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疲れと紅茶にはやっぱりこれでしょう?  前編


 今日も軽快な足取りで図書室へと続く廊下を歩いていく。私の手にはこの日特別な小包を抱えている。これから押しかける相手の反応がとても楽しみだ。


 時刻は昼過ぎ。ノックは省略して、重厚な扉をスライドする。


「こんにちはー」


 しかしそこに返事が返ってくることはなく、広く無機質な図書室の静寂に消えていくだけだった。

 ……別に、傷ついてなんかいないよ。何せ、今や私のガラス細工のハートは、どんな毒舌をも打ち砕く鉄槌と進化を遂げていたのだから。本当だよ?

 のこのことカウンターで本を読んでいるであろう人のもとに近づくが、まさかのもぬけの殻だ。読みかけの本すら見当たらない。


「おかしいなあ……」


 ここに来て初めての事態に、少し困惑してしまう。仕方ない。少し待つか。


 昨日は珍しく本から目を離して、桐嶋高雅は美味しい紅茶を淹れてくれながら、私にこれまで読んだ本の内容を話して聞かせてくれた。

 二人で紅茶をいただきながら『カーメル・フォスト考案の古細菌の生育構成及び生物学的用法』と、昨日読んでいた『ファントム・ホミシデ・アクシデンタル』って名前タイトルのどこかの国の殺人鬼の話を噛み砕いて説明してくれた。

 彼はきっと私にもわかりやすいように話してくれたんだろうけど、その時の私には「生物」と「サスペンス」くらいしか頭が追いつかなかった。バカな頭が憎い。桐嶋高雅からは、蔑むような目で見られたことは言うまでもない。いいもん。別にわからなくたって、生きていけるもん。


 でも……と、あの瞬間の柔らかい表情は今でも思い出す。いつもは何考えてるかわからないけど、本のことをひとつひとつ話してくれるときは、本当に好きなんだって伝わるよ。

 もったいないなあ。ああいう顔を隠しちゃうなんて。


 本人に言ってみたところで機嫌が悪くなるのは想像できるから、黙っておくけど。

 それよりも、少し待っても姿を見せない図書室の番人にソワソワしてしまう。

 すぐ戻ってくると思ったんだけどな。どうしたんだろう? あ、トイレかな? あの人よく紅茶飲んでるし……私は何を想像してるんだ。


 桐嶋高雅って名前も人物も、人間味が感じられないというか、だからその……絵が想像しにくいというか……。


 そんな下世話なことを考えていたら、バチが当たったのかもしれない。




 カラカラ……。





 物音がした。この世のものとは思えない不気味な軋んだ音が……。びくりと肩が震え上がった。

 な、何の音なの……? 先輩? それとも……?


 古い館の開かずの扉をこじ開けるような不気味な音が、絶えず遠くから聞こえてくる。この世のものとは思えない。叫び声のような耳障りな音に、咄嗟にカウンターの裏に身を隠した。


 ど、どどどどどうしよう。私ああいうのは無理な人種なんだけど……。先輩まだなの……トイレ長いよお……。





「ミャアオ〜ン」


「……ふぇ?」


 カウンターの椅子の脚にしがみつく勢いで身を隠していたら、上から鳴き声がした。見るとテーブルの上から白猫ちゃんが、呆れたように私をそこから見下ろしている。


 あ、なんだ。白猫ちゃんが遊んでたのか。


 こんなところにぷらっと霊体的なものが棲み着いてるわけないよね。びっくりしたなあもう。



「ミャア〜」

 

 その白猫は果敢にも一匹で部屋の奥へと小走りで行ってしまう。ちょっと待ってよ! まだ一匹じゃ危ないし、それより一人にしないでええええっ!!

 情けなくも白猫に懇願するように、私はその後ろをひたすらついて行くしかなかった。だってまだ怖いんだもん。


 しかし間もなく、私は白猫を見失ってしまうのだった。やばいいいい。誰か嘘だと言ってええええっ! まだ足の震えが止まらないんだよおおお!


 白猫を見失った途端、またあのぎこちない音が私の耳を劈く。しかも、それはゆっくりとこちらへと近づいているようだ。

 音が大きくなっていくにつれ、私の魂は抜けていった。もうダメだ。そう思って本棚脇の近くの椅子に隠れる。



「……誰、そこでケツ向けて丸まっている君」


「………………ふぇ?」


 聞き慣れた人の声にそろりと目線を上げる。私の格好を見てドン引きした先輩の姿がそこにあった。


「うわぁーん! ぜんばいいぃぃ!!」


「げ、君か。なんか知らないけど、近づかないでくれる。気持ち悪い」


 私は先輩に泣きついた。しかし、それを拒否されてしまった。彼がたまたま手に持っていたそこそこ分厚い本でベシッと頭を叩かれた。うぅ、酷いし痛い……。


 ひとまず先輩と再会できたことで、心細い涙を引っ込めることができた。そして物騒な物音の正体を知ることもできた。



「先輩、何ですかそれ?」


「唐突に話を変えるんだね。見ての通り、台車に本を積んでいるんだよ」


 そう言われて、まあ確かに見たまんまだなと納得した。緑の台車には、桐嶋高雅の腰ほどの高さに本が敷き詰められている。どれもそこそこ古い本のようだ。


「年に数回の、蔵書の保存状態の調査をしているんだよ。台車の上にあるやつは、もう古くなって読めそうにないからね。代わりに新しい本を追加するんだ」


 その台車を引きながら、呪いをかけるかの如くこの世の叡智が詰まった本の山を睨む私に彼が補足をしてくれた。

 こんなものに、私は躍らされていたというのか……。おのれ、ただの紙の束のくせに……。


 ちなみに蔵書の管理に使う伝票を見せてもらうと、台車に積まれたすべての本の題名タイトルと、本の状態の詳細な記録がびっしりと書かれていた。

 そんな伝票が何十枚を超え、一冊の本が出来上がる勢いだ。開いた口が塞がらない。


 

「見ての通り、僕は忙しいから生憎お茶を出すこともしてあげられないよ。そういうことだから、今日のところは潔くお家に帰るんだね」

 

 子供に言い聞かせるような口調で、彼からは追い返されてしまった。そんな追い返され方は非常に納得がいかない。

 十分に不貞腐れた私は、ここですんなりと帰るわけにはいかなくなった。確かに頭は小学生かもしれないけど、ここぞというときはやれることをこの本好き怪人に見せてやらなければ!


「じゃあ、二人でやれば早く終わりますよね。先輩の貴重な読書の時間を確保するためにも、人手がほしいところだなあ……」


 なかなか痛いところを突いてやった。

 さあどうだ! 私という猫の手を借りたいだろう! 頭を下げてお願いしてもいいんですよ!


「邪魔だから、いらない」


 秒殺された。まったく可愛くない先輩だ。後輩が甘んじて手を差し伸べてやっていると言うのに。

 しかしここで引き下がるのは、なんだか負けた気がして気が済まない。

 

「邪魔はしません。私が桐嶋先輩の仕事をお手伝いをしてあげます」


「それが邪魔なんだけど。いらないから」


「邪魔じゃないです」


「邪魔だね」


「手伝います」


「いらない」


「いります」


「いらない」


「ヤダ、いる」


「……どこの駄々っ子気取りなんだい」

 

 私の納豆よりしつこい粘り気に観念したのか、大仰に息を吐いた。そして私の額にコツンと伝票の角を押し当てる。


「僕の足を引っ張るんじゃないよ」


 きっと彼なりの照れ隠しだろう。まったく素直じゃないなあ。

 誤魔化すように私から目線を外した彼が先に歩き出す。遅れを取らないように小走りであとを追いかけながら、彼から託された伝票を持ってその人の隣に並んだ。




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