この世で最も美しいのは
第二部最終話です。
再び目を覚ませば、白い天井をバックに、こちらをじっと見守るいくつかの視線と目が合う。
真っ白なベッドに寝かされていたと思えば、いつの間にかこっちに出ていた白雪姫や小人達には心配そうな眼差しを受けながら、話を聞くとあれから一時間ほどここで寝込んでいたらしい。
グランプリの時間が心配だったけど、どうやらギリギリ間に合いそうだとのこと。よかった。もしも間に合わなかったら一生後悔するところだった……。
ひとまず意識を戻したので、寝心地の悪いベッドから身体を起き上がらせる。バカは元気が取り柄だから、こんな状況には慣れていなくて少しソワソワする。
「君が目を醒さないようなら、辞退することも考えたよ」
薄いカーテンの向こうから、そんな声が横やりする。
ぼんやりとだけれど、適当な椅子に座る彼が本のページに目を落としながら、そんな提案をしたようだ。
「だ、ダメですよ。そんなの。せっかくここまでがんばったのに、図書委員会だって活動休止に……」
「それはもういいよ。本はどこでも読めるし……それより君に何かある方が気が気じゃない」
「……うん?」
医務室の片隅で本を読む彼が、やけにあっさりとしたことを言う。引き際がいいというか、あなたにここまで巻き込まれた身としては、あんまり納得できない。
それに三度の飯より本の虫の高雅さんが、そんなことを口のするなんてありえないことだ。
しかも自分の読書より人のことを優先するなんて、今日の彼はやっぱりどこか彼らしくない。
どういう事態? 私が意識をすっ飛ばしてる間に、地球が一回滅んだ? ここは鏡の向こうにある世界?
「それで、どうするんだい。グランプリ。君次第だけど」
唐突にそんな選択を彼から持ち出される。寝起きの身体をもう少し労るくらいしてほしい。片手間にまた本なんか読みやがって。
「や、やりますよ! 何のために今日まで愛の鞭に扱かれたと思ってるんですか!」
「……そう」
ベッドの周りを囲むみんなに変な心配をかけさせないようにと、空元気に意気揚々とそう言って見せたけど、彼の方はそんな適当な反応だ。もうなんなんだ。
「時間も惜しいですから、そろそろモモカ様には動いていただかなければ。さて、まずはドレスアップといきましょう♪」
「えっ」
おもむろに白雪姫からは、ガシッとしっかり手綱を握られるように、この腕を掴まれてしまった。
するとその後は風のように駆け抜ける白雪姫とともに医務室を飛び出していった。彼らを残して。
「ええ〜!? どこ行っちゃうのモモカたちぃ!?」
「女っちゅう生き物はああいう時に面倒なもんなんやで、覚えておきや」
「はあ……やっと後始末終わらせて来れたぜ。――ってどういう状況だこれ?」
「……あなたは一生始末書書いてなよ」
通された控え室で、先に待ち伏せていた継母さんと白雪姫にがっちりガードされたまま鏡台前の椅子に座らされ、あれよあれよと身包みを剥がされ、二人の気迫に為す術なく従うしかない。
着せ替え人形の気持ちが、今ならわかる。あれだけ好きに遊ばれて捨てられるなんて、そりゃ人を呪いたくもなる。
継母さんがメイクを担当し、白雪姫が扱いにくいこの髪を器用に編んでくれる。
少しくすぐったいけれど、女子力の高い彼女達によって手際良く支度がされていく。鏡の向こうにいる自分が、まるで別人のよう。
「こんなものでしょうか。継母様」
「悪くないね。この世で最も美しい美女がプロデュースしたんですもの。間違いなんてあるはずがないわ」
「あら、継母様は今一度ご自身のお顔を鏡で見られては如何?」
為されるがままにしていたら、なんか勝手にバチバチしてるしー! 二人の間に挟まれてる私の気持ちにもなってほしい!
「おい、女子共。そろそろ出てきてくれねえか。本番前にリハもしておきたいんだが……」
控え室のドアの向こうから、白馬先生が中の様子を呼びかける。絶賛修羅場なので、いち早くこの殺伐とした空間をぶち壊してほしいところだ。
「ねえねえ可愛いよ! モモカ!」
「女は化粧で化ける言うからなぁ」
「うんうん、よく似合ってるよー」
部屋に入ってきた小人達が、いち早く様々な反応を返してくれる。
そんなに褒められたら、さすがのバカも少しは照れてしまうじゃないか。えへへ。
「見違えたじゃねえか。桃香。衣装のドレスもよく似合ってるぜ」
小人達の後から、すっかりいつもの格好に戻った白馬先生がオーバーにリアクションをしてくれる。
この日のために、白雪姫が数多の男達を引っかけて集めた素材で作られた舞台用の衣装は、淡いイエローカラーに、アクセントのパールの装飾が点々とちりばめられている。
正直なところ学校行事の舞台のクオリティとは思えないが、白雪姫が夜鍋を作ってこの日のために仕上げてくれたのならその期待に全力で応えられるようにやらないと。少し緊張してきた。
「そんな小動物の顔じゃ、ろくな舞台にならないよ」
そんなに顔に出てしまっていたのか、横から高雅さんがチャチャを入れる。
「……何」
「……いえ、何でも」
そもそもあなたのために、こんな表舞台に出るはめになったのに、肝心なその人からのリアクションが何もない。
別に、自分から言うほどでもないからいいけど。ちょっとくらい興味持ってくれてもいいんじゃないですか。けっ。
「おい。そこはお前からなんか言ってやれよ。高雅」
「あなたは少し黙っててくれる」
「はあ。こりゃダメだ」
見兼ねた白馬先生が、横から耳打ちで高雅さんに何かを助言しているけれど、その高雅さんは今日は特に顧問への当たりが強い。彼もお手上げのようだ。
「プリンセス・モモカ……今日の貴女はどんな花も霞んでしまうほど美しい。細やかながら、貴女を女王の魔の手から救う猟師からのエールをどうか受け取ってほしい」
「ふえ、猟師さん?」
突然足元に跪いた猟師のおじさんが、いつもとは少し違うキャラで私の手を取ると、おもむろに自分の方に引き寄せる。
そして、彼のガラ空きの背後には、鉄槌が振り下ろされる。
「そんなアドリブは台本にはない」
「きゃああ!? ちょっと何やってるんですか高雅さん!? これじゃリハになりませんよ!」
「……加減はした」
「そういう問題じゃないでしょう!」
機嫌が悪い高雅さんの相手にリハーサルどころじゃなくなっているところに、控え室のドアを外からコンコンと叩く音が響く。
「すみません。お邪魔しましたか?」
「あ、栗谷先生」
おずおずと現れたのは、慌ただしい部屋の様子に出る幕を見失う大天使栗谷先生だった。
「こ、これまた何と美しいセニョリータ。是非お名前を……ゴフッ!」
「く、栗谷先生……! どうしてこちらに!?」
「藤澤さんが主演と聞いたので、担任として激励に」
再び立ち上がったおじさんを、再び白馬先生の肩肘が床に捻じ伏せる。こいつら後先のこと考えてんのか……。
「それに今ちょうどうちの弟達が舞台に出ていて、少し様子を見に来たところです」
「ええ!? 栗谷先生の兄弟ここの生徒なんですか!?」
担任の先生の家庭環境は詳しく聞いたことがなかったけれど、弟がいたことなんか初耳だし、さらにこの学校に通っているというサラブレッドな兄弟……あの栗谷先生の兄弟なら、そりゃ気にならないわけがない。
「今っていうと、ちょうどボランティア委員会が応援団の演目やってるところだな」
「はい。三兄弟で喧嘩も多いですけど、可愛い弟達なんです」
「あのムキムキマッチョボランティア委員会!?」
いや、栗谷家の遺伝子はどうなってんだよ!
どうしたら大天使と熱血三人組が兄弟になるんだよ! 天地もひっくり返るよ!
栗谷先生の兄弟がボランティア委員会の三人と発覚し、隣にいる白馬先生は真っ青な顔で愕然としていらっしゃる。
年下の生徒とはいえ、あのゴリゴリマッチョ感はなかなかハードルが高い。ドンマイです。
「白馬先生はナレーションで出られるんですね。楽しみにしていますね」
「おい、お前ら! 死ぬ気でやるぞ!」
「……うざ」
栗谷先生にエールを贈られすっかり調子に乗る白馬先生と、それを見て本音が隠しきれない高雅さん。
今に始まったことじゃないけれど、今日くらい息を合わせて仲良くしてほしいところだ。
「……あの、ところで白馬先生」
「なんだ」
「王子様の件は、大丈夫なんですか?」
王子様不在の一件……実のところ、この日まで代役を立てられずにいた。
最悪暗幕を垂らす演出で誤魔化すこともできるらしいけど、王子様のいない白雪姫なんて少し味気ない。
そこは白馬先生がなんとかすると手を打ってくれているはずだけど、確認のためにそう耳打ちをした。
ギリギリまで相手役がわからないというのも、ちょっと気持ちが落ち着かない。
「ああ、それなら大丈夫だろ。まあ裏方のあいつに任せとけ」
「あ、高雅さんがちゃんと代役を見つけてくれたんですね」
「まあな。桃香はいつも通りやってくれたらいいんだ」
控え室からすぐに移動しなければいけなくて、結局その一件ははぐらかされたけど、エンディングは大した台詞もないしいつものようにあまり考えず気楽に行こう。
『午後の部、続きまして図書委員会による演劇『白雪姫』です――……』
――ついに、舞台の幕が上がる。
明かりを落とした館内には、舞台に向けられる期待と静寂に包まれる。
そうして、真紅のカーテンが、ゆっくりと巻き上げられる。
幕開けは、白馬先生のナレーションからスタートし、白雪姫でお馴染みの「鏡よ鏡」の場面が展開される。
「鏡よ鏡……この世で最も美しいのはだあれ?」
「少なくともあんたじゃないことは確かだよ」
「お、お黙りッ! ちょっと鏡のくせに!」
さっそく想定外のアドリブに、序盤から雲行きが怪しい。
高雅さんが呼び出した鏡のようだけど、どうやら最近反抗期らしい。先が思いやられる。
続いては猟師のおじさんに助けられる一幕だけど、これまた調子が上がったおじさんのアドリブ祭りでこちらがひいひいするはめに。
こちとら舞台慣れしてないんだから手加減くらいしろ! そもそもお前ら台本通りにやれよ!
「ハイホ〜ハイホ〜♪ あれ、小屋のドアが空いてるよう?」
「また誰かが鍵を掛け忘れたんだろ」
「ボクだよーん」
「でも誰かがそこのベッドで寝とるで……へっくしょいっ!」
「ボクの、ベッドが……スピー」
「皆さん、台本とズレてますよ!」
「だ、誰だろう。起こしてあげよう」
7人の小人達もアドリブのオンパレードを披露し、愛くるしい彼らのビジュアルは観客の注目を集めるが、そこはドックさんとバッシュフルちゃんの機転でなんとか軌道修正できた。もう勘弁してよ……。
ともあれ終盤まで迎えることができたので、次の幕が上がれば、棺のセットの中にスタンバイをしておく。
舞台の最大の見せ場と言っても過言ではないけれど、ここまで来て正直王子役が誰なのかが気がかりだ。目を閉じる間もソワソワする。
もちろん王子のキスだってフリだけど……ギリギリまでサプライズだなんて酷い話じゃない? 人にはここまでさせておいて、ほんとしっかりしてほしいものだ。
すると、壇上にひとつの足音が響く。
客席がざわつき始め、横たわる身体にはその人物の影が被さる気配がする。
「――たかが林檎ひとつのために、白雪姫は愚かだよ」
王子様の最初の一言だった。
え、悪口? そんな酷い台詞ありましたか?
……というか、どこかで聞いたことがある声だ。
マイクが拾うスピーカー越しに、彼の声は暗闇の会場に広く響き渡る。
「白雪姫の原作にあたるグリム童話の王子は、大変な死体愛好家だった。美しい白雪姫の死に様を見て、彼は彼女をコレクションしたいと思った。動かなければ人形同然だ」
続いて、突然の自己紹介。
だからこんな台詞あったかな。それに台詞がいちいち怖いんですけど……。
「白雪姫が目を覚ましたのは、王子の愛の口づけがあったからじゃない。偶然喉に詰まらせた林檎の欠片が出てきただけだ。最初から彼らは恋に落ちたわけじゃない。夢物語なんてその程度のものだ」
さっきから毒ばかり吐くその王子役が、棺桶の中で横たわる白雪姫にその手を差し伸べ、その娘の頭をスッと持ち上げる。
声の質も、皮肉っぽい言い方も、目を閉じていたってわかる。
思い当たる人なんて、広い世界を見渡しても一人しかいない。
けれど、俄には信じ難い。
「……だけどこの世には、どうやら魔法も死神も現存するらしい。目を逸らすばかりではいけないだろうね。陳腐なお伽話の結末がどう転ぼうと、君が教えてくれた光を忘れはしないよ」
――台詞はそこで途切れ、彼から重ねられる口づけは蜜を吸った果実のようにほのかに甘い味がする。
ハッと目を覚ましたら、熱狂する客席と、白馬先生のナレーションを合図に、舞台の終焉を飾る暗幕が降りてくる。
「……お目覚めかい。白雪姫」
彼らしくもない装飾の凝った衣装に身を包み、その顔は図書室で本を読む彼らしく目を細める。
童話とはかけ離れた腹黒で皮肉っぽい王子様。
暗幕の奥では拍手喝采が鳴り響くけれど、私の意識はそれどころではなかった。身も心も熱を帯びる。
白雪姫のハッピーエンドのその後は、一体誰が知っているんだろう。
改稿版ですがオチどうするかめちゃくちゃ悩んで更新伸びました!すみません!
第三部は改稿分のプロットもないのでちょっと時間空けるかもしれませんがご容赦ください。
ひとまずここまで来れてよかったです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。