紅茶の香りを届けに
先週は慌ただしくて音沙汰なく。
9月までは更新が不安定になるやも。
スバルさんの一押しもあり、翌日になるとさっそく通い詰めた本の魔境へ足を赴く。
正直、怖くないと言ったら嘘になります。
でも逃げるばかりではいけないと、愛読書の彼もきっと助言してくれると思うのです。だから桃香は勇気を出して行くのです。
梅雨入りの空は、相変わらず浮かない顔をしている。
分けてもらったハーブも持ってなんとか彼と仲直りをしたいけど、彼との今後の展開を映し出しているようで一抹の不安はある。考えすぎかもしれないけど。
最悪機嫌が直らないあの人から二度と来んなって閉め出されることも想定してあるから、こっちも気分が晴れない。開けるのが怖いよう。
でもこのままアクションを起こさないことには進まないので、恐る恐る扉を叩いて、ホラーハウスに忍び込むように中の様子を窺う。心臓はそれ以上に緊張している。
いつもの静かな図書室……と思ったら、ヒソヒソと話し声が聞こえる。ちょっと肩が跳ねたじゃん。
こんなところに先客が? と疑問に思ったけど、白馬先生かな?
グランプリが終わってから、最近はあんまり顔を見ていないかも。
白馬先生もいるなら心強いかと気楽に考えて、迷いなく声の方に向かう。
そっと近づいていくと会話も聞こえてくるけど、結構話し込んでいる感じだ。でもそのお相手は白馬先生ではないらしい。
耳を澄ませると、高雅さんの声と、もうひとつは少年らしき声がする。
はて、誰だろう? と首を傾げて本棚の死角からもう少し近づこうとすると、別の気配がこちらに向かってくる。
「ミャア」
こちらへ飛び出してきたのはココだった。
何とか受け止めることはできたけど、それと同時にあっちに盗み聞きがバレることは避けられないようだ。
こちらを振り返る高雅さんと、話し相手の男の子が面食らった顔でココを抱き寄せる私を見ている。
「あ」
「……そこで何してるの」
違う。こんなこんにちはの仕方じゃなかったはずなんだ。そんなバカを見るような目で見ないでぇ。
「あのぉ、旦那。こっちも次の配達があるんで、そっちより先に済ませちゃっていいスか?」
頭を掻いて横から会話に割り込んできたのは、少年の声だ。
赤茶色の髪に、松葉色の制服のような格好をしている。話し方がちょっとチャラい。見慣れないその人の格好と顔に、しばし凝視してしまう。
しばらく凝視した後に、ハッと顔色を変えるとおもむろに高雅さんの方に詰め寄った。
「こ、高雅さん、野蛮が過ぎてついに警察のお世話になっちゃったんですか!?」
「……バカは少し黙っててくれる」
「アハハハ! マジで面白いッスねえ、この娘。噂に聞いてたより頭のネジがぶっ飛んでますよ」
常日頃高雅さんに罵詈雑言を受けてきたけど、まさか初対面の男の子にまでバカにされるとは思わなかった。今ので相当メンタルやられた。
「いやぁ、旦那がぼやいてた通りのちんちくりんで、なんかからかい甲斐のありそうな娘ッスねぇ」
「な、なんなんですかあなた! いきなり失礼じゃないですか! あとちんちくりんじゃないです!」
言われっ放しじゃいかんと強気に言い返したら、相手は意に介した様子もなくこれまたヘラヘラしている。だからちんちくりんじゃないもん! そんなに背格好変わらないじゃんか!
初対面を相手に振り回されていると、見かねたここの主が彼のおふざけを制してくれた。
「リーオ、その辺にしときなよ。彼女バカだから」
「あ、怒んないでくださいよ。旦那。自分も穏便に仕事済ませたいだけッスから」
「ちょっと! なんなんですかこの人! 高雅さんの知り合いはどうなってるんですか!」
高雅さんの制止も全然フォローにはなってないけど、ひとまず気に食わない彼との距離は保てた。
リーオというらしき小生意気な男の子は、「穏便に」と口では言いながら、悪戯っ子のようなニタニタした軽い笑みを絶やさない。サーカスのピエロみたいな感じ。
「あんまりふざけてると、君も穏便に仕事ができなくなるよ」
「ちょ、それは勘弁したいッスよ旦那。別に旦那の獲物を取って食っちゃおうとか微塵も思ってないんで!」
あたふたとしている様は少しスッキリした。
何やら火に油を注いだのか、高雅さんに凄い眼つきで睨まれてるけど。この人もよくわからん。
「いい加減誰なんですか。そこのふざけた人!」
「……頭のおかしい配達員だよ」
「いやぁ、間違いない」
「自分で否定しないんですね」
こっちがちょっとびっくりだよ。あっさり受け入れるんだそこ。飄々とした態度にこっちが気後れする。
「まあ、自分はこう見えて一端の配達員やってるんですわ。ここには定期的に旦那にお茶っ葉をお届けにお邪魔してるって感じッス。にしても噂のお猿さんとお会いできて光栄ッスねぇ」
「だから誰が猿じゃ!」
一体どんな話を吹き込んでるんですかあなたは! と対面にいる高雅さんをじと目で見据える。また目を逸らされたけど。おいこら。
「そうやっていちいち反応されるとまたちょっかいかけたくなっちゃうじゃないスか。俺結構可愛い娘は虐めたくなるタイプなんすよ」
「君の自己紹介はもう十分だろ。僕のテリトリーで暴れるようなら、君の仕事がひとつ減ることになるけど。あとそこのバカを虐めていいのは僕だけだから」
「あ、ちょっと旦那」
リーオさんの言葉を遮り、そのまま彼を本の世界へと強制送還する。
白い光がやがて消えると、図書室にはいつもの静寂が流れていた。ようやく嵐が去ったのに、気持ちは穏やかじゃない。
なんとなく、彼の手にある焦茶色の包みに目を配る。
「あの……いつも飲んでる紅茶、向こうの世界から取り寄せていたんですね」
「まあね。消耗品はこっちにある現物と等価交換が可能みたいだから。あれはあれで仕事はできるようだから、時期によって旬の茶葉を届けてくれるんだよ」
淡々と説明されるけど、ぼんくらにはピンと来ていない。いや、引っかかるのはそこじゃない。
「それで」
「はい?」
「また何しに来たの」
そう、それだ。まさか高雅さんの方から切り出されるとは迂闊だった。腕の中にいるココをお守りのように抱きしめたまま、彼に返す言葉に詰まる。
「えと、来ちゃダメでしたか?」
「別に……人の顔も見たくないって出てったのはそっちだけど」
「あ……」
だって昨日の今日だ。あれだけ大口を叩いて自分から出て行ったのに、戻って来るのが早すぎるというのが彼の言い分だろう。
それは何というかその、話し合うこともやっぱり大事かなってバカもひとつ学んだのですよ。
本当は昨日のスバルさんの応援のおかげなんだけどさ。あれがなければ今でもグレて部屋でヒモ騎士を読んでるかもしれない。
「――悪かったよ」
水溜りに落ちる雨粒の一滴のように、こぼれ落ちる。
「ふえ?」
「君が怒るのも無理はないよ。あれは少し言い過ぎたからね。だから……」
気合を入れて和解しようと意気込んで来たけど、まさか彼の方から謝ってくれるなんて思わなかったから、腕の中のココも落としそうになった。
「こ、高雅さんも人の子なんですね……!」
「それはどういう意味なんだい」
あ、しまった。つい本音が。
でもこれは感激してるんですよ! と慌てて彼の機嫌を損ねないようにフォローを入れる。嬉しかったのは本当だし。
「あの、実は私も少し言い過ぎたと思って……だからこれで仲直りできたらいいなって持って来たんです」
ココを落とさないように、小さなトートバッグに入れてきたカモミールの茶葉を彼に受け取ってもらえるように差し出した。
「へえ、君にしてはいい趣味しているね」
「それはどういう意味ですか」
「さっきの仕返しだよ。まあこれでおあいこにしてあげてもいい」
いや、なんであなたがちょっと上から目線なんですか。結局いつもの高雅さんのペースに振り回されてる。
「でもまあ、高雅さん相手にちょっと本気にした自分がバカでしたよ。高雅さんって加減とか冗談とか通じなさそうだし」
「……」
暇さえあれば本を漁る彼のことだ。バカの思考を推し量るのはおろか、乙女心なんて彼の辞書にはないのだろう。
そこはもうムキになっても仕方ないと思うことにした。所詮は舞台の演出だからなあ。
そうやってゴタゴタも明るく笑い飛ばそうとバカなりの広い心を見せたのだけど、高雅さんの顔色はどこか晴れない。
「そういう君は、本当に鈍いんだね」
その人の呆れたような声が、そばまで聞こえる。
息遣いさえ感じる距離へこの腕を引っ張られ、彼の瞳に吸い込まれるようにこの足は一歩近づく。
何の警戒もなく緩んでいたほっぺたに、彼が触れるだけのキスを落とす。
突然のことで、バカの思考は追いつかない。
「……え?」
「そうやってバカ正直に隙を見せるのはやめておいた方がいい。こんな本ばかり読んでる奴だろうと……次は加減しないよ」
耳元でそれを囁いて、足元のナッツとともに先にお茶の支度に行ってしまう。
その後ろ姿を見送ると、彼に触れられた部分にそっと手を重ねて、ほんの刹那に感じたぬくもりを確かめる。
今なんで、ほっぺにチューされたの……?