1.ずっと欲しかったもの
「ジェズ様、どうぞお気を付けて」
魔物の討伐に出るオレの額に、ヴィーがそう言ってまたキスをくれた。
ヴィーの長い綺麗な髪がオレの首を擽るのがくすぐったくて思わず笑えば、それにつられたようにヴィーが頬を微かに赤らめ楽し気に笑った。
◆◇◆◇◆
家族が出征する騎士の額に贈る、無事の帰還を祈るキス。
若い兵士の中には、これを皆の前で母にされるのは酷く恥ずかしがる者も少なくない。
「先輩はいいですよ。あーあ、俺も刺繍入りのハンカチが欲しいなー」
後輩騎士のリベリオがそう言いながらシャツの袖で額を拭って見せた。
家族が額にキスをするのに対し、恋する者には無事の帰還を祈って刺した刺繍入りのハンカチを贈る事がこの国の習わしだ。
リベリオは、オレが沢山もらった刺繍入りのレースのハンカチを見て口を尖らせる。
でも……
戦災孤児のオレは、ハンカチなんかよりもそんな家族からのキスが欲しかった。
そんなものに、熱病のような恋心とは異なる、心からの愛のキスに何の興味もない振りを懸命にしながら、オレはそれを贈られる人間が羨ましくて仕方なかった。
そんなある気持ちの良い風が吹く初夏の事だった―
街を巡回している際に、一人の迷子の女の子を保護した。
年は十かそこらだろう。
長いチョコレート色の髪は艶があり、その手は真っ白で傷一つ無い。
街歩き用に控えめにしているとは言えその服の仕立ての良さからも、すぐにどこか良い家の娘なのであろう事が推察された。
「どうされました?」
女性陣から受けの良い、人畜無害そうな笑顔を浮かべ片膝を突きながら視線を合わせそう尋ねれば、少女は
「家の者とはぐれてしまって……そして少し足を捻ってしまって……」
とベンチに座り込んでいた理由を俯きながら話した。
「ちょっと失礼……」
本来女性の足に触れるなんてマナー違反だが、まぁ相手は子供だから構わないだろう。
そう思い彼女の小さな足首に触れると、そこが微かに赤く熱を持っている事が分かった。
名前を聞けば、
「ヴァレーリア・オルランドです」
そう遠くない所にタウンハウスを構える子爵家の家名を、その少女は挙げた。
「お送りしますよ」
小さい子供にするように彼女をヒョイと抱き上げれば、彼女は酷く焦った様にオレの顔を見た。
抱き上げたせいで、わずかに彼女の方がオレより視線が高くなる。
髪と揃いの、平凡な色だと最初に見た時は思ったのに。
光に透けた彼女の瞳は光の加減で神秘的な菫色に透けて、オレは思わずその宝石の様な瞳にしばし見入ってしまった。
彼女には兄と姉が二人ずつ、そしてすぐ下にも弟と妹がいるらしく、両親からの関心は薄いらしい。
そのせいなのだろうか?
その日を機にヴィーはしばしばオレのいる第三騎士団の詰め所に、差し入れだとか何だかんだと理由をつけては、侍女を連れて遊びに来るようになった。
◆◇◆◇◆
それから五年が経ったある秋の事―
近隣の森で魔物が発見された為、オレ達第三騎士団が討伐に出る事になった。
「いいか、オレの妹のヴィーに変な真似したらただじゃおかないからな」
街の警護の為、残していく部下に半分冗談、半分本気でそう言えば
「い、妹?!」
ヴィーが何故か慌てたような声を出した。
ヴィーからのオレへの淡い恋心の様なものに、オレは薄々気づいていた。
だから、牽制の意味もあってそう言ったのに。
「では僭越ながら……ちょっとしゃがんで下さい」
ヴィーが思いがけない事を言った。
「???」
何だろう?
そう思いつつも、言われるままにそうした時だ。
「ジェズアルド様……どうぞお気を付けて」
ヴィーがそう言ってオレの額に家族のキスをくれた。
ずっと。
ずっと欲しくてたまらなかったそれを不意に与えられて。
思わずポカンとヴィーを見上げれば、あの日抱き上げた時のように、ヴィーの瞳は明度の高いアメジストのようにこれまで見たどんな宝石よりも美しく、キラキラと日に透けていた。
その後、動揺の余り自分がどんな風に振舞ったのかはよく覚えていないが、なんとなく酷く素っ気ない態度を返したように思う。
それでも。
それ以降ヴィーはオレが戦いに出る度、そのキスをくれた。
子爵令嬢であるヴィーは、孤児であったオレなんかの手の届く人間じゃないって分かっていたのに。
ヴィーがそんな事をしたものだから。
急に蕾が綻ぶように綺麗な大人になっていくヴィーの事を、それ以降、オレはどれだけ良くない事だと分かっていながらも、もう自分から遠ざけるような事が出来なくなってしまったのだった。




