転生悪役令嬢は『推し』のために婚約破棄を回避したい!(けど無理かもしれない……)【コミカライズ】
「アデリナ、君との婚約を破棄させてもらおうと思う」
アルベルト様の言葉に、目の前が真っ暗になった。
回避、できなかった……。
およそ一年前、自分が大好きな少女漫画の悪役令嬢に転生していることに気づいてからというもの、婚約破棄を回避するために心血を注いできたというのに……。
呼び出しを受けて訪れた、放課後の生徒会室。
ソファにゆったりと腰掛ける金髪碧眼の美青年は、この国の第三王子であり私の婚約者であるアルベルト様。
いつもの王子様然とした優美な微笑みは影を潜め、決意のこもった強い眼差しが私に向けられている。
アルベルト様の隣には、桃色の髪の美少女がちょこんと座っている。
小動物を思わせる愛らしい容姿のミアは、この少女漫画のヒロインだ。
平民として母子家庭で育ったミアは、母親の死をきっかけに、父親である男爵家に引き取られ、貴族の子女が通う学園に転入する。
貴族のふるまいに不慣れなミアは学園の中で浮き、はじめは他の生徒達から遠巻きにされる。
けれど持ち前の前向きさとド根性、貴族にはない柔軟な発想力で、徐々に周囲を魅了していく。
この漫画のヒーローであるアルベルトも、ミアに強く魅了される一人だ。
二人の急接近に激怒した悪役令嬢アデリナ(私のことだ)は、取り巻き達を使ってあの手この手でミアに嫌がらせをする。
アデリナの妨害にも挫けず……というかそれを燃料に二人の恋はますます燃え上がり、ついに学園の卒業パーティの場で、アルベルトはアデリナとの婚約破棄を宣言。
アルベルトがミアにプロポーズしてハッピーエンド。
……それがこの少女漫画のあらすじだ。
私が前世の記憶を取り戻したのは、ミアが学園に入学して間もない時期のことだった。
自分が悪役令嬢アデリナに転生していることに気付いた瞬間、私は固く決意したのだ。
婚約破棄される卒業パーティまで一年近くある。
今ならまだ間に合う。
絶対に絶対にぜーったいに、婚約破棄を回避してみせる!!!!!!
私の方針の第一は、絶対にミアに嫌がらせしないこと。
そんなことをしたって主人公達の仲を引き裂けないことは、原作漫画によって証明されている。
悪役令嬢がどんなに卑劣で狡猾な策を弄し、わーこれもうヒロイン今度こそヤバいんじゃないの!?というところまで追い詰めても、必ずヒーロー達がヒロインを助けにやって来るのだ。
嫌がらせなんて、むしろ主人公達の恋を燃え上がらせるだけで逆効果である。
それにアルベルト様は、強引で俺様なところもあるけれど、情も理も持ち合わせた人だ。
原作漫画ではアデリナがミアに卑劣な嫌がらせを繰り返したことを理由に婚約破棄に及んだが、本来、何の非もない婚約者を切り捨てられる人ではない。はずだ。
アデリナに落ち度さえなければ、たとえミアに心惹かれたとしても、王族としての責務を忘れ、家同士が定めた幼いときからの婚約を破棄したりはしない。……はずだ。
幸いにも、私が前世を思い出したのは漫画のストーリー開始直後。
悪役令嬢アデリナはまだミアへの嫌がらせをしていない時期だった。
元々アデリナは、侯爵令嬢として、また王子の婚約者としてプライドの高い人ではあるけれど、理由もなく自分より下の立場の人間を虐めるほど捻くれていたわけではない。
アデリナがミアへの嫌がらせを始めるのは、ミアとアルベルトが急接近し始めてからのことなのである。
私はミアに、決して嫌がらせなどしなかった。
さらに、他にミアに嫌がらせする人間がいないか目を光らせ、その気配を察したら即座に潰して回った。
私と無関係の人間の嫌がらせを私のせいにされて婚約破棄される……というパターンを警戒してのことだ。
原作の強制力というやつが働いたら怖いので。
そうやってミアに対して無害なポジションを確保する傍ら、婚約者のアルベルト様との関係維持にも尽力した。
元々、私とアルベルト様は子どもの頃から交流があり、いわゆる幼馴染みのような関係だった。
政略によって婚約が決まったのは、私達が十三歳のときのことである。
お互いに恋愛感情はなかったけれど、決して関係は悪くなかったと思う。
私の目標は、そんな穏やかな関係の維持である。
アルベルト様の恋心を私に向けさせようなどと大それたことは考えない。
というか、それをやろうとして失敗した挙句に暴走し、婚約破棄に至ったのが原作のアデリナだったのだと思う。
それに、確かにアデリナはさすが悪役令嬢という大役を務めるだけあってなかなかの美貌の持ち主だが、中身は残念ながら三十代にして年齢=彼氏いない歴のオタクな私なので……。
目指すは友達のような関係の円満な夫婦!
家同士が決めた婚約ではあるけれど、私達うまくやっていきましょうね~……と、折りに触れてアルベルト様にアピールし続けた。
関係の悪くない、何の非もない婚約者を切り捨てられるほど、アルベルト様は情のない人ではないはずだ。
はずだったのに……。
「どうして……」
ソファに並ぶ二人にゆらゆらと視線を彷徨わせる。
アルベルト様との関係は決して悪くなかった。
なんなら、この一年で、友人としてずいぶん親しくなれた気がしていたのに。
それに、私はミアを虐めてなどいない。
むしろミアを虐めようとした他の人たちを私が諫めて回った結果、ミアに懐かれた。
そう。まったくもって予定外なことに、私はミアとも友人のような関係を築いていたのだ。
もちろん、アルベルト様とミアが二人きりにならないように気を配ってもいた。
ミアの目が他の殿方に向くよう誘導もした。
全てが私の思惑どおり、うまくいっていると思っていた。
それなのに、この二人がこうやって私に婚約破棄を突きつけてくるなんて……。
私はこの勝負に負けたということなのだろうか。
いつのまにミアはアルベルト様と親密な仲になっていたの?
ミアは原作どおりアルベルト様を選んだということなの?
「どうして……」
恨めしげな目をミアに向けると、華奢な肩が小さく跳ねた。
いったい私はどこで間違ったのだろう。
どうしてこんなことに。
どうして……。
どうしてどうしてどうして…………。
悔しさに身体が震える。
堪えようにも堪えきれない恨みの言葉が口から溢れ出た。
「どーーーしてディルク様じゃないわけーーー!?!?!?」
叫んで、私はその場に崩れ落ちた。
ディルク様。
それは公爵家の嫡男にしてアルベルト様の従兄弟。
そして、前世の私の最愛の「推し」である。
そんなディルク様の原作漫画における役回りは、ヒロイン・ミアに想いを寄せながら恋破れる、いわゆる当て馬だ。
ディルクもアルベルトと同じく、学園でミアと出会い、次第に惹かれるようになる。
他の生徒達(というか主にアデリナ)の嫌がらせからさりげなくミアを助け、アルベルトの不在時にミアがピンチに陥ったときには駆けつけて救い出す。
従兄弟であるアルベルトとも親友と呼べるほど仲の良いディルクは、二人が想い合っていることに気づき、自分の想いを封印して二人の恋を後押しするのである。
当て馬というより第二のヒーローと呼ぶべき存在だ。
煌びやかな金の髪のアルベルトと、艶やかな漆黒の髪のディルク。
常に自信に満ち溢れ情熱的なアルベルトと、知的でクールなディルク。
太陽と月。陽と陰。
対照的な二人は原作漫画における二大イケメンであり、漫画内世界はもちろん、読者の間でも人気を二分していた。
そして私は強火のディルク推しだった。
何が素敵って、まず顔がいいのは大前提。さらさらストレートの黒髪に青色の瞳。はい好みど真ん中。かわいい。普段はクールで無表情でいながらミアの前でだけ見せる柔らかな微笑みもいい。かわいい。すら~っと背が高くて足が長いのもかわいい。でも言うまでもなくディルクの魅力は容姿だけではない。容姿ももちろんたいへん麗しくて素晴らしいのだけど、何よりも、自身もミアに強く惹かれながら、親友と想い人の幸せを願って静かに身を引くその情というか健気さに撃ち抜かれてしまったのだ。自分だってミアのことが好きだったのにさ、ていうか先にミアのことを好きになったのはディルクの方だったのにさ、ほ~~~んと健気すぎんか!? ディルクがミアへの恋心を自覚したコミックス三巻二十四ページ! 「恋なんて、もうするつもりはなかったのに……」とミアの後ろ姿を見送りながらぽつりと呟いたときのあの美しくも切ない表情といったらもうもうもう! 何度も繰り返し見たおかげで何もしなくてもそのページで開くようになっちゃったよね! アデリナの策略で人気のない倉庫に閉じ込められてしまったミアを助けに来たときは盛り上がった! 普段のディルクが決して見せない必死な顔がま〜〜〜たまらんかったですよね! ミアもかなりキュンとしてたし私も超キュンとした!
こんな超素敵なディルクなのに、ミアはなーぜーかアルベルトを選ぶのだ。いやほんとなんで? そりゃもちろんアルベルトも素敵かもしれんが、序盤でぶつかったりするアルベルトと違って、ディルクは終始ミアに寄り添ってたじゃん? ミアも最初はディルクにドキッとしたりしてたじゃん? 確かに、アルベルトと違って奥ゆかしいディルクは最後までミアに自分の想いを告げなかったけど、そんなもん、あれだけ甲斐甲斐しく気にかけられたら言わなくてもわかるじゃん!? なのになーんーでーーー!?!?!?
ほんっとに納得いかなかった。
納得いかなすぎて、ディルクとミアがくっつくIF設定の二次小説を書いたりもした。
そんな私だったから、悪役令嬢アデリナに転生していることに気づいたときは喜びに震えた。
これはチャンスだ。
ディルクとミアをくっつける。
私が!
私の力で!!
推しを幸せにしてみせる!!!
推しの幸せのために私ができること。
それは、私自身の婚約破棄を回避することである。
はっきり言って私一人だけのことなら、婚約破棄されたって別に構わないのだ。
アルベルト様のことは好きか嫌いかで言ったらまぁ好きだけど、恋焦がれていたわけではないし。
それにこの漫画は苛烈な「ざまぁ」とかなくて、断罪されても婚約破棄だけで済む。
処刑されたり国外追放されたり修道院送りになったりはしない。
まぁ次の婚約者を見つけるのは難しくなるかもしれないけど……最低限の衣食住さえ確保できるなら、お一人様には慣れっこなので。
私が婚約破棄を回避したいのは、ひとえに推しの幸せのためである。
原作ではミアは、ディルクともいい雰囲気になっていた。
というか、先に親しくなったのはアルベルトではなくてディルクの方だった。
と、いうことはだ。私がアルベルト様との婚約をがっちりキープしておけば、ミアは自然とディルクとくっつくはずじゃないか、とそう考えたわけだ。
自然とくっつくはず、とは思ったものの、後押しはあればあるだけいいに違いない。
私は婚約破棄を回避するために行動する傍ら、ディルク様とミア、二人の恋のキューピッドを演じることにした。
いつの間にか友達になってしまったミアを誘い、何度も二人きりのお茶会を開催した。
もちろん虐めるためではない。
ディルク様の素晴らしさをミアに気付かせ、ミアの目をディルク様に向けさせるためである。
私は立て板に水のごとく、ディルク様がいかに素敵かを語って聞かせた。
ツイッターなんぞ存在しないこの世界、推しへの愛を語ることに飢えていた私は、ここぞとばかりに喋り倒した。
ミアも最初はポカーンとしていたけれど、そのうちに目を輝かせて「素敵です!」と言い始めたので、効果は上々だったと言うべきだろう。
ミアが、
「わたし、憧れている方がいて……。陰ながらお力になりたいんですけど、わたしなんてしがない男爵家の庶子ですし……」
と打ち明けてくれたときには、内心で「よっしゃぁぁぁ!」と快哉を叫んだものだ。
私はすかさず、
「身分など気にすることはなくてよ。あなたには自分の気持ちに正直に行動してほしいの。友人としての、わたくしからのお願いよ」
と、優しく力強くミアを励ました。
そう、ディルク様との身分差など気にする必要はない。なんたって原作漫画では、ミアは王子と婚約するのである。公爵令息とだって結ばれないはずがない。
私の言葉に、ミアは可愛らしく頬を染めて、しっかりとうなずいてくれた。
ミアがディルク様に気持ちを傾け始めた頃から、私はディルク様に対する働きかけも開始した。
ディルク様にミアの魅力をプレゼンする……というわけではない。
放っておいてもディルク様はミアに惹かれる運命なので、私のお節介など不要である。
私がディルク様に接触したのは、ディルク様の弱点克服の手助けをするためだった。
原作のディルク様の敗因、それはズバリ、従兄弟であり親友であるアルベルト様への遠慮である。
ディルク様がミアと結ばれるためには、そこを乗り越える必要がある。
私は学園内でディルク様が一人でいるところを狙って話しかけるようになった。
二人きりではあるが、学園の庭園内のガゼボとか、オープンな場所で短時間のみである。
他の人に変な誤解を与えるわけにはいかない。
初めて話しかけたとき、つまりディルク様を間近に見たとき、そのあまりの麗しさに変な声が出そうになった。
いや正直に言うとちょっと出た。なんとか取り繕えていたとは思うけど……。
対するディルク様はずいぶんと驚き、戸惑った顔をしていた。
まともに話をするのは久しぶりだったのだから無理もない。
原作漫画ではっきり描かれていた記憶はないのだけど、実はアデリナは、アルベルト様だけでなくディルク様とも幼馴染の関係だったのだ。
幼い頃は王宮などで、よく三人で遊んでいた。
けれど五年前にアデリナがアルベルト様の婚約者に選ばれた頃から、ディルク様とはなんとなく疎遠になってしまった。というか、ディルク様がアデリナを避けるようになった……のだと思う。
まぁアデリナは一歩間違えば(というか原作どおりなら)嫉妬に狂ってミアを虐めるような人間なので……ディルク様はいち早くアデリナの捻くれた本性を見抜いて距離を取ったのだろう。
推しに嫌われていると思うと泣きたくなってくる……が、泣いてる場合ではない。
推しが私をどう思っているかなど些細な問題だ。
私の使命は!
推しに好かれることではなく!!
推しを幸せにすることなので!!!
そんな使命感に燃える私は、度々ディルク様を捕まえて話をした。
ディルク様がアルベルト様への遠慮を乗り越えるためには、自信をつけることが大切!
私はディルク様本人に向かって、ディルク様がいかに素敵な人であるかを滔々と説いた。
ディルク様語りをさせたらこの世界で私の右に出る者はいないという自負がある。
ディルク様本人ですら自覚していないであろう美点もあまさず伝えた。
最初は戸惑った様子だったディルク様も次第に表情をゆるめ、自信に満ちた表情に変わっていったので効果は抜群だったと思う。
自信がつきすぎて、ヒロイン・ミアの前でしか見せないはずの柔らかな微笑を浮かべたときには心臓が止まるかと思った。ていうかたぶん一瞬止まってた。
推しが!
私の目の前で!
原作漫画でもわずか三回しか登場しない幻の微笑を!
尊すぎて死ぬ。いや寿命が延びる。うん、なんかもうよくわからん。
……と、少々バグりながらも、
「ディルク様……そのようなお顔は本当に大切に想う女性の前だけになさるべきですわ」
と釘を刺した私は褒められていいと思う。
そう言った私にディルク様は、涼やかな青い瞳をわずかに見開き、「わかったよ」と答えてくれたけど……言いながらまたあの微笑を浮かべて私の心臓を止めにきたので、ちゃんとわかっているのかこればっかりは少し自信がない。
そんなディルク様がついにアルベルト様への遠慮を乗り越える決意をのぞかせ、「僕はアルベルトを裏切ることになるかもしれない……」と苦悩を打ち明けてくれたとき、私は心の中で盛大にガッツポーズを繰り返した。
ここぞとばかりに私は畳みかけた。
「裏切りなどではありませんわ。アルベルト様にはアルベルト様の幸せがあるのですから(アルベルト様は私とまぁぼちぼち平穏な夫婦関係を築いていく予定なのでご心配なく)」
私がそう言うと、ディルク様はハッとした表情になった。
しばし思案する顔になり、それからしっかりと頷いてくれた。どうやら私の言いたいことは伝わったらしい。よし、もう一押し。
トドメとばかりに、私はディルク様の目を見つめて訴えた。
「ディルク様はディルク様の想いを貫くべきです。たとえ相手がアルベルト様であったとしても。それが本当に譲れないものならば」
毅然として言えば、ディルク様は小さく目を瞠った。
そして、またもや例の微笑で私の心臓を止めにきた。
「あなたはいつもそうやって僕を試すようなことを……。でもおかげで決心がついたよ」
その瞬間、全私がスタンディングオベーションである。
ついに、ついにディルク様が、アルベルト様に遠慮せずミアを選ぶことを決意してくれた!!
感極まりながら私は言った。
「わたくしはいつでも、ディルク様の幸せを願っておりますわ」
私の心からの言葉に、ディルク様はまたもや私の心臓を止めようとしてくる。
でももうここまできたら心臓止まってもいいかも……などと、私は勝利を確信しながら思ったのだった。
……それが、ほんの一週間前の話である。
わずか一週間の間に、私のあずかり知らぬところでいったい何が起きたというのか。
ミアはディルク様を選び、ディルク様もミアを選び取る決心を固めたのではなかったの……?
恨めしい気持ちでミアを見つめると、ミアは焦った様子で隣のアルベルト様に顔を向けた。
「も、もうっ、アルベルト殿下! 婚約破棄だなんて物騒なことをおっしゃるから、アデリナ様がびっくりされてるじゃないですか!」
ミアの言葉に、アルベルト様が「ああ」とうなずく。
「すまない、誤解を招く言い方だった。『婚約破棄』ではなく『婚約解消』と言うつもりだったんだ」
一方的な破棄ではなく、穏便に合意の上での解消という形を取りたいということだろうか。
だが、私にとっては同じことだ。アルベルト様との婚約を維持できなければ私の目的は達成できないのだから……。
「一応、理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
冷静さを装ってそう尋ねた私は、まだ諦めてはいなかった。
アルベルト様を翻意させる突破口が見つからないだろうかという、悪あがき。
だが、アルベルト様の返答は、私にとって全く想定外のものだった。
「それはもちろん、アデリナ、君の幸せのためだ」
「わたくしの、幸せ……?」
アルベルト様の言葉に、私はぽかんとなる。
私の幸せは「推し」のディルク様を幸せにすることで、そのために私はアルベルト様との婚約を維持する必要があるわけで……。
私はキリッと強い眼差しをアルベルト様に向ける。
「わたくしの幸せとおっしゃるのなら、婚約破棄だの解消だのというお言葉は今すぐ撤回して頂きたいですわ」
けれどアルベルト様は一瞬たりとも怯むことなく、穏やかな目で私を見た。
「アデリナ……君の王家に対する忠誠心はたいしたものだと思うが、そこまで自分を犠牲にすることはない」
犠牲……?
言っている意味がわからない。
「この一年で、君とはずいぶん打ち解けることができたと思う」
ええ、それは私も同感です。でも、だったらなぜ婚約解消?
「君が本当に想っているのが誰なのか、俺が気付いていないとでも?」
「??」
「自分の気持ちを押し殺し、俺の良き婚約者となるべく健気な努力を続けてきたアデリナ。君となら穏やかな良い夫婦関係を築けるだろうとは思ったが……幼馴染みとして、良き友人として、君には本当に望む相手と幸せになってもらいたいんだ」
「!?!?!?」
本当に望む相手、って……。いやだから私が結婚すべきはアルベルト様なわけで……。
「わたくしはアルベ――」
「アデリナ様は、本当はディルク様をお慕いしていらっしゃるんですよね!」
私の言葉をぶった切ったのは、ミアだった。
「なっ……!?」
私は絶句し、唖然としてミアを見つめ返す。
ミアは頬を染めて、「照れてるアデリナ様も可愛らしいです~」と訳のわからないことを呟いてから、邪気のない笑顔でコテンと首を傾けた。
「だってアデリナ様、ディルク様のことお好きですよね?」
「そ、それはもちろん、好き、だけど……」
くっ……言えない。たとえ嘘でも推しを「好きじゃない」などとは……。
でもでもでも! 好きって言っても、恋とかそういうのじゃなくてですね!
「推し」だから! そういうんじゃないから!
……て、この世界の人にどういう言えば伝わるわけ??
「ですよね!」と破顔するミアの横で、アルベルト様も深く頷いている。
「俺も少し前から、アデリナがディルクを想っていることに気付いていた。どうしたものかと考えているうちに、ミアから懇願されたんだ。『アデリナ様をディルク様と幸せにしてあげてほしいんです! それができるのはアルベルト殿下だけなんです!』とな」
驚愕しながらミアを見ると、ミアは「私がんばりました! えっへん!」とでも言いたげにドヤ顔をしている。
さすがはヒロイン、そんな顔も可愛い……じゃなくて!
「ミア!? どうしてそんな勝手なことをしたんですの!?」
「え、だってアデリナ様が、『身分など気にすることはない。あなたには自分の気持ちに正直に行動してほしい』とおっしゃったので! 憧れのアデリナ様に幸せになって頂きたいという自分の気持ちに正直に、アルベルト殿下に特攻かけちゃいました!」
特攻かけちゃいました……じゃないわよ! さすがはヒロイン、なんたる行動力……。
「さすがに俺もミアには驚かされたが、俺の決心の後押しになったよ。……それに、俺も恋をしてみたくなったし、な」
そう言ってミアの横顔を愛おしそうに見つめるアルベルト様だけど……これたぶんミアは気付いてないですね。
「で、でも、ミアだってディルク様に憧れているのでしょう!?」
確か、憧れの人がいるって言ってたじゃない!?
それってディルク様のことなんじゃないの!?
そう言うと、ミアは心底不思議そうに首を傾げた。
「え? 全然?」
「じ、じゃあやっぱりアルベルト様のことを……?」
「あ、それもないです!」
あ……隣でアルベルト様がショックを受けた顔をしているわ……。
「わたし、恋とかまだよくわからなくて……。わたし、学園でアデリナ様にたくさん助けて頂いてアデリナ様をお慕いするようになったんですけど、ディルク様への想いを熱っぽく語るアデリナ様ったら本当に可愛くって素敵で! 今は自分の恋よりも、憧れのアデリナ様の幸せを応援するのが生きがいなんです!」
な、なんてこと……。
ヒロイン・ミアの「推し」が、ヒーローのアルベルト様でも準ヒーローのディルク様でもなく、悪役令嬢のアデリナになっちゃってるだなんて……!
なんとか……なんとか軌道修正をしなければ……!
「アルベルト様とミアの気持ちはとても嬉しいですわ。でも、わたくしのディルク様に対する想いは恋とは少し違うのです」
私はきっぱりと宣言する。
「それに、ディルク様のお気持ちを無視してお話を進めるなんてあんまりですわ。ディルク様が想ってらっしゃるのは、わたくしではなくミアなのですから」
「そうなのか? ディルク」
片眉を上げ、アルベルト様が部屋の奥に向かって声をかける。
声に応えて現れた人物を見て、私は固まった。
「え、ディルク様……!?」
本棚の陰から姿を現したディルク様は、颯爽と歩み寄り、呆然とする私の傍らに跪いた。
そして、そっと私の手を取り、指先にキスを落とした。ちょっと待って死ぬ。
「アデリナ。愛しい人。僕が他の女性を想っているだなんて、どうしてそんな勘違いを?」
さらりと流れる前髪の奥から、青い瞳が切なげに私を見つめている。
う、美しすぎる。無理。
「アデリナとの婚約を解消してほしいと、僕がアルベルトに頼んだんだ。この場を設けてもらったのも僕」
「な、なぜ……」
やっとのことで声を絞り出す。
するとディルク様は心臓殺しの微笑で私を追撃してきた。さらに頬を染めるオマケつき。こんな顔、原作漫画でも見たことないんですけど!?
「五年前にあなたがアルベルトの婚約者に選ばれたとき、僕の初恋は誰にも知られないまま死ぬはずだった……」
いや私の方が死にそうですけどね!?
ていうか。は? ディルクの初恋がアデリナ? そんな設定知らんけど!?
「でもあなたが僕に言ってくれたから。本当に譲れないものなら、想いを貫くべきだと……。僕はあなたを諦めきれない。たとえアルベルトが相手でも」
言ったけど! 確かに言ったけどあれはそういう意味じゃな……あああああ。無理無理無理。その顔ほんと無理だからーーーーー!
「あなたが僕と同じ気持ちでなかったのは残念だけど……。でも、僕のことを好きだと言ってくれたのも、僕の幸せを願っていると言ってくれたのも、本当の気持ちでしょう?」
コクコクとなんとか頷く。推しに嘘はつけない。
「だったら僕、絶対に諦めないから。アルベルトとの婚約を解消して、僕にあなたを口説く権利を与えてください。僕と一緒に幸せになって?」
見たこともない甘い微笑みで見つめられ、息も絶え絶えになりながら、私は今度こそ敗北を確信した。
「推し」の幸せのため、なんとしても婚約破棄を回避したかったけど……。
どうやら無理みたいです。
〈了〉
最後までお読み頂きありがとうございました。
もしよろしければ、ブクマ、いいね、★★★★★、感想など頂けますと、たいへん励みになります!




