ギュッ
''See you next time''
英会話の芦屋先生が笑顔を残して、教室から出ていった。
やっとこさ、授業から解放される。どうにも英会話は苦手だ。声のトーンが高くなるし、言葉が早すぎて意味を考える時間はない。美鳥は先生に当てられてもスラスラと話せる。流石と言うしかないな。
そういえばクラブも英会話だったっけ。教えて貰えるといいかな。
「着席」
早速,美鳥の号令が聞こえてきた。先生も出て行ったんで、いつもの通り日本語だ。
椅子に腰を下ろし、脱力する。苦手な授業ではあるんで緊張してるんだ。教室の中も雰囲気が緩んでいるよ。
さて、美鳥はどうだろう。いつもなら俺の机に居座る粘土フィギュアのコットンの様子を見れば分かるんけど、今は、机の端にもう一つのフィギュアに寄り添っていて,表情が分からない。
肩なんかに頭を乗せて、ウットリとでもしているんだろか。朝にチョッカイ出したら,ケンもホロロだったんだ。触らぬ神に祟りなし、ほっておこう。
あれっ,ブルッとコットンの腰が震えたように見えたよ。
「おい、コットン。大丈夫か? 体を震わせて」
「煩い。お主、今は休み時間ではないか。川屋に行かなくて良いのか? 早ういけ!」
ほらっ、噛みついてきた。なっ、怪しいだろ。折角,心配してやってるのに、こっちを跳ね除けるように話してくるんだ。
まあ、怪しいのはいつもの事、静かにしていてくれれば問題なし。だと思うことにしたよ。
さて、さて、美鳥はというと、
もう、立ち上がってドアのところへ向かっているな。脇目も振らずに教室を出ようとしているみたいだ。
なんだろう? 我に触れるなって雰囲気が伝わってくるよ。どこかに急ぎの用事でもあるのだろうか。
おっ、それでも,ドアの前で止まってこっちを向いてくれた。
朝のホームルームから、美鳥の顔は見れなかったからなあ。さっきの休みも周りに人が集まってたしな。やっと見られて嬉しいよ。思わず笑みが溢れてしまう。
おっ、俺の笑顔が美鳥に届いたのか? 彼女の顔がミルミルと赤くなっていく。いつもは俺が美鳥の笑顔に痺れているからな。偶にはいいんじゃないかな。
すると美鳥は赤く染まった顔を綻ばせ、笑顔を返してきた。その顔のなんと可愛い事。それに当てられて俺の頬も熱くなってしまう。甘っさえ手まで振ってきやがった。
そんな仕草が尚更可愛く見えてしまう。近くに行って間近で見ようと席から腰を上げようとしたら………、
そのまま,俺を待たずに教室を出ていってしまった。なんか、おかしかったよ。どうしたんだろう。
暫くして、
ふう〜
肩の力が抜けるような吐息が聞こえて来たんだが。どうやら机の端に座るコットンかららしい。
ついでにコットンの体が、また、ブルって震えた。此奴、何やってるんだ。こんな仕草って………、おい、もしかして、
「おい、コットン。こんなとこで、も………」
「なぁ、なんじゃあ」
コットンが俺に向かって振り向いた。それも晴々した顔で。全身を弛緩させて満足そうな顔をしている。此奴の座っている辺りを見ると、何かが漏れ出している感じはしない。
「我は、幸せな気分に浸っておるのだ。邪魔するでない」
「そ、そうか。邪魔して悪かった」
「分かれば良い」
そのまま、コットンば頭を巡らして前を見る。そして側にいるフィギュアの肩に頭をのせて再び寄り添った。一体全体、なんだったんだ。
でも、
でも、なんとなく察せた。コットンと美鳥は、何かと繋がっているんだ。と言うことは、言うことは………、
これ以上の詮索は止めよう。美鳥の為だ。知らなかったことにしておこう。彼女の名誉のためでもあるしね。
さて,
どんな顔をして教室に入ってくるか、楽しみだね。
暫くして、教室の前のドアが開く。入ってくる人影を見ると、美鳥だ。
コットンと同じで、さぞ幸せそうな顔で入ってくるかと期待して見だんだけど、
あれ、
なんか、思い詰めた顔をしてる。いつもだと、俺の方に笑顔を見せてくれるのだけれど、今は違う。なんか,考え事をしてて、心、ここに非ずといったところだ。俺の知らないところで何があったと言うんだろうか。
おっと休憩時間の10分は短い。あっという間に,次の授業の時間が来る。
案の定、チャイムがなり、先生がドアを開けて入って来る。美鳥のことを気にしてボサボサしていた所為で俺自身、トイレにはいけなかった。けど、後一時限ぐらいだ。もってくれよぉ。
美鳥のことは気になるものの、授業が始まってしまっては、どうしようのない。授業よ、早く終われと祈るしかないよ。
おかげで授業に身が入らない。後で美鳥に聴かないとな。
でも、美鳥も聞けているのか? 授業。あの様子だと心許ないな。どうしたもんか。
そう考えあぐねていると授業が終わり、
『起立、礼、着席』
美鳥が号令を掛け、みんなが立ち上がり、俺も先生に頭を下げる。
やっと昼休みになる。
それじゃあ、美鳥を誘うか。食べに行こうって俺から彼女を誘うのははじめてかもしれない。
今までは周りの目もあるし、出来るだけ美鳥には周りの子たちと仲良くして欲しかったんで遠慮してたんだ。
でも、これからは気兼ねなく誘うことができるな。待たせて、ごめんな。美鳥。
美鳥の号令の通り、椅子に腰を落として立ちあがろうとしたら、美鳥は椅子に座らず、俺に振り返り向かってきた。夏服の制服のスカートが翻り、亜麻色の髪が揺れる。
「お兄ぃ」
とびっきりの笑顔と共に、美鳥が俺のところにやってくる。美鳥のスマイルパンチは辛うじて避けることができたよ。
「一緒に食べに行こう」
俺が言おうとしていたのに。先を越されたと思ったら、
「「「おっ、『お兄ぃ』だと」」」
周りから驚きの声が上がる。
「かっ、風見い。琴守さんになんて事を言わせる」
クラスの副委員長でもある桐谷の怒声も聞こえてきた。
美鳥、いつものように呼ぶのはいいのだけれど、時と場所を考えようね。
周りの喧騒に構わず、美鳥が駆け寄ってくる。そして俺の手を取ると、
「お兄ぃ,早く食堂に行こうよ。いい場所無くなっちゃうよ」
少し恥ずかしいのか、頬を染め上目使いで、誘ってくるんだ。
かっ、可愛い!
思わず,抱きしめたくなって体が微かに動く。すると、
「琴守さん、貴女って風見さんのこと、『お兄ぃ』って言うのは何故ですか?」
俺の隣に座る長谷川さんが目をパチクリさせて聞いてきた。周りに座る衆が聞き耳を立てている気配がする。
「うん、そうだよ。お兄ぃって呼んでるよ。うーんと小さい頃から呼んでいたの」
朝の恋人宣言で俺との仲を隠さなくて良くなった所為か、美鳥も遠慮無しに打ち明けてしまっている。
「お兄ぃはウチの隣に住んでいてね。一緒に遊んだりしていたんだぁ」
「なら、幼馴染ということですね。なんとも羨ましい」
「でしょ。高校じゃ少ないんだけど、小中とクラスが一緒だった子たちなら私たちの仲をよぉ〜く知ってると思うの」
そうだよな。昔は、どこに行くにも美鳥が後ろについて来てたからな。俺も、よく、美鳥の面倒を見ていたよなあ。
直ぐ、いじけて、どっかに隠れるし、泣くは喚くは。宥めるの大変だったんだぞ。まあ,機嫌を直った後の笑顔見るのが好きだったけどね。
「じゃあ、今も、お隣同士でお付き合いされているのですね」
「ううん。それが違うの。一学期の初めにお兄ぃ、クラスに来た時,どうだったか覚えてる?」
「確か、風邪で初日から来られなかってと記憶してますが」
うんうん、そうだった。登校前日に凄い熱が出て、感染症じゃないかって疑われて休んだだよな。美鳥にはヴァカァって言われるし、初っ端なから躓いて落ち込んだぞ。
「そうなのよね。初日から風邪で寝込んで出てこれなくて………、ちがぁ〜う。それもそうだけど、違うの」
「違うのですか」
「うん。皆んなに挨拶した時、二年ダブってって言ってなかった?」
「そう言われれば、聞いたような気がします」
「実はね。お兄い、2年前に大きな怪我をして休学してたの。その間、治療するということで、どっか遠くの病院に行っちゃって,それっきり会えなくなったのね」
まさか、俺も入学して翌日に事故に巻き込まれるとは思わなかったよ。
階段の上から人が落ちて来て首の骨が粉砕され、気を失って起きたら一年が過ぎていたんだ。リハビリに一年を費やし、なんとか俺は高校に戻ってやり直す事になった。しかも美鳥と同級になったんだよなあ。
「何故か,お兄ぃの家族も引っ越しちゃたし。誰も居なくなったの。寂しかったぁ」
そうなんだよな。入院中に聞いたんだけど、俺の親、元々仲が良くなかったらしく、俺の治療に託けて、ウチから二人とも出て病院の近くのマンションに引っ越して、ついでに夫婦別居で暮らし出したそうなんだ。
学校に行けるようになった時、どっちと暮らすって事になって親権だなんかのゴタゴタになりそうだっだんで,一人学生マンションに下宿して親元から離れたんだ。
ウチの家庭が冷え切っているのに耐えられなかったんだよ。暖かそうな美鳥の家族が羨ましかったな。
「でも、治療が終わったということで、やっと学校に来ることになって、偶然ウチのクラスに来たんだよ」
「まあ、ドラマチックな再会ですね。小説にでも出て来そうな設定ですよ。ラノベの世界です」
「でしょ。もう、嬉しくて嬉しくて、堪らなかったの」
「ハゥッ」
長谷川さんの目が眩しいものを見たかのように瞬かれる。圧が掛かったように後へふらつく。
多分、美鳥のスマイルパンチをノーガードで喰らったんだろう。美鳥のとびっきりの笑顔は強烈だからなあ。頭の芯が震えるんだぞ。俺だってなかなか慣れないんだよ。
「長谷川さん? 長谷川さん、どうしたの。目眩でもした?」
「いっ、いえ。美鳥さんの笑顔に目が眩んでしまって」
「皆んな、そういうのよね。そんなに凄いのかなあ」
「それは、もう………。ところで美鳥さん」
「はい」
「風見さんと、食堂へ行くのではなくて」
「あっ、そうだった。早く,行かないと。じゃぁね。長谷川さん」
「はい。美鳥さん。『お兄ぃ』さんとお幸せに」
「うん、ありがとう」
流石は長谷川さん。俺たちのことを揶揄うわけでなく、それより応援してくれた気がするな。
「じゃあ、お兄ぃ行こう」
「おう」
さあ,さあ。昼休みだ。やっと美鳥と一緒に昼を食べられるよう。
美鳥、今まで、ごめんな。これからは,周りに気兼ねなく一緒に食べることできるからな。と、思っていたら、
「フフッ」
美鳥のクスクス笑いが耳朶をくすぐる。微かに甘い香りと共に俺の左腕に柔らかいものが………
「みっ、美鳥。何,俺の腕に抱きついてるの。みんなから見てるから早く離れて」
なんと言うこと、美鳥は俺の腕をギュと抱えているんだ。慌てて、教室の皆んなを見回すと,見せつけやがって、いい加減にしろよなぁっていう視線が突き刺さってくるんだ。
「みっ、美鳥。美鳥さん」
「いぃの。お兄ぃ。みんなの事は気にしなくてもいいから。行こう」
周りにお構いなく、語尾にハートマークをつけて美鳥は抱えた俺の腕をグイグイと引っ張ってドアに向かい、教室をで出て行こうとする。
本当にいいのか。後で吊し上げられないか心配してしまう。
「フフッ、ウフフッ」
美鳥のくすくす笑いが俺の胸の辺りから聞こえてくる。
どうにも美鳥の様子がおかしい。馬鹿に積極的なんだ。
俺がいきなり、みんなの前でぶちまけたせいか。それとも、美鳥に何かあったのか。誰かになんか言われたのか。
美鳥、教えてくれ。
俺はなすがまま,美鳥に連れられて食堂へ、
ありがとうございました。




