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青天の霹靂


 シエラー、と名を呼ぶ声が聞こえた。

 庭いじりをしていた銀髪の少女、シエラ・アントワープがそちらを見ると、兄のクラウスが困ったような顔で立っている。

 シエラと同じ、輝く銀髪に紅い瞳を持つ青年は、アントワープ家の小さな正門をちらちらと見ながらささやいた。

  

「なんかお客さんだぞ。お前に」

「お客さん? 誰?」 


 遠慮なく尋ねると、兄は何故か言いたくなさそうな、言いづらいような雰囲気を出す。

 シエラはそれで来客の名前がなんとなく予想できた。自分にとって嬉しくない客だ。

 そもそも連絡も寄越していない時点で嬉しい客でないことはわかる。そして嬉しい客でない相手には心当たりがあった。

 簡素な作業服のまま庭いじりに戻り、そっけなく応える。


「フランソワ商会なら帰ってもらって。何度来たって、こっちの条件じゃないと取引はできないってね」

「ああいや、そうじゃないんだ」

「そうじゃない?」


 商人の娘である自分にとって嬉しくない客といえば、取引先の商会くらいなものだが。

 軍手に土を付けたまま立ち上がる。それを見た兄は慌ててシエラの軍手を奪い取った。

 その様子に少し呆気にとられるシエラ。兄がこういうことをしたことはなかった。


「兄さん? 何してるの?」

「土付けたまま出ていいお客さんじゃないんだよ」

「……一体どこの人? まさか地区の役人じゃないわよね?」

「まさか。あんなヤクザ共は馬糞が似合いだ……って、そんな次元の人じゃないんだよ」


 兄はシエラの耳に口を寄せ、ささやいた。


「王宮の人だって」

「王宮?」


 突拍子もない声を出す。

 それはただの田舎商人であるシエラにとって、青天の霹靂とも呼べるものだった。


・・・


 シエラ・アントワープの生家アントワープ家は、「カルヴィン王国」の地方で代々商人をやっている家だ。

 不動産を売って一財を成し、後は服や帽子、靴などを売って生計を立てている。貧しいわけではないが決して裕福すぎるわけでもない、いわゆる土地に根付いた商人だった。

 最近は傲慢な取引先ーーつまりフランソワ商会に悩まされてはいたが、悩みといえばその程度。もちろん王宮など、無縁もいいところである。


「お前何かしたのか? 王宮に怒られるようなこと」

「してないよ! ……してないはず。あの生地は許可取ってるし、あの機材も……」

「じゃあなんでわざわざお前宛に人が来てるんだ」

「だから知らないって」


 ささやくように言い合いながら、決して広くはない庭を横切り正門に向かう。シエラは生地に使う草を手入れしていたため軍手以外土まみれだ。だが、二人はそこまで気にした様子もなかった。

 つまりそれほどに縁遠いというわけだが。 


 近づくにつれ、客人の顔が見えてくる。

 男性だということはわかった。全身喪に服しているのかと思うほど真っ黒な服装に、何故か顔の上半分だけを覆い隠す黒い仮面。

 体格から男性であろうことは予測できたが、瞳の色すらわからない。背が高く、冷たく剣呑な雰囲気を纏っていた。なんだか処刑人みたいで、王宮の人間だなんて正直信じられない。

 

「ええっと……私がシエラ・アントワープですが、どのような御用向きで?」


 男はその問いに答えなかった。

 ただじっとこちらを見つめている。ーーそして呟いた。


「……凄いな。ここまでとは……」

「はい?」


 私の混乱をよそに男はひとつ首を振って口角を上げる。どこか儀礼的な所作だった。


「いえ失礼。まさかここまで似ているとは思わず。……失礼ですが、母方の血に貴族の血が入っていたりは? または、親族がエルメール地方の出であるとか」

「……はあ?」

 

 露骨に眉を顰めて自制する。相手は王宮の使いだと思われる相手だ。

 自称なので定かではないが。

 

「あの、その前にどちら様ですか? まだお名前も伺っていませんが」 

「ああーーこれは失礼。私の名はクロード・ヴァリアント。王から勅令を承り、貴女を迎えに来た侯爵家の者だ」


 そう名乗り、クロードは懐からガサゴソと何かを取り出した。丸まった羊皮紙だ。

 シエラは職業柄、同い年の女性と比べて紙を目にする機会も多い。それが良い紙であることは一目でわかった。

 紙にはこう書かれていた。


『カルヴィン王国第二十五代国王セラムの名の下に、以下の命を施行することを命ずる』


 そしてその下に印字されているもの。ずらずら長い命令とやらの内容と、ーー金箔が入ったサイン。

 金箔入りのサインはこの国で一人、国王しか使用できないものだ。


「って、本物……!?」

「当然だ。……一人で来ているのは、この勅命自体が最重要極秘事項だからだな。御者もいるが、内容までは知らない」

「最重要極秘事項……? 私に?」


 シエラは勅命とやらを見つつ首をひねる。


「……あの、これ本当にーー」

「言っておくが、騙して拉致しようという魂胆ではないぞ。勅命偽造を犯してまで平民の娘一人を誘拐する者がいると思うか?」


 確かにいないなとシエラは思う。自分の女としての価値がそこまで高くないことも、シエラはよく理解していた。

 シエラの思考を先読みしつつ、男はにやりと口の端を吊り上げる。


「安心しろ、そう難しい話じゃない。それに貴女にとっても悪い話じゃないはずだ」

 

 絶対に難しい話だし面倒な話だとシエラは確信した。

 いったい何をさせられるのか。身売りくらいならまだ良い方か。ただの下働き? ありえないだろうが妾にされるとでも言われたら、どう断ればいいかーー


「シエラ・アントワープ殿。貴女にしばらく聖女の身代わりを務めてほしい」

「え? ……聖女? って……」

「そう。この国の主教である女神教に現人神として信仰され、王より絶大な権力を持つあの『聖女』だ。半年前に失踪した()()()がーー」


 あの女、と確かに彼はそう言った。


「ーー逃げたことを国民に知られるわけにはいかない。本物が見つかるまで、聖女の身代わりになってほしいんだ。聖女カローナと瞳の色まで瓜二つの貴女にな」


 ただの平民であるシエラに、この国の最高峰である「聖女」の身代わりになってほしいという勅命。身売りでも妾でも下働きでもなく聖女の身代わり。

 平凡な人生を歩んできた彼女にとって、それはまさに青天の霹靂だった。





 

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