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図書室の番人のご機嫌取りは命懸けと落ちこぼれお嬢様は嘆く  作者: 綾月いと
スノードロップと乙女心は波瀾の6月
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ティアドロップ


 以降は何事もなく会議が幕を引くと、舞台は再び図書室に移され、高雅さんと二人きりで勉強会だ。


 グランプリの慌ただしさもなりを潜めたから、忘れかけていたけど、彼はもともと特別講師の件を引き受けてくれたんだ。こうして図書室に落ちこぼれが足繁く通うのも、彼に勉強を教えてもらうためなのだ。

 勉強会の間は邪魔にならないように二匹の猫ちゃん達もここにはいないし、正真正銘の二人きり。



「――あとは、その公式で出した答えをこっちに当てはめて……」


 図書室の一角にあるテーブルでは、栗谷先生から定期的に送られてくる課題のノートを広げて、隣にいる高雅さんからいつものように淡々と解き方の解説を受ける。

 きっとぼんくらにもわかるように、彼なりに噛み砕いているんだろう。そんなことはぼんくらにもわかる。


 でも今は、なんとなく彼と顔を合わせられない。



「……ねえ」


「な、なんですか」


「ちゃんと聞いてたの」


 ぼんくらが考えることも彼には筒抜けのようらしい。

 動揺をあまり顔に出さないようにして、こっちの反応をじっと窺う彼となるべく目を合わせないように答える。


「ちゃんと聞いてますよ。答えは√2です」


「違う」


 秒殺だ。もう少しそこは焦らしてほしかった。


 まあ解き方を間違えるなんていつものことだけど、彼との距離感が掴めずどこかよそよそしいことはきっと鋭い彼にはバレている。



「……言いたいことがあるならはっきりすれば」


 そんなことを言われても、というのが正直なところだ。

 生徒会長に喧嘩を吹っ掛けるどこぞの野蛮人のように、こっちは正面衝突できるほどの肝っ玉を持っていない。


 ここ数日はあのことばかりが頭に浮かんで、図書室に行くのが少し憂鬱だったりする。

 こんなにそばに寄られたら、緊張するじゃない。前はあなたとの距離なんて、特に意識していなかったのに。いつもこんなに近いものだっけ?


 でもまさか高雅さんを相手に、あのことを言及するなんて、容量のないこの頭が沸騰しそうで口が裂けても聞けない。



「もういいよ」


 煮え切らない反応に、彼は冷たい言葉を続け様に吐き捨てる。


 もういいよって、よくはないよ。そんな一言で片付けられることじゃないでしょう。そんな言い方ないじゃない。


「やる気がないなら帰れば」


 まだ頭が整理できてないのに、そんな言い方にはカチンと来た。いつもこの人は自分勝手だ。


「や、やる気くらい、あります……」


「へえ」


 ここまで言われたら引くこともできず、気丈に構えてみた。言い負かされるだけなんて悔しいじゃない。


 含んだような返事をして、不意に押し黙る彼にほんの少し目線を送る。




「――キス」


 まさかの一言に、私は椅子から転げ落ちそうだった。

 落ちることはないけれど、言葉にならない叫びが、思考をグルグルする。コードがぐちゃぐちゃに絡まるみたいに、単細胞の思考回路がエラーを起こす。


 けれど彼の方は意に介した様子もなく、グランプリのあの日に最後の演出でしたキスのことを淡々と口に出す。

 どうやって切り出していいのかもわからず、夜も眠れず考えることもあるのに、元凶である高雅さんは悪びれもしない。こっちがバカみたいじゃないか。



「あんなことをいつまで引き摺るつもりなの。ただの舞台の演出だよ」


「こ、高雅さんはいつものことだから軽くできるかもしれないけど、私はそうじゃないんです! 一緒にしないでください!」


 ついカッとなって、彼から距離を置くように椅子から立ち上がる。ガタンと大きな音を立てて、椅子が横向きに倒れた。


 そんなことに気を向けるより、図書室の静寂を壊した私に向ける高雅さんのキツい視線から目を逸らせない。


「わかっていないのは君の方だよ。こっちだってボランティアで君の面倒を見てるわけじゃない」


 何それ? わかってるよ。それくらい。

 しつこく図書室に通うのも、あなたに勉強を教えてもらうのも、氷のような心を閉ざすあなたをもっと知りたいなんて思ったことも、全部私の一人善がりだよ。

 だからグランプリでは少しでも役に立てるならって、やりたくないことも厳しい稽古も耐えたのに。


「……君の相手をするために態々時間を割いたのが間違いだったよ。くだらない。今日は帰ってその沸騰した頭を冷やしてくればいい」


 投げやりに彼が吐き捨てたそれを合図に、自分の中の何かがはち切れる感覚がした。

 自分の中でまた感情がぐちゃぐちゃになって、彼に何を言うのが正しいのかわからくなる。



「言われなくても帰りますよ! もう高雅さんの顔なんか見たくもありません!」


 彼に言い残したこともそこに置き去りにして、課題を詰めた鞄を持って図書室を飛び出していた。

 遠くなる図書室なんか一度も振り返らず、長い廊下を駆け抜けて、心の中で高雅さんなんか魚の骨が喉に刺さればいいと唱える。寝込んで一日くらい本が読めなくなってしまえ。




「……誰でもいいわけじゃない」


 空っぽの椅子をじっと見据えて、彼がそんな小言を漏らしていたことなんて知らない。


 高雅さんなんて七面鳥にされてしまえ!



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