神様、僕の才能は、
小さいころ、外で遊ぶのが大好きだった。特にサッカーが大好きで、将来はサッカー選手になりたいと真剣に思っていた。
でも小学二年生の時、怪我をして二度と足を使った運動が出来なくなった。動かせなくて、車いすを使った。
当然サッカーなんて出来るわけもなくて、そこで僕は初めて挫折を口にした。
それから僕は、救われた音楽の道に進みたいと思った。大好きだったサッカーが出来なくなっても、音楽のおかげで救われた。車いすでピアノを演奏し、作曲作詞を行う小学生が居るとバズり、音楽家、ピアニストも夢じゃなくなった。
でも小学六年生の時、坂道で車いすをふざけて押されて手をついて、そのせいで手も動かなくなった。
当然ピアノも音楽ソフトも動かせず、そこで初めて僕は人への憎悪を心に覚えた。
僕はそれでも音楽から離れたくないと思った。そこで、歌を歌った。プロにも達する歌声を手に入れた。誰かがいないと動けない体でも、歌は歌えるとそういって、やはりSNSでバズった。
でも中学三年生の時、声変わりでうまく歌えなくなった。おまけに無理して高い音出して喉を壊し、歌手としてなんてとてもじゃないがやっていけなくなった。
当然そんな奴の歌なんて聞く人が居なくなって、気づけば歌うのをやめていた。
僕はやっぱり芸術から離れたくないと思った。だから、口に鉛筆をくわえて絵を描いた。たとえ音楽をやれなくても、誰かに自分の思いを伝えたかった。すると当たり前のようにバズった。
でも高校二年生の時、いじめっ子に目をつけられて殴られ、口に上手く力が入らなくなってしまった。前歯はほとんど砕けてしまった。
当然絵が描けなくなって、僕は絵を描くのを諦めてしまった。
僕は砕けても何かしたいと思った。五感は全部そろっている。だから僕は誰かを評価しようと思った。今までの経験のおかげで、公平な判断のできる人物として人気を博した。
でも大学一年生の時、突発難聴と落ち続けていた視力のせいで、公平な判断が出来なくなってしまった。
当然依頼が来ることも、僕の評価を見る人もいなくなった。
挑戦しようとして、全部気づけば壊されていた。
誰かを笑わせようとしてみても、上手くいかなくなって気づけばみんな離れていった。
僕は今、誰も車いすを引いてくれなくて困っている。
誰も僕を助けない。ぼんやりと掠れた視界で、どう頑張ろうとも動かせない手足で、何も聞こえない耳で、思ったような音が出ない声で、上手く力の入らない口で、僕は、どうすればいいというんだ。
みんな僕を天才だと言った。君はサッカーが上手い。君は最高の音楽家だ。君の歌声は人の心を動かすね。君には素晴らしい絵を描く才能がある。君の観察眼はどの評論家にも負けない。
そのすべてが、ことごとく潰れていったら、才能がどうのという話じゃないだろう。
努力して努力して、やっと手に入れたと思ったとたんに崩れていく。すべてが無になっていく。
神様、僕の才能は、努力を失うことですか?
神様、僕の才能は、全てを無に帰すことですか?
神様、僕の才能は、世界に絶望することですか?
神様、僕の才能は、なにもかもを諦める心ですか?
神様、僕の才能は、
神様、僕の才能は、
神様、僕の才能は、なんの、一体何のために存在するものでありますか?
神様、僕の才能は、