相手の裏をかくにしてもその考えも読まれかねない。
思考が読める事を明かした事でこちらがそれを理解した動きをするだろうとは思うけれど、それでも動揺しないわけじゃないし何も考えないようにしようとすれば動きは知らず単調になる可能性も出てくる。
相手に読まれないようにしようと動けば動く程、恐らく相手の思う壷だ。
仮にそんな能力がなかったとしても、ブラフで読めているように振舞えばこちらの行動はそれなりに制限されてくる。
読めないのであれば今までの動きは一体なんでとなってしまう。
「……そう。じゃあお言葉に甘えてこの場は去らせてもらおうかな」
勝負は次の機会に、なんて言いながらリィトは無詠唱のまま術を発動させようとして――
「ぐっ!?」
「見逃してほしくないなら最初からそう言えよ。次はもっと楽に刺してやるぜ? トドメ」
術の発動を防がれる。
リィトがさも聞き分けよく撤退しようとして発動させかけた術は、実のところ転移ではない。
そう言って術を使うのであれば、大抵は転移で逃げ帰ると判断するだろう事を逆手にとって一発ドカンとぶちかまそうと思ったのだ。
しかしそれを読まれていた。
マチ針ではない、武器屋で売られている投擲用の――ダーツと言ってしまえばそれまでだが――武器がリィトの胸元に突き刺さる。心臓に直撃はしていないが、しかしいつでも突き刺せるのだと言わんばかりにそのギリギリを狙われた。マチ針ですら突き刺さるのだから、武器であれば確実に刺さるのは言うまでもない。
身体の中にずぶりと針が沈む感触に、思わず身体が硬直する。次、という言葉に次は本当に心臓に直撃するのだろうなと確信させられた。
見えてはいない。
それはわかっている。
それでも。
リィトはゆるゆると両手をそっと上にあげた。降参の意を示すポーズである。
「まいった。わかったよ、今度こそ本当に帰らせてもらう。だからどうか見逃してほしい」
「五秒以内」
その言葉がレイの口から出た直後、リィトは大急ぎで転移術を発動させていた。
五秒以上その場にいたならば、間違いなく次は心臓を貫かれていただろうから。
いや、その気になればきっとレイは転移術を発動させる直前であってもリィトの心臓を狙えただろう。
――周囲の景色が変わり、見慣れた場所へ戻って来たリィトは周囲に誰もいないのを確認して、情けなくもその場に座り込んだ。
どっ、と心臓が嫌な音を立てるようにやけに素早く脈打っている。
何が何だかわからなかった。
最初は余裕で勝てると思っていた相手だ。
実際、魔術だとかを使わずに戦っていたが、実力はまぁそこそこ拮抗していたと思う。リィトが魔術や魔法を遠慮なく使っていれば、決着はもっと簡単についていたはずなのに。
そのはずだった。
レイの視力を奪い、完全にこれでこちらが有利だと信じて疑ってすらいなかった。
なのに、気付けば自分の方こそが負けたも同然である。
呼吸が荒くなるのをどうにか抑えつつ、刺さった針を抜く。
「なんだアレ……ワイアットとは別の化物がいるなんて聞いてないぞ……」
あの場にいたのが自分ではなくワイアットであったなら。
きっと二人はいい勝負をして、どちらかが死ぬまで戦っていたに違いない。
けれど、最初の時点でのレイならばワイアットと戦っても果たして勝てるだろうか……? とリィトは思うのだが、しかし視力を奪った後のレイとでは、どちらが勝つか全く予想がつかなかった。
ワイアットの実力ならばわかっている。
けれど、あの状態のレイは未知数すぎてさっぱりわからないのだ。
適当に負かしてもっと強くなるようにすれば、ワイアットにとってのいいおもちゃになるかもしれないな、なんて考えていた少し前の自分に言いたい。
そんな余裕かます前にさっさと倒すべきだったんだ……と。
「当分あいつには近寄らないようにしとこ……」
わけがわからなすぎて、気軽にまた近づこうなんて思わない。
リィトは精霊であるが故に、正直そこまで怖いモノなんてあまりなかったのだが、しかしそれでも。
この日、人から聞いた感覚でしか理解していなかった恐怖を、リィトは初めて経験したのである。




