恋は人を変えるとは言いますが
ふ、と小さく笑ったファラムはしかし次の瞬間困ったように眉をへにゃっと下げた。
「ここで余裕たっぷりに、見ればわかりますわ、なんて言えばミステリアスな女性ムーブができたと思うのですけれど。残念ながらそうではないのです」
先程までの何もかもを見透かすような目は、いっそ幻だったのかと思う程度になくなっている。
「ただ、そう。たまたま、わたしの家は貴方の事を知っていた。それだけです」
「……そういう事か」
「はい。だから貴方が勇者を嫌っているというのは、実のところ最初からわかっていたというか……それもあって協力してくれるだろうなと思って声をかけたというか……まぁ、貴方が信用できるからというよりは、貴方の家の事をそれとなく知っていたからいざとなったらそれを盾に……なんていう考えがあったのは否定しません」
「そうか」
「ごめんなさいね。利用して」
「いやいい。むしろスッキリした。どうしてロクな接点もない俺に、と思っていたんだ」
「でも」
「知っていたなら話は早い。さっきの作戦もそれを知っているなら納得できた。確かにそうするのがしっくりくる。むしろ家の事を周囲に吹聴されなくて何よりだ」
「しませんよ流石に」
「あぁ、そうだな。そうだろうな。
……いいだろう。その話、乗った」
にこやかに了承するアレスに、ファラムはホッと息を吐いた。
「え? きょーりょくしてくれるの?」
ただ話の流れについていけなかったウィルだけが、取り残された子供みたいに舌足らずに聞き返す。
「あぁ、確かにファラムの考えた作戦を実行するなら俺がいた方が説得力が増す。むしろ俺がいないと話にならない。とはいえ、作戦の実行は今すぐにというわけにもいかないぞ」
「それは勿論。まずはワイアットの周辺を相手に気付かれないよう上手く探らねばなりません」
「正直最初から難易度が高いな……としか思えないが、まぁやるしかないだろう」
「え、え? やるの? ホントに? それで、ウィルたち学園に行ける?」
「えぇ、学園に行けるというか、むしろその場合学園しか行く場所がないというか……ともあれ、やるしかないのです。ウィル、覚悟はよくて?」
「うん、それは勿論。やるよ。頑張る」
両手の拳を握り締め、胸のあたりにやってむんっと小さく気合を入れる。
「そのためには、もっと強くならなくちゃね……」
「えぇ、そうなんですよね。今のままでは成功率もかなり低い。けれどもあまり悠長にしていられる時間もない」
「さっきの作戦とやら、聞く限りでは冬の間……少なくとも春を迎えて新たな新入生が来る前には実行しないといけないよな」
「そうですね。それを過ぎれば学園に行くにしてもタイミングが悪くなりそうで……」
「……まぁいい。わかった。やると言った以上やるさ。とりあえずは――」
――ここ最近のワイアットは、比較的穏やかであった。
そもそも弱者だろうと強者だろうと何となく目についたら彼は積極的に絡みにいくし、そのついでにこいつ死んだ方がいいんじゃないかなと思ったら相手が何であろうと実行する危険極まりない人物だ。
何故そんなのを野放しにしているのか……と嘆きたくもなるだろうけれど、ワイアットが今のところ手にかけたのはあくまでも学院の生徒か学園の生徒である。
学園の生徒を殺す事に関しては授業内容に含まれているので咎められる事はない。殺人が公然と認められているというのも恐ろしい話ではあるが、そもそも最終的に殺しあうのだからそういった敵からの襲撃に慣れるという名目も確かに含まれているのだ。
学園の生徒はともかく、同じ学院にいる生徒まで手にかけているというのはどうかと思うが、別にワイアットは背後から奇襲を仕掛けたりだとか、卑怯な罠に嵌めて殺すだとかの戦法は使っていない。割と真正面からやっている。なので、それくらいの自衛はできていなければ困る、という言い分がまかり通ってしまうのだ。
ちなみにワイアットは自分に向けられる殺意や憎しみについては、どうでもいいと思っている節がある。
仇を討ちたいなら討てばいい。できるものなら。そういうスタンスであった。
下手に彼の視界に入って、何かの拍子に関われば死ぬかもしれないと考えると学院の生徒はいつ爆発するかもわからない爆弾を身近に置いているようなものだ。
けれども、こういった相手が学園にいないとも限らない。ありとあらゆるタイプの敵を想定するならば、ワイアットもまた都合のいい教材のようなものであった。
そんな、うっかりでも近づきたいとは思えない人物ナンバーワンにしてオンリーワンなワイアットであるが、ここ最近は比較的誰かに絡みにいくような事もなく、また学院内でも特に誰かと戦ったりしていない様子であった。
嵐の前の静けさか? 多くの生徒がそう思うのも無理はない。
交流会の少し前に彼を信奉して身の回りに存在していた取り巻きたちとは異なり、ここ最近は友人というか仲間と呼べそうな相手がワイアットの近くに集まるようになっていた。
彼らといる時のワイアットは何だかんだ楽しそうに談笑していたりして、遠目で見ている分には他の生徒たちとそう変わらない存在に見える。
まぁ、交流会の時にいた取り巻きたちは全員死んでしまったが、ワイアットからすれば彼らは勝手に纏わりついていただけの存在なのでどうでも良いと思っているのは薄々周囲で様子を窺っていた他の生徒たちも感じ取ってはいたのだ。
けれども今ワイアットと一緒にいる生徒たちは。
ワイアットの中で何かを認められる存在だったのだろう。
取り巻きたちと比べると明らかに態度が異なっていた。
上級生たちの中にもそれなりに強い相手はいるけれど、恐らくこのままいけば神前試合にはワイアットが選ばれる。その時に他の仲間として選ばれる相手は大抵実力で選ばれるが、リーダーとして選ばれた相手が指名する事もある。いくら強くともそれが寄せ集めの烏合の衆であるのなら、果たして実力を発揮できるかどうかも疑わしい。
けれどある程度連携がとれる者がいるならばそちらを採用した方がマシであるのも事実ではあるのだ。
今ワイアットの周辺にいる存在は、もしかしたらそうなる可能性を秘めていた。
一体どういう基準で選ばれたのかはわからない。
実力的にはむしろ平均よりも下ではないか、と思われる人物もその中にはいたので。
けれども、大半が弱者であろうと思っている相手にもワイアットは親し気に接していた。
判断基準がわからないからこそ、周囲はわけがわからないままそっと距離をとって様子を窺っているけれど、それでもワイアットの仲間か友人か微妙な連中は率先して他の生徒に喧嘩を売りに行くでもない。
むしろ見ようによってはワイアットを留めているようにも感じられた。
それもあるからこそ、周囲は余計なちょっかいをかけてワイアットのいらぬやる気に火をつけるような真似はできなかった、というのもある。
とりあえずこの平和よ長く続け……!
そう、割と大半の生徒たちはそう願っていたし、教師たちもまた余計な事件を起こさないままであれ……! と祈っていた。
その大半の生徒たちの中にそっと紛れ込むようにして、アレスもまたワイアットの様子を窺っていた。
いずれ彼とは敵対する。その時にワイアットの仲間がどれほどの脅威になるのか、それを探らねばならない。
もしかしたらこんな風に様子を窺っているのをワイアットはとっくに気付いているかもしれない。
そう思っていた事もあった。以前のワイアットであったなら、気付いた時点で嬉々としてアレスに絡みに来ただろう。けれどもワイアットは周囲の視線などないもののように扱っていたので。
アレスがおもむろにワイアットに絡まれる事はなかったのである。
ある意味で助かるけれど、しかしそれがいつまで続くかは保障も何もない状態だ。
ファラムの作戦が上手くいけば学院から学園に行く事ができる。
だからこそ、少しの間の辛抱だ。
アレスは自分の心にそう言い聞かせて、じっと彼らを探っていたのである。
調べた、というよりは何となく遠目で見ていて気付いた結果、今現在ワイアットとよくつるむようになった相手は、思えばワイアットが学院に入った当初からそれなりに関わっていたと気づく。
とはいえ、そこまで親し気に接していたわけじゃない。もっと距離感があった。
それが今になってその距離感を取っ払ったという理由はわからなかったが、仮に最初から彼らがワイアットと共に行動していたら、恐らく今頃ワイアットは一大派閥を作り上げていただろう。
それを、恐らくは面倒だと思い回避するため距離を置いていた……?
確証はない。ただ、有りそうだとも思ったし無いなとも思えた。
どちらにしろ、何らかの理由があったのは間違いない。ここ最近になって急に気が合ったとかではない事だけは確かだ。
けれどもそれだけでワイアットが周囲に戦闘を持ち掛ける事がなくなるか、と言われればそうではないはずだ。では他に何の原因が……と思っていれば、ある日学院から寮へ戻る途中でアレスは見て――いや、聞いてしまった。
道から少し外れるようなところでワイアットが誰かとモノリスフィアで話をしているところを。
相手の会話が聞こえたりはしなかった。
けれども。
その時のワイアットの声はとても穏やかかつ、どこか甘さを含んでいたのだ。
聞き耳を立てるのはマズイ。間違いなくワイアットなら気付くだろう。
だからこそ、何事もありませんという風にアレスは平静を装って寮へ戻る道をいつものような速度で進んでいったのだ。
途中で聞こえてきた会話の断片から、相手は恐らく女性であるというのはアレスにもわかった。
(……え、つまりそれって、そういう……?)
アレスが困惑するのも無理はない。
あの男だろうと女だろうと若かろうと年老いていようとも、強くても弱くても大体扱いなんてものに差のない男が。
まさか恋をしているだとか思うはずがなかったので。
全ての人間は等しく虫けら、とか言ってもおかしくないと思っていたワイアットだ。
だからこそ、アレスの感じた衝撃は計り知れなかったのである。




