林檎のように甘くはない
白雪姫捜索隊が結成され、ここにいる隊員で分担して辺りを隈なく捜索する。
けれど結局のところ公園内で白雪姫を見つけることはできなかった。あんな目立つ格好をしていたら普通すぐに見つかるはずだけど……。
「ここにいないってことは、まさか公園の外に出たのか」
白馬先生が、その考えにたどり着く。
「でも、どうして……」
「さあな。攫われたかもしれねえし、自分の意思で出たのかもしれない。とにかく白雪姫を探すんだ。お前ら行くぞ」
それもそうだ。結局のところ白雪姫を見つけて本人に聞くしかない。
公園を出ると三手に分かれた。白馬先生、ドックさん、高雅さんをそれぞれ先頭に部隊を分け、私は高雅さんと北側を捜索する。
公園から北には商店街があるということで、そこでまずは聴き込みをすることにした。
「あ、あの、えっと、黒いマントを着ていて、こう白雪姫っぽい人を見ませんでしたか……?」
「あぁ?」
「彼女くらいの背丈で、黒のローブを羽織ってる。それと林檎の籠を背負った少女を見なかった?」
「ああ。林檎の嬢ちゃんならほんの少し前にここを通ってったぜ」
説明下手な私に代わり、高雅さんが説明を受け持ってくれる。干物屋のおじさんがすんなりとそう教えてくれた。
「籠いっぱいに林檎なんか担いで、何か知らねえがわけありそうだったな。なんだい。あんたらの知り合いか?」
「ええ、まあ」
「また見かけたら引き止めておくよ。ついでに干物は買ってかないかお兄さん達。今ならカップル割引だよ」
「ふえ!?」
「遠慮するよ。じゃあね」
さらりと干物屋のおじさんのジョークを躱した彼に対して、バカはまんまと間に受けてしまった。あの蛇め、干されてしまえ。
白雪姫が去ったという方向に商店街の大通りをしばらく歩き、今度はコロッケ屋のおばちゃんに話しかけてみる。
「ああ、あの嬢ちゃんかい。気立てのいい顔に似合わない服装してたからよく覚えてるよ」
どうやら白雪姫のことは覚えているらしい。そりゃあんな黒装束でいたら通報されていてもおかしくはない。なんなら誰かが通報してくれる方が救われる。
「しら……じゃなくて、その女の子がどっちに行ったかわかりませんか?」
「残念だけどあたしゃ知らないねえ。だけど、あっちの果物屋の兄ちゃんなら、何か知ってるんじゃないのかい」
とコロッケ屋のおばちゃんから有益な情報を得たので、さっそくその果物屋に向かう。
コロッケ屋の右斜め向かい側にある果物屋には、白馬先生くらいの年齢のお兄さんが立っていた。
「あぁ、彼女は林檎の星から舞い降りたプリンセス。俺の天使だ。マイ・エンジェルーーー!!」
「…………」
……非常にクレイジーな店員のようだ。
ちなみに話しかけた時からこんな調子だ。頭が痛い。
高雅さんと並んで唖然とその店員のうわ言を聞く羽目になっていたら、向かいのコロッケ屋のおばちゃんが助け舟を出してくれた。
助かった。高雅さんなんて今にもその辺の果物を投げつけそうな顔で睨んでる。
「バカだよねえ。果物屋なのに可愛い娘に果物勧められてそのまま買っちゃうなんてさ」
「えっ」
「そんなこと言うなよ。ばあさん。あの娘は俺に健気な眼差しを向けながら林檎を買ってくれやしないかって言うんだぜ? 買うだろ!」
「お前さん、それでも商売人かい。ライバルに何を同情してんのさ。おまけに一個2000円なんてぼったくりもいいところさ」
「お、俺にはそんなの関係ねえ! エンジェルのお役に立てるならどんな負け株でも買ってやらぁ!」
「…………」
救えねえ、とこの場の彼以外は思うだろう。彼とはどうやら次元が違うようだ。そっとしておこう。
しかし、あの次元が違う店員のおかげでわかったこともある。白雪姫はどうやら高値であの林檎を売りつけているらしい。
攫われてはいないようだけど、あの格好であのまま自由にさせていたらいつか詐欺で捕まってしまう。早いところ見つけ出さなければ。
「高雅さん。どうして白雪姫はそんなことを……」
「……さあ。本人を見つけ出して問い質すしかないだろうね」
確かに人格はやばい人だけれど、可憐なイメージの白雪姫が悪どい商売に手を染めるなんて、何が不満なんだろうか。やっぱり私の日々進歩のない演技指導に嫌気が差して、ギャンブルにでも手を出したくなったのだろうか。そんなことだったら一生立ち直れなくなる。
わりと本気で自分の某演技のせいじゃないかと変な勘繰りをしてしまう。
そうこうしていたら、あっという間に商店街を抜け、どこかわからない裏道に入ってしまった。
「……あれ、高雅さん?」
しかも、隣にいたはずの高雅さんもいなくなっている。忽然と。
こ、これはまずくないか。ここがどこかわからないし、あの高雅さんまで迷子になってしまった。ひとまず急いで引き返そう。
日向の当たりにくい裏道からそそくさと出ようとしたら、振り返った瞬間に激しく肩をぶつけてしまった。
よろけて近くの堤防のコンクリ壁に背中を打ちつければ、どう見ても堅気じゃない方からギロリと睨まれた。
「ああん? てめえ誰にぶつかってんだよ」
ちょっと肩がぶつかっただけじゃん、とはとても言えない空気だ。二人組はシャツの首や腕から刺青がチラ見えしている。
とても穏やかな状況ではない。こっちはただでさえ迷子の高雅さんを探さなきゃいけないのに……とかふざけてる場合じゃなくなってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「随分と軽い挨拶じゃねえか、嬢ちゃん。面貸せや」
「今ので親方の腕が折れちまったじゃねえか。慰謝料払ってもらおうか」
ひゃああ、肩ぶつかったくらいで折れるなんてカルシウム足りてないんじゃないですかあ? なんてとても言える空気じゃない。
こんなことは前にもあったような気がするけど、今回ばかりは絶望的かもしれない。高雅さんも迷子だし……。
「ちょっといい?」
背後から忍び寄る白い手が、子分の人らしき人の肩に置かれる。そして振り返ると、その人の胸倉を引き寄せて、鳩尾に強烈な膝蹴りが入る。
「フガッ!」
「一匹」
一発KOだ。この人素手でも結構やれるタイプなのか。心なしかその顔が生き生きとしている。
「な、なんだお前!?」
私にぶつかったもう一人が叫んだ。
裏道の薄闇からボキボキと腕を慣らす不気味な男子高校生が出てきたら、そりゃ戸惑う。しかも一人を一発KO済みだ。
「3つ数える間に決めるんだ。僕の前から消えるか、僕に消されるか……」
蛇の鋭い目が、光を宿して獲物を睨む。
その眼つきには狂気と戦慄を憶える。肌をチクチクさせるような彼が纏う空気に、一月前の記憶がフラッシュバックする。
「1……2……」
「ふ、ふざけやがって……覚えてろ!」
結局その人は、血に飢えた猛獣のような威圧に押し負けて、子分を引き摺りながらさっさと裏道の奥にトンズラして行った。
「……なんだ。見かけだけの奴らか」
獲物をみすみす逃して少し肩を落とす高雅さんが、裏道の先にある暗がりを見据えている。
平然とそこに立っている高雅さんからは、先程のような獰猛性など微塵も感じない。けれど、あの瞬間の彼への恐怖がまだ抜けない。
力がフッと抜けて、この身体が追い詰められた壁際に膝から崩れ落ちる。
その音を聞いた彼が、俯く私へと問いかける。
「……あいつらに何かされたの」
「……いいえ、高雅さんが助けてくれたから、大丈夫です」
私を気遣って、彼らしくもなく苔や雑草だらけの地面に膝をついている。
そんな彼の優しさにも、今はこの身体が竦んでしまう。自分でもよくわからない。
あの瞬間の彼は、まるで別人のようだった。いつもの席で本を読んでいる彼とは違う……彼の秘密を偶然にも目撃してしまったあの日のよう。傷跡もない左手がズキンと疼いた。
「……君はバカだから、自分の身の守り方を知らない」
彼の目にも、この肩が小刻みに震えていることは見抜かれているのだろう。
私の肩に触れかけた手は力なく線を描いて落ち、彼は代わりに言葉を紡ぐ。
「目の前にいる奴が怪物でも、同情の余地を見出してしまう。君の気持ちはよくわかったよ」
この胸にふと湧いた彼への恐怖心は、その人の目に見透かされていた。なんて滑稽なことだろう。
「君は、白馬のもとに戻りなよ。白馬には僕から連絡しておくから」
「高雅さんは……」
「僕は一人で彼女を探すから」
それだけを告げて、私のもとから離れていく彼を、咄嗟にこの手で掴んで引き止めることができない。
「どうして……」
「それは君も知ってるだろう。僕が化け物だから」
――また一枚の壁が、背を向ける彼の表情を隠してしまう。
「……あの老いぼれには悪いけど、今の僕には君を預かる資格はない」
そんなことまで言われてしまうなんて、思わなかった。ようやく掴んだあなたへの糸口だったのに。
「……すまない」
その壁を壊したくても、この身体には少しも力が入らない。結局彼の背中を見送ることしかできなかった。