5.婚約破棄騒動の裏側の裏側① (side ヴィー)
それは私が十歳の誕生日を迎えた日の事でした。
父に頼み込んで、初めて王都の下町を侍女と二人で散策に出る事を許されたのに。
好奇心旺盛な所が裏目に出たのでしょう。
あっちの露店、こっちの露店と目を引かれるまま歩き回っているうちに、いつの間にか侍女とはぐれてしまった事に気づきました。
『まぁ、すぐに会えるでしょう』
そう思って最初はそれほど心配していなかったのですが……。
一時間経っても、侍女と再会する事は出来ませんでした。
『どうしましょう』
途方に暮れ、疲れ切り、近くのベンチに座り込みました。
履きなれない靴で長い時間歩き回ったせいで、うっかり捻ってしまった足首もジンジンと痛みます。
『このまま、侍女と会えなかったらどうしよう』
すれ違う人に道を聞こうかとも思いましたが、それにより迷子だという事がバレて人買いに攫われたらどうしようと思えばそれも怖くて出来ません。
心細さから、年甲斐もなく泣いてしまいそうになった時でした。
「どうされました?」
かけられた声にハッとして顔を上げ、私は思わず息を呑みました。
私の目の前に立っていたのは長く綺麗な金髪を黒いリボンで結わえたまだ年若い長身の騎士様でした。
その騎士様のお顔立ちは酷く整っていて、そのスラリとした肢体と、そして柔和な笑顔とあいまって、最初に声を聞いていなければ女性だと勘違いしたかもしれません。
騎士様は私の名前を聞いた後、私の事を軽々と抱き上げると家まで送ってくださったのでした。
そんな騎士様は、まるで絵本に出てくる王子様のようで。
『いつか素敵な王子様と結婚するの』
が口癖の夢見がちな少女だった私は、お礼だ、差し入れだとなんだかんだと理由を作っては騎士様がいらっしゃる第三騎士団の詰め所によくよくお邪魔するようになったのでした。
騎士様のお名前はジェズアルド様と仰いました。
その綺麗な立ち姿と鷹揚な態度等からてっきり良家の御子息かと思っていましたが、ジェズ様の後輩にあたるリベリオ様の話によると、ジェズ様は戦災孤児で、あの外見に似合わず剣一本でのし上がってきた叩き上げの騎士様なのだとか。
「これで家柄さえ悪くなければね、先輩はもっと上を目指せる人だと思うんですよ」
リベリオ様は、度々我が事の様に悔しそうにおっしゃっていました。
◇◆◇◆◇
私が十五になった年の事です。
近隣の森で魔物が発見された為、第三騎士団の皆様が討伐に出られる事になりました。
討伐と言っても、それ程大がかりで危険なものではなく、
「害獣駆除とさして変わらないし、いつもと同じく日暮れまでには戻る」
と最近第三騎士団の隊長に就任されたジェズ様はおっしゃっていましたが……。
私がジェズ様のお見送りの為街の門まで行った時には、毎度の事ながら周囲はジェズ様に無事の帰還を祈るハンカチを贈りにいらした綺麗な女性陣であふれかえっていました。
「いいなぁ、隊長は。俺も綺麗どころからのハンカチが欲しいや」
共に討伐には向かわず、街の警護を任された騎士様が、私の傍に来てそうおっしゃいました。
恋心を現したハンカチを贈られたジェズ様は、いつも通り柔和に笑っていらっしゃいます。
でも……。
この出立式では毎度ジェズ様が心なし表情が曇らせていらっしゃるように見えるのは私だけなのでしょうか。
私の隣に居る騎士様はジェズ様をうらやましいとおっしゃいますが、私にはジェズ様こそいつも家族からのキスを贈られる騎士の方をうらやんでいるように見えてしょうがないのです。
あぁ、私がジェズ様の家族だったら、今すぐあのキスを贈ってさしあげるのに。
今回もまた、そう歯がゆく思った時です。
「いいか、オレの妹のヴィーに変な真似したらただじゃおかないからな」
突然、ジェズ様が私の隣に立つ騎士様に向かってそんな事を仰いました。
「い、妹?!」
驚いた余り変な声が出てしまいました。
てっきり、おじゃま虫と思われているとばかり思っていたのに!
妹の様に思ってくださっていたなんて!!
ジェズ様はやっぱり優しい方です。
何かお返しをと思った時、いい事を思いつきました!
「では僭越ながら……ちょっとしゃがんで下さい」
そう言えば、ジェズ様が不思議そうな顔をしながら私の前に片膝を突いて下さいました。
「ジェズ様、どうぞお気を付けて」
そう言ってジェズ様の額にキスした時です。
ジェズ様がポカンと口を開けました。
……あれ?
違いました??
ジェズ様は家族からのキスに憧れていたようなので、『妹』の自分がキスを贈れば喜んでくださるのではとそう思ったのですが……。
色々烏滸がましかったでしょうか?!
フォローを期待して周囲を見渡すも、何となく生ぬるい態度で皆から目を逸らされます。
困ってしまって、ジェズ様を見ると、珍しく表情を消したジェズ様は無言のままその場を立ち去ってしまわれました。
どうしましょう?!
調子にのってついにジェズ様を怒らせてしまいました。
と、その日は酷く焦ったのですが……。
優しいジェズ様は、それからも討伐に出る度、少し所在なさげにしながらも出立の度、私からの額へのキスを受けて下さったのでした。




