衝動
「叫ぶ元気はまだあるんだ。へぇ? でもさ、うるさいよ」
「あっ、ああっ、がっ……」
突きつけられた言葉はきっと一番聞きたくない言葉だった。
信じられなくて、否定するように叫んで。
けれどもそれはあっけなくワイアットに阻まれた。
ワイアットの武器が貫いた部分、未だ血が止まらずじわじわと服を濡らしていくその部分を、ワイアットは容赦なく蹴った。吹っ飛ぶ程の勢いはつけなかったからか、ルシアの身体は倒れて少しだけ床を擦った程度だった。
痛みだけが存在を主張している。
ぼろ、と涙が出たのは決して痛いからだけではない。
死んだ。
ルチルが。
「いや今まで気づかなかったとかある? ホントに?
だってお前が学園に向かうために出た直後だよ? あいつら最初から殺すつもりだったじゃん」
見下ろしてくるワイアットの顔は、心底理解できない、とでも言いそうな表情をしていた。
「もし血の繋がりがあったならともかく、そうじゃないんだ。穀潰しを優しく飼ってやる義理なんてあいつらにあるわけないだろうに。
いいかい? 彼女はね、お前が家族みたいに扱うから利用できると思われてただけの、ただそれだけの存在なんだよ。
仮にお前が目的を果たしていたとしても、死んだ理由なんて適当にでっち上げる事ができる。お前が離れた時点で死ぬのなんてわかりきった事だったじゃないか。
そんな事にも気付けなかったんだからさ、本当に、大事にされて育ったものだよ。ねぇ? お姫様?」
ワイアットの言葉が降り注ぐ。涙のせいで視界がぐにゃぐにゃになっているけれど、それでも見上げた彼の表情は嘲った様子はない。どこか、憐憫に満ちているようにも思えた。
単純にルシアがそう思いたかっただけかもしれない。
「本当に彼女を助けたかったなら、お前が出る時に一緒に連れていくべきだった。とはいえ、学園には生徒じゃない相手を連れ込む事の許可はされていなかったはずだし、となればどこか安全な町や村に拠点を作るべきだった。
でもまぁ、そこまでの甲斐性がお前にあるとは思ってないよ。あったらやってるもんな」
――ルシアの故郷でもある地の浄化機は、実のところとうの昔に壊れてしまって動かない。
けれども瘴気は常にあふれている。それは、街の維持に必要な物が多すぎるからだ。
それらを動かす事で瘴気は日々常に発生している。浄化機の予備として残された物ではすべてを賄いきれず、日々じわりじわりと瘴気濃度が高まっていくのだ。
街の維持をやめてしまえば、瘴気があふれる事はない。
けれども、それが実行される事は決してないのだ。
だからこそ、ルシアたちの一族は――
これ以上はもう無理だと思われた時点で、殺されるのだ。
街の浄化と引き換えに、一人。
生まれたばかりの赤ん坊だとか、まだ幼い子が犠牲になっても効果はあまりない。
それ故に、ある程度育った者の中から生贄は選ばれる。
次に犠牲になるとされていたのは、ルシアであった。
次にあの街の瘴気が溢れてどうしようもなくなったら、その時は。
その時こそが、ルシアの死ぬ日なのだ。
死にたいなんて思うはずもない。
いくらあの街の中で丁重に扱われていたとしても、それはいつか死ぬからだ。彼らからすれば自分たち一族は壊れた浄化機の代わりでしかない。
使い捨ての浄化機。
いざという時のためにひたすらに子を産み増やす事が義務付けられた一族。
勿論そんなもの、受け入れられるはずもない。
救いを求める者からすればルシア達一族は救世主でもあるけれど、自分の命を犠牲にしてまで助けたい相手かと問われればルシアは間違いなく首を横に振る。
たとえ自分の命と引き換えにしてでも……
そんな風に思える人たちばかりだったなら、ルシアだって笑った逝けたかもしれない。
けれども実際は違う。
ルシア以外にも、こんな所で死んでたまるかと思う一族の者たちはいた。過去にも数名、逃げ出そうとしたという話は耳にしている。
けれどもいずれも失敗し、捕らえられ、二度と逃げ出せないように足の腱を切られ牢の中。
いや、過去に逃げおおせた者が誰もいないわけではないが、むしろその逃げおおせた相手のせいでより厳重になったとも言える。
逃げたとしてもすぐに見つかるのはわかりきっていた。
そもそも逃げるためのルートが限られすぎていて、逃げようとすればすぐにわかってしまうのも逃げるに逃げられない原因の一つだ。
もしルチルを連れて逃げたとして。
ルチルは学園に入れる程の資質はなかった。だから、他の所で暮らす事になる。
けれど、外の世界に何の伝手もないルシアでは、ルチルを安全な所で生活させられるだけのものを何一つとして用意などできやしなかった。
学園に奴の身内が入学するという情報を得て、魔晶核の奪還、はたまたその身内を殺し奴を引きずり出す事を条件にルチルの事を任せ、ルシアは学園に入る事となったのだ。
本当は、逃げてしまおうか、と思わなくもなかった。
けれども逃げたところでどうせすぐに見つかるのだ。
それならば、やるしかないではないか。
(あぁ、でも……)
自分が学園に行くためにあの街を離れた直後にはもうルチルは殺されていただなんて。
それじゃあ、自分は何のために……
何が何でも彼女から離れるべきではなかったのだ、とワイアットに言われて、身体の痛みなのか心の痛みなのかもわからないままひたすらに涙があふれてくる。
ルチルがとっくに死んだ事にも気づかずに、自分は一体何をしていたというのか。
あの街で次に浄化を行うのは、予定通りであるならば来年か再来年あたりだった。
目的を果たせずとも時が来れば戻されるはずだった。
あぁ、でも。
もうルチルがいないなら。
逃げたって、いいんじゃないかな……
いや、そうじゃない。
他の、ロクに顔も合わせた事のない一族の連中の事だって。
どうでもいい。
どうでもいいのだ。
だったら、ここで瘴気をまき散らしながら死んだって。
もう、それでもいいんじゃないかな。
学園に戻ったらウェズンを殺そうと思っていたはずだけど、それはもうやらなくてもいい。
魔晶核についても、もうどうだっていいや。
あの街の事だって、全部、何もかも、すべて。
抵抗しようという気も、藻掻こうという気力も。
ルシアには何も残っていなかった。
倒れたまま、腹部からあふれてくる血もそのままだ。
このままであったなら、間違いなくそう遠くないうちに死ねる。
死んだらきっとルチルと同じ場所へ逝ける。
そう思えば、死ぬのも悪くないような気がしてきた。
ゆっくりと目を閉じようとして――
「あれ? 放っておいても勝手に死ぬ感じ? 受け入れるの早すぎるよ。
ルチルは最期まで抵抗したのにね」
ワイアットのその言葉で。
ルシアは目を開けた。
目を閉じたらそのまますっと意識は暗い海の底に沈むようにして消えていくのだとばかり思っていたけれど、しかし直前で委ねる事をやめて目を見開く。何とかして自分を見下ろしているであろうワイアットを見上げるように顔を動かしたけれど、ワイアットの顔を見る程までには持ち上がらない。
「所詮お姫様はお姫様だったって事かな。
囚われの姫はルチルだったかもしれないけれど、けれども彼女の方がよっぽど戦う意思があったくらいだ。
彼女の抵抗は抵抗にもならなかったけどね。うん、すぐに死んじゃったし。でも、お前みたいに簡単には受け入れたりしなかった」
「ま、さか……」
「うん?」
「お前、が……?」
声を出すのもつらいのだけれど、それでもルシアはどうにか言葉を絞り出した。
自分が学園に行く事が決まって、街を出て。
直後にルチルは殺された。
ワイアットが学院にいるという情報を知ったのはかなり後になってからだ。いつからそう決まっていたのかは知らない。けれど、ワイアットが街を出たのだってルシアと大体同時期だろう。
それより少し早いか遅いか。
で、あるならば。
「そうだね。手を下したのは確かに僕だ。確実に殺せと言われたからね。四肢をもいで、首を切り落として、最後に心臓を抉り出した」
死んだ、という言葉だけならば、どういう死に方をしたかまでは考えなかった。
考えたくなかった、というのが正しいのかもしれない。
けれども。
こうもあっさりと、悪びれる様子もなく言われたそれはあまりにも――
マトモに戦う事もできないような女だ。
そんな死に方をしていい相手ではない。
たとえルシアに対する人質であったとして、見せしめとして殺すにしても。
そんな殺され方をしていい人じゃなかった。
「ワイ、アット……! お前は殺す、何があろうともボクが絶対に殺す!!」
どぷ、と腹から血が溢れる感覚がする。
けれどもこんな所で寝ている場合ではないのだ。
浅い呼吸を繰り返し、ルシアはどうにか身体を起こそうとする。
ワイアットへの殺意。憎悪。その感情だけで身体を動かして。
「殺してやる……!!」




