強制ソロバトル
怒りの力。
それは冷静さを失わせるけれど、しかし時として絶大な力を呼び覚ますきっかけになり得るもの。
前世、イアが見た事のある映画やアニメだとかでも、そういったシーンはあった。
怒りによる覚醒。
そうして得た力。
毎度ピンチに陥るたびにそういう覚醒の仕方をして強くなっていくような話も中にはあって、いや王道かもしれないけど、ここまで毎回同じパワーアップ方法だとちょっとどうかなー……なんて思ったものもそれなりに存在した。
多分当時の作品の流行だったんだろうな、なんて感想を抱いたりもした。
とはいえ前世のイアや、それ以外の人たちは基本的にサポートデバイスがあるためか、そこまで激しい感情を抱いた覚えがない。
表面上はとても穏やかだったのだ。
誰かが誰かを殺そうだなんて思いもしない平和な平和な理想郷。
表向きはきっとそうだった。
だから、転生して穏やかさとは程遠い感情をむき出しにしている人を見るのは、妙な興味深さと、少しばかりの怖れと、それから……どう言えばいいだろうか。なんだかわからないもやもやを抱えていたのだ。
どうしてそんな風に感情を高ぶらせているのかわからない、という疑問。恐らくもやもやした感情はそれが一番言語化するとなると近しいだろうか。
けれどもイアは、ルシアの怒りを目の当たりにして、それが理解できないものではなかった事で。
ようやくすとんと納得できたような気持ちに陥ったのだ。
事情はわからないけれど、きっとルシアにとって大事な何かが失われた。
その原因が彼――ワイアットなのだ、と。
理解はできた。
自分ももし今、兄を殺されたならば、きっと怒るなり悲しむなりするだろうから。
前の人生では家族が死ぬというシーンを見てもいまいち理解できなかったのだ。
都市で過ごす皆が家族のようなもの、と言えなくもないけれど、物語の中の家族みたいなやりとりなんてした事がなかったから。
けれども、生まれ変わってずっと昔に見た創作物の中のような家族。
自分を大切に慈しんで育ててくれた母。
引き取って育ててくれたウェズンの両親。
何もできなかった自分に根気よく色々教えてくれた兄。
今になってようやくイアは、そういったものを理解し始めていたのだ。
だから、大切な誰かが殺されて怒って絶望するルシアの気持ちはなんとなくわからなくもない。
学園でよく話をする事もあったけれど、ルシアはあまり自分の事を話したりしなかったから。
表面をなぞる程度にしか、イアはルシアの事なんて知らなかったのだ。
深入りして聞いていいのかな、と悩んだ事もあった。一度だけ、聞いてみた事もあった。
けれど結局やんわりと言葉を濁して、語ってはくれなかったので。
何か事情があるのはわかっていたけれど、それだけだった。
小説やゲームの内容で、ルシアがウェズンの事を殺そうとしていたというのは覚えている。けれどもそれも途中で解決して、何も問題がなくなるというのも思い出していたから。
だからあまり気にしていなかった。
そのうち解決する内容なら、わざわざ何かをしなくてもいいだろうと思っていたから。
けれど、もしかしてそれは間違いだったのかもしれない、と思う。
思ったとしても今更ではあるが。
怒りの力によってルシアは形振り構わずワイアットに攻撃を仕掛けてワイアットを殺そうと試みた。
王道の物語であったなら、ここできっとルシアはワイアットを倒していたのかもしれない。
けれども実際は――
「隙だらけだったね。お前と僕との実力差を考えたら、隙は一切作るな……と言いたいところだけど、せめて最小限に抑えるべきだったと思うよ」
「ち……く、しょ、ぅ……」
悲しいくらいにワイアットの圧勝であった。
しかもワイアットはかなり手加減していた。もし本気で応戦するつもりであったなら、手にしていた武器でばっさりルシアをやっていただろう。
一時的な怒りで立ち上がるに至ったものの、再び倒されてしまえばもう一度、とはならなかったようで。
何度か立ち上がろうと試みるように手が床をひっかくけれど、しかしもうそこまでの体力も残っていないのかもしれない。
ヴァンは倒れたまま。
ルシアもやられて倒れている。
残っているのは自分だけ。
「……お?」
その事実に気が付いて、イアはあれ? と声に出さずに困惑した。
えっ、これ、生きて帰れるやつ……?
ヴァンを助けに行くにしても、クイナが近くにいる。
ルシアを助けるにしても、ワイアットをどうにかしなければならない。
このまま糸を周囲に展開させて守りの姿勢に入っていたとして、果たしてこれは大丈夫なやつなのかしら……? と考えて。
あっ、ヤッバーイ!!
と、気付いたのである。
逃げるのであれば、きっと留学生二人が倒れた時点で逃げ出すべきだった。
状況を把握できなさすぎて様子見なんてしたばっかりに、簡単に最悪な状況に陥っている。
「クイナ。ここからは、君が頑張らないといけないよ」
「はいっ、任せて下さい!」
武器をしまい込んで壁際まで移動したワイアットは、壁に背を預ける。その様子からこれ以上彼が何かをしようとはしていない――今のところは――というのは理解できた。
けれども、その逆にクイナがとてもやる気満々である。
ルシアはまだ生きているようで、じわじわと瘴気濃度が上昇しているのも現状ヤバいよなと思える原因の一つであった。
ヴァンは上昇した瘴気濃度によって体調を崩してロクに動けそうにない。先程浄化薬を飲んでいたけれど、今からまた追加で飲んでもこれではどうにもならないだろう。
けれども、クイナがその場でヴァンめがけて武器を突き刺せば、それでヴァンの命が終わってしまう。
そう判断してイアは自分と同じようにヴァンの周囲を糸で覆った。その糸に気休め程度に浄化魔法を纏わせて。
「悪あがきとか面倒だから、とっとと死んでくれる?」
「なんでこんなことを……!?」
イアがやったのは言われずとも理解できたのだろう。
むっとした表情でクイナが告げる。
「学園の生徒になれるだけの実力がある、ってなってもね……そのまま学園の生徒になるんじゃアタシが困るのよ。だってそうなったら最終的にワイアット様と戦わなきゃいけなくなるもの」
「……随分と大きくでたね」
最終的、というのはきっと神前試合を言っているのだろう。それくらいはイアにもわかった。
ワイアットの実力なら確かに彼が最終的に勇者として選ばれてもおかしくはない。
けれどクイナが魔王として選ばれるか、となると果たしてどうだろうか。
それでもそうなると信じて疑わないのは、ある意味でいっそ清々しく思えてくる。
学園の生徒としてやっていけるだけの実力がある、と認められて、そこで満足せず更なる高みを目指していると言えば聞こえはいいが、そんな簡単な話ではないはずなのに。
「でもね、アタシはそれがとても嫌で。だから学院に転入するの。そのために必要な事なのよ、これは」
「なるほど……」
なんて言ってはいるけれど、正直イアはよくわかっていない。
えっ、普通に転入ってできないの? と思ったけれどそれを聞いて果たして答えてくれるかどうかも疑わしい。自分としては疑問を解決したいだけであっても話を引き延ばしていると思われてヒステリックになられても困る。集落時代のクイナの事を思い出してみれば、そんな風に癇癪を起されると面倒極まりないからだ。
多分自分の人生大体自分の思い通りになるのが当たり前って思ってる節あるもんな……なんてイアは思っているが、流石にそれは口に出さなかった。
多分、ではあるけれど。
普通に学園からやっぱ学院に入学しまーす、ってなったとして。
何らかの条件があるんだろうな、とは察した。
きっとその条件のせいで、サーティスとソーニャは殺される羽目になったし、ルシアも死にかけてるしヴァンも身動きが取れない状況に陥った……と。
えっ、何それなんか面倒っていうか、巻き込まれてるよねそれ。
嘘偽りのない正直な感想である。
とりあえずクイナの我儘に巻き込まれている、という認識でいいだろう。そんな雑なものではあったけれど。
とりあえずクイナがこの場にいる皆を倒せばどうやら学院への入学が可能になるらしい、とみて間違いはないはず。
正解かどうかは流石に聞いていないし、答えもわからないので本当にそうかはわからないけれど。
ヴァン同様イアはルシアも糸で覆う事にした。
死にかけてるけど、まだ生きてる。
とりあえず完全に糸で繭みたいに覆って、こちらも浄化魔法を糸に纏わせておく。
ルシアの特殊体質のせいで瘴気が溢れてるわけだけど、それも一応傷口部分を糸できゅっと塞いでおいた。貫通してるので身体の表と裏を塞がないといけないのは正直厄介だけれど、糸とイアの感覚を一時的に繋げて実行したので表面上はどうにかなった。
繭みたいな糸の中で瘴気はまだ出ているようだけど、繭状の糸には浄化魔法がかけられているし、身体の傷を塞いだ方の糸には治癒魔術もちょっとだけどかかっている。
ヴァンと比べると随分手間がかかっているのでルシアには是非生き延びてほしい。これだけやって死なれたら自分の頑張りが無駄になってしまうので。
戦うにしてもなぁ、という思いがあるとはいえ、このままイアたち三名ともずっとこの状態だと流石にワイアットが糸を破壊しかねない。
クイナなら壊せないだろうとは思うけれど、ワイアットなら壊せるだろうな、というのがイアの見解である。そしてそれは大体正しい。
あっという間に戦闘不能になってしまった仲間たちをどうにか守りつつ、自分がなんとかしないといけない。
降ってわいた高難度のミッションに、イアはまずはクイナを倒してからだな、と自分の周囲を覆いかけていた糸を解除した。




