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まだおあずけ


「――――ううっ……ん……」



 セットが倒れた衝撃で、辺りはまだ埃臭い。

 ようやく目を開けたところで、辺りは暗闇一色だ。


 視界は暗闇に溶け込んで、頼りになるのは近くで聞こえる物音だけ。それにすぐそばで、何かが動く気配がした。まだ意識がはっきりしない。



「こ……うが、さん……?」


 ぼんやりと浮かび上がる線に目を凝らして、ようやく目に捉えたのは、私を庇うように覆い被さる高雅さんだった。


 その声に気づいた彼が、こちらを見下ろしてくる。


「……生きてたの」


「ちょ……勝手に殺さないでくださいよ」


 こんな状況なのに、いつもの調子で軽口を叩く。

 暗闇に慣れた目で辺りを見回せば、二人の周囲を倒れた壁のセットが囲んでいる。その隙間に二人が入れるほどの空間ができているようだ。


 私が起きるまで高雅さんがなんとかセットを退けようとしたけれど、壁のセットの上に他のセットが巻き込まれたのか、彼一人の力ではどうにもならない。



「っ……」


 ここまで現状の活路を見出そうと試行錯誤していた彼が、そんな掠れた声を漏らす。暗闇に溶け込んだ彼の輪郭が、ほんの一瞬苦しそうに歪んだ。


 治りかけの肩の傷が、混乱した頭に過ぎる。

 また彼に無茶をさせてしまったことに、困惑と情けなさで目頭が熱くなる。


「すみません……私のせいで……」


「君のせいじゃない。あの白い馬の口車に乗せられたこっちの責任だから。何がきっかけで崩れるかわからないから、あまり動かないで」


 また、あなたらしくもなく、私を庇うようなことを言ってくれる。だからこの胸は罪悪感で苦しくなる。



 そりゃ相手が特大マンモスでもなぎ倒す高雅さんだとして、こんな狭い空間で、こんなに密接している状況は気まずい。とても。真っ暗なのがまだ救いだけど。

 こんな状況で、どこに視線を向けていいのかバカには正直よくわからない。どこを見ても真っ暗なんだけど。


 こんなに派手にセットが崩れたんだから、外もこの騒ぎに気づく頃だろうけど、その間までどうやってこの微妙な空気を繋ぐべきか。

 救助が来てくれるまで、怪我を庇う彼に無理な体勢をさせるわけにいかないし……私に気を遣って無理をする高雅さんなんて見たくない。


 一か八か、空間が崩れないよう最小限の動きで、冷たい汗が流れる彼の首の後ろに腕を回す。彼の体勢がガクンと崩れて、こちらに彼の体重が被さる。


「……こんな状況で、随分と大胆なんだね」


「い、痛み分けです。高雅さんだけいつも辛いなんて、見てられないんですよ。嫌かもしれないけどちょっとくらい我慢してください!」


 正直、この心臓の音を彼に聞かれるのは嫌だけど、その人が背負うものを分かち合えるなら、これくらいしかバカにできることはないと思う。


 沈黙した暗闇に、彼の声が一際耳元で響く。

 少し困惑したようなトーンで。


「そういう問題ではないんだけど……」


「じゃあ、どういう問題なんですか!? バカにわかりやすく言ってくださいよ!」


 ただでさえ怖いのに、こんなところに閉じ込められたら、人肌に縋る方がまだ冷静も保てるというものだ。そういうものだ。

 別に今になって自分の行いが恥ずかしくなったとか、そういうことじゃない。彼に引かれることくらい目に見える。



「……こうやって奪われるのは、いつも一瞬なんだろう」


 突拍子もなく彼の口から出た一言は、人知れず花びらが枯れて舞うように儚い。


「また奪われるくらいなら、孤独を選んだ。その方がずっと楽だった。絶望するくらいなら……」


「高雅さん……?」


 また昔の夢を見ているのだろうか。

 遠くの景色に意識を奪われるその人の姿は、この暗闇に溶け込んでしまって、また押し黙ってしまう。


 ようやく崩れた壁の向こうから、人の声が聞こえてくると、彼はゆっくりと預けていた身体を起き上がらせる。

 身体は軽くなったけれど、心はまだ釈然としない。



「時間はかかるかもしれないけど、いつか君には答えを教えてあげるよ」


 この耳にそっとその言葉を残して、やがて外の世界から白い光が漏れる――。





 あれから無事に救助はされたけれど、高雅さんは少し治りかけの傷がまだ痛むようで、全力で助けに来た白馬先生を片足で容赦なく蹴り飛ばしていた。

 顔に足跡が残るほど蹴飛ばされた白馬先生はそれでも心配してくれて、しばらく高雅さんに泣きながら離れることはなかった。親バカだ。


 私といえば、白馬先生が高雅さんにしばらくべったりだったので、おとなしく帰りを待っていたココとナッツに相手をしてもらった。

 ほんの数分のことなのに、二匹のもふもふした毛並みがとても懐かしく感じる。



「あの、高雅さん」


「何」


「さっき言ってた答えってやつ、やっぱり気になって……今じゃダメなんですか?」


 後始末で担当する生徒に引き摺られていく白馬先生を横目に、そそくさと猫ちゃんズを抱えて近寄る。辟易とした顔の彼が、こちらに視線を落とす。


 あの暗闇で彼にかけられた吐息が、まだ微かにこの耳に残る。だから気になって仕方ない。



「……逃げ場がないのはフェアじゃないから」


「えっ?」


 そっぽを向きながら、高雅さんが返事をした。

 それだけ? ていうかよくわからん。こんなに勇気を出したんだから、はっきり言ってほしい。


「あと、後ろは振り返らない方が身のためだよ」


「えっ?」


 そんなことを言われたら、思わず振り返ってしまうじゃないか。バカだから。


 そしてこの視界に、ひとつ目のハゲ散らかした妖怪の姿を正面から目の当たりにすると、私の意識はあっという間に真っ白な空間に飛ばされた。


 ぶっ倒れそうになる身体は、なんとかそばにいた高雅さんに抱きとめられたけれど、魂の抜けた身体を抱えながら、その人はフッと目を細める。



「……だから言ったのに。こんなどうしようもないバカなんて、ほんとは認めたくないんだけど」




 悔しげな彼の苦悶の表情を一騒動の喧騒がかき消して、意識が抜けて軽くなる身体を彼が持ち上げると、人知れずその人影は霧のように消えていた。



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