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迷子のあのこ


 やっと口を薄く開いて、白馬先生の問いに答えようとしたけれど、その顔はやけに臆病で、自信がないように俯いていた。


「……よく、わからないんです。白馬先生みたいに、高雅さんと長い付き合いでもないし、能力のことを教えてくれたのは、あの日偶然見てしまったから仕方なくなのかもしれない。最近彼と一緒にいる時間が増えて、ふと思うんです。この人のこと、知らないことばかりなんだって」


 まだ半分以上残っている缶をぎゅっと両手で握りしめて、胸のわだかまりを打ち明けてみた。

 こんなこと本人の前で言える勇気なんてありやしないから。だけど誰かに聞いてほしかったんだと思う。それに、誰でもいいわけじゃない。


「クラスメイトに高雅さんのことを色々言われた時も、頭に来たけどあんまり言い返せませんでした。高雅さんのこと知ったようについ言ったけど、きっと何も知らないんだって気づいて、途中で逃げちゃいました。なんか落ち込んじゃいましたよ」


 白馬先生は、何も言わずに耳を傾けてくれた。

 だから長閑な水音を聴きながら、このマーブル模様の気持ちを打ち明けることができた。それだけでも、バカには大きな進歩だ。


 眠っているあの人が不意にこぼした言葉を思い出すと、胸騒ぎが止まない。

 そんな相手がいることも、それがどこの誰なのかも、彼の何も知らない。その人の心に刺さったままの刺の数を。


 きっと何も知らない方が、今も変わらずちょっとバカで可愛い後輩として振る舞えたと思う。


 でも、そんなの……。




「……それはどうかな」


 公園の自然の木漏れ日を眺めながら、風船から空気が抜けていくような声を彼が漏らした。

 俯かせていた頭を彼の方に上げると、白馬先生は肩に入る力を抜くように苦笑する。


「俺も少し前までは、そんなことを考えたりしたよ。高雅とは二年の付き合いだけど、あいつがあの場所で不意に本を閉じて何を考えているのか、俺にはよくわかんねえよ」


 二年なんて、私には十分長い時間だと思う。流れる時間がゆっくりすぎて、自分はこのままちゃんと大人になれるのかと、バカでも思ったことはある。


「そう、なんですか……?」


「そりゃ俺は、高雅みたいな特別な力もねえし、人の心なんか読めねえよ。空気はバカみたいに読んできたけど。でもそんなことしたって、手放すものもある。どんだけそばにいてほしいって願っててもな」


 いつも底抜けに明るい白馬先生のその一面は意外なものだった。

 高雅さんには度々振り回されているけど、仕事はスマートにこなして、大人の余裕があって、ちゃんと恋をして、充実してそうだもん。

 でもそんな愛想笑いを浮かべているのを目の当たりにすると、人の側面なんてわからないものなんだと思った。


 白馬先生みたいな人生経験豊富そうな人でも、悩むことがたくさんあるんだ。

 そしたら私の悩み事なんて、ほんとにちっぽけなものなのかもしれない。



「だから、俺より高雅と直接向き合うしかないんじゃないか。桃香ならきっと大丈夫だろ」


 結局のところ、それしかないだろうと白馬先生が背中を押す。

 それが簡単にできたらこんなに頭を使うこともないんだけど、バカでも無神経とまではいかないのだ。また土足で踏み込むなと怒られるかもしれない。


「だって、白馬先生がダメなのに、こんな大根芝居のバカがどうにかなるわけないじゃないですか……」


「まあ、あいつのことは長期戦にはなりそうだが、そうやって地道に叩いてりゃいつか高雅の方から壁をぶち壊してくれるかもしれないだろ?」


 おもむろに立ち上がると、彼の手には飲み干した缶が握られている。離れたベンチ脇にある屑籠に鳶色の目は狙いを定めている。



「焦るんじゃなくて待つのも大事だぜ。それに、俺は信じてるよ。高雅の方から自分の殻破って全部打ち明けてくれる日を」




 ――虹が描く弧のように、空き缶は軽い音を立てて籠の中に吸い込まれていった。



「おっしゃ。ホールインワン!」





 息抜きもそこそこに、練習を始めようと白馬先生が背伸びをし、私も缶の残りを飲み干すと、彼らがいる遊具場に向かう。

 そこには砂場で個々にはしゃぐ小人達と、そんな彼らを見守る高雅さんがいた。砂場に近いブランコの鉄柵にもたれかかっている。


 白馬先生がいつもの調子で高雅さんに駆け寄ると、泥だらけのドーピーちゃんがこちらによちよちと近づいてきた。


「ねーねー、モモカの王子様って誰ー?」


「へっ?」


 うるうると純粋な子供の目に見上げられる。


「だって白雪姫が言ってたんだもん。女の子には、みんな運命の王子様がいるんだってー。モモカの王子様って、高雅なのー?」


 どうやら白雪姫の一言が、この場をかき乱したらしい。

 あの白雪の皮を被った魔女め!



「モモカ〜?」


「……ドーピー、その辺にしておけ。拷問だ」


「意外とええ反応しよるな、モモカはん」


 いや、すぐそこに高雅さんだっているし、なんて答えたらいいの?

 下手に拒んだらあの鉄柵引っこ抜いてこっちに投げてきそうだし。あの白雪姫許すまじ。



「そういえば、王子役はどうするの。白馬」


 こっちではやいのやいのと小人達が騒ぐ傍らで、ブランコ付近にいる彼らの会話が聞こえてくる。

 白馬先生は唖然とした顔で彼を見つめている。そのなんとも間の抜けた顔を見て、高雅さんがどこか殴りたそうにしている。


「そんなの、お前の能力があればパッと出せるだろ」


「無理だよ。原型がない」


「はあ!?」


 そんな一声を張り上げて、白馬先生の顔が強張った。

 それはつまり、毒に冒された白雪姫を颯爽と助ける王子様が不在という事態だ。

 そうなればそもそも舞台が成立しない。


「一応、後半のページにそれらしい背中があったけど、のっぺらぼうでいいなら出してあげようか?」


 おまっ、ふざけんな! 誰がその相手役だと思ってるんだよ! こっちがそのまま永眠するわ!



 私からの猛抗議の末、それはなんとか避けられたけれど、現状の課題は解決していない。

 私がどれほど白熱した大根演技を見せたところで、王子様がいなければエンディングを迎えられない。


「参ったな。こうなればお前が一肌脱ぐしかないぜ。高雅」


「……僕は裏方で忙しいんだよ」


「頼むよ。俺だってナレーションがあるから手が回らないんだ」


 手のひらを合わせて懇願するが、高雅さんは面倒くさそうな顔を彼に向けている。

 あの高雅さんだもん。王子様って柄でもないし、こればかりは断られても仕方ない。



「ぴぎゃあああああ!」


 そんなところに小人達の悲鳴が響いた。公園の敷地全体に響き渡るほどのものだ。

 何事かとこの場の三人が悲鳴の方へ振り返る。するとこれまたドーピーちゃんがわなわなと震えている。


「うわあああん! せっかく作ったお城がああああ! 何するんだよハクバァ!」


「す、すまん!」


「すまんで済んだら警察はいらんわ」


 泣き喚くドーピーちゃんの隣で、スニージーちゃんや他の小人達もショックを受けている。

 どうやら白馬先生が、勢い余って砂の城を足で崩してしまったらしい。一生懸命に謝ってはいるが、あまり効果はないようだ。


 その近くでは、ドックさんが辺りをキョロキョロと見回している。


「ドックさん、どうかしたの?」


「モモカさん。さっきからバッシュフルとハッピーの姿が見当たらないのです」


 ドックさんが青い顔でそれを教えてくれる。稽古どころではなくなり、みんなで辺りを捜索する。

 ど、どうしよう。誘拐とか、身代金とか要求されたりしたら……おじいちゃんに泣きつくしかないだろうか……。



「あれー? みんな茂みなんか漁ってどうかしたの?」


「……隠れんぼ?」


「違うッ!」


 最悪の事態さえ想定していたのに、普通にいたし! 隠れんぼじゃないし!


「二人でどこへ行ってたんだい?」


「空き缶、捨ててきた」


「バッシュだけじゃ危なっかしいから、ついてってあげたんだよー♪」


「……嘘、練習サボろうとしてた」


「あっ、それ内緒って言ったじゃん♪」


「お前ら……いいから勝手な行動はしないでくれ……」


 白馬先生が死にそうな顔をして小人二人に縋る。彼がここの責任者だからな。白馬の名に恥じない顔面蒼白さだ。


 しかし大事には至らなかったのでよしとしよう。そうしてようやく稽古を始めるかと思えば、今度はグランピーちゃんとスリーピーちゃんが忽然といなくなってる。またかよ!


 再び捜索隊を出動するが、今度はあっさりと見つかった。公園の中央にある噴水に彼らはいた。何故かすっぽんぽんだ。

 

「なにッ、これはプールじゃないのか!?」


「どんな勘違いしてるのー!? とにかく早く出てえええ!! スリーピーちゃんはお願いだから寝たままスイミングしないでえええ!!」


 そんな調子で小人達が羽目を外していたら、とうとう白馬先生の堪忍袋がブチ切れた。

 


「お前らなあ……いい加減にしろッ!!」


「「「ご、ごめんなさい〜!!」」」


 語尾が荒々しくなった白馬先生に、余程身の恐怖を感じたのだろう。小人達が一列に並ばされ、彼に言われるがまま正座をさせられている。こんな白馬先生は見たことがない。


「チッ。もうこんな時間かよ。さっさとやんぞ。てめえら全員、今度ふざけた真似したらわかってるんだろうな」


「「「イエッサー!!」」」


 ビシッと敬礼をキメて、機嫌の悪い白馬先生に言い返すものはあの場に誰もいなかった。

 うん。白馬先生を怒らせるのはやめておこう。バカはひとつ学んだのだ。



「よし、じゃあまずは白雪姫――」


 この場を仕切りながら振り返る白馬先生は、それ以上言葉を続けることはなかった。

 この場に連れてきたはずの不審者ばりの装備をした白雪姫の姿が、そこにはない。



「……白雪姫?」


「あれ?」


「……いないね。彼女」




 捜索隊が再始動する事態となった。




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