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鬼と悪魔と身の危険


 シエラ改めカローナ・ミザリーは、城の正門から堂々と入り、そしてあっさりと城の中に潜入した。

 王宮など、もちろんシエラにとっては初めてだ。不自然だとわかっていても思わず周囲を見渡してしまう。

 広い庭はまさに庭園。シエラが住む街の一区画くらいの大きさがあるように思えた。そこかしこに植えられた植樹林や綺麗な花畑を抜けると、やがて王宮が見えてくる。

 人影はなかった。後ろからクロードの足音が聞こえる中、シエラは足を動かすのがやっとだ。靴は動きやすいのに限るな、とシエラは痛感する。

 

「カローナ様」


 一瞬間が空いて、自分のことだと気付く。


「驚くこともあると思いますが、()()()()()なのであまり気になさらないように」

「はい?」


 いつもこう、って?

 聞こうと思って振り向いても反応はしてくれない。

 その時のシエラは、クロードの言葉の意味が解らなかった。


・・・


 部屋の前で――聖女が使っていた部屋の前でクロードとはお別れだった。

 そもそも彼は聖女の護衛騎士。聖女でもないシエラに付いている必要はないし、本物の捜索を続けなくてはならない。

 しばらくは替え玉で誤魔化せるが、それでも替え玉は替え玉。聖女の魔力など持っていないシエラがいつまでもごまかせるわけがない。

 他人の部屋に入ることにシエラは一瞬躊躇したが、ここではシエラこそが聖女だ。

 

(ま、所詮その場しのぎだし。気楽にやるか)


 思い直して部屋に入ったシエラは――中を見て思わず目を剝いた。


「すご……」


 王宮と同じ、キラキラとゴテゴテの極致を極めたようなものだった。平民が一生働いても買えないようなアクセサリーが、天蓋ベッドの枕もとのデスクに置かれている。

 聖女は駆け落ちしたと聞いた。このアクセサリーは不要と判断されたのだろうか。

 部屋はシエラの部屋三つ分くらいはある大きさだ。これだけ大きいのにあまり汚れていないのだから、定期的に誰かが掃除に入っていたのだろう。


 コンコン、とノックがされる。

 少し迷って扉を開けた。

 クロードかと思ったが違った。


「初めまして、カローナ……いいえ、シエラ様。私、これから貴女の世話係をやる給仕。よろしくね」

「えっ」


 給仕服が全く似合っていない、少し年上の男勝りの美人がいた。

 快活に笑っているくせに、目の奥で獰猛な光を発する赤い髪の美人だ。良い家の出であることだけはわかる。シエラの周囲にはいないタイプの人間だった。

 美人は挨拶した後に、シエラの顔を驚いたように眺める。


「……へえ、こりゃあびっくりだね。クロードの言ってた通りだ」

「あ、あの」

「顔立ちくらいかと思ったけど、目の色や髪の色まで同じとは。まるで双子みたいだね。実は生き別れの姉妹でもいるんじゃないのかい?」

「……うちは兄と私しかいないですけど」


 じろじろ観察される不快感から、シエラは露骨に目を逸らす。

 あはは、と美人は笑った。


「ごめんごめん。あまりにも似てたからさ。私の名前はマチルダ・アントリー。少しの間だけどよろしくね」


 美人はその燃えるような瞳をおかしそうに細める。

 そうやって手を差し出す彼女の手を取った。その首筋に何か傷のようなものが見えて、シエラは意識してそちらを見ないようにする。


 売女と、そう刻まれていた。


・・・


 シエラの予想通り、マチルダはカローナについて話をしに来てくれたようだった。

 馬鹿広い部屋のテーブルから椅子を持ってきて遠慮なく座るマチルダ。シエラはベッドにこれまた遠慮なく座って、二人で向かい合う形になった。


「聖女カローナについてどこまで知っている?」と聞かれ、シエラは通り一遍のことだけを答えた。つまりは、世間で知られていること。

 聖女は愛らしく優しい、国の愛娘。国民に顔を見せることも叶わないほどの尊い人。

 しかし話すごとに、マチルダの瞳や表情に昏い変化が出ていく。


(クロードさんといい、どうも反応がおかしい)


 シエラは愚か者ではない。流石に気付く。

 あの、とシエラはマチルダに聞いた。


「今私が話したのは世間で言われていることでしかありません。本当はどういう人だったんですか? 聖女様って」

「……」


 マチルダは少し黙って、ほろ苦く笑った。


「この王宮、少し変だろう?」

「まあ……人が少ないとは思いますね」

「そりゃあそうさ。だいたいの人は逃げたんだからね、鬼の居ぬ間に」

「鬼……?」


 それは聖女のことだろうか?

 マチルダは口を開き始めた。


「あの女は鬼だよ。それか悪魔の類だね。……ちょっと我儘なだけならまだいいさ。仕事をしないのも、歴代の聖女はみんなそんなものだし今更騒ぐことじゃない。けれど」


 マチルダはギリ、と歯を噛み締める。


「あそこまで人の気持ちを理解できない女がいるとは思わなかったよ」


 カローナ・ミザリーは、聖女の身ながらひどく自己中心的な性格だったそうだ。

 カローナが聖女として召し上げられたのは彼女が十五の時。彼女は歴代の聖女のためにあった宮殿を嫌がり、自分の為だけにもっと立派な宮殿を造らせたという。業者と国民に無理をさせて、彼女の理想通りの宮殿を。


 使用人は「彼女のお気に入り」に限定していた。具体的には顔が美しい者だ。しかし、お気に入りにも関わらず少しでも嫌なことがあると聖女は彼等に当たったという。

 それも、気持ちをぶつけるような可愛らしいそれではない。そう語るマチルダは首筋の「それ」を見せてくれた。


「いまだにこれをつけられた理由がわからなくてね。居なくなる前に聞いときゃよかった」

「そうですか……」


 としか言えないシエラ。

 また、聖女は無類の男好きでもあったという。面倒な聖務など放置し、毎日のようにどこからか連れて来た愛人達と逢瀬を重ねる日々。それを咎めようものなら社会的に抹殺され、聖女に逆らう国賊として弾圧される。

 それだけではない。彼女は使用人にすら手を出したという。しかも、人の男性(もの)ばかりに、だ。

 既婚者や交際中の男性に次から次へと手を出し、相手の女性は迫害し絶縁させた。聖女の権力を濫用し、相手の女性の家を取り潰したことすらあったという。


 最悪じゃん。と、シエラは素直に思った。


「最悪じゃないですか」

「まあね、最悪だよ。ここではそんな言葉は絶対に許されないけどね」


 言っているマチルダは少し楽しそうだった。鬼がいないからだろうか。


「でも、クロード様はお可哀想に。あんな風にされても文句も言えないんだから」

「あんな風?」

「クロード様が常に面覆いをつけている理由、知りたいかい?」


 知りたくない。とはとても言えない空気だった。


「焼印さ。あの下には、一生消えない酷い言葉が焼き刻まれているんだよ」


 焼印という言葉で既にシエラは逃げ出したくなっていたが、彼女の圧はそれを許さなかった。

 まるでシエラには聞く義務があるとでもいうように。


「カローナ様が何か知らないが苛々した時に、たまたまそこにいたのがクロード様だった。多分理由はそれだけ」

「……そんな……」

「焼かれた言葉は『犬』だ。それからだよ、あのひとが犬と呼ばれるようになったのは……」


『聖女は私のことを犬と呼んでいる』。その意味が分かってしまった。


「どうして、逃げないんですか? クロードさんは」

「自分が逃げたら他の誰かが犠牲になる。そう思ってるんじゃないのかい。ま、私も似たようなもんだけどね」


 マチルダは給仕長だという。

 窓の外を眺める彼女に、シエラは月並みな言葉しかかけられない。


「……言葉になりません。こんなひどい……」

「そう思ってくれるならよかった。アンタは同じ顔をしちゃいるが、性格は全く違うようだね」

「当然です。聖女には人間としての心があるんですか? どうして国王陛下も、そんなのを許してるんですか」

「なにせ聖女様だからね。国王陛下も強くは言えないよ。きっと戻ってきても何も変わりはしないだろうよ」

「……」


 マチルダは諦めていた。シエラも黙るしかなかった。

 ひどいとは思う。可哀想とも思う。間違っていると強く思う。

 でもシエラには何もできない。シエラはただの商人の娘だ。

 こんなことを知らされても何も―ー


(あれ? でも今は、私が聖女の身代わりなんだよね?)


 それほどまでに愚行を重ねた聖女カローナが誰にも手出しされなかったのは、立場以上に彼女に聖女としての強さ、魔力があったからだ。

 なら―ー自分に魔力がないと知れたら。


(……じゃあ聖女の行いの代償を私が受ける可能性もあるってこと?)


 というか復讐を受ける可能性も高い。


(あれ? ……まずいんじゃないの、これ?)


 

 




 


お読みいただきありがとうございます!


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