ともあれ生還
「もしもぉし、大丈夫ですかぁ……?」
寝起きドッキリのリポーターかと言わんばかりの小声で、話しかけるというよりは囁きかけるというのが正しいくらいの静かさで。
倒れて動かなくなったワイアットにイアが声をかけるも、ワイアットはぴくりとも反応しなかった。
「…………知ってた!」
ぱっと証拠隠滅とばかりにチョコが入った箱と紅茶のボトルをリングへとしまいこむ。
正直自分で食べても美味しくなかったもの!
けれど、考えて考えた結果、この場を切り抜ける方法はこれしかイアには思い浮かばなかったのだ。
少し前に自分一人で作ったトリュフチョコレート。
兄からレシピを教えてもらって、一人悪戦苦闘して作り上げたチョコは、見た目だけならお店で売ってるのと遜色ないといったって大袈裟じゃなかったはずだ。
苦労して作ったチョコ。
しかし、わかっていたのだ。
自分一人で作ったという事は、つまりは、見た目はマトモであっても味は激烈に不味いという事を。
それでも、こればかりは一人で作り上げたかった。
お世話になった人たちに、という名目で渡すにしても、流石にクラスメイトたちにこれを渡すのは憚られた。自分一人で作った物の大半が不味くなるのはよぅくわかっているのだ。
かといって、スターゲイジーパイを渡すのもどうかと思ってしまうわけで。
チョコレート菓子を渡すイベントで一人スターゲイジーパイを配り歩くってどうなの?
チョコソースでもトッピングすればよかったのだろうか。
しかしスターゲイジーパイとチョコレートの組み合わせは果たしてセーフなのか。
折角美味しくできたスターゲイジーパイも、下手にアレンジした結果他の料理と同じ末路を辿るのではなかろうか。ただでさえ食材を台無しにしている気持ちになるのに、唯一美味しく作れるスターゲイジーパイまで犠牲にするような真似はできなかった。
なので、大半は既製品を渡す事にしたのだ。
折角作ったチョコ菓子があっても。
兄ならば、なんだかんだ食べてくれるからこれは後で兄に渡そうと思っていた。
課題を終えて学園に戻って来た後、多分その頃にはもう課題も試験も終わった後の解放感とかがあるだろうから、その時に渡せばいいかなと思っていた。
一生懸命作って、比較的綺麗な形で出来上がったトリュフチョコレートを丁寧に箱の中に並べていって。
お店で売られているやつみたいな感じにするために、なんか薄いチョコを置く紙も購買で購入して、できあがったチョコを並べる時に下手に手で触って跡をつけるのは避けたかったから、魔術で細心の注意を払って持ち上げたりして。
何してるんだ自分……なんて思ったけれど、魔力の制御操作の特訓だと思えば無駄ではなかったと言えよう。
兄にあげるつもりだったけど、この場を切り抜けるためには仕方がない。
いくつかは自分も食べてしまったから、箱の中は半分くらい減ってしまったけれど……こんなんでも兄ならきっと受け取ってくれるとは思う。
いやでもな、やっぱ既製品にしておこうかな……
こういう場面が他にあった時に、使えるかもしれないしな……
いや、次があったとしてその時この人が同じ手段にひっかかるとは思えないけれども。
「おにいに渡すやつに関しては保留かな」
ぽつりと呟く。
兄はもうイアの料理を何度も食べているからすっかり慣れているので、手作りのチョコレート菓子を渡しても問題なく受け取ってくれるだろう。
けれども、やっぱり美味しいやつを渡すべきだよなぁと思ってしまうわけで。
手作りにいくら気持ちを込めても、肝心の味が……どうしても不味くなるわけだし。
どうしてちゃんとした材料をレシピ通りに作ってるのに激マズ仕様になってしまうん……?
イアの疑問に答えてくれる者はいない。
紅茶もまた自分が淹れたやつだった。
香りはとっても紅茶なのに、飲んだら味はすんごい事になっている。何故……どうして……
イアが寮の自室でお茶などを飲む時は、部屋の管理人として選んだ相手に頼んで淹れてもらっている。あのちんまい身体で一生懸命お茶を淹れようとしているのを見るとなんだかとても申し訳ない気持ちになるのだが、自分でやると死ぬほど不味いので仕方がない。
香りだけならチョコも紅茶も何も問題がなかったからこそ、きっとそれを口にした衝撃は計り知れない。
ウェズンであれば平然と飲み込んでおかわりだってできただろうけれど、初めてイアの料理を食べる相手に耐性があるはずもない。
イアの料理を初めて食べた時のクラスメイト達は、事前にイアの料理は材料も製造過程もマトモなのにどうしてか不味くなるというのを知らされた上で食べていたから、まだ心構えがあった。
しかしワイアットにはそんな事前情報すら教えていないので、衝撃は他の人に比べればかなりのものだっただろう。
ちょっとやそっとの不味い飯とはわけが違うのだから。
自分は味見とかしてもう慣れるしかなかったけれど、彼はそうもいかなかった。
生きてはいるけど今のところ動く気配はない。
この場で、いっそ殺すべきかなと思わなくもないのだけれど、いざ攻撃してトドメを刺そうとしたらその途端死ぬ間際の火事場の馬鹿力とか発揮されそう……と思うと下手に関わりたいとも思えない。
イアはそそくさとルシアを覆っていた糸を解除して、とにかくルシアの怪我の様子を確認する。
割と強引な方法だったが糸で傷口を表も裏も塞いでいたので、血はどうにか止まっている。
とはいえ、糸に纏わせてあった治癒魔法の効果だけでは治ったとも言い難い。
急いでルシアに直接治癒魔法をかけた。
ついでにモノリスフィアで瘴気汚染度を確認してみる。
最初にこの建物に入った時よりは上昇しているが、しかし今現在の数値は上昇してはいなかった。ルシアの傷口が塞がった事で、まき散らされていた瘴気も止まったのだろう。
とりあえず更に治癒魔法をかけて、傷口を完全に塞いで戻す。
それから、傷口を塞ぐために出したままだった糸をそっと消した。
傷が塞がったとはいえ、ルシアの意識は戻らない。
ともあれ死ぬのは回避できた。その事実にホッと安堵の息を漏らす。
イア一人でルシアを抱えて移動するのは無理があるので、糸でぐるぐる巻きにして引きずる事にする。
ルシアの身体全体を覆うように巻いたので引きずってもルシアの身体が直接床と擦りあう形にはならなかった。糸には当然のようにイアの魔力を纏わせてあるので、強度も充分。ついでに魔力操作で運んでいる状態なので自力でルシアを抱えるよりは余程楽だった。
次にヴァンの様子を確認するためにヴァンを覆うようにしてあった糸を消す。
「……終わった?」
「うん、なんとか」
ヴァンの意識は案外安定していた。
思っていたより顔色も悪くない。
「動けそ?」
「なんとかね」
イアの質問にヴァンはそう答えると、むくりと身体を起こした。
糸に覆われて、しかもその糸がうっすらとではあったが浄化魔法を纏っていた事でヴァンの容態は思っていたより悪化はしなかった。
外からこちらの様子が見えないと判断したヴァンはウェズンからもらった浄化アイテムを使い、外の様子を窺っていたのだ。
急激に瘴気濃度が上昇した事で倒れただけで、ヴァン本人はクイナに致命傷を与えられたというわけでもない。もしイアが死んだなら、糸は簡単に壊れるようになっただろうしその時は何とかして一人でも逃げるつもりでいたけれど、しかしヴァンの予想を裏切ってイアはワイアットを倒してみせた。
「トドメは?」
「やろうとしたら何かこう、野性的な勘とかで復活したりしそう」
「……否定できないな」
立ち上がってワイアットの方を見れば、ぐったりと倒れたままだ。
今なら簡単に殺せるとは思う。
思うのだが、しかしイアが言うようにいざトドメを、となった時に最後の力を振り絞って……なんて感じにならないとも限らない。そんなはずはない、と否定するにはなんというか色々と難しいと思えたのだ。
ならば、後はもう速やかにこの場から立ち去るしかない。
ワイアットが復活する前にさっさとここを出て、そうして学園に戻ればいい。
サーティスとソーニャに関してはもう完全に死んでいるのがわかりきっているので、回収は……と少し悩んだが今から学園に戻って報告すれば、死体に関しては教師の誰かが派遣されて回収するだろう。そう思いたい。
死んでいるならリングの中に収納できるのではないか、とも思うのだが、リングの内部でどれくらい容量を食うかがわからない。ならばやはり、ここに残しておいてすぐに報告した方がいいだろう。
「急いで撤収するぞ」
「うん」
意識のないルシアにちらりとヴァンは一度視線を向けたが、目が覚める様子は今のところないのでこのまま引きずっていく事になる。
イアが手当てしたことでもうルシアの身体から瘴気が溢れてもいないので、ヴァンとしては何を言うでもない。未だに瘴気があふれ出していたならば悪いがルシアもこの場に置いていこうと提案したかもしれない。
そうでなくとも、ルシアを連れて脱出するイアとは別行動になっただろう。
別行動になった場合、最初にヴァンがここを出て速やかに学園に戻って事情説明する形になっていたかもしれない。
建物を出てすぐの所に神の楔はあった。
なので戻るだけならそう大変な事ではない。
最初に課題と称してオルディア高地へやって来た時とは別の神の楔だ。
既に材料があってすぐに魔法薬を作る、というのであれば最初からこの建物の近くの神の楔で転移しただろうけれど、あちこちに種を蒔かなければならなかったのでスタート地点の神の楔からジグザグ移動しつつこの建物を目指すという形になった。
そもそも材料持ち込みするにしても、そこらにある材料を採取してから来るのだ。建物のすぐ近くにある神の楔はどう考えても帰りにしか使わないものだった。
すぐ近くに神の楔があるからこそ、逃げるという選択肢も存在していただけだ。
もし最初にオルディア高地に到着した時の神の楔の場所まで逃げろ、となればとてもじゃないが逃げきれなかっただろう。
「しかしまぁ……参加した留学生組全滅か……他のところは大丈夫だろうとは思うけれど……なんていうか幸先悪すぎだな」
「そだねぇ、他でもクイナみたいに学院に行きたいがために一緒に行動する事になった相手を攻撃、なんて事になってないといいけど」
言いながらも、多分それはないだろうとイアは思っていた。
詳しい方法は聞かなかったけれど、それでもクイナがやろうとしていた事からなんとなく想像はつく。
学園の生徒を敵に回すとなれば、後はもう行ける場所なんて学院にしかない。
正直その方法本当に上手くいくものなの? とイアはクイナ本人に聞いてみたい気持ちもあったけれど。
まぁ全ては今更である。




