これはデートではありません
高雅さんと二匹の猫ちゃんを連れ出して、とうとう賑わいを見せる学園の表舞台へと出てきた。
夢にまで見た外の世界だ。この胸は期待とときめきに大きく高鳴る。
「どこから回りますか? 高雅さん」
ようやく巣籠りの彼を連れ出して、外の世界に来たんだ。正直ちょっと浮かれている。
せっかくこうして外の光を浴びているんだから、この波に乗ってお祭り騒ぎをたくさん楽しまないとと彼に同意を求めれば、難しい顔をした高雅さんがそこにはいた。
「……あの、高雅さん?」
「…………」
あれれ~? やっぱり気乗りしないのかな?
不安には思いながらもう一度彼の名前を呼べば、ようやく彼は返事を返した。
「……何でもないよ。行こう」
それだけ早口に言って、人垣の中に足を進めていこうとする。遅れて私は猫ちゃん達とそれを早足に追いかける。
半ば強引にあそこから連れ出したんだし、やっぱり彼の中ではまだ少し抵抗があるのかもしれないと、何も言わない彼の心情をバカなりに汲み取る。
彼には悪いことをしてしまったかもしれない。その背中を追いかけながら私は反省した。
エントランスを出たところから、学内はすでに大きな賑わいを見せている。
学内全体の敷地でグランプリの出し物や露店が軒並び、この学院の内外問わずたくさんの人々が訪れてはあちこちで行列を作るなどの行き交いを見せている。
グランプリ用のステージがある体育館にも、朝から人の出入りが活発のようだ。本番が近いと思うと、この胸ははやる気持ちを抑えるのにまた一苦労だった。
この賑わいなら、今頃おじいちゃんは来客の対応に忙しいのだろうと、あの人の孫ながら他人事のように考える。あの人のそういう姿は孫だからちょくちょく見かけることもあった。
この日のために前日の夜に激励コールが我が家にかかって来たけれど、長くなるから一言二言聞いてからすぐに切った。あなたの気まぐれな提案のおかげで可愛い孫がこんなことになっているんだから、今日のところは忙殺されてしまえと性格の悪いことを思う。
あの人のことなんかより、余計なことは考えないでこの浮かれたお祭りの雰囲気を楽しもうと、エントランスから学院の正門まで続く露店のギャラリーを、人垣を分けながらひとつひとつ見て回る。
「クソー! こうなったら持ってけドロボー!」
「誰が泥棒だよ。いらない。こんなもの」
大赤字で泣き崩れる射的屋台の店主の気持ちも推し量らず、興醒めだと高雅さんは吐き捨てる。せっかく撃ち落とした景品もひとつも持たずにそのお店から離れようとする。
それを目の当たりにして商売を滅茶苦茶にされたお店側へのフォローもままならず、彼の代わりにひとつ頭を下げてからその人の後を追いかけていく。
試しにとやってみた射的では、本人曰く初めてと言っていたにもかかわらずすべての景品を百発百中で当ててみせ、それがこの有様だ。射的の屋台もそりゃやってられなくなる。
ちなみに私も初めてだと言う彼にお手本としてやって見せたけど、一発も当てられなかった。こういうこともある。
射的を後にして、ようやく彼に追いつくと、そろりと尋ねてみる。
「あの、つまんなかったですか?」
「そうだね。子供騙しの三流のくせに客を泥棒扱いするなんて、商売をする資格もない」
どうやらめちゃくちゃ根に持っている。
たかだか学祭の出し物の屋台ですよ。そんなムキにならないでほしいものだ。
猫ちゃん達はさっきから出店や人の流れに興味津々のようだけど、肝心の高雅さんと来たらこんな感じで微妙な反応しかしない。困ったものだ。
こうして彼と外に出られたならもっと二人で楽しみたいのに、図書室にいる時よりその顔が仏頂面だし。楽しいどころではない。ちょっとどうにかしなければ。
「あれ……藤澤さん?」
名前を呼ばれた気がしたので、振り返る。するとこのごった返す人混みの中でもこちらを見つけたらしい明海君が、グループの輪を抜けてこちらに駆け寄ってきた。スポーツ少年恐るべきだ。どんな動体視力してるんだ。
「あ、明海君……」
先日の一件を思い起こし、なんとなく彼と顔を合わせるのは気まずい。
どんな顔をして明海君と話せばいいんだ。というか、向こうはなんで態々絡んでくるんだろう。こんな不登校の落ちこぼれなんかに。
「あの、この間はごめん! 俺、藤澤さんの気持ちとか全然考えてなくて、先走りすぎたよ。ほんとごめん」
背の高い彼が、こちらに距離を詰めてきたと思えば、真っ先に頭を下げる。何とも爽やか好青年らしい潔さだ。これにはあまり慣れてないもので、少しビビる。
「ええ! そんな謝らないでよ! こっちだって言いすぎてごめんなさい」
「……じゃ、これでお互い恨みっこなしってことで。またよろしく」
ニカッと白い歯を彼は見せる。あっけらかんとしたその態度には意表を突かれた。けれどそっちの明海君の方がやっぱりいい。
こんな落ちこぼれにも気を利かせてくれるんだから、後ろ向きになっていないで今度はもっと前向きに彼とも関わりたいと思う。明海君はヒモ騎士読んでるかな。
「そういや、藤澤さんもグランプリ出るんだよね。見に行くよ。白雪姫だって?」
「ああ、うん。それはどうも……」
「こんなところにいて大丈夫なの? そういえばここには一人?」
「ええと、一人じゃなくて近くにいたはずなんだけど……」
それを言い終わらないうちに、私の背後から猫ちゃん達を引き連れてその人物が現れる。
「やあ、また会ったね」
「あ、高雅さん」
「き、桐嶋高雅……!」
やっぱりこの二人は面識があるようだった。
それにしても、あの本と猫が友達のコミュ障な高雅さんが、自ら明海君に話しかけるなんて少し意外だった。これはもしかしたら親睦を深められるきっかけになるかもしれない。
そんな思惑を彼らの知らないところで目論む私のことはよそに、その二人は淡々と会話を進めている。
しかし何やら明海君の様子がおかしい。顔色は悪くなり、その声はわなわなと震えている。
「え……ま、まさか、藤澤さん、桐嶋高雅と二人で……?」
「そうだよ。それに彼女の方からしつこく誘ってくるから、こうして彼女の散歩に付き合ってるんだよ。君の出る幕はないようだね」
ほぼ初対面の明海君を相手に、高雅さんが前のめりに返答している。どこか勝ち誇ったような顔だ。
これほど高雅さんの表情がイキイキするなんて。明海君ほどの慈悲深い好青年なら、引き籠もりの高雅さんの相手をさせるのも案外いいのかも。
ここまで会話が発展するのなら、ここは彼らのペースに任せよう。バカは下手にしゃしゃり出ない。
でも散歩と彼に言われたのは少し解せない。ペットじゃないんだから。
「もう行くよ。桃香」
「え? 高雅さん、あの……」
おとなしく会話の成り行きを見守ろうとしたけれど、さっさと明海君との会話を切り上げ、高雅さんはおもむろに私の手を引いてそのまま校舎の方向に引っ張っていく。
わけもわからずその場で放心する明海君を置いていくことになってしまった。また彼には悪いことをしてしまった。
「ちょっと、高雅さん。何だったんですか、さっきの!」
「……ほんと鈍いんだね。君って」
「何のことですか」
二人の会話は詳しくは聞いてなかったけど、明海君への態度を指摘しようとしたら、そんなとんちんかんな返答が返ってきた。また人のことをバカにしてるのだろうか。
「あの彼も、こんな絵に描いたような猿の一体何がいいんだろうね」
そうやってまたバカにはよくわからないことを言うし、人のことを猿なんて小馬鹿にするし、そんな憂いを帯びた眼差しで見られてもこっちは困る。さっきからこの頭がクエスチョンマークで埋め尽くされている。
「ふにゃあ~」
適当に校舎から中庭方面へと足を進めていると、腕の中のナッツが一鳴きする。
その方向を見れば、どうしてそのこが鳴いたのか理由が容易にわかる。
「が……学園公式マスコットキャラクターのティアラちゃん……!」
そこで私のテンションは、再び最高潮に達した。我ながら低すぎるハードルである。しかしそんなことはこの際どうでもいいと思うことにした。
ティアラちゃんの周りを囲む子供達も引くレベルでキャッキャと一人で大はしゃぎをして、そこにいたはずの高雅さんからは他人のふりをされる始末だ。こんなに可愛いティアラちゃんを前にスルーするわけにはいかないじゃない!
「ほほ~う。お前ら、公然の場でデートとはお熱いじゃないか。こっちはこんな朝から日雇いバイトみたいな仕事をさせられているというのに、まったく羨ましい限りだな」
「……ふえ?」
近くで聞き覚えのある声がする。しかし、どこからその声がしたのかは、わからない。気のせいだろうか。
すると、ティアラちゃんの頭がスポッと抜けた。
「私だ」
「ぎゃああああ!? 遠賀原さん!?」
子供達の夢をぶち壊す演出だ。その子供達はティアラちゃんの中の人の正体を目の当たりにして、一目散に逃げ出した。そりゃ泣くわ。
この場に残されたのは、中の人の正体がこれまた先日の件で軽くトラウマを植えつけられた遠賀原さんという事実に、愕然とする私だった。いやなんで遠賀原さんが……。
「このキャラクターは我が部の先代が考案したものだからな。顧問に聞けば、我が部の部長こそがこのティアラちゃんの着ぐるみを着る権利があると言うのだから、他に断ることもできないしな」
「ええ~!? あのティアラちゃんって遠賀原さんとこの製作なの~!?」
「フッ……そんなに褒めないでくれ。褒めても何も出ては来ないぞ。まあサインがほしいというのなら、将来業界に名を轟かせる巨匠の名を刻んでやらなくもないがな」
まだ褒めてないし、そこまで褒める気もない。そして特にサインもいらない。
こちらが聞いてもいないことをベラベラと語ってくれる遠賀原さんのおかげで、少ない労力で彼女が着ぐるみを着る謎を解明することはできた。まあ、知ったところで夢を壊された代償の方が大きいけれど。
「私も他人の恋沙汰をとやかく言う趣味はないが、あえて言わせてもらおう。リア充はくたばれ!!」
「おもクソ気にしてるじゃないですか! あとそんなんじゃないですからこれ!」
これまで見たこともなかった遠賀原さんの剣幕を目の当たりにする。
見事な誤解だよ。ちょっと落ち着いてください。
ティアラちゃんの格好のままこれ以上子供達の夢を壊されないよう遠賀原さんのご機嫌を取るために、彼女達が出店を出しているという場所に案内してもらう。グランプリを辞退した後、顧問の栗谷先生が理事長にかけあって当日は出店を出すことで活動の休止は避けられたらしい。
栗谷先生も大変だな。遠賀原さんのご機嫌取りのために強引に誘われたけど、お店の前にはそこそこの数の人で溢れている。
「ティアラちゃんがいっぱいだあ~!」
「あ、藤澤さんだー」
「あら、藤澤ちゃん。どうぞ好きなだけ見ていってね」
出店には小森ちゃんと西屋さんがいた。
どうやらティアラちゃんグッズの公式販売ショップらしい。これは嬉しい誤算だ。遠賀原さんに絡まれて正直気後れしていたけど、ティアラちゃんのおかげですっかりいつもの調子に戻る。
「どーせそこのぶっちょうが、またふざけたことを言って無理やり連れてきたんですねー」
「クックック……つくづく私という存在は罪な奴だな。この学院の愛されるマスコットキャラクターまでも手玉に取ってしまうのだからな」
「誰かー、斧か鎌か、とりあえず切れ味抜群のもの持ってきてくださーい」
着ぐるみのままカッコつける遠賀原さんの真横で、どこからかメガホンを取り出しながら小森ちゃんが呼びかける。相変わらずのようだ。
「そんなことより、桃太郎」
「桃香です」
そして相変わらず名前を間違えられる。誰が昔話だよ。さっさと着ぐるみを脱ぐか着るかしてほしい。
小森ちゃんとのいつものやりとりもそこそこにして、彼の肩に乗るココと店のラインナップを見て回る高雅さんから私を引き剥がし、遠賀原さんがガシッとその腕を私の肩に回す。まるで彼には聞こえない内緒話をするように……。
「この間は聞きそびれたが、これもいい機会だ。あの桐嶋高雅とはどういう繋がりだ?」
あの遠賀原さんにしては、神妙な顔だ。前置きもなく彼女がふとそんな顔をするものだから、こちらも構えてしまう。
「繋がり……ですか?」
「ああ。こう言ってはあれだが、あの男はこの学院であまりいい噂を聞かない。お前があの危険人物とどう繋がっている?」
それは、明海君も以前言っていた気がする。あの時は気が動転して、つい明海君に当たってしまったんだ。
遠賀原さんまで、まさかそんなことを言うなんて……。
どうしてみんな、高雅さんのことをそんな風に言うんだろう。確かに本人にも不器用なところがあるけれど、ちゃんと向き合えばそれもきっと彼の個性なんだ。
「まあ、新入生だから知らないのも仕方ないのだろう。だが、念のために気をつけておけ」
ティアラちゃんの頭をスポッと被り、遠賀原さんはそんな慰めにもならない言葉をかけて、一方的な会話は途切れてしまう。
さっさと売り込みに戻ろうとする彼女を引き止めようか迷うけど、結局何も言うことができなかった。
この胸の奥底では、彼女が言わんとすることを理解することができていたから……。
——君も知ってるだろう。僕が化け物だから。
それはきっと、高雅さん自身も。
その人はまだ何も口にしてはくれないけど、きっと彼自身が隠したいことと繋がっているのかもしれない。
お店の前でココとナッツと戯れる彼の姿を見つめながら、そんな直感が働いた。