カスタマイズ7 バニラシロップ追加
PМ 00:05 青空公園
昼食時ということもあり、河内のおごりでフードも買い込み、真佐江と河内は公園のベンチでサンドイッチを食べていた。
「河内先輩って、先生してたんですか? なんか意外でした」
真佐江はミルクティーだと思われるものに口をつけながら、隣に座る河内へ声をかけた。
何故『と思われるもの』という表現になっているのかというと、真佐江が注文した横から、河内が謎の呪文を唱えて乱入し、謎カスタマイズにしてしまったからだ。
おそるおそる飲んでみると濃厚でうまいのである。しかし何が入っているかは謎だ。
ちなみに河内が飲んでいるドリンクは、最長呪文によって生成された幻のポーション――ではなく、店員の引きつった表情を見た真佐江が必死で頼み込んで変更させた、別の短縮呪文によって生まれた、大人のほろにがチョコレートドリンクだ。
どうしてすぐにいろんな呪文が諳んじることができるのか不思議でしょうがない。そして、一口味見させてもらったのだが、ものすごい美味かった。しかし真佐江には注文できる気がしなかった。
「先生っつっても、学校の先公じゃなくて塾のな。
んで、熟は塾でも、よくある普通の塾じゃなくて、不登校・引きこもりを対象にした塾ってやつだ。俺みたいな変わりもんにはぴったりだろ?」
河内の言葉を聞き、真佐江の背筋が冷たくなった。
それは――その塾はもしかして、自分の夫である優介の勤め先と同じところだろうか。
それとも自分が把握していないだけで、近年その手の塾は増えているのかもしれない。まさか同じ職場なんてことは……。
ダメだ。そんな恐ろしすぎる。自分の夫があの河内と同じ職場だなんて。
もしも万が一、優介が自分の夫だとバレたら――何を吹き込まれるか分かったもんじゃない……!
「それって……あの……」
真佐江は恐る恐る声を絞り出したが、河内には届かなかったようで、河内は続けた。
「勉強以外にも恋愛相談に性教育、悩み相談その他諸々、塾生からの要望で、学校の先公より密なフォローを売りにしてんだ。ま、知り合いが引きこもってたら営業しとけよ。後悔させねえから。
で、今回はソシャゲトラブル相談の一環ってことで、あの施設に行ってみたわけだ」
話を聞きながら真佐江は考え込んだ。【異世界体験】はソーシャルゲームの範疇だろうか。
ああ、でもたしかにアバター的な要素もあるし、ゲームを有利にするための課金システムもある。
以前、親の金を使い込んで入り浸っていたニートに説教した記憶もある。
学生がやり込むには単価が高いゲームだが、中毒性は高いかもしれない。
実際、真佐江はついつい立ち寄ってしまっていた前科がある。
河内はストローで、チョコチップとチョコソースと生クリームで生成されたチョモランマをかき混ぜながら、真佐江に視線を向けた。
「で? マサ、お前は? ゲームの中でもナンパ狩りか? すげーなお前、高校出たあともまだこんなことしてたのか。さすが戦闘民族。
なあ、俺の知り合いにガチの戦闘職種がいるけど紹介してやろうか? 求人募集してるってよ」
紹介なんぞされて、人脈ができてしまったら優介に何を言われるか。
真佐江は必死かつ丁重に辞退した。
「いえ! 不要です! たまたまです。知り合いが変な男にちょっと……」
ひと通りのことを真佐江から聞いた河内は「要はヤリモクにひっかかったってことだろ? いい歳してひっかかる方が悪い」と、ストローをくわえながら言い捨てた。
「んな身も蓋もない……」
真佐江は思わず眉間にしわを寄せた。
「うちの塾生もえらい色男に言い寄られたらしいが、貞操は守ったってよ。
その代わり連絡先が犠牲になっちまったけどな。
そういやあ連絡先で思い出したけど、別件のネトゲの出会い厨もヤバかったな。
相手が女だって分かった途端、普通に引くだろって勢いで住所や電話番号聞き出そうとすんだぜ? 必死かよって俺的にはウケんだけどよ、やっぱ普通に学生身分の女にゃ怖いよなあアレは。
すげえんだぜ、マサ。自分の局部自撮りして送り付けてくるおっさんもいるんだぜ? ギャグだろ。
どんだけ自信あんだよと思ってガン見してやったけど、大したことねえんだ意外に」
「……なにガン見してんですか。っていうか先輩、まさかネトゲでも、そうやってオカマキャラで男を騙してたりするんですか?」
河内は笑って真佐江を小突いた。
「やるかよ。塾生がスクショ見せてくれたんだよ。あ、マサ。スクショって知ってるか? スクリーンショットの略だぞ?
とりあえず局部オヤジには『かわいそうなくらいの粗チンですね』って返信しとけってアドバイスしといた。それより問題はこっちだな。
要はこの【異世界体験】ってのはソシャゲのVR進化版ってことだろ?
でもまあ、ハマるの分かるわ。感触すげえリアルだもんよ。疑似体験であそこまで再現できるってマジで技術進歩ってすげえのな。
しかもお互いに外見は何倍にも盛ってカスタマイズできるし、外見・年齢のコンプレックスも全無視でモテ無双できんじゃん?
ヘタすりゃ異世界で童貞卒業ツアーとか、裏でそんな企画考えるやつ出てくるんじゃね?」
いや、あれは疑似体験ではなく、マジもんの体験なんです、とは真佐江は恐ろしくて言えない。
なぜなら目の前の相手とマジなマジもんをしてしまったからである。しかも男女逆転のスペシャルオプション付きでだ。
「でも! 私の同僚、そんな軽い女性じゃないです。本気で惚れさせて……ことが済んだらお終いなんて……。
しかも、実は被害が多いっていう話も聞きますし……用が済んだら仲間に誰と寝たとか言いふらしてるみたいだし……ちょっと腹が立つっていうか……」
河内は真佐江を横目で見ると、鼻で笑った。
「リアルのこっちの職業でも『ナンパ師』なんてのもあるしな。『オレは1年で何十人の女とヤった』とか自慢しまくってるヤツ。
落とすまでが楽しいって気持ちもわからなくはない。それにマサ、お前昔、『人の彼氏を略奪してはポイ捨てしてる女がいるんすよ!』ってキレてたじゃねえか。
つまりそういう人間は一定数いるってことだ。リアルも異世界も男も女も関係ない。
男はどこの世界だってヤることしか考えてねえよ。独り身の女が恋したい~彼氏欲しい~って毎日思ってんのと同じレベルでな。
その同僚にはもうちょい男を見る目を養えって言っとけ」
「先輩……身も蓋も……」
まだ納得いかない顔をしている真佐江に、河内は目を細めた。
「お前だって向こうで味わっただろ? 男の快感ってやつをよ。気持ちよかったんだろ? ハマるだろ? またしたくなるだろ?
最高の初体験だっただろ? ま、相手が俺だから当然だけどな」
――ヒュッ! パシッ!
「……っ先輩。言っていい冗談と悪い冗談があることはご存じですかぁ?」
全力フルパワーの真佐江の右拳を受け止めながら、河内は顔色一つ変えない。
「お前いま寸止めナシで俺の眉間を狙ってきたな? いい度胸だ。
冗談はお前だろう。四十過ぎて人の顔面殴るな」
「まだ三十代ですよ。失礼なこと言わんでください」
40歳のカウントダウンが始まっているが、そこはあえて触れない。
「んなこと言って、顏が赤いぞ。思い出すと勃ちそうになるんだろ? ん?
初心な中坊かと思ったら、まさか四十過ぎの女で、しかもマサの筆おろしをする羽目になるとはなー。俺の眼力も落ちたもんだ。で、どうだった? またヤリたくなるだろ? ちょっとは男心が分かったか」
あくまで余裕顔の河内に、真佐江はキレる。
「ついてねーんだからたちませんよ! いっぺん死なないと黙りませんかアンタは! んでまだ40過ぎてないっつってんでしょーが!」
「俺に握られて大変なことになってたくせによく言う。しかもお前その後俺の」
「おわぁぁぁぁあっ! ごめんなさいすみません謝ります謝ればいいんでしょ! もうその話はやめてくださいごめんなさい謝りますから!」
真佐江は慌てて河内から距離をとり、ベンチの上で正座をして頭を下げた。
「ああ時間の無駄だな。で、結局ヤリモク同士の男女でマッチングが成功すりゃ平和なんだが、問題はだな」
「いきなり話を戻さんでください」
「女も絡んだ組織化までしてると厄介だなと思ったってわけだ」
「え? 女?」
まったく話の展開についていけない真佐江は、目を丸くして河内をうかがった。
「ずいぶん前に大学サークルのヤリモクわっしょい事件、あったろ?
ああいうふうにどんどん母体がでかくなっていくとよ、数人のナンパで済んでたはずのもんが、自分のカーストを上げたいやつらがさ、生贄を用意すんだよ。
要は女の数を増やしたいから、言葉巧みに連れ出すわけさ。何にも知らない女たちをさ。
マサ。お前、俺が仲間と飲んでるから来いっつったら来るか?」
「行かないですね」
真佐江は即答する。河内の連れはいろんな意味で怖い。
「当然だな。だが、この時点でまったく危機感もなく不用心に男の家にホイホイ飲みに行くやつもいる。
んなやつは食われても仕方ない。むしろ食われたくて来たなと思われてもしょうがない。
ならマサ、多少つきあいがある程度の女友達に呼ばれたらどうする。どうしても来てほしい。マサともっと仲良くなりたい。自分たちの友達もいるんだけど一緒に飲もう、とかな」
「うわー……めんどくさいですね。すっごい行きたくないですけど、押しに負ける可能性もあります」
ここで断るとハブられたりして面倒だし、顔を出すだけでもしておこうかと思うかもしれない。
「で、行ったが最後、男がたくさんの場所でしこたま飲まされて……ジ・エンドだ」
そんなことは……、と言いかけたが、呼ばれてすぐに帰るのも印象が悪いし、行ってしまったが最後、集団心理に飲まれてしまえば、自分の判断が鈍ってしまう可能性は十分にあった。だからこそ最初の時点で断らなければ逃げられないのだろう。
「それって……あの女だらけのギルドも怪しいってことですか?」
「さあな。可能性のひとつってことだ。俺は性悪説派だからな、俺以外はみんな敵だし信用しないことにしている」
私のこともですか? と思うが口にはしない。この人はそういう人だ。少し寂しいと思う自分が甘いのだと、真佐江は自分に言い聞かせた。
「ま、俺はもう用は済んだし、お前はこれから何すっか知らねえけど、くれぐれも首ツッコミすぎるなよ。
お前は昔から頭に血が上りやすい。自分の最初の目的を見失わないようにしとけ。限度と引き際、覚えとけよ」
河内は公園のベンチから立ち上がった。
「……え?」
急に置いてけぼりにされてしまった気持ちになった真佐江は、自分でも信じられないような悲しい声が口をついた。
「俺の用事は済んだ。もうあそこで本名や連絡先のやり取りが起きねえなら解決だ。うちの塾生には、連絡先を総取っ換えさせてから個人情報の特別授業でもしてやるさ」
河内は、捨てられた犬のような顔をしている真佐江を見下ろすと、意地の悪い薄笑いを浮かべて言った。
「……手伝ってください雅文さま。馬鹿で考え無しの小物の真佐江にお力をお貸しくださいって言ったら考えてやってもいいぞ?」
思わず真佐江の顔が輝き、すぐに曇った。
「くっ、この俺様キャラが……!」
「なんか言ったか? なんだったらお前の大好きな旦那さんに、お前がパンチ力を上げるためにどんな修業をしてたかとかバラすぞ?」
「ぅああぁぁぁあっ!! やっぱり!? やっぱり優くんと同じ会社なんですね!? やめてください言わないでくださいおねがいします絶対にあのことだけは!!」
ベンチから立ち上がり、真佐江は思わず河内にすがりついた。一方の河内は困惑顔だ。
「うっわ……、優くんとか。あのマサがなあ……。ああいう男を選んで君付けとか……。ないなー……」
「うるさいっすわ! もうなんなんすか! あーもう最悪です!」
髪がぐしゃぐしゃになるほどかき乱し、半狂乱になっている真佐江を眺めながら河内は言った。
「よし、面白いから手伝ってやる。もうちょいお前とつるんでやる。喜べ」
真佐江はぴたっと動きを止め、おそるおそる河内をうかがった。
「…………ありがたいですけど素直に喜べません」
河内は鼻を鳴らすと、もう一度ベンチに座りなおした。
生クリームのチョモランマは、いつの間にかプラカップの最下層まで降下していた。あの残った塊は、最後どうやってストローで処理するのだろうか。真佐江は少しだけ気になっていた。
「じゃあマサ。一応ヤリモクわっしょいしてるやつが、アドニスって男一人なのか、すでにヤリモクギルドに昇格しちまってるかどうか調べることにしよう。俺は女のギルドがやつらの仲間なのか調べておいてやる。
俺はあっちじゃ女キャラだ。男が食いつきたくなるような見た目にもカスタムしてある。エサにはもってこいだろ? 俺は女側の聞き込みをする。お前は……聞き込みなんて器用にできるとは思ってないから男側にカチコミかけてこい。適任だろ?」
「いま微妙に韻を踏んでドヤりました? ……いや、いいんですけど別に。
先輩、もしかして最初からそこまで想定したうえで、あんな巨乳ストリッパーになったんですか?」
さすが河内だ。真佐江は町田さんから相談を受けた時、そんなところまで想定なんてとてもできなかった。
昔から河内は、いつも誰よりも先を想定していた。
真佐江にとっては――社会人になった今も――河内は追いつけそうもないくらいの距離を感じている人間の一人だ。怖いし苦手だけど、尊敬している部分も多い先輩だった。
「まさか。せっかく【異世界体験】なわけだろ? 男のままじゃ体験できないような異世界が体験したいからに決まってんじゃねえか。男のイクと女のイクがこうも違うってのはやっぱ体験しなきゃ分からなかったな……」
やっぱり河内は何を考えているのかよく分からない男だ。
冗談だと思いたかったが、マジなのかもしれない。
真佐江はこれ以上何も口にするまいと、カップに残った推定ミルクティーを飲み干した。
すると、底からは茶葉の袋がなぜか三つも姿を現したのだった。