グランプリの朝
ギリギリで更新できました。
ストックがないので連日投稿難しいかもしれない。
この日が来てしまったようだ。
これまでの鍛錬と消費した時間のすべてを、この日に懸けるしかない。こんなことがなければヒモ騎士を何周することができたか。
朝日が燦々と照らす学内の廊下を、早足に駆け抜ける。行き先は決まっている。
外はグランプリを盛り上げる催し物の屋台が軒並んでいる。それに比べると校舎は比較的落ち着いた雰囲気だ。その中でも特に人気の寄り付かない場所へと、この足は迷いなく向かう。
「高雅さん!」
外は非常に賑いを見せているというのに、いつものように彼はそこで本を読んでいる。
彼のお供をするように、そばには二匹の猫達もいる。
「君、図書室では静かに……って」
朝から喧しいとその人には咎められる。しかし興奮冷めやらぬ私には、そんな彼の呆れた顔など眼中にない。
「高雅さん! 見てください! まるでお祭りですよ!」
「……その言葉をそっくりそのまま君に返すよ」
めんどくさそうに相手をされた。酷い。こんなに楽しいことを共有しようとしているのに。
「……? 高雅さん、疲れてるんですか?」
「……わかる? 君のせいでね」
眉間を抑えた高雅さんに、こっちは目が点になる。何だもう。せっかく高雅さんの分もたくさん買ってきてあげたのに。
ひとまずは両手いっぱいに抱えたものを彼の前にあるテーブルの上に、ぞろぞろと乗せていく。それを目の当たりにして高雅さんがどんどん青い顔になっている。
「……一体いくつ買ってきたの」
「ふぇーと、やきほばふたはほ、おほのみはひのぶたはまひほふ、やひほうもろこひふはつ、わはあめ、はひほおりに、あほやきほりをごほん……」
「口に入れてもごもご喋るのやめてくれない。マナーがなってない」
普通にマナーを注意されてしまった。少ししょんぼりする。
「ちなみに今食べているのは、学院のマスコットキャラクターのティアラちゃんカステラです。中のジャムにはチョコやメープルの他にも色々あるんですよ」
「ふーん」
……あ、高雅さん。今ものすごく興味なさそうに戻ってった。ちくしょう。今日もよくわかんない本を読んでいる。
「高雅さんもひとつどうですか?」
「いらない」
「こんなにいっぱい買ってきたのに、一人じゃ食べきれないですよ。屋台ですけど味も悪くないですし」
「それは知らないけど、屋台なんかより君が作るものの方が……」
「え?」
本読みの片手間に高雅さんが何かを言いかけたけど、突然黙り込んでしまう。聞き返そうとしたけど、その後は「なんでもない」の一点張りだし。何なの?
あまりしつこいと相手にもされなくなってしまうので、ほどほどにして適当な椅子を引っ張り出してくる。一人で食べ切れるのかな、これ。
「……食べすぎ」
もごもごしながらフランクフルトを食べていると、高雅さんが呆れた顔を浮かべて言う。
「でも食べないともったいないし……」
「いつも思うけど、はしたないよ。君」
「ふえ!?」
いや、こんな量を一人で食べ切れるとは思っていないけど、それにしたって酷くないか。もう少し言い方があるんじゃないか。
まさか高雅さんがここまでノリをわからない人とは思わなかったから、浮かれてこんなに買い込むんじゃなかった。バカは調子に乗ると後先考えないものだからな。
日頃から彼にはしたない女なんて思われていたなんて穴を掘って入りたい気分だけど、今日は本番の舞台があるんだからそんなことも言ってられない。
「ついてるよ」
口の端に残っていたらしいカステラのジャムを、彼の指が掬いとる。
それだけでも顔が惚けてしまうのに、さらに彼がそれを迷いもなく自身の舌で舐めとるのだから、状況を飲み込むときには顔が真っ赤だ。
「……味がくどいな。屋台の出来なんてこんなものか」
彼には苺ジャムの味が好みではなかったらしい。梅干しでも舐めたように渋い顔をしている。
あんたはどうしてそんな顔ができるんだよ。
「ななな何するんですか! まだうら若き乙女にこんな仕打ちを……!」
「人のゼリーを勝手に食べておいてよく言うよ」
そんなことも少し前にあったような気がする。でもあれは高雅さんや小人達の冷やかしのせいもある。
「あれ? そういえば小人達はまだこっちにいないんですか?」
「彼らがいると暴れて本が読めないからね」
おかげでこの日の図書室はやけに静かだ。少し寂しい。
本番の前には出してやるんだからいいだろと自分の読書を優先する高雅さん。でも代わりにこうして猫ちゃん達と水入らずもいいかもしれない。
膝の上で白猫ちゃんのもふもふを堪能し、黒猫ちゃんは私が買ってきた屋台の食べ物に興味津々だ。
「この猫ちゃん達の名前、まだつけていないんですよね」
「……まあ」
「あの私すっごくいい名前を考えて来たんですよ!」
「却下」
「まだ何も言ってない〜!」
せっかく考えてきた名前を持ち出す前にもう釘を刺されてしまった。
しかしここで砕ける私ではない。押し切ってやる。
「白猫ちゃんがココで、黒猫ちゃんがナッツです」
「……二匹足してココナッツって?」
「グッドです!」
親指を突き立ててワクワクと彼の反応を期待すれば、読書の手を止める気配はない。
「どうやら頭も南国気分でおめでたいね」
「むっ、なんですかその微妙な反応。猫ちゃん達はこんなに気に入ってくれてます」
「ミャ、ミャン……」
「いや、どこが」
膝の上の白猫ちゃんが、何とも言えない歯痒い声で鳴いている。
あれ、おかしいな。こんなはずじゃなかったのにぃ。こんなに猫ちゃんにぴったんこな名前なのにぃ。
「大体、彼らにも名前くらいあるよ」
「ええ!? そうなんですか!? それなら教えてくださいよ」
「嫌だよ。めんどくさい」
私は売店で買ってきたココナッツジュースを飲みながら、高雅さんから唐突に聞かされた事実に目を見張る。
今まではぐらかされていたから、てっきりないものだと思っていたんだけど。しかし名前を言うだけでもめんどくさがるなんて。この本の虫。
ここは高雅さんに猛プッシュしてなんとか名前を引き出さないと。
「高雅さん。桃香の一生のお願いです」
「つい最近君の一生のお願いを聞いたところだよ」
それもそうだった。すっかり忘れていたよ。でもまだめげないもん。
「で、でも猫ちゃんの名前が気になって、桃香は本番の舞台に集中できるかわかりません」
「……」
花も恥じらう乙女のようにおずおずとそんなことを言えば、高雅さんはしばらく逡巡した後にようやく口を割ることにしたようだ。
「……黒が、クロスフィリーオ・ロッティ・プランティスフィン・ミリオーセ・ナイトレイ……白がアラスコンティ・ティモ・カットレイ・アランベラルーシ」
「長げぇ!」
「うにゃん」
今度はテーブルの上で寛ぐ黒猫ちゃんが、得意げに鳴いた。
どうやら彼らが描かれている画集に、その名前が書かれているらしい。あれ確かフランスの画家だとか言ってたよね。この人フランス語まで読めたのかよ。
でもまあ、高雅さんがそれを渋る理由が少しわかった気がする。そんなスラスラ言えるなんて、バカには信じられないよ。次元の違う頭を羨ましながら、テーブルの上のものを適当に摘む。
「まだ朝なのに、よくもまあそんなに食べられるよね……」
「高雅さんもどうぞ」
「遠慮するよ」
私の食いっぷりを目の当たりにして、高雅さんは少々引いているらしい。そんな顔をしている。
だからあなたが食べてくれたらこんなに腹が膨れることもないんですよ。
こんなに食べ物があるのに、高雅さんの興味を唆るものはないらしい。美食家の食欲を刺激するには一筋縄ではいかない。
もしかしたらここにはないのかもしれないと、ふと窓の外の景色を一瞥する。
よく晴れた青空が見える。
「じゃあ……一緒に外を見に行きませんか?」
特に深くは考えず、そんな言葉が口を突いて出る。
「――何、急に」
「外に出てみれば、きっと高雅さんが食べたいものも見つかるんじゃないかと思って」
「君を見ているだけでお腹が膨れるよ」
なんだそれ。褒めてんのか貶されてんのかよくわからない。
こんなにたくさんのご馳走が目の前にあっても、一人でもぐもぐするなんて味気ない。
もっとあなたと、いろんなことを共有したいのに。
「せっかくなら二人でいろんなお店を回りたいんです。こんな日くらい」
きっと本音はそれなんだ。
こんな日まで紙と本棚に囲まれた部屋に引き籠っているなんて、もったいない。
小人達も今はいないことだし、二人でまた外の世界に飛び出してみるのもいいかもしれないと、淡い期待をする。
「……今日の君はやけに気持ち悪いな」
「いつも気持ち悪くないですよ!」
期待は寄せつつも、高雅さんなんてこんな盛り上がる行事が特に嫌いだから、こんな辛気臭いところに引き籠ってるんだもん。これは望み薄かなあ……。
「まあ、ココとナッツに免じて、君の気まぐれに付き合ってやってもいい」
「ふえ!? 今高雅さんなんて!?」
「ここで君のご機嫌取りをしておけば、本番もまさかヘマはしないだろうし」
「何気にプレッシャーかけるのやめてくださいよ!」
緊張するから今は本番のことはあんまり引き摺らないようにしていたのに、この引き籠もりサディストめ。
それでも、本の手を止めて、案外このわがままを聞いてくれるらしい。意地悪な人だ。
「君となら、飽きることもなさそうだしね。桃香」
それでも時たまに、紅茶に溶ける砂糖のような甘さもある。
だからこの心はあなたにもっと引き寄せられるのかもしれない。
「どうかしたの」
「あ、いえ……それじゃあさっさと行きましょう! ココとナッツも!」
高雅さん達を半ば強引に引っ張りながら、外の世界への期待に図書室を飛び出した。
扉も閉め忘れたそこは、もぬけの殻になる。
そこには初夏の風にふわりと吹かれるカーテンと、読みかけの本のページが残されていた。