愁嘆場に立ち会う
校舎を出てから、
「あっ、いけない、忘れ物しちゃった。戻らないといけない。歩美ありがとう。ここでお別れだけどごめんね」
歩美に対して軽くお辞儀をして踵を返した。
「美鳥。忘れ物かな、忘れ事かな。明日聞かせて」
呼び止められ、そして生暖かい視線で見送られた。
教室に戻った。誰も残ってはいない。しかし、俺の机の上には、こいつがいる。未だうつ伏せになって、もじもじと動いていたりする。自分の椅子に座り、こいつを起こして此方を向かせた。
「後戯が大事なのぉ。余韻で、うっとりするのぉ」
まだ、フニャけていたりする。
「おまえ、美鳥だろ」
こいつの顔つきが変わった。
「おまえに、何かすると美鳥も同じ反応するんだよな。頬が赤くなったことで確信したよ」
こいつは静かにこっちをみている。
「その姿と喋り方で疑ってたけどなあ。おまえ美鳥か?」
「そうだよ、お兄ぃ。私は美鳥。琴守美鳥だよ」
同じ声質、イントネーションで話してくる。粘土フィギュアの姿で同じ声を話してくるのだから違和感マシマシになってしまう。
「聞きたいことがあるのだけれど、良いか?」
粘土フィギュアは唾を飲み込むような仕草をして、此方を見ている。
「エッチな言動ばかりだけど、それも美鳥なのかな?」
こてんっと横に倒れてくれた。
「何を聞いてくるかと身構えたけど、後ろの左斜め上からのが落ちてきた。おまえはなんだとか、お化けかとか、悪霊か悪魔か、ぐらいの質問がくるかと思ったぜ」
片手をついてよろよろと起き上がりヒラ座りをする。
「ネットゲームサイト画面にあるバナーに引っかかって、エッチゲームのサイトに飛んじまって、つい見てハマったんだよ。まあ、ネットの闇だね」
そういえば美鳥のやつ、TVゲームが好きだったっけ。2年でオンラインゲーマーか、成長というか進化かな、世代ギャップ感じるな。ついていけるかなぁ。
「では第二問です。その粘土フィギュアの格好はなんで?」
「テレビのニュースで粘土フィギュアが取り上げられてな、ご贔屓のキャラのが出たんだよ、印象に残ってね」
「俺も多分同じのを見てるわ」
「それから、そこのサイトを何度も見たんだよ」
サブカルか、今時の高校生スタイルになってたけど中身は変わらないか。ほっとしている自分がいた。
「こっちからも聞くけど、我を見て驚かないのは何故?もっと驚いて拒否するのではないか」
「俺のうちでも出たんだよ」
「我みたいなのか?それとも幽霊か?」
胸の前で手をだらりと下げて表現してる。
「あれは美鳥が小学生の時の背格好だね。しかも透けてるし。自分のことを『コトリ』と言ってたよ」
「それで驚かなかったのか。しまった先を越された。さきに『コトリ』を使われたか」
こいつは両手をついてガックリポーズをとっている。
「頼む。我のことは『ことこと』と呼んでくれ」
「いやぁ、『ことこと』はないよ。『ごとごと』とか『ゴトン』だね」
「そんなぁ。可愛くない」
すると教室の後方スライドドアからいきなり美鳥が入って来た。
「風見さん。『ことこと』ってなんですか?」
走って来たのだろう。息が荒い。
「いや、こいつがな」
「我のことは『ことこと』と呼ぶと話していたところだよ」
サムアップしてドヤ顔で話しているし。
美鳥の顔が怒りに染まった。素早く此方に近づくと粘土フィギュアの左頬を掴み、捻り上げた。人差し指が引っかかり肌に埋もれている。
「イタイ、イタイよ。指が食い込んでる、埋もれてる。イタタ」
「その名をいうなぁ。お兄いとの大切な言葉なんだから。いうなぁ」
更に美鳥は左手を伸ばしてこいつの右頬を掴もうとしている。それは美鳥の腕をとって止めた。右手も止めようと揉み合っているとマスクのゴムが外れてしまった。露わになる美鳥の左頬、赤いみみず腫れが弧を描いている。
「美鳥、こいつはおまっ」
「うわぁああああーん」
俺の手を上下に振って外し美鳥は外へ走って行った。
しばらくして、
「何を煽っているのだか『ことこと』はだめだよ。『ゴットン』でどうかな」
こいつは引っ掻き傷のある頬を押さえながら、
「せめて、可愛く『コットン』ぐらいにして」
私はトイレに逃げ込んだ。個室に入り鍵をする。
『ことこと』は、まだ小さくて、寂しくて、構ってほしくて、話をしてほしくて、遊んでほしくて、笑ってほしくて自分のことを表現してたの。あんな奴には使われたくない。お兄ぃにあんな奴をそう言わせたくない。
頬がいたいよ。
胸が痛いよ。
心が痛いよ。
涙が止まらない。