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仮面と駆け落ちと前金



 その男はクロードと名乗った。

 クロード・ヴァリアント侯爵。何百年という血統を持つ由緒正しい侯爵家の跡取りである。

 初めて会う上級貴族にシエラの父は震え上がった。クロードはそんなことには構わず、客間にて話し出す。

 

「半年前のことでした。聖女様が失踪、もとい駆け落ちしたと知ったのは」


 彼の話は単純明快で、だからこそ重みがあった。

 聖女カローナが、愛人である使用人の男と駆け落ちして行方をくらませたというものだ。


「相手はロアン地方という、小さな村の青年です。聖女様(あのひと)は恋多き方でしたので、自分の存在する意味も考えずその青年と行方をくらませてしまった」


 恋多き娘がただの村娘ならよかった。

 せめて貴族であれば、程度の差はあれどただのお家騒動で済んでいただろう。

 問題は、その娘が「聖女」……このカルヴィン王国で神と擁される少女であったことだ。

 カルヴィン王国の主教である女神教の信者にとって、聖女の全ては絶対だ。彼女が何をしようと彼女に非などない。

 だから聖女がいなくなったのは駆け落ちではなく相手の男が誘拐したに違いないと、女神教信者はそう思った。

 そして、いるわけのない聖女を求めてロアン地方を襲っているのだという。


「今、ロアン地方が巻き込まれている宗教闘争はそのせいです」

「なるほど……」


 シエラの父は腕を組んだ。


「で、その襲撃を収めるためにも聖女様が必要というわけですな。それはわかりましたが、何故娘が?」

「はっきり申し上げます。アントワープ殿、貴殿のお嬢様は聖女カローナに生き写しです」

「……まさか。あれがですか?」


 あれと呼ばれたシエラはむっとする。シエラは兄と一緒に客間で立たされていた。


「うちの娘と…………聖女様がですか……? ……何が似とるんですか」

「少なくともお顔は双子のように似ています。髪の長さ、瞳の色、虹彩に至るまで全てが。……失礼ですが、アントワープ殿や奥方殿の出自を伺っても?」

「私は代々ここの人間ですよ。妻は知りませんが……ってそれより侯爵様。うちの娘にそんな替え玉みたいなこと期待してるならやめたほうがいいですよ」


 父はどこか諭すようだった。

 侯爵貴族を相手に食い下がるのは、一応娘を案じているからだ。


「こいつがそんな聖女様の真似事なんて出来るとは思いません。ただの商人ですし、その……まあこいつも商売人ですから、女神教の教えとは相性が……」

「ええ。女神教の教えにも『利を得るべからず』とありますね。ですがご心配なく。王宮で女神教を信じている者などおりませんので」

「は?」


 シエラも、彼女の父も兄も揃って振り向いた。

 今すごいことを聞いた気がする。


「それに全てを真似る必要はありません。少し人前に出てくれるだけで良い。それに、聖女様が見つかるまでの間だけです。そう長い期間でもないでしょう」

「はぁ……」


 尚も渋る父の前で、クロードは何かメモを記した。そして記されたものを父に見せる。父はーーそのメモを見て明らかに血相を変えた。


「……ッ!! こ、こんな額が……報酬なんですか!?」

「まさか。これは前金です」


 クロードは淡々とメモに加えていく。おそらくは商談の条件を。

 勅命だからこそ可能な、法外ともいえる条件。それを見るごとに、父の顔色が変わっていく。

 嫌な流れだなぁとシエラは思った。


「今記したもの以外にも、アントワープ殿の事業の全面的な支援や今後の協力関係を約束しましょう。お嬢様をお借りすることになりますが、まあ悪い話ではないかと思います」

「なるほど……たしかに、悪い話ではなさそうですな」


 え、とシエラはうめく。

 いや待って、それ私にとっては悪い話かもしれないから! というシエラの切なる心の叫びはーー


「シエラ。これも人助けだ。頑張って行ってこい」


 ーー届かなかった。

 親指を立てて笑う父に、シエラは戸惑った視線を向ける。


「ええ……でも父さん私、そんなん……」

「大丈夫大丈夫。お前ならやれるって」

「んな無責任な……」

「それにシエラ。……全部上手くいったら、前から欲しがってた縫製工場の経営権をお前にやってもいいんだぞ?」

「え」


 シエラは、そして隣で興味なさそうにしていた兄も目を剥いた。

 服飾加工を生業にしているアントワープ家にとって縫製工場は心臓部だ。それを受け継ぐことは実質アントワープ家を受け継ぐことになる。本当は一人の少女に預けるようなものではない。


「父さんが何も知らないと思ったか? シエラ、前から色々新しいことやりたそうにしていただろ」

「……っ」

「だがやりたいことをしたいなら、まずやるべきことをしなきゃならない。当然のことだと思わないか?」

「た、確かに……」


 工場の権利を手に入れれば、シエラが前から思っていた、新しい事業も手を広げられる。

 けれどそれはお金があっての話だ。そして金をもらえる仕事が今目の前に転がっている。


「やれるよな? シエラ?」

「……やれるわ。父さん」

「それでこそうちの娘だ。じゃクロードさん、シエラを……いや聖女様をお願いします」


 その顔は父親ではなくもはや商人のそれだった。


・・・


 いや、待ってこれ結局言いくるめられただけでは?

 とシエラは狭い馬車の中で気付く。


(というかいくらって言われたのか結局わからなかったな。父さんが良いって言うんだから相当な額だと思うけど)


 こと商売ごとでは誰にも遅れを取らない父親のことだ。よほどの大金を積まれたに違いない。

 シエラもそんな父親に育てられ、商売人マインドが身についている。額がそれなりのものなら許せる。

 だが金額くらいは聞いておかなくてはならない。帰ってきた時ちゃんとバックを貰うためだ。

 隣に座るクロードにささやく。


「あのクロードさん。父にいくらって言ったんですか?」


 クロードは無反応だった。


「あのクロードさん。父にいくらって……」

「聞こえている」


 狭い馬車の隣席なのに目も合わせない。


「じゃあなんで無視するんですか」

「……」

「私が平民だからですか?」

「……」

「なんですかそれ。もともとそっちがーー」

「失礼した」


 クロードは意外にもあっさり謝ってきた。


「悪意があって答えなかったわけでは。ただ少し混乱していて」

「混乱?」

「自分のよく知る人と瓜二つの人間がいて、しかも性格は正反対なんだ。少し整理する時間が欲しい」

「正反対……ですか」


 私そんなに性格悪くないけどなぁ、とシエラは軽く拗ねてしまう。

 聖女カローナといえば、国の愛娘と呼ばれるほどの愛嬌と素直さを持った少女だ。

 突出した魔力に加え、愛くるしく優しい性格。それが歴代一の聖女と呼ばれた所以である。顔までは知らなかったが、噂だけは入ってきていた。


(あれ? でも、そんな人がどうして駆け落ちなんてしたんだろう)


 ふとよぎる違和感。

 それに、クロードは確か「あの女」と言っていた。それも吐き捨てるように言っていたのだ。まるで心底嫌っているかのように。どうも違和感がある。

 そりゃ確かに、全員から好かれる人間なんているわけがないが。


「まぁ、着けばわかるか……」


 だがシエラは知る由もない。

 これから彼女に待ち受ける、想像以上の試練に。


お読みいただきありがとうございます!


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