名は体を表すどころか
空を仰ぎ見る。
どこまでも青い空に白く大きな雲。
少し前の漁村で見たような、いかにもな夏本番ですと言うような、お手本みたいな夏の空だった。
もう少し視線を上に――いや、少しばかり背を逸らす必要があるが、まぁともあれ移動させれば燦々と輝く太陽の存在も感じられる。直視するつもりはない。してたまるか。
そんな風に思いながらも、ウェズンはそっと視線を前に戻した。
「いやあの、どういう事……?」
正直な話、彼は未だに現状を把握できていなかった。
朝。早朝と言ってもいいくらいに早い時間帯。正直まだ日ものぼっていないくらいの時間であった。
突如部屋のドアが開けられ、そのまま強引にあれよあれよという間にレイに引きずられ部屋から出されたのである。襲撃であるならば部屋の管理を任されているナビも迎撃するべく行動に移る事ができたが、レイはそれを理解しているからか、
「連絡は昨日入れてる。こいつ連れてくぞ」
ナビが行動に出る前にそう告げて、ついでにモノリスフィアのメッセージを見せる。
ウェズンが見たかどうかは知らないが、そこには確かにウェズンに向けてのメッセージが表示されていたのでナビはそこで納得してしまったのだ。
具体的に何時頃だとか、何処に行くだとか、そういった部分は一切何も触れていないのに。
ウェズンが起きていたならばそこら辺をまず突っ込んでいたに違いないのだが、ナビからすれば部屋に来たのが襲撃者ではない時点で、そして同じクラスの生徒であるという事もあって、すんなりと見送ったわけだ。
レイにもう少し殺意だとか敵意があるようであれば、ナビとて黙って見送ったりはしなかっただろうけれど、レイは本当にただウェズンを回収しに来ましたといった様子であったので、そこには勿論敵意も殺意も何も含まれたりはしていない。
もし起きていたならせめて身支度する時間をくれとウェズンも言っていたかもしれないが、この時のウェズンは眠りが深く入っていた事もあって目が覚める事もなかった。殺気とか敵意が含まれていたなら起きたと思うのだが。
乱暴そうに見えて意外にも丁重に運ばれたウェズンは、だからこそ目が覚めた時全く見知らぬ場所にいた。
もっと乱暴に首根っこを掴んで移動するだとか、米俵のように肩に担がれるような運び方をされていたら痛みで目が覚めたかもしれない。まぁその場合、寮の廊下で騒いでいた事だろう。
だがしかしそうはならなかったので、ウェズンが起きた時には既に学園の外だった。
幸いにして服などはリングの中に入れてあったので着替えで困る事はなかった。
学外に出たという時点で何があるかわからない。正直、学園の制服を着ている事で学院の生徒に目をつけられる可能性もあるけれど、むしろそれより恐ろしいのはこちらが学園の制服を着ないでそこら辺の一般市民を装っているにもかかわらずこちらの存在を認識されていた場合だ。
その場合はロクな防御力もない服のまま奇襲攻撃を食らう形になるので、身の安全を確保するにはやはり制服がベストであった。
ウェズンが起きた時、彼はまだ自分が夢の中にでもいるのではないか、と思っていた。
何せ微妙に揺れていたので。
何のことはない。海上にいたから揺れていたにすぎない。
なんかやたらと大きな船の甲板に下ろされていた。じりじりと照り付ける太陽の熱は、生憎とウェズンの意識を覚醒させるまでには至らなかった。目が覚めたのは周囲から聞こえる喧噪とも言うべき野郎どもの声だ。
というか、目が覚めた時点でウェズンがいる場所から少し離れた場所で男二人が殴り合いの喧嘩をおっぱじめていた。え、何事?
起きて早々にすぐさま状況を理解しろ、と言うにはやや難易度の高い状況であった。
ちなみにレイはそんなウェズンの隣で腕を組んで立っていた。殴り合いの喧嘩を散歩中の犬でも見かけるくらいのテンションで眺めていて、正直ウェズンはちょっと引いた。
ウェズンが起きた事でレイもまた、殴り合ってる野郎どもの事など最早どうでもいいのか早々に視線を外して、そうして説明をされたわけだが。
「いやあの、どういう事……?」
寝起きの頭でそんなすぐ何もかもを理解しろと言われましても。
ウェズンの反応としてはこんなものだった。
要塞づくりのための必要な材料を集めに行く、というのは理解できた。
昨晩モノリスフィアにメッセージ送ったと言われてもその時点でウェズンは既に見ていなかったのでそれを知ったのは完全な事後報告となった今である。
改めてモノリスフィアを出して確認すれば確かにそこには書かれていたけれど、どこに何を確保しに行くのかという肝心な部分は一切書かれていない。もっとちゃんと説明しろ。いっぱいしろ。
そう思って目を向ければレイはわかっているとばかりに深く頷いてみせた。
「念の為だ」
「どういう」
「うちのクラスに裏切り者がいるとは思っていないが、まぁ情報はどこから漏れるかわからんからな」
それは確かに。
ウェズンも自分のクラスメイト達が裏切るような奴らではない、と信じてはいるが、それはそれこれはこれ。どこでうっかり何かの重要情報をそうと知らず漏らすかもしれない、という可能性は常に存在している。ウェズンとていつうっかりをやらかすかわかったものではない。
単なる世間話としてこちらが話した内容が、思いのほか重要な情報を気付かせてしまう布石となってしまった……なんていう経験をした事はないが、前世でそういう話は見た事があったため完全に否定はできない。
あとは絶対に言わないぞ! と強く心に刻んだ情報を言わないと強く考えすぎていた結果つるっと漏らしてしまううっかりな奴とか。
そんな事あるわけないやろ、と突っ込まれそうなくらいのうっかりミスではあるけれど、そういううっかりミスは困ったことに常に身近に付きまとっている。例えば疲れすぎていてマトモな思考能力が落ちている時だとか、作業が完全に惰性状態でもできるようになってしまって脳死状態でやってる時とか。
ちなみに前世でウェズンの妹の一人がゲームのいらないアイテムを処分している時に、重要アイテムで処分できないとかではないがそこそこ重要なアイテム――別に捨てても問題はないが、再度の入手がとても困難――というアイテムをひたすらボタンをカチカチ押して処分している時にそれも処分してしまい、ワンテンポ遅れてから絶叫したという事があった。
古いタイプの家庭用ゲーム機などであれば、セーブしたところから戻して処分前に戻る事も可能であったが残念な事にそれはネットゲームで常にオートセーブしてるようなものだったので、勿論即座にログアウトして再度ログインしたところでそのアイテムは処分した後であった。
脳死状態での作業ってロクなもんじゃないんだな……と他に同じゲームをしていた弟や妹が戦慄した瞬間であった事もよく覚えている。ちなみにゲームをしていない弟や妹からは「マ? ドンマイ」の一言で終わるくらいの軽い事態であった。まぁ、そういうもん。
なのでまぁ、レイの情報が漏れたら困る、というその思いはわからなくもない。
だがしかし、だからといってそれでいきなり起きたら見知らぬ場所というのもどうかと思うが。
陸地であればまだしも、よりにもよって既に船に乗っているのだ。
えっ、というかこの船、何……?
「何ってうちの船だが」
「うち!?」
「おう。ま、お前知らなさそうだなって思ってたけどやっぱ知らねーか。
うち昔から海賊とかやってる」
「海賊とか!?」
とか、って部分はなんだ!? と思って声を上げれば、
「盗賊とか」
「とか」
「つーか、ご先祖がまぁ、レグナスト海賊団を結成していて。何代か前にクルークロウ盗賊団と合併したというかなんというか」
「お、おう……」
ちょっとこういう時どういう顔していいかわかんないの……とか言い出しそうな表情で、ウェズンはどうにか声を絞り出した。
えっ、家が海賊とか盗賊とかもうそれ完全にガチの方じゃないですかー、やだー! とか言わなかっただけマシだった。こんな所で下手にそんなことを叫んでみろ。周囲にいる船乗りだと思ってた連中がどういう行動に出るかわかったもんじゃない。
この時点でウェズンの心境は知らないうちにヤクザの事務所に連れてこられた何も知らない一般市民そのものであった。
えっ、何これから僕コンクリ詰めにでもされてドラム缶もろとも海に捨てられるんです……?
いや流石にそんな事にはならないと思いたいけれども。そもそもコンクリってこの世界……あっ、あったわ。ドラム缶もそういや見た事あるな……ドラム缶のコンクリ詰めができる状況である事が確定してしまった。
かつてこの世界にやって来た異世界の皆さんのあれこれが勿論元凶である。
というか、ウェズンも一応レグナスト海賊団については知っていた。
とはいえ、あくまでもふわっと程度だ。
海の魔物はそう強くはない。だが、だからといって決して海が安全でないのはこの海賊団の存在があるからに他ならない。海では魔物よりも海賊に気をつけろ。そんな感じの話を幼い頃に聞いて、何となく記憶に残ってはいたのだ。まぁ、海賊と遭遇する事なんて滅多にないだろうと思っていたのだけれど。
だがしかし、クラスメイトの一人、それも比較的よくつるむ相手がまさかの当人である。
何か名前聞いた時にちょっと引っかかった気がしたけれど、その引っ掛かりが何であったかまでを細かく考えなかったのはウェズンの落ち度だ。だが、本人にではなく名前のどこかに引っかかったという部分で、二次元のキャラの名前って由来とかあれこれ似たり寄ったりのがいるから、どっかで聞いた気がしても前世関連の単語に近いとかだろうな、程度で流してしまっていた。
そして既に色んな異世界からこの世界にはかつて来訪者が来ているので、自分が知っている単語があっても何もおかしなことはない、そう思っていたのも原因であった。
何のことはない。
レイの家名だとかミドルネームだとか思っていたそれが、それそのものであったという事実。
成程、知ってる奴は気軽に近づこうとしないわけだ……ウェズンは今更のように気付きを得たのであった。




