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図書室の番人のご機嫌取りは命懸けと落ちこぼれお嬢様は嘆く  作者: 綾月いと
スノードロップと乙女心は波瀾の6月
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彼の機嫌が悪い理由


「突然で悪いんだが、来月の本試験を落とすことがあればお前さんを退学にしようと思う」



 さて気後れはするがこの日も図書室に足を運ぼうかとエントランスを潜ったところ、例のごとくボランティア委員会に拉致られた。ちょっと懐かしいなあ、この感じ。


 しみじみと思うことではない。

 朝から通学する生徒達の目に晒されながら、おじいちゃんのもとに向かうこの様はとても屈辱だ。

 こちとら花も恥じらう乙女だぞ。文句のひとつでも言ってやろうと、おじいちゃんと対面してからの展開がこれだ。


「ええええっ!?」


「すまんな」


「聞いてないよ!」


「言ってなかったもん」


 恥じらう乙女の口調でおじいちゃんが言った。

 そっかあ、言ってないなら仕方ないなあ……じゃなくて。

 怒涛のグランプリが終わって間もないというのに、今度は突然の退学フラグ。なんて日だ。


「うちはこれでも一応名のある進学校だからな。落ちこぼれの可愛い孫とはいえ、何のノルマもなくここにいさせるのは他の生徒にも面目が立たない。すまんな、桃香」


 そうか……いや、そうかもしれないけど、それにしてもだよ。そんな平謝りで済まされるとは、あなたの孫も思わなかったよ。

 春から巣籠りする予定だった奴を無理やり引っ張り出しておいて、この仕打ち。なんたって相手が溺愛されてきたと自負するおじいちゃんだ。奈落の底へ突き落されたショックだった。


 だけどおじいちゃんが言うことも最もで……こんなエリートの学び舎に落ちこぼれの端くれがのこのこ来ていいところじゃない。その壁があるから、私も最初は嫌だったし。


「逆に考えるんだよ。桃香。この試験に受かればお前も晴れて落ちこぼれ卒業だ。そのために高雅がお前の面倒を見ているだろう」


「何とかなるって……」


 図書室の彼らとの生活には慣れてきたけれど、グランプリからしばらく経ってもあの人と顔を合わせるのに引け目を感じている自分がいる。


「なんだ。浮かない顔をして……高雅と何かあったのか」


 まだ何も言っていないのに、理事長の観察眼か、はたまた挙動が明らかに怪しかったのか、図星を的確に突かれてしまった。彼の名前が出るだけで動揺がバレるんだからこれ以上は耳を塞ぎたい。


「や、やってやるわよ。試験でも手裏剣でも楽勝なんだから、落ちこぼれの底意地舐めんな!」


「落ちこぼれは否定せんのだな……」


 ——とかなんとか言ったものの、数日前の一件がまだわだかまっており、この頃は彼との距離感がイマイチ掴めなくなっていた。


 目に見えない距離をはかるなんて、計算がろくにできないこの頭じゃ壊滅的だ。

 図書室の彼と向き合うタイミングが結局掴めないまま、いつもの場所に向かうこの足は重い。




 ――のだが、この日の図書室の様子は少し違っていた。

 普段と変わりない図書室の扉を慣れた手つきでサッとスライドする。あまり余計な物音を立てないのがポイントだ。ガタガタ音を立てればあの図書の番人から槍の雨が飛んでくる。

 けれどこの日の図書室は、数多の雑音と、室内を縦横無尽に行き交う生徒の姿があちこちに見られた。


 え? ここ図書室? だよね?

 何度も何度も確認したけど、教室のプレートも内装も、見慣れた図書室のものだった。春から通い詰めてるんだから間違えるはずないもの。


 春から一度も見たことがなかった光景を目の当たりにして鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。

 いや本来の図書室はこれが正解なんだろうけど。まだ夢でも見ているんだろうか。


 ここの番人を名乗る人がこの有様をどう思っているのかが、非常に気になるところだ。

 そうやって未だに入口の前で立ち尽くしていると、横から不意にお声がかかる。



「よお! グランプリお疲れ様さん」


「あ、白馬先生」


 なんとそこに登場したのが白馬先生だ。

 グランプリが明けてすっかり姿を見せないから、久しぶりに見た底抜けに元気な姿にはつられて顔も緩んでしまう。笑顔が相変わらず人たらしだ。


「あの……これは夢ですか?」


「おいおい、寝ぼけてんのか? しっかり現実のことだぜ。あのじゃじゃ馬問題児が日頃ここを占拠して、一般の生徒が迂闊に近寄れねえだろ。だから学期ごとに不定期にこうした開放日を設けてるんだ。毎度あいつの機嫌と相談するのが一苦労だがな」


 事前にスケジュールは立てるそうだけど、彼との打ち合わせには一苦労だというのはこの頭にも想像に難くない。彼の腕にまだ新しい生傷があるのがすべてを物語っている。アーメン。



 そして白馬先生に促されて視線を変えると、カウンターの椅子で虫の居所が悪そうな彼がいた。あそこだけ明らかに人が寄りつかない。稀に受付をしようと近づいた生徒には呪い殺す勢いでガンを飛ばしている。


 ああ、ダメだこりゃ。だけどこの有様じゃ何のために図書室を開放したことになるのか。隣にいる白馬先生も同じことを考えているんだろう。二人で溜息をこぼした。



「ねえ、図書室では静かに」


「まあまあ、いいじゃねえか。今日だけだから穏便にしてやれって」


「あなたは黙ってて。僕のテリトリーなんだけど」


「そもそもお前が勝手に占拠してるんだけどな」


 あーもう。来てこれか。

 機嫌が悪い彼は普段よりめんどくさいな。


 どうして白馬先生が今日は彼に付きっきりなのかも納得できる。

 彼を放っていたら図書室が無法地帯になりかねない。監視役の一人は必要だ。そして彼の唯一の対抗馬が顧問の白馬先生なんだろう。あの人も大変だなあ。



「あら、藤澤さん」


「……栗谷先生も、本を借りに来たんですか?」


 しれっと担任の栗谷先生が顔を出すものだから、また課題の山でも持ってきたのかと一応は身構えておく。いざという時は全力で逃げられるように。


「そうですね。せっかくの図書室の開放日ですし、少し様子を見に……それに見逃せないイベントもありますしね」


「イベント?」


 そう言いながら、栗谷先生の視線の先は、カウンターで一悶着真っ只中の彼らに釘付けだ。


「たかが顧問のくせに、いちいちあなたは横から煩いんだよ。こうなればあなたが捌け口になってくれるんだね」


「たかがじゃねえだろうが。こちとら余計な始末書書かされねえようにお前を監視に来てんだ」


 あっちはあっちでデッドヒートしている。

 まあいつものことなので放っておこうっと。白馬先生ならきっとなんとかなるでしょ。知らんけど。



「はあ……白馬先生の目を惹く華のあるビジュアルもさることながら、桐嶋君の黒髪美少年属性が絶妙にマリアージュしていますね」


「……栗谷先生?」


 冷めた目を向ける私とは対照に、栗谷先生の彼らの会話を見守る眼差しは恍惚としている。


「あの二人は一体どんな会話をしているのかと思うと、遠くから眺めていて妄想が捗りますわ。素直じゃない愛生徒と、ちょっぴり強引で過保護な教師の禁断の愛なんて……歯痒くて悶えてしまいます」


「戻って来てください栗谷先生!」


 まさか栗谷先生、そっちの毛ですか。

 ちょっと何言ってるかわかんないんですけど。


 マドンナの思わぬ性癖暴露に、この世の闇の片鱗を見てしまった気がする。それとあまり巻き込まれたくはないので、そそくさと彼らから距離を置くように本棚の方へ逃げた。他人のふり他人のふり。



 異様な図書室の人混みに紛れて、ひとまずは高い本棚の一角まで逃げ込んだ。来たばかりなのに疲れるな。

 栗谷先生の新たな一面にも衝撃だったけど、数日前に彼と本音でぶつかり合って一時は和解したとはいえ、素直に気持ちの切り替えができるほど器用ではなく……。


 最近の彼は、少しおかしい。そんなに小馬鹿にされたのが気に食わなかったのか……。

 なんてうんうんと考え事に集中していたら、本物のバカは背後から近寄る気配に気づかなかった。



「やあ、また会ったね」


「スバルさん!」


 涼やかな声に振り返ると、穏やかに微笑んでいるスバルさんだった。


「その後の彼とはどうだい?」


「スバルさんのおかげで、高雅さんとも折り合いをつけることができました。本当にありがとうございました!」


「そう。それならお節介をかけた甲斐があるね。でも、顔色はまだ浮かないようだ」


 その人の微笑みには、この胸にわだかまる思いを見透かされているようだ。

 そんなにわかりやすいものかと小っ恥ずかしくなった。



「僕でよければ、また話を聞いてあげるから。いつでもおいで」


 囁くようにスバルさんがそう言ってくれて、不器用なあの人とは何もかもが正反対で優しい人だ。

 あの人の心がもう少し物分かりがよければいいのになあ、なんてバカにはないものねだりなのかな。

 あのキスはただの気まぐれ? あれは彼なりの悪戯心というの? でもあの桐嶋高雅がこんなバカをあそこまでからかうものか……?


 きっと答えを教えてくれるのは、彼だけだ。

 でも、そんな勇気がまだなくて、つい紳士の甘い蜜のような言葉に誘われてしまいそうになる……。


 思考に耽っていたら、スバルさんとの間に風のような何かが掠めた。そして最寄りの本棚に向かって、鈍い音とともにそれがパサッと床に落ちる。



「――誰。君」


 そこには紛うことなき豪速の英和辞典を投げた当人である高雅さんがいた。

 さっきまで白馬先生とやいのやいのと話が弾んでいたはずなんだけど、どうやってここを嗅ぎつけたのだろう。


 手荒い挨拶の仕方といい、やっぱり今日の彼は一段と機嫌が悪そうだ。


「そこの小動物に何か用」


「高雅さん?」


 小動物とはなんだと物申したいところだが、グッと堪える。下手に触れると感電しそうなピリピリした空気だ。


 先日の件も気持ちの整理がつかないし……まあ猿よりはマシか……。



「はじめまして。先輩。随分なご挨拶ですね。あなたの許可がなければ二人で話すことも許されないのでしょうか?」


「そこのバカは僕が指導してるから、余計な入れ知恵をされたくはないね」


「へえ、そうですか。先輩って束縛系なんですね」


「そういう君は、人の所有物に手を出したがりな姑息な奴だね」


 ……え、何この殺伐とした空気は。

 予期せぬ展開だ。高雅さんはまだしも、スバルさんまで彼の挑発に乗るなんて。どことなく真っ白な微笑が怖い。



「おまっ、高雅! 俺の手持ちの辞書を無断でパクっといて急にどっかに行きやがって! まだ話は終わってねえだろ!」


「あなたまだいたの。邪魔だから引っ込んでなよ」


「お前がおとなしくしてくれたら世話ねえんだよ!」


 ああ、いつもの白馬先生のおかげでこのぴりついた空気もある意味浄化された。

 けれどまた別の揉め事が勃発してるし、こいつら飽きないのか。こっちはもう止める気にもならない。



「スバル!」


 そこにまったく予想にしなかった声が、この辺りに反響する。修羅場と化していたこの場には、厳粛な彼女の涼音がある意味いい抑制剤となってくれた。



「やあ、雪乃」


「あなたはまた、何も言わずに勝手にこんなところまで……」


「せっかくの図書室の開放日だから、遊びに来ただけだよ。姉さん。でもまあ挨拶も済ませたし、彼らとゆっくり話をするのはまたの機会にしようか」


 荒れに荒れた会議以来、会うのは二度目になるけど、こちらへ駆け寄る姿も靡く髪も百合の花のように綺麗だ。

 生徒会長の姿を憧れに近い眼差しで目で追っていた。


 そんな雪乃さんに小言を言われて肩を竦めるスバルさんは、去り際にもう一度こちらに視線を送る。

 高雅さんを一瞥して、それから私へと親しげな眼差しをくれる。



「またね。桃香」


 双子の姉弟という彼女と、よく似たブルーの目をスッと細めて彼は手を振った。

 二人で連れ添って図書室を後にする背中を見送る傍ら、私の隣では番人が鋭い剣幕で彼らを睨みつけている。


 あの姉弟と高雅さんの相性は最悪だと、早々に察したのは言うまでもない。

 途中で放ったらかしにされた白馬先生が勝手に拗ねてたのは言うまでもない。この人も結構めんどくさいな。



お久しぶりです。少し加筆修正をして再投稿しました。

全体の構成がようやく固まってきたので、またぼちぼち更新していきます。

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