花嵐
図書室解放の真っ只中。
彼らが去ったあとの高雅さんはやけに眉間を顰めて、スバルさんたちがいなくなった扉の先を見つめていた。何か引っかかることでもあったのかな?
「彼は……」
「どうかしたんですか。高雅さん、今日はいつにも増して機嫌が悪そうですね」
彼がだんまりなこの場の空気に耐えられず、私から声をかけてみた。黒檀色の瞳が視線をこちらへ移す。
あ、しまった。今彼と顔を合わせるのはとても気まずい。彼に何かとても大事なことを言うべきなんだけど、緊張でそれどころじゃなくなってしまう。
「な、なんですか」
「……彼とはどこで会ったんだい」
ああ、スバルさんのことかな。生徒会長の弟なら、以前に高雅さんと面識があったりして。
この間の出来事を掻い摘んで高雅さんに話しておいたけど、ハーブティーをもらったことを思い出すとスバルさんたちに申し訳ないことをしてしまったと改めて思う。
「あのハーブティーも、スバルさんが仲直りのためにって分けてくれたんですよ。なのに高雅さんがあんなつっけんどんな態度取っちゃうから……スバルさん、怒ってるかなあ……」
「……ハーブ」
私の話を聞いても、高雅さんは口に手を当てて考え事に忙しいようだ。人の話を聞いていたのかも怪しい。
その迷惑をかけた本人がうんともすんとも言わないんだから、本当に困ったものだ。
「あの、私もう一度スバルさんに謝ってきます。高雅さんの分もしっかり謝っておきますから!」
「……待ちなよ。桃香」
彼からは咄嗟に引き止められたけど、私はその声を無視して廊下に飛び出していく。
スバルさんたちを追いかけるけど、その本心はまだ彼と正面から向き合えなかったから。あの場所が居づらくて逃げてきてしまったんだ。
こんなはずじゃなかったのに……それに高雅さんもいつもの調子じゃないみたいだし、もうなんか……。
「――いい加減にしてよ!」
びくりと肩が震えた。今の自分が吐き出したい感情とリンクして、その声がした方向へ近づいていく。
少し先の廊下で、ふたつの影が向かい合っていた。そして息を切らした生徒会長と、困惑した表情のスバルさんが不穏な空気を漂わせていた。
彼らの間に何があったのかはわからないけど、これは割り込んでいける空気じゃないな……。
バカでもさすがに空気は読める……のだけど、一本道の廊下には咄嗟に身を隠す場所もなく、呆然と立っているところを見られては他に為す術もない。
「あれ、桃香。偶然だね。こんなところで会うなんて」
「スバルさん……」
こちらの気配に気づいたスバルさんが、あっけらかんとした反応を見せる。こんなタイミングだったから、気を遣ってくれたのかもしれない。涼しげな目元は微笑みを浮かべて、柔らかな言葉を紡いだ。
「ああ、恥ずかしいところを見られちゃった。ごめんね。よくあることなんだ」
「っ……」
あまり顔色を曇らせることがないスバルさんが指通りの良さそうな髪をさらりと靡いて肩を竦める。
その隣で生徒会長は、感情的になる自分を押し殺すように長い髪で表情を遮る。殆ど面識がない生徒にこんな場面を見られて虫の居所が悪いのだろうと、バカなりに察したのだ。以前の高雅さんの反抗ぶりを見る限り、生徒会長も色々大変なんだろうな。
「……あなた。この間彼と一緒にいた……」
「は、はい。藤澤桃香です。あの、高雅さんがご迷惑をおかけして本当にごめんなさい。今までのことは高雅さんも本心で言ってるんじゃなくて、なんていうかナチュラルに口が悪いというか……」
「あなたに言われなくてもわかってるわ。情けなんかかけてもらわなくて結構よ」
百合の花のような気高さを纏った彼女が、予想外につっけんどんな態度で返してくれるものだから、思わず言葉が詰まった。あれ、なんか思ってたイメージと違う。
「もう行くわよ。スバル」
強引にスバルさんの腕を引っ張って、こちらを気にかける素振りもなく生徒会長が先を急ぐ。
ここ数日でコロコロと変わる彼女の印象に言葉が見つからない私に、スバルさんがにこやかにまたねと手を振ってくれることが救いだった。石化が解けた頃には、隙間風が通り抜ける廊下にぽつんと取り残された。
……帰ろ。別に落ち込んでないもん。
引き返すときより重くなった足を引き摺って図書室へ戻る。さっきより人混みが増した室内を見て、はたと違和感に気づく。
「あれ、高雅さん?」
図書室の賑わいは相変わらずだ。
けれどそこに鬱憤を晴らせず生徒達の群れを睨みつける彼の姿が見当たらない。
いつものカウンターにも、お気に入りの窓際の席にも、勉強に使うテーブルにも、あと一応机の下も探したけど……どこにも彼の姿はない。
ま、まさか日頃の罰が当たって悪の組織に攫われたとか……?
「高雅なら、さっきふらっと図書室を出ていったな」
近くにいた白馬先生が、心のボケを読んだかのようなタイミングで言った。はあ、こんなときに高雅さんまでいなくなるなんて……。
「てっきりお前を探しに行ったのかと思っていたが違ったのか。あいつどこ行ったんだよ」
「……手分けして探しますか?」
「放っておけ。図書室が今日はこの感じじゃ、あいつもおちおち本は読めないだろう。学内のどこほっつき歩いてんだか」
手を煩わせる生徒に悩まされて整えたヘアセットをガシガシと崩された白馬先生は、その後も他の生徒の手を焼くのに忙しい様子だった。あの様子じゃ栗谷先生とも進展はなかったんだな。
白馬先生があの様子なら、私が彼を探しに行くしかないのだろうか。ああは言ってたけれど、やっぱり少し心配ではあった。スバルさんへのあの態度も気になるし……やっぱり最近の高雅さんはよくわからない。
それに他に何か大事なことがあったんだけど、もう少しのところで思い出せないんだなこれが。ひとまずあの不機嫌ヤローを探しに行きますか。
「ミャ~」
「あ、ココ。ねえ、君のご主人の行き先知ってたりしないかな?」
ちょうど図書室を出るところに、飴玉のようなくりくりとした瞳で見つめるココがいた。
「ミャア~」
まるで「ついて来い」と指揮するようにひとつ鳴いてから、人で溢れる図書室を飛び出していく。
なんだかこんなこと前にもあったよなあ。
懐かしい香りを感じながら、誰よりも本を愛する彼の行方を追うために再び白猫を追いかけていった。