《閑話休題》薔薇の婚約者
総論;薔薇は奥が深い
それは、騎士様と泣く泣くお別れをした後日談。
グランプリに向けての稽古に励む一方で、先日の夢のような時間の感覚が抜けきれず、いつもより愛の鞭でしばかれる回数は格段に多い。そろそろハゲそう。
休憩時間も上の空で騎士様のことを夢想する私のもとに向けられる好奇の目も気にならない。というか気づかない。夢見る乙女はそれどころではないのだ。
「ちょっと、高雅様。モモカ様は一体どうされてしまったのですか? いつもより集中力を欠いて、練習中の演技すら目も当てられません」
「ああ、あれね。薔薇に思考を汚染されてるんだよ」
「確かに見るからに頭がお花畑って感じやなあ、モモカはん」
「ねえねえ、頭からお花ってどうやって出すのぉ?」
外野がさっきから好き勝手に言っている。しかしそんなことも気にかからない。
この残念な思考は文字通りの薔薇一色なのだ。
「あら、モモカ様。薔薇のことでしたら、薔薇も霞むほどの童話界一番の美貌を誇るこの白雪姫にお任せあれですわ」
白雪姫が横からそう言って胸を張る。
自分でそれを言うのかと思わず耳を疑ったけど、あえて触れないでおこう。その奥にいる高雅さん達も大体こちらと似たような反応をしている。
「ふえ? 白雪姫、そんなに薔薇のことに詳しいの?」
「うふふ。こう見えてオフの日は園芸が趣味なのですよ」
「サラッとオフとか言っちゃうのやめて」
色々と夢が壊れるから。気をつけて。
舞台裏の顔が見え隠れする白雪姫の発言にはひやひやさせられながら、スパルタもこれ以上は御免なので唐突に開講された白雪姫の薔薇講座に甘んじることにした。
「薔薇とは一括りに言っても、その品種や説は様々なものがありますわ。色や本数でも大きく意味が違ってきます。信仰では赤と白の薔薇はそれぞれ救世主と聖母、ギリシア神話では美の女神アフロディーテを象徴し、花言葉は「愛」と「美」と言われています。美の女神とともに生まれたとされる白薔薇は、最愛の人を失った女神の涙で赤く染まったなんて逸話もありますの。浪漫ですわ」
おとなしく聞いていれば、その後も白雪姫の薔薇講座が止まらない。
薔薇のマシンガントークに割り込もうとする隙さえ与えない白雪姫にはさすがというか、ある意味戦慄を憶える。
おかげで薔薇の品種やら花言葉の知識は、一通り右から左に流れていった。
そばにいる小人達も白雪姫の話が長すぎておねむだ。
薔薇にもバラバラな意味があるんだね。なーんつって。
「古くから薔薇は婚約者に贈られるプロポーズに定番の花です。そして洗礼された薔薇の香りには、特殊な催眠効果もありますの。たとえば媚薬作用とか」
「びやく?」
「相手を意のままに虜にできる効果のことですわ」
意中の相手と相思相愛になれるなら、それは確かに夢のようだ。
ちなみにそれは次元を超えても効果はあるのでしょうか?
「よろしければモモカ様も試されてみますか? 禁断の香りに手を染めてみるのも女のステータスですわよ。それにこれでも私、調香師のマイスターの資格も習得しておりますの」
「よくわかんないけど面白そうだね!」
あまり深く考えず、白雪姫の提案に乗っかった。不敵な笑みを浮かべる白雪姫には、どこか危険な香りがする。グツグツ煮込んだ大釜にトカゲの尻尾とか入れてそう。
でも催眠術って一度やってみたかったんだよねえ。ちょっとワクワクしてる。
「今から私が調合した薔薇の香りをモモカ様に嗅いでいただきますから、目を閉じて三つ唱えたらそっと目を開けてくださいね」
ちょこんと椅子に座らされ、正面に対峙する白雪姫からはそんな説明を受ける。
おお、なんか催眠術っぽい。まあ頭はないけど、催眠術にかかるほどじゃないと思うんだ。
「あちらにいる殿方のお姿は、よく見えていらっしゃいますか?」
「うん。相変わらずよくわかんない本読んでるけど」
定位置で本を読んでいる彼の傍らには、いつの間にか呼び出した白八木さんが献身的に身の回りの世話をしている。よくある光景だ。
そして二人ともこちらには見向きもしない。
「フフフ……準備は整いましたわ。それではいきますよ」
——すると、白雪姫が手品のように取り出した真っ赤な一輪の薔薇が、鼻腔をくすぐる。ふわりとした甘い蜜のような芳醇な香りが思考を朦朧とさせる……あ、れ……?
「さあ、三つ唱えたら目を開けてください。あなたの見つめるお相手こそが、運命の相手ですわ」
意識がぼんやりとして俯いていた頭を上げると、うつろな視界にはやがて人影がぼうっと浮かび上がる。そこにいるのは……。
「——結婚してください! 白八木さん!」
「えっ」
呆気なく催眠に掛かった。さらには高雅さんのそばで控えているフサフサの毛並みの彼に、熱烈な愛を言葉にしていた。この場にいる三名ほどがそんな声を漏らす。
でもそんなことお構いなく、私は目の前にいるフサフサの毛並みへと飛び込んでいく。
突然のことで白八木さんもかなり取り乱しているようだ。淹れたての紅茶をこぼさないように、そこから動くことができない。
「あらあら、困りましたわね。私ったら、高雅様に掛かるように仕向けたのですが、ちょっとした手違いでお隣の執事さんにベタ惚れですわねぇ」
「……君って、つくづくいい根性してるよね」
「あら高雅様、褒め言葉として受け取っておきますわ」
とんでもなくシュールな光景を目の当たりにする二人が、そんな会話を繰り広げていることも露知らず、白雪姫の催眠術にまんまとどっぷりな私は白八木さんから片時も離れることができない。
「あれじゃ稽古にならない。どうしてくれるの」
「簡単なことですわ。掛けた催眠を解いてあげればいいだけのことですもの」
「それはどうやるんだい」
「でしたらやはり、愛に対抗するには真実の愛しかありませんわね。うふふ」
あっけらかんと言う白雪姫に、高雅さんの顔色は暗い。目で人を殺しそうなそれだ。
「……まさかこうなることが君の狙いじゃないよね」
「うふふふふふふ」
微笑むばかりの白雪姫の真意は、彼にも推し量れないところらしい。
しかし早いところこの茶番を収束するために、高雅さんは断りもなく私の鞄を漁って読みかけのヒモ騎士を手に取った。
「はあ。またあの薔薇臭い奴を呼び出すことになるとは思わなかったよ」
「ええ~! 高雅がモモカを助けてあげないの?」
「モモカがここまで体当たりでやってるのも、そもそもはお前のためだしな」
「なんや甘酸っぱい展開やなぁ、へっくしゅん!」
「スニージーのせいで台無し……」
「……君達ね」
陽気で無邪気な小人達の純粋無垢な意見に、あの桐嶋高雅も少し困惑しているのか。
催眠術がなければこの目で小人達にからかわれる彼というのも拝んでみたかった。
「そうですわ。高雅様。それに愛を伝えるなら、やはりこれしかありませんわね」
「……」
彼の目の前のテーブルに置かれたのは、幾束の赤い薔薇の花。
どれも瑞々しい赤色に染まっている。それを目の当たりにする高雅さんの険しい顔もあまり見たことがない。
小人達や白雪姫の期待の目に押し負けるように、高雅さんはひとつ嘆息を漏らす。
「シンプルに考えるのです。高雅様。モモカ様への素直な気持ちを花に込めて伝えるのですわ」
白雪姫のアドバイスを受けて、高雅さんはテーブル上に飾られた薔薇達を見下ろす。
美しいけれど棘があるそれを手に取ると、彼はゆっくりと歩みを進める。
「……桃香」
トリートメント完璧な白い毛を堪能していたと思ったら、今度は視界に真っ赤な薔薇がある。
呆然とそれを目の当たりにする私に、そっぽを向いた高雅さんは無愛想に言った。
「ふえ? 高雅さん……?」
「……こんなこと、もう二度としないから。さっさと目を醒まさないと十字架に磔にして一生懺悔させるよ」
高雅さんから受け取った薔薇の花束を見ていると、ようやく意識が鮮明になる。
あれ? 私何してたんだっけ? 高雅さんはなんかまた機嫌が悪いし。
クエスチョンマークだらけの頭に、コソッと近づいてくる白雪姫が耳打ちする。
「モモカ様。五本の薔薇の花束の意味はご存じですか?」
「え? ううん。知らないよ」
何か意味があるの? とこの状況すらチンプンカンプンな私に、白雪姫が意地の悪い微笑を浮かべながらこっそりと教えてくれた。
白雪姫の口から語られるその内容に、私は嬉しいような恥ずかしいような、まるで薔薇の色に染まるように顔がほんのり紅潮する。高雅さんらしくもないサプライズだ。一体どういうことなの?
「四月の雨が五月の薔薇を咲かすと言いますもの。たまにはお互いの気持ちを贈り合うことも大切だとは思いませんか?」
「余計なお世話だよ。このツケは憶えておきなよ」
「あれれ~? 高雅顔が赤いよう?」
「君達もついでに磔にされるかい?」
高雅さんはそっぽを向いたままいつもの定位置に戻り、結局一度もこっちを振り向いてくれることはなかった。
だけど、無愛想なあなたにしては、気持ちは十分伝わったよ。
——出会ってくれてありがとう。
騎士様「あれ? ところで僕の出番はないのかい?」
高雅「君の出番は長くなるからボツだよ」
騎士様「フッ。僕レベルの騎士になると長く尺を取るほど活躍してしまうからね。英断だよ」
高雅「やっぱりまずは君から磔にするべきかな?」
騎士「たとえボツにされようと、この世にまだ悪が蔓延る限り皆の騎士様は不滅だからね。また会おう。アディオス!」
高雅「今度出る機会があれば薔薇臭い君に相応しい血の海の舞台を用意してあげるよ」
桃香「これ一応は恋愛ファンタジーですから! やめてください!」