図書室の番人
場所は再び理事長室。
おとなしくして来客用のソファーに座らされた。もう抵抗することも馬鹿馬鹿しくなってきた。権力には逆らわない方がいいということだ。
「やぁ、桃香、よく来たね」
「……毎回変な人達を寄越して、可愛い孫娘を無理矢理連れて来させておいてよく言えたわね」
外でボランティア委員会の奴らが見張りをしていなければ、ここから逃げられたのにっ……。
おじいちゃんは出された緑茶を一口啜った後、ティーカップを皿に戻した。緑茶にティーカップって、どっちかにしろよ。
「どうだい。この学校もなかなか素晴らしいものだろう?」
今更何のお膳立てか、おじいちゃんがわざとらしさ駄々漏れで話を逸そうとしている。
そうですね。なかなかありませんよね。生徒を拉致、拘束、強制する素晴らしい学校なんて。
「図書室に行ってきたそうじゃないか。ならちゃんと挨拶はしてきたのかね?」
「うん? 挨拶って?」
「図書室にいると言ったろう。まさかまだあいつと会えていないのか? おかしいのう、あいつは大抵自分の巣に籠もって本に没頭しているはず……」
おじいちゃんが何について言ってるのかはさっぱりだけど、図書室といえばさっき会った頭のおかしいイケメンのことを思い出した。
「そういえば……図書室でイケメンの男子に会っだけど、野良猫のように摘み出されたわよ」
図書室でイケメンにされた仕打ちにムシャクシャしていると、私の吐き捨てた台詞におじいちゃんが反応した。
「ほう、なら喜びなさい。そのイケメンが、お前の特別講師となる桐嶋高雅という男だ」
今度は一体どんな無茶を言ってくるのかと思えば、あの人が私の特別講師になってくれるのか。なんだなんだ、あの無愛想でさらっと頭のおかしなこと言う人が、私の講師になるのか。そっか、そっかー……。
「なんだって!?」
何かの間違いじゃないかと、中間にあるテーブルまで身を乗り出す。今のは何かの聞き間違いであってほしい。
「嘘でしょ!? 講師って……と、年だってそんなに変わらないじゃない!」
「ああ、だが奴はこの学院でも無類の奇才じゃ。教員たちよりも若い者同士の方が気が合うと思ってなあ」
年寄りが考えそうなことだ。あんなのと気が合うなんてちょっと考えられないんですけど。眼つきで人のこと殺せそうなんだけど。
「実力は、私が保証する。お前が心配することはない」
そういうことじゃないけどな! おじいちゃんなりに私の頭をどうにかしようと考えてくれてるけどもう手遅れなんだな!
「講師なんていらないよ。おじいちゃんの学校に入る気だってないし。あんな人が私みたいなバカに付き合ってくれるはずないし」
あの感じじゃろくに取り合ってもらえない。追い返されるのが目に見える。
おじいちゃんの話だと授業もあるはずなのにずっと図書室に籠もっているみたいだし……図書委員なのか? 生徒を図書室から追い出す図書委員があるか。まあ、部屋に籠りがちなのは私もそうなんだけど。あはは。
「そもそも図書室に籠ってるってどういうことなの。ろくに話も通じないし、あんな人とはとても気が合うなんて思えないんだけど」
特に深くは考えずにおじいちゃんに尋ねたけれど、その当人はおもむろに表情を曇らせていた。
「……あいつは、特別なんだよ。特別であるが故に、昔から何もかもを背負わされて来た。図書室は奴の、唯一傷を癒してやれる場所なんだよ」
バカには事情はよくわからないけれど、ああ見えて結構繊細な人なんだろうか。何か傷ついた過去があるのかもしれない。いつもふざけているおじいちゃんがこんなに真剣になるなんて、よっぽどのことだろう。
「桃香、もう一度よく考えてほしい。これはお前のためであると同時に、あいつのためでもある。多少とっつきにくいところがあるかもしれんが、それでも高雅とは仲良くしてやってほしい。……私からのお願いだ」
いつになく孫娘に真剣な表情で、おじいちゃんはそんなお願いをしてきた。
私はバカだから、彼の抱えてきた痛みなんて全然想像できないけど……。
「今日はここまでにしようか。明日に備えてゆっくりしなさい」
そう言って、外に待たせていたボランティア委員会の人達を呼んだ。部屋の温度が急上昇した。
「どうも! 我々ボランティア委員会、藤澤殿を迎えに参りましたぁッー!!」
一人が部屋の中に入ってきて敬礼する。とにかく暑い。お前はどこぞの人間ヒーターだ。
重い腰を上げて部屋を後にしようとした私を、おじいちゃんは私の肩に軽く手をかけて最後にこう言ってくれた。
「大丈夫だ。また何かあった時はここに来なさい」
昔と何ひとつ変わらない優しい瞳で、私を励ましてくれるおじいちゃん。ちょっとだけ小さい頃の無邪気な気持ちを思い出す。
あーあ、おじいちゃんは憎めないなあ。
朝から目まぐるしいことが続いたけど、ようやく我が家に帰って来ることができた。私は自室に籠るやいなや、自分のにおいが染みついたベットにダイビングした。布団の柔らかさが、今日一日の疲れを癒してくれる。ベット最高ー。
吹奏楽部のメチャクチャな楽器演奏から起こされて始まり、その後は拉致されて学校に強制連行。理事長室にまで連れて行かれて、おじいちゃんと再会後、入学式に出場させられたかと思えば、ボランティア委員会の奴らにあっちこっち振り回されてもうへとへとだ。
その後も白猫を追いかけたりといろんなことがあって、そうして図書室で見つけたんだ。あの不思議な人を――……。
桐嶋高雅――私の特別講師になる人らしいけど、気難しそうだなあ。そりゃあ、顔はカッコいいし、どちらかといえばタイプだけど、ちょっと怖そうな人だったし……。
図書室は僕以外立ち入り禁止とか、誰も寄せ付けないオーラとか、あんな隙のない完璧な人にどうやってお近づきになればいいんだ。バカにはハードルが高すぎる。
そりゃああんなイケメンに勉強まで教えてもらえたら、私の暗い人生どんなに薔薇色か。だけど相手には物凄く迷惑な話だろうな……とか考えるとわけがわからなくなる。
バカが頭を使うもんじゃないな。明日も学校に行かなければいけないのかな。ああもうどうしたらいいんだろう。
……そういえば、おじいちゃんが何か言ってたことを思い出す。
――あいつは、特別なんだよ。特別であるが故に、昔から何もかもを背負わされて来た。
あの人が図書室に籠るようになった理由……詳しくはわからないけど、あの人にも何か抱えるものがあるんだな。ほんの少しだけど、その気持ちがわかるような気がした。
部屋に籠もっている間、自分のやるせなさにどうしようもなく落ち込んでしまう気持ちは、たぶん一緒だろうから……。
今もあの図書室で、あの人は一人なのだろうか。あの広い部屋で、いつも何を考えているんだろう――……。
頭を使いすぎてうとうとしているところに、リビングから母の呼び出しがあった。
今となれば、あの時寝たフリでもしておけばよかったと、スーパーへの近道を通りながら母親への不満を呟く。なんと、リビングに下りた矢先に我が家で通用のエコ袋を突き出され、お使いに繰り出されてしまった。
渡されたリストを睨みながら路地を歩いていると、一匹の猫が通り過ぎていった。
それを見て、私は「あっ」と小さくこぼした。
「あの白猫、一体どこに行っちゃったんだろう?」
今日の一日でいろいろなことがありすぎて、すっかり忘れていた。おかげでおじいちゃんにも聞きそびれてしまったじゃないか。
一息吐いた後、小さく笑った。
まぁいいか、また明日聞けばいいんだし。