魔法使いがいなくても
足音が止まる。
「君には、関係ない。もういいだろ。くだらない」
そう言って初めてこちらを見た桐嶋高雅は、また最初の頃と同じ冷たい顔つきに戻っていた。
「興味本位で僕に近づいたのならやめた方がいい。後悔するよ」
辛辣な言葉だ。またそうやって振り出しに戻される。あなたとの距離が掴めない。
「どうしてそうやって、人を遠ざけるんですか。初めは怖くて何を考えてるかわかんなかったですよ。それでも話してみたら先輩のことちょっとは理解できました」
甘いものが好き、猫が好き、本が好き……少しの時間の中であなたのこといっぱい知ることができた。
「いいところもたくさん見つけましたよ。紅茶を淹れるのが上手なところ、口は悪いけど私を送ってくれるところ、動物に優しいところ……もっと仲良くなりたいんです」
そのためには、もっとあなたのことを知りたい。ただそれだけ。
その冷たい眼差しに、この思いは届いているだろうか。
「……そんなことは、すぐに忘れるよ」
私から目を逸らした桐嶋高雅が、吐き捨てる。その顔は苦しそうに自分を押し殺しているようで、あなたの不器用さを物語っている。
「私も、高校に落ちて自分の部屋に引き籠もっていたんです。自分だけできないことが人よりたくさんあって嫌になりました。けど、おじいちゃんが無理やりここに連れてきて、先輩と引き合わせてくれたから、これも何かの縁だと思うんです」
自分の殻に閉じ籠るだけじゃダメなんだと、動き出すことの大切さをあの人は教えてくれたのかな。今度は私が、彼を図書室の檻から引っ張ってあげたいと思う。
時間はかかってしまうかもしれないけど、ゆっくりその氷を溶かしていきたいな……なんて。
「あの老いぼれの孫だけはあるようだね」
「……ふえ?」
突然そんなことを呟くと、彼はまた私に構わず歩き出してしまった。やばい。バカが熱く語りすぎてもう相手にもされなくなってしまったかな。
そして再び彼の後ろをついて行くことになり、エントランスに着くまで特にこれといって会話もなかった。
ようやく学校の複雑な迷路を抜けられた喜びを噛み締めていると、こちらをじっと見つめる桐嶋高雅に気づいてしまった。まじまじと見られるとそれはそれで怖い。
「な、なんですか?」
「猫、返して」
あ、猫ちゃんか。私を見ているわけじゃなかったのね。別に期待なんかしてないけど。
私の腕からするりと離れた白猫が、飼い主のもとへすり寄っていく。猫とツーショットも絵になるなあ、とか考えていると桐嶋高雅と目が合った。向こうから目線を合わせてくる。
「ねえ、僕からも聞いていい?」
「へ?」
ここに来て一体何かと期待と不安の入り混じる感情で、桐嶋高雅からの予測不能な質問に身構える。
「自由に魔法を使えたら、君はどうする?」
「……はい?」
あの桐嶋高雅から想像しないメルヘンな話が飛び出した。聞き間違いじゃないだろうか? 本の読みすぎ?
いやでもまあここは真面目に答えておく方が間違いはないはず。
「そりゃあ……ホウキに乗って空を飛んだり、テストの答えなんかもわかっちゃいますね。いいなあ」
「……やっぱりバカだね」
真面目に考えたつもりだけど、私の答えはどうやら彼が望んだものとは違ったらしい。まあ、バカに期待する方がどうかと思うけどね。
「でも……魔法は使えなくても、先輩といっぱいおしゃべりできてとてもハッピーですよ」
ここでお別れだとしても、昨日より先輩との距離が少しは縮まったんじゃないかな。彼が淹れてくれた温まる紅茶の味がふと恋しくなる。
「……魔法も死神も、いたんだよ」
見送ってもらったお礼だけを言おうとしたら、去り際に桐嶋高雅は何かを言い残した。一瞬のことで聞き逃してしまった私は、白猫を連れて遠ざかる彼の背中を眺めることしかできなかった。
魔法……そんなものがこの世にあるなら、私は……。