あね、おとうと
お言葉に甘えるかたちで、通りすがりに出会ったスバルさんの後を付いていく。
初めは一人になりたいと思っていたけど、ここまでされたら誰かに話を聞いてもらうだけでも、このぐちゃぐちゃに掻き回された気が紛れるかもしれない。バカが塞ぎ込んだらろくなことがないし。
他愛ない会話もそこそこに、あまり歩き慣れない校舎の廊下を、少し前を歩く彼に付いて行くと、とある教室の前でパタッと立ち止まる。
人気が見当たらない校舎の一角にあるそこの教室のプレートを確認すると、とうとうこの目が腐ったのではないかと疑って何度か瞬きを繰り返す。
「え? 生徒会室……?」
呆然とその文字列を見上げる私に、隣にいる彼は平然と告げる。
「うん。今は誰もいないと思うから、ゆっくりしていって」
「ええと、そういうことじゃなくて……」
「ああ。言い忘れてたけど、僕も生徒会役員なんだ」
ここに来て衝撃的な告白だ。
サラッと言えちゃうところが、高校にも受かれなかった落ちこぼれとは天と地の差だ。
高すぎる敷居に通され、おずおずと身を縮こませて室内に入ってみると、部屋の一角には来客用のソファーが向かい合わせに置かれている。
そのひとつに案内されると、「少し待ってて」と断りを入れてからスバルさんは生徒会室に隣接する部屋の扉を開けて、そこに少しの間籠もってしまう。
その間もこっちは気が休まらなくて、手足をそわそわしながら生徒会室を見回したり、自分が座っているソファーの座り心地を確かめる。結構高そうだ。
何か他のことに目を向けていないと、ふと気を抜いたときに高雅さんのことを考えて気分が沈みそうだから……でも、整理整頓が行き届いた生徒会室には、特に目ぼしいものはなかった。
壁に掛かる時計の秒針を目で追いかけることくらいしか、退屈凌ぎがない。
……ココとナッツはこっちに来てるのかなぁ。
このまま彼と気まずい関係を続けたら、二匹の猫ちゃんとも会えなくなるのは寂しい。
「また浮かない顔をしているね」
つい気を抜いていたら、いつの間にかこっちに戻ってきたスバルさんが指摘する。そんなに顔に出ていたかしら。
「……憶測だけど、図書室の彼のことかな」
「……やっぱり有名人なんですね。高雅さん」
「まあ、彼はね。これまでの前科もあるし、敵も多ければ、その危うさに心惹かれる者も少なくないだろう」
戻ってきたその手には、小花柄のティーカップが乗せられている。
ティーカップから白い湯気を浮かべるそれが、膝辺りの高さのテーブルの上に置かれると、スッと鼻を通る爽やかな甘みが感じられる。優しい香りだ。
「これは、カモミールティー。マザーハーブとも呼ばれるハーブティーだよ。一口飲んでごらん」
初めて聞いた名前のそれを勧められ、騙されたと思って上等なティーカップに一口をつける。
緊張で味がわからなかったらどうしようかと不安が掠めるけど、身体の内側からじんわりと温まる味だ。思わず嘆息する。
「なんだか……ポカポカして落ち着きます。香りもよくて、すごく美味しいです」
「マザーハーブの一番の効能はリラックスだからね。今の君にはぴったりの一品じゃないかな」
物知りな上に、穏やかな微笑には癒される。
あの場に偶然通りがかったのが、スバルさんで本当によかったと思う。
「気に入ってもらえてよかったよ。雪乃もこれがお気に入りでよく淹れてくれるんだ」
「雪乃……?」
聴き慣れない人物に「はて?」とリアクションを返す。
バカのおとぼけたリアクションに、向かい側のソファーに腰を下ろすスバルさんは苦笑する。
「一ノ瀬雪乃……うちの生徒なら一度は聞いたことはない? 今年度の生徒会長なんだけど、君が知らないってことは雪乃もまだまだだね」
「一ノ瀬……会長……?」
少し前に初めて見た美人な生徒会長の顔が思い浮かぶ。
雪乃さんって言うんだ。グランプリ以降も真面目に登校していないから、クラスメイトの顔すら危ういな。
そういえば廊下でスバルさんの名前を聞いたときに、確か苗字を聞いたけど……。
「スバルさんって、苗字は確か……」
「一ノ瀬だよ。双子なんだ。僕達」
「えええええっ!?」
これまた衝撃的な告白だ。
そう言われてみれば整った顔立ちとか、物腰の柔らかい感じとか、あの生徒会長の面影を彷彿させる。
「まあ優秀なのは雪乃だけで、僕は一役員で彼女の補助役にすぎないけど」
「いやいや……スバルさんも十分すごいですよ」
お世辞じゃなくて高校にも落ちたバカには、生徒会という敷居だけでも遥か高みにある富士山を見上げるような心境なのだ。
「ま、待って……それじゃあ生徒会長の大事な紅茶を勝手に飲んじゃった……」
「あはは。そんなに落ち込まないで。君は悪くないよ。茶葉のストックならまだあるし、雪乃もそんなに怒らないと思うから」
スバルさんの発言には、すごく固い信頼関係があるのがわかる。
それに引き換えあの人ならきっと難癖つけて、報復するためなら地の果てまで追いかけて来そうだ。
「でも……このことは二人の秘密にしておこうか」
「ふえ?」
「僕達だけで無断で生徒会室を占領して、生徒会長のお気に入りに手を出したこと。ねっ、内緒だよ?」
片目を閉じて、人差し指をスッと立てる。
騎士様もびっくりするほどのスバルさんの色男ぶりに、こっちも反応に少し困ってしまう。
赤い顔を隠そうと他の話題を探して、咄嗟に口に出たのは無意識に少し引っかかっていたことだ。
「でも、なんか会長とスバルさんって、双子なのにあんまり似てないんですね」
「え?」
意表を突かれたようなスバルさんの反応に、言った後で失礼だったとはたと気づく。
「あ! そんな変な意味じゃなくて、気を悪くしたならすみません!」
「ううん。別にいいよ。でもあんまり言われたことなかったから、どうしてそう思ったのかな」
「そうなんですか? 雰囲気はお二人ともすごく似てると思うんですけど、なんだろう……でもスバルさんも会長も、綺麗な目をしていますよね」
宝石に例えるならサファイアとかアクアマリンとか……数日前に見かけた会長の姿を思い出しながらそう答える。頭が足りない奴なりの最大限の気遣いだ。
でも血が繋がっているだけあって、二人ともとても綺麗な目をしている。
そんな青い宝石を持つ彼はそれを耳に入れても穏やかな表情を崩さず、肩を竦めるようにこう言った。
「まあ、僕達は性別も違うし二卵性だから、瓜二つって感じではないかな」
「二卵性……?」
「一卵性は一個の卵から二匹産まれてくるんだけど、僕達は別々の卵から同時に産まれてきたんだよ」
「ほえー」
一通り説明はされたけど、あまり頭が納得していない。双子は奥が深いんだな。
その後は談話も交えながら、話せる範囲でスバルさんに図書室の彼の愚痴を聞いてもらっていた。
もちろん高雅さんの能力のことは伏せたけど、それを抜きにしてもあの人の暴君ぶりは誰かにぶちまけたいところだ。
別に減るもんじゃないけれど、初めては特別な相手としたいものだ。高雅さんはそういう繊細なところがわかっていない。あの活字中毒め。
スバルさんにそう同意を求めたら「それはちゃんと本人と話し合うべきじゃないかな」と困ったように微笑んでいる。まあ、初対面に話すような内容じゃないよね。
そうこうしていたら、あっという間に時間は過ぎていく。
気づいた頃には空の色も晴れてくる。夕暮れが近い色をしていた。
そうしておもむろに席を立つと室内の窓辺で雨足を確認するスバルさんは、ティーカップが空になる頃に純白の微笑みをこちらに向けて言った。
「よかったらこれを持っていくといい。彼と仲直りのきっかけにはなるんじゃないかな」
生徒会室にあるハーブティーのストックを少し分けてくれて、とても親身に話を聞いてくれた。
スバルさんのエールに慰められながら、雨上がりの空を見上げると、明日は意固地な彼とも向き合って話し合えそうな予感がした。