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ベルサイユなひとときを


 本日の早朝も、誠に快晴なり。

 陽気な春風が私の背中を押してくれる。そうして私はこの日も校舎の最奥にある図書室の扉を叩く。


「おはようございます。藤澤桃香、本日も元気に学園での生活を満喫したいと思います」


 寝る前に予習してきた丁寧な言葉を復唱して、軽快な足取りで図書室に入れば、今日もカウンターで読書に耽ける彼にもひと目ご挨拶。



「あら、ご機嫌よう。桐嶋さん、今日も熱心に本を読まれていますのね。こんなに清々しい天気の日には、私と校庭でシャル・ウィ・ダンスは如何?」


「…………」


 しかめっ面でこの日も出迎えてくれた桐嶋高雅は、読みかけの分厚い本もそっちのけに控えめな私へ向けて白い目をしている。


「……何、その口の聞き方。なんか腹立つから、やめてくれない」


 その白い目を見るからして、どうやら私の掴みは桐嶋高雅の胸に刺さらなかったらしい。


「あれ? 先輩の真似したつもりなんですけど、どこかおかしかったですか?」


「へえ、僕の真似したつもりなの。八つ裂きにされたいのかい?」


 先輩と仲良くなるために自分なりに夜鍋を作って考えてきた案なのだけれど、当の本人には刺さるどころか予想にしないリアクションが返ってくる。

 その手には本ではなく、海賊が大きく振り上げそうな鋭い短刀(ダガー)が握られている。あれ? なんかまずい展開?


「ちょ、ちょっと冗談じゃないですかあ〜」


「覚悟はいい?」


「か、覚悟って……ひいぃ! ちょっと! 本気じゃないですかああああ!」


 仄かに彼から香る殺気に尻込みしたのも束の間、私の身体を掠めるように刃先の雨が繰り出される。この絶体絶命な状況を前に本能的にそれを避けるしかない。


 ひいいいっ! この男無駄に身のこなしが速えええっ! いつも座って本ばっか読んでるくせにいいいっ! 死ぬ! ほんとに死んじゃう!!!



「早く僕のために絶命しなよ」


「ふざけんなッ!!」


 こんなことのために死んでたまるか! と死ぬ気でもがいた結果、なんとか首の皮一枚が繋がった。とんでもない展開に寿命は確実に縮んだ気がする。



「君ごときを殺れないなんて、僕も腕が鈍ったようだ」


 人の寿命縮めといてふざけんな! とは思ったが、生き延びたばかりで心臓がもたないから今日のところは見逃しておいてやる。

 これは護身術のひとつでもやっておかないと、この先も生きていけないな。


「そのバカみたいな貴族の口調、どこの受け売りだい」


「おっかしいなあ。ベルバラを読んで復習してきたんだけどなあ……」


「……教材が間違ってるよ。それ」


 見下されながら、めちゃくちゃ冷静につっこまれた。

 バカの部屋にまともな教材が置いてあるはずもなく、母親の部屋にあったそれっぽい漫画を読んで勉強してきたんだけど、今回は裏目に出たようだ。もう二度と読まない。


 テーブルの陰に身を潜めて、未だにトラウマ から立ち直れないでいる私に、気にかける素振りもなく気を取り直した桐嶋高雅が問いかける。


「それで、今日も懲りずに何しに来たわけ」


 こんなことなら私も引き籠もってればよかったと文句を垂れるが、言ってても仕方ない。今日も懲りずに来た理由を、彼の前に差し出した紙袋に入れて渡した。

 中に入っているそれを見て、向こうは目を丸くしている。


「……これは」


「キャットフードに……猫ちゃんに似合うかと思って買ってみたんですよ。首輪も付けないなんて、野良猫に間違われますよ?」


 猫ちゃんのエサを買いに行ったついでにたまたま見つけた水色の首輪に、ワンポイントで三日月が付いているものだ。一目見て、あの白猫ちゃんに絶対似合うと思った。


「……どういうつもり?」


「先輩だけじゃ、お世話しきれないんじゃないかって不安なんですよ」


「大きなお世話だよ。こんなのいらない」


「先輩にはあげませんよ。ところで猫ちゃんはどこにいるんですか?」


 思えば、今日はまだあの猫の姿をまるっきり見ていない。いつもなら自分から鳴いて出て来てくれるのに、つくづくどうしたのかと心配に思い彼に尋ねた。


「さあ、知らないよ」


 と桐嶋高雅は答えるだけだった。いつもの自分の席に戻って本を読んでいる。薄情な飼い主だ。


「よく自分の意思で勝手にどこかへ行ってしまうからね。頭はいいこだから、心配はしていないけど」


 少し困った顔で、そんな小言を私にこぼす。飼い主なりに気ままな猫ちゃんに手を焼いているということか。


「そういうことだから、猫ならここにはいないよ。残念だったね。早くそれを持って帰るといい」


 ほら出た。何かと理由をつけて私をここから追い出そうとするやつぅ。

 こちらとてただでバカをやってきているわけじゃないことを証明して見せようじゃないか。


「またここには帰って来るんですよね。私、ここでお茶をご馳走になりながらゆっくりと待っていますから」


 にんまりと、語尾を強調してそう言えば、また相手からは睨まれる。さっきのあれでだいぶ耐性がついてきた。


「……図々しいよね」


「よく言われます」


「…………」


 桐嶋高雅がそれきり黙り込んでしまったので、図書室は無言の音が木霊している。

 彼が言う通り散歩にでも出かけているのか、見渡しても猫ちゃんの気配はない。暇だな。


「今日は何の本を読んでいるんですか?」


「……図書室では私語を慎みなよ」


「ちょっとくらいいいじゃないですか。ここには私達しかいないんだし」


 昨日とは違う本を読んでいるようだ。相変わらず背表紙のタイトルが読めない。


「君って屁理屈だけは立派だね。詐欺師か悪徳セールスにでもなればその生ごみみたいな頭も使い道がありそうだ」


「めちゃくちゃ悪口!!」


 ようやく話をする気になったと思ったら、ただ毒を吐かれただけだった。誰が詐欺師じゃ!

 その後はまったく相手にされなくなってしまったので、仕方なく猫ちゃんの帰りをおとなしく待つことにした。だって彼の手元にギラギラ光るものが見えて迂闊に話しかけられないんだもの。


 ぼーっと待つことにしたけど暇だ。暇すぎる。このまま座っていても布団に籠もっているのと変わらないんじゃないか。

 重い腰を上げて、暇潰しになることを探しに広い図書室をぶらぶら歩くことにした。これだけ広いならちょっと散歩するだけでも暇潰しになりそうだ。

 2階まである図書室なんて今までの人生で初めて見た。やっぱり小中とは比べ物にならない。2階の壁面にまでずらりと本が並び、眩暈を起こしそうになる。

 天気がいい日には、吹き抜けの窓から陽光が刺したり、ステンドグラスの淡い光がキラキラと反射する。高い天井を見上げながら、その迫力に圧倒されてしまった。

 こんな世界もあるんだと、世の中をあまり知ろうともしなかった私には、とてもスケールの壮大な景色に見えた。こんなに居心地がいいなら、桐嶋高雅がここに籠りたくなる気持ちが少しはわかるかもしれない。


 図書室の中をぐるっと一周しながら、私は目を凝らしてある本棚の前で立ち止まった。

 自慢じゃないが本を読まない分、視力は結構いい方だ。だから高い位置にある本をじっと凝視して、それを確信すると、自分より背の高い本棚に手を伸ばそうと近くの脚立を持ってくる。これならギリギリ届きそうだ。あんまり昇ったことがないから不安だったけど、最後まで昇りきってなんとか本に手が届いた。

 本を手に取って嬉しくなっていると、油断した足元からガシャンと脚が折れる音とともに脚立が崩れる。その異変に頭が追いついた頃には、身体が空中に投げ出されていた。


 あ、落ちる。ともうすぐ身体が床に叩きつけられるところで、グッと覚悟を決めて目を閉じる。これはただでは助からないと思って、本を抱きしめて受け身の体制をとった。

 高い場所から勢いよく落ちているはずだったのに、温かいものに身体を受け止められた。受け止められたときの衝撃で思わず「痛っ」と漏れる。




「何やってるの」


 頭の上から桐嶋高雅の声がしたような気がする。猫のように丸まりながら恐る恐る目を開くと、やっぱり私の顔を覗き込む先輩の顔がそこにある。



「…………ふぇ?」


「またそれかい。君は何度僕に迷惑をかけたら気が済むの」


 あれれ〜。そんなに迷惑をかけた覚えがないんだけどなあ〜。

 まあだけど、この時ばかりは彼に多大な迷惑をかけていたかもしれない。床には脚が折れた脚立が倒れている。ということは……私の身体は何に支えられているんだ?


「君、ちゃんと聞いてるの? いつまで甘えてるつもりだい。落とすよ」


 間近に見る桐嶋高雅の顔が綺麗すぎて、ガン見したまま止まってしまった。じゃなくて、このままだと振り落とされる。

 どうやら私は桐嶋高雅に抱きとめられたらしい。そう、つまりは「お姫様抱っこ」。少女漫画によくある鼻血ものだ。しかし桐嶋高雅相手になると流血ものだ。


「おお落とすのはやめてください! ててていうかここここの状況って……」


 自分の状況を改めて自覚すると、パニックで呂律が上手く回らない。あんたはなんでそんなに涼しい顔ができるんだ!?


「助けてあげたのに、何その態度。ムカつくね」


「いやいやいやいやだってこれ……とととにかく早く下ろしてくださいよ!」


「君、生意気だよ。そうだね、そんなに嫌がってくれるのなら、むしろ下ろさないであげよう」


「〜〜〜〜ッ!!」



 あ、悪魔だ! いや、魔王だ! 魔王級の不敵な笑みでこっちを見下ろしている。本気で私を下ろさないまま戻ろうとしてるし! しかも意地の悪い顔もちょっとカッコいいからムカつく!!


「ミャア〜〜」


 そこに今まで姿を見せなかった白猫が、いつの間にか彼の足元に付いていた。白猫ちゃん、この飼い主どうにかして〜!

 ちょうど下を向いたときに、手に持っていたはずの本が床に滑り落ちる。それを見て、私も彼も動きが止まる。


「……本?」


 あっ……と気づいた頃には、彼に本の表紙を見られてしまった。ああああっ。


「君が本に興味を示すなんて……」


「ほ、本くらい読みますわ!」


 じとりと訝しげな目で見られ、思わず反発してしまった。本当は小学生以来まともに読んだことがない。


「そうか。こんな本のために、君はあんな無茶をしたのかい」


 ぐぬぬ。何も言えない。黙り込んだ私を見て、彼は呆れた声をこぼした。


「……あの脚立、だいぶ古くなっていたから使用禁止にしてあったんだよ。まさか君が本を取るとは思わなかったから、少し驚いたな。そんなに僕の読むものが気になったのかい?」


 少し苦味を含んだ笑みをこぼして、彼が私に問いかける。バレてしまった。抱っこされたままだと尚恥ずかしくて声が出ない。


 向こうで白猫が引っ掻き回している『カーメル・フォスト考案の古細菌の生育及び生物学的用法の可能性』のことだ。

 少しでも彼との接点を作れたらと思って手に取っただけなのに、こんなことになるなんて……。


「い、いつまで抱っこしてるんですか!」


「さあ……君って意外に天邪鬼だね。あの老いぼれとは似てないな」


 悪戯っ子のようにくつりと笑って、私を下ろす気配はまったくないようだ。心なしか私の反応を楽しんでいる……?

 ふと立ち止まったと思うと、ようやく私を下ろす気になったわけでもなく、後ろの猫に向かって声をかける。


「あ、悪いけどそれ、こっちに持ってきてくれる? 僕は今両手が塞がっているから」


「私を下ろしてくれたらいいじゃないですか」


「嫌だよ。君の面白い反応が見れなくなるのは惜しいからね」


 お前やっぱり人の反応見て楽しんでるだろ!! こっちの心臓が持たないわ!!

 足をジタバタしたけど逃げられるはずもなく、目で落とすぞと脅迫までされてしまった。おとなしくするしかない。しかも、暴れた反動でバランスを崩しかけ、思わず彼の胸に自分から掴まりにいってしまった。ちょっといい匂いがする。

 

「……大胆なんだね」


「だあぁぁッ! 違っ、その、びっくりして……!」


 やってしまった。また彼のおもちゃにされてしまった屈辱に耳が赤くなる。どうせまた面白おかしく私の反応をからかうんでしょう。もう動かないんだから。


 主導権をあっさりと持っていかれ、泣く泣く彼に抱きかかえられた状態でどこかへと連れて行かれるようだ。


「君が言ったんでしょ。お茶をご馳走になるって。生憎と一人じゃ飲みきれない量の茶葉が余ってるから、特別だよ」


 いつもの淡々とした口調で、桐嶋高雅が言った。

 じゃあ、私をたまたま助けてくれたのも、探してくれてたのかな? なんてね。偶然だよね。


 でも、少しずつ彼との距離が縮まったような気がして、私はおとなしく彼のエスコートに甘えることにしたのだった。



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