この恋を邪魔する奴らに制裁を
お昼を過ぎ、午後からは人々の賑わいもピークに差し掛かる。
そんな時刻に、人混みが激しい校舎の一角へと呼び出される。それを言いつけた人物が、玄関口で待ち構えている。
「よっ! ちゃんと楽しんでるかお前ら!」
生徒以上に何やら楽しんでいる様子の白馬先生がいた。狼男のような格好で、フェイスペイントまでしっかりしている。
本日会ったばかりの顧問の浮かれっぷりに、高雅さんと一緒にたじたじの反応を見せる。この人とはちょっとノリが違う。
空回りしたテンションでこちらに駆け寄る白馬先生は、特に身を引く高雅さんの方に駆け寄り、構ってほしそうにしている。
「なんだなんだ高雅、こんな日まで辛気臭い顔しやがって」
「……死ねばいいのに」
「え、何!? 俺、何かしたか!?」
「……」
彼とのテンションの差に、愕然としていらっしゃる。
高雅さんの携帯に白馬先生から連絡が来てからこんな調子だったけど、白馬先生は納得がいかないような顔をする。そして彼の隣にいる私の肩を組んで、ヒソヒソと声を潜める。
「おい、桃香。あいつなんであんなに機嫌悪いんだよ!」
「え、ええと……」
「……つーか、お前もなんか顔赤くねえか?」
「そ、そんなことないですよ!」
思わず前のめりに反応してしまう。
白馬先生に変に思われてしまうじゃないか。落ち着け桃香。
あの後――吐息がかかるほどのすぐそばで、彼の声に耳を澄ましていた。彼のぬくもりに閉じ込められ、口から出る言葉は空気のようにフッと抜けていく。
芝生が風に靡く音も青葉が擦れる音も、この心臓が脈を打つ速さには敵わない。目の前の意識はすべて彼に奪われる。
そして彼は何かを言いかけたのだけれど、その時別のところから振動がする。彼の制服のポケットに入っているスマホから着信があった。
その後はご想像の通りだ。
白馬先生からこの場所に呼び出され、さっきは何を言いかけたのか彼に問いかけても一度も返事は返ってこない。それにさっきから目も合わせてくれない。
彼の周りを二匹の猫ちゃんが囲んでいるけれど、彼らの相手もしていない。もうなんなんだ。
「呼び出しといて、それを見せたかっただけなの。帰るよ」
「まあまあ、グランプリのことだよ。場所は体育館ってことは事前に知ってるだろうが、俺達の順番は後半だからぼちぼち準備もやっておけよ」
グランプリの諸連絡を伝えたかったらしい。
それなら通話でも十分だと思ったけど、あのままでは心臓が持たなかったから、白馬先生には感謝しなきゃいけないな。
あんなのいつもの高雅さんらしくもない……。
「ていうか、白馬先生のその格好は……」
「うちのクラスの出し物のひとつなんだが、どうしても着てくれってうちの生徒に頼まれてな。客寄せになるかと思って引き受けてはみたものの、この歳じゃさすがにないよな」
そうは言うものの、狼男の猫耳も衣装もわりと様になっている。これがハーフの遺伝子か、と圧倒される。
白馬先生の担当するクラスは、有志で出し物に参加しているらしい。
ところで白馬先生のところの出し物って……?
「お前らも遊んでいけよ。うちの出し物」
白馬先生からの提案で校舎の中へと足を進めることにした。
けれど奥の教室に進むにつれて、遮光カーテンと暗がりに混じりながら、穏やかではない賑わいが聞こえる。思わず少し前を歩く彼の服の裾を摘んだ。
おもむろに先頭にいる白馬先生は足を止めると、とある教室の前でこちらを振り返りにこやかに言い放った。
「Welcome to horror house is presided by 3-A!
(3-Aが主催するホラーハウスへようこそ!)」
「いやあああああああ!!」
その全貌が明かされ、私は条件反射で高雅さんの背後に隠れる。
暗幕が掛かる教室の前に、魑魅魍魎の装飾がされていればリアクションをせずにはいられない。条件反射でこの身体が歯の奥までガクガクと震え出す。
「お、桃香はこういうのダメか?」
「NGです! ノーセンキューです!」
「まあ、高雅はこういうの得意だよな」
その白羽の矢は高雅さんへ向けられる。
白馬先生の標的は、どうやら初めから彼のようだ。
「なんで僕が」
「一応お前のクラスの出し物だろ。ちょっと遊んでいけよ。桃香もいることだし」
そしてどさくさに人を巻き込もうとするな。
こっちは足がもう生まれた小鹿なんだよ。
「それともまさかお前もこういうのダメなのか。高雅」
高雅さんの耳元でボソッと呟かれた白馬先生の一言は、彼の中の意地に火を点けたらしい。
「行くよ」
「一人で行ってきてくださいいいいッ!!」
「猫達はこっちで見とくぜ。楽しんでこいよー」
「いやあああああッ!!」
遠くなる白馬先生の姿を涙目になるこの目で睨みつけながら、ほのかに殺気さえ滲み出る高雅さんにズルズルと引っ張られていく。あなたそんなに沸点低かったですか。
受付の人もドン引きするほど殺気立った人が、半ば強行突破をして暗黒一色の室内に踏み込んでいった。
そして彼に引き摺られるこの身は、抗う術もなく暗闇に飲み込まれていく。
「ひ、ひゃああ!」
「……」
「見えない! 何も見えないです! 高雅さん!」
「……目をつむってるからだよ。あと服が伸びる」
まだ入口から少し歩いた先では、天に拝む勢いで制服の裾を引っ張る私に高雅さんが呆れている。おかげでこうして全然前に進まない。
「ああ! いい、いま誰かの叫び声が!」
「……まだ何も起きてないけど」
「そ、そこの暗闇の奥から血塗れの女の人が出てきたり……」
「……突き当たりだけど」
「高雅さんは私とおばけどっちの味方なんですかー!」
毛を逆立てた猫のように噛みつく。
この人は何でもかんでも言い返さなきゃ気が済まないんですか!
「こうすればいいの?」
子守りに手を焼くような言い草で、だけど彼に握られる手はそれとは反対にお節介だ。
こっちはまだあなたに巻き込まれたこと根に持ってるんですよ。
「……安心しなよ。君に触れようとする奴らは蹴散らすから」
暗闇に怯える私を安心させるように、いつもは素っ気ない彼が強く手を握り返してくれる。
私が知っている高雅さんは、こんな生優しい台詞を言ってくれる人だっただろうか?
いつも自分勝手で、本ばかり読んでいる人が言ったこととは思えなくて、こんな状況じゃなければ一面の暗闇に紛れている彼の表情をまじまじと見てみたいものだ。
でもこんな暗闇があるおかげで、こっちの顔が赤くなっていることが彼にバレなくてよかった。自分でもこの感情がよくわからない。
目の前にいるのがたとえマンモスでも捻り潰しそうな高雅さんがこう言ってくれるんだから、きっと大丈夫。
そうして彼に甘えようと気を緩んでいたら、彼の顔の真横を風がフッとすり抜ける。咄嗟に彼がその「何か」を躱すから、その後ろにいた私の顔面に必然とクリーンヒットする。
「……こんにゃくだね」
天井からタコ糸でぶら下がるそれを見て高雅さんが呆気に取られる頃には、せっかく彼から繋がれた手を無碍に引き剥がし、意識が朦朧としながら暗闇の先へと向かっていった。
一人だけこの暗闇を猪突猛進し、未知のお化け屋敷内部を駆け回る。
そうするとイキのいい標的に、エキストラの方達が意気揚々と渾身の演出で脅かしてくるので、自分がどの方向に逃げているのかさっぱりわからなくなった。
「グワアアアァァアアアアッ!」
「キャアアアアアアッ!」
あっちへ行けば幸薄い落ち武者が自身の片目を繰り出して襲い掛かり、こっちへ行けば口が裂けた長身ロングのお姉さんが襲い掛かり、またあっち行けば墓地から自力で出てきた脳味噌丸出しのゾンビが襲い掛かる。
もうダメだ。そう思った。意識が朦朧とするし、暗くて出口もわからないし、ここは潔くぶっ倒れた方がまだ心の傷は浅い。
「地べたにへたり込んで何やってるの」
「ガアァッ!!」
視界に襲い来るゾンビと、それを横から蹴り飛ばした高雅さんを交互に見る。
色々と絵面が強烈すぎて、すっかり意識も冷静になってしまった。さすがにゾンビが可哀想すぎる。
「こ、高雅さん……少しやりすぎじゃ……」
「君に指一本触れようとする奴には容赦しないと言ったはずだけど」
「それはそうですけどお化け屋敷に入ってお化け倒しちゃう人がどこにいるんですか!」
「まあいいよ。それより立てるの」
蹴り飛ばした相手のことなど視界の端にも入れず、彼の手が暗がりにの中に差し出される。
そりゃああなたに助けられる義理はあるのかもしれないけど、これは少しやりすぎだ。彼にはもう少し穏便に済ませるということを学んでほしい。「加減はした」と彼は言ったけど、そういうことじゃない。白馬先生が長年手を焼いている理由がよくわかる。
ゾンビの方には申し訳ないことをしたと手を合わせて、先へ進むことにする。
少しは平常心を保てるけれど、何がきっかけでまた気が狂うかわからない。そうなれば手加減を知らない高雅さんによる犠牲が後を絶えない。お化け屋敷が血の海だなんてそれこそ笑えない。
先を急ぐとは言ったけれど、私は相変わらず彼の背中にぴったり隠れて及び腰で後をついていく。だってまだ怖いんだもん。
それに心なしか高雅さんを盾にしていると、お化け達が出てくるキレが悪くなる。お化け達が尻込みするほどの脅威というわけだ。気持ちはわかる。
結局彼の背中に隠れた後は、これといった派手な演出もなく、高い壁に挟まれた暗闇の道をしばらく歩くとようやく出口のパネルがかけられているのが見えた。
これほど生きた心地がしたことはない。もう一生お化け屋敷なんて来るか。
そんな愚痴を漏らし、外の光を求めて我先にと前に飛び出そうとしたら、サイドにある壁が建付けが悪いような軋む音を立て、次の瞬間にはこちらへ高い壁が倒れてくる。
「————桃香ッ!」
その瞬間の目の前に迫るものに呆気に取られながら、この意識の片隅には彼の声が響いた。
瞬きをしたその一瞬で、世界が暗転した。