捨てた思い出
イアに声をかけてきた女子生徒は、まぁ年齢的にイアより一つか二つ上、といったところだろうか。
学校に通う年齢はウェズンの前世の義務教育のように定められているわけではない。
新入生として入った生徒たちの年齢が一年二年違うのは当然だし、下手をすれば三桁年齢離れている事もあるのだ。今年の新入生、という部分で見れば学園のレイと学院のウィルがいい例だろう。あの二人の年齢差は実に百歳である。
なのでまぁ、年齢で学年を分けるというのは案外難しいのだ。
イアに声をかけた留学生は、他の留学生たちが既に寮の中に足を踏み入れていっているのにあえて最後まで残り、そうして他に人がいなくなりかけた頃にイアに声をかけた。
だからこそ、別に彼女に注目が集まったりしているわけではない。
留学生たちもそれぞれ自分が通っていた学校の制服を着ていたので、あぁこの人たちは同じ学校から来たんだな、というくらいは見ればわかった。
イアに声をかけてきた女子生徒と同じ制服を着ていた生徒は他にもいたようだが、そちらは彼女を置いて既に先に行ったらしい。
同じ学校であったとしても、仲がよいとも限らないので置いて行かれたのか、はたまた事前に先に行っておいてと言われたのか、それともそういう事すら言う必要がない程度の間柄なのかは女子生徒に意識を向けていなかったウェズンには知る由もないが。
見たところ、ちょっと気の強そうな顔立ち以外特筆すべき点はない少女だ。
多分そこまで強くもない。
実力の強弱で判断するとか、自分もすっかりここに染まってきたなと思いはするけれど、しかし重要なポイントである。
彼女が通っていた学校では彼女はそれなりに上位の成績だったかもしれないが、ここでは恐らく彼女程度の実力を持つ者ならそれこそ大勢いる。
なんだったら、ただの殴り合いならイルミナやアクアあたりといい勝負をしそうではあるけれど、魔法だとかに関してなら恐らく二人には及ばないだろう。なんというか、感じ取れる魔力の気配が弱い。
精霊が少ないとされている学園や学院以外の場所で精霊と契約を結べて浄化魔法を覚える事ができたというのはまぁ、凄い事なんじゃないかなと思うのだが。
イアはニナと呼ばれた事にぽかんとした顔をしていたが、
「えっと、あたしイア。ニナじゃないよ」
とりあえず訂正だけはしておこうと思ったらしく、首をふるふると横に振っていた。
イアもニナも響きとしては同じようなものだから、もし周囲が騒々しければ聞き間違った可能性もある。
けれども少女はあえて他の留学生たちが寮の中に入っていって静かになってから声をかけてきたので、聞き間違いようもなかった。
「嘘、ホントにニナじゃないの?」
「えぇ……? 何で? それ何の意味があるの?」
少女に向けて困惑した視線を向けた直後、イアは助けを求めるようにウェズンへと視線を移動させた。
名を偽る事に関して、この場合一体どんな利点があるのか。そういった疑問を抱えている目であった。
「うちの妹はずっとイアという名前だよ。改名した事はない」
ウェズンがそう声をかけた事で、納得いっていないような顔をしていたものの少女は「そう」と呟いてそのまま寮へと入っていった。
「なんだろな。似てる知り合いとか友人がいたんだろうか」
「でも、その場合あんまいい関係じゃなかったのかもね」
例えばレイとウィルのように何らかの誤解が生じて仲が拗れたというのであったとしても、再会して喜ばしいといった感じではなかった。むしろどうしてお前がここにいるのだ、そう、少女の目は強く訴えていたようにイアには見えたくらいだ。
「クラスが違うから関わる事はないと思うが、何か面倒な事になったら言えよ」
「ありがと、おにい」
そう、少女が一足先に寮に行ったとはいえ、イアもまたこの後部屋に戻るのに寮の中に入るのだ。下手をすれば途中で待ち構えている可能性もある。それを考えた上でのウェズンの言葉なのだろう、そう納得してイアも少し時間をずらしてから寮の中に入っていった。
寮にはそれなりの空室が存在していた。
かつては沢山ここに生徒がいたんだろうな、と思いを馳せていたがもしかしたら後からやってくる留学生用なのかもしれない。今更のようにそう思い直して、ともあれイアは自室へ向かおうとして――
「待って」
何故だかそこで待ち伏せていた少女に呼び止められる。
まだ自分の部屋がある階層に行ったわけではない。寮に入って割とすぐ、といった場所だ。そこから少し奥の方で待っていたであろう少女に、おにいの忠告はもしかしたら当たるのかもしれないなとイアは思い始めていた。
イアたち生徒と今日来たばかりの留学生たちの部屋がある階は異なっている。だからこそ、ここで待っていたのだろう。ある程度知りあって仲良くなる機会もあれば、授業の無い休日に部屋に呼んだり呼ばれたりという事もあるだろうけれど初日からそうなるとは思いにくい。
余程意気投合した相手ならともかく、そうでなければお互いの部屋を教えあったりするのはまだ先の話になるだろう。
だからこそ、こんな手前で待ち構えるしかなかった、というのはイアでも簡単に理解できた。
「なに? まだわからない事あった? でも授業で使う場所とかほとんど案内したから、それ以外の場所はセンセに聞いた方がいいと思うよ」
生徒であっても入っちゃダメ、なんて場所もある。教師の許可を得ないと入れない教室とかもある。
なのでもしそういう場所を案内してほしいと言われても生憎イアにはそれはできない。
そういう部分も含めて説明したが、少女はそうじゃないとばかりに首を横に振った。
「さっきの人の手前本当の事が言えなかったんじゃないかと思うんだけど、貴方、本当にニナじゃないの……?」
「しつこいな」
思っていたよりも低い声が出て、イアは思わず目を瞠った。
わぁ、あたしこんなひっくい声出せたんだぁ……
新たな一面を知った瞬間である。
少女がその声に一瞬肩をビクつかせた事に関してはスルーだ。
「違うってあと何度言ったら信じるの? あ、違うか。理解できるの?
そんなに低い理解力でよくここに留学しようと思ったね?
自分の信じたい言葉以外は嘘だって決めつけるの勝手だけど、それに巻き込まれるこっちとしてはいい迷惑」
やや早口に言った事で少女はぽかんと呆気にとられたような顔をして――
「違うの? 本当に……? だとしたら、そう、それは、ごめんなさい」
流石にイアもカチンときているという事くらいはわかったからか、それ以上はニナではないかと言う事もないまま、少女は自分の与えられた部屋へ戻っていった。
ちょっと言い方きつかったかなとイアは思ったけれど、しかし特に罪悪感は生じなかった。
最初に人違いであると言っているのにまるでこちらが嘘をついているかのような反応で何度も確認されれば流石に良い気分はしない。
少し離れた状態で、とりあえず少女が自分の部屋に戻ったことを遠目で確認してからイアは改めて自分の部屋に戻る事にした。
一応反省した様子はあるけれど、下手にこちらの部屋の場所を教えるような事をして、部屋の中にまで乱入――は無いとしても押しかけられてはたまったものではないので。
おかえりなさ~い、とお部屋の管理をしてくれている子の声がして、一応自分がいない間にあの少女が来たら部屋には入れないように伝えようとして。
「そういやあの人の名前、なんだっけ?」
お互いに自己紹介をしよう、とかそういう事はなかった。
留学生は他にもいた。案内役はいくつかのクラスから数名選出されていた。
わざわざその場にいた皆が自己紹介なんてしていたら、案内がいつまでたっても終わる事もないし、大半は案内をすればもう関わる事もないと思ったのもあったはずだ。
実際イアもあの時案内していて近くにいた留学生の子とちょこっとお話しをしたけれど、改めて名乗ろうとかそういう雰囲気ではなかったのだ。
もしまた別の場所で話をする機会でもあれば、その時に名乗ればいいか。それくらいの気持ちだった。
とはいえ、あの時ちょっとお話しした留学生の子は仲良くなれそうな雰囲気だったけれど、自分の事をニナと呼ぶあの少女とは仲良くできる気がしない。
そんなに似てるのかな……そのニナって人と。
もう少し心に余裕があれば、話を聞いたかもしれない。
けれどもこちらがニナだと思い込んだ上で話を進められるというのはなんだかとても不愉快であった。
そうじゃなかったら、もうちょっと親身になって話を聞いていたかもしれない。
ともあれ、また何かのスイッチが入ってイアの事をニナだと思われてそうなんでしょう? ねっ? そうなんだよね!? みたいに言い寄られる可能性がゼロでない限り、部屋に押しかけてこられた場合速やかに追い出してもらわなければならない。
モノリスフィアの教師からのお知らせとかいう項目をタップして、留学生に関して、の部分を見ていく。
確か名簿があったはず。思ってたよりいっぱいいて、驚いたのは記憶に新しい。
ただ案内する前にちらっと確認した時点では、わぁなんかいっぱいくるんだ……! という驚きがあっただけで、どういう人なのかだとかそこら辺をじっくり見ようとまでは思っていなかった。
けれどもその中に一人イアにとって困ったちゃんがいるのだから、放置しておくわけにもいかない。
顔だけしか知らない状態だ。せめて名前を把握しておきたい。何かあった時苦情をいれるにしても、名前がわからないとそこで色々と面倒なので。
男女別になっている名簿の女子側を見て、該当している人が見当たらないのでざっざっとスクロールしていく。一体どういう順番でこの名簿には掲載されてるのかわからないが、とりあえず五十音順だとかではないらしい。思っていたよりも下の方に、先ほど見たばかりの顔が載っていた。
「……クイナ」
そんな名前なんだ、と思いながら、部屋の管理者にこの人来たら入れないで追い返して、とだけ伝えておく。
名前だけで家名はない。
クイナ、クイナね……と口の中でその名前を転がすように呟いてみたけれど、別にそれ以上何があるでもない。
今日はもう疲れちゃったし、夕飯は後で持ってきてもらうとして、今ちょっとだけ休憩しようかな……そんな風に考えて、イアは昼というにはすっかり遅くなった昼寝でもしようと思いベッドに横になった。
そうしてうとうとして夢の中へ……突入する直前で。
「あっ」
今更のように思い出したのである。
クイナとは初対面ではない事を。




