心機一転ということで
レジャーシートの上に、サンドイッチが詰められたバスケットを広げて、みんなでランチを囲む。タマゴ、ハム、ツナと、数種類の具を用意したから、小人達がどれを食べようかとはしゃいでいる。
そんな和気藹々とした週末の昼下がり。
……と言いたいところだけれど、そうはいかないらしい。なんだか曖昧な言い方になってしまった。
私は小人達の様子を見守る傍ら、ふと白馬先生の隣に座る高雅さんをチラ見する。
どこかぼんやりとしているし、サンドイッチにはまったく手をつけていない。食欲ないのかな。
左肩の怪我の具合も心配だし、それにさっき偶然聞いてしまったことが、盗み聞きしてしまった罪悪感とともに私の胸をざわつかせる。
――――……必ず殺してやる。
あれは、誰のこと?
殺してやる、って……。
日頃から口は悪い人だけど、あの瞬間の彼の言葉は本気のようだった。悪ふざけなんかじゃなく、心の底から憎んでいる相手がいる。
それを彼の意識がないところで不覚にも知ることになってしまった。
正直、戸惑うことしかできなかった。
その後、うなされていた彼が目を覚ましかけたので、慌てて彼から隠れられるカウンターの死角にしゃがんで身を潜めた。
どうしてか心臓がバクバクしていた。また彼の秘密に足を踏み込んでしまったかもしれない。
心ここにあらずの高雅さんを気にかけた白馬先生が、その横から気さくに声をかける。
「高雅、食わねえのか」
「……いらない」
「せっかく桃香が作ってくれたんだから、少しくらい手つけてやれよ。お前が食べてくれねえからずっとこっちを気にしてるぜ」
どうやら白馬先生には見透かされていたようだ。理由は少し違うけど、私がチラチラ高雅さんを気にしていることをあっさりとバラされてしまった。
いつもなら小言のひとつも言うんだけど、今はなんとなく言葉の引き出しが思い浮かばない。
「あの、私は、その……」
「……」
じっとこちらのあたふたする様子を見ていた高雅さんが、おもむろに手近なツナサンドを摘んでそれを一口含む。
「……缶詰の味がする」
「お前なあ、もうちょっと可愛げがねえと愛想尽かされんぞ」
「そ、そうですよ。高雅さんはそうやっていつも意地悪言うんですから……」
そりゃお手軽なツナ缶で作りましたよ。白馬先生もちょっと呆れているし。
いつもと変わらないテンションで返したつもりだけど、ちゃんと笑えていたかな。表情がぎこちないかもしれない。
高雅さんはその一切れを食べて、他には手をつけなくなってしまった。
そして午後の練習を再開しようと、白馬先生が全体に声を張り上げる。
「おい! そろそろ稽古に戻るぞ! いつまで怠けてんだお前ら」
「え〜、もうちょっといいじゃん」
「疲れた」
「眠い」
「……お前らな」
食後の気が緩みに緩んだ彼らに、白馬先生が絶句している。
自由奔放な小人達は、食後ということもあって余計に気が緩んでいるみたいだ。スリーピーちゃんとバッシュフルちゃんが夢の中だ。
すると私の隣で休んでいた白雪姫も、不意にガクンと頭を落とした。
肩より少し長い黒髪が、さらりと揺れる。
「白雪姫? 眠いの?」
「あ……ええ、少し……」
白雪姫もどこかぼんやりとしている節がある。私の指導に嫌気が差したのかもしれない。
こんなことで大丈夫なのだろうかと、一番足を引っ張る私が言うのもなんだけど、不安だ。
「小人達は後回しだ。ひとまず白雪姫の演技指導強化からだ! なあ、白雪姫!」
「……あ、はい。何でしょうか」
「……」
気を取り直して白雪姫に語りかけた白馬先生だったけど、見事に撃沈されたようだ。肝心な白雪姫もどこか上の空ときた。
居場所を求めるように、白馬先生は高雅さんのもとへすり寄っていった。困ったときの高雅さんですか。
「高雅ぁ、お前から何か言ってくれよぉ〜」
「……」
しかし頼みの綱の高雅さんも、あの調子じゃ相手にしてくれない。白馬先生はとうとう窓辺に近い壁際でいじけてしまった。
そんなことよりも、不意に窓の外の景色へと視線を向ける高雅さんは、どこか虚ろのようだ。
彼のその身体からは、桐嶋高雅という人がぽっかりと抜け落ちてしまったかのような、その目に生気が感じられない。
そんな彼が今何を考えているのか、誰のことを思っているのか、バカにはわからない。
あの時ふとこぼした、殺したい相手のことを、密かに考えていたりしないだろうか。それは、一体誰なのだろう。
高雅さんに、そんな相手がいることなんてまったく知らなかった。高雅さんは何も言わないし、きっと彼の特別な能力のように極力は秘密にしたいことのはずだ。
それを、こんな形で知ってしまうなんて、迂闊に聞くこともできないし……。
「こんなんじゃ、何のために休日返上してまでやってるかわかんねえよ。何とかこいつらのやる気を引き出すきっかけを……」
傍らでは約一名、漲っている白馬先生が、何やらボソボソと言っている。この弛んだ稽古場を何とかしようという教員魂に火が点いていらっしゃる。
ふと窓の外に視線を向ければ、穏やかな昼下がりの一幕が広がっている。五月の青葉は初夏の風にカサカサと揺れて、キラキラと光を跳ね返す。
木漏れ日が淡色のカーテンを窓辺に映し出すのをぼんやり見つめていると、白馬先生がハッと目を見張る。
「――そうか。これだ。お前ら、全員表に出ろ!」
おもむろに声を張り上げた白馬先生は、どうやら覚醒してしまったらしい。
この場にいるほとんどの者が片耳に聞いていると、彼は白い歯を見せて高らかに言い放った。
「図書委員会は特別プログラムとして校外学習を今から決行する。異論がある奴は言ってみろ」
やけに強気に申し出た白馬先生に、この場の全員が呆然としている。
それもそうだ。ほとんどの者が今はそれどころではない。
するとピッと片腕を上げて、ドーピーちゃんが質問を投げ返す。
「センセー、コウガイガクシュウってなあに?」
「そうだな。こんな辛気臭いところにいても息が詰まるだろう。だから、外の空気を吸ってリフレッシュといこうじゃねえか」
「お外に出られるの!?」
「ああ。そうだ」
白馬先生からの思いも寄らない提案に、小人達は輪になってキャッキャと跳ねている。
そういえば、こっちに出て来てからまだ外に出たことは一度もなかったんだ。素直に喜んでいる彼らのその姿が微笑ましい。
その一方で、ここの番人を自負している彼といえば、自分のテリトリーを辛気臭いところなんて言われたものだから、その顔は明らかに不機嫌だ。ムスッとしている。
「なっ、いいアイデアだろ。高雅」
「……なんで僕に聞くの」
「お前も今日はどこか上の空みてえだからな。気晴らしも大事だろう。それに、お前がいないと本の奴らに万一のことがあったら困る」
「ふん。誰が素直に付いていくなんて言ったんだい」
あーあ、ほら拗ねちゃった。
白馬先生は墓穴を掘ってしまったようだ。それに高雅さんも、自分のテリトリーを離れる気はないらしい。意固地だなあ、ほんとに。
「ふざけんな高雅。お前がいないとそもそも話が成立しねえだろ。こんなに外に行きたがってるんだぜ」
「嫌だね」
あっさり玉砕を食らった。
すっかり舞い上がっていた小人達も、その悲報を聞いてがっくりと肩を項垂れるどころか、とんがり帽子まで萎れてしまった。
「いいえ、行きましょう! 高雅様!」
「えっ」
しかしそんな小人達を差し置いて、白雪姫がここぞとばかりに主張する。急にスイッチが入ったらしい。なんで。
とはいえ、白雪姫のこれまでにない熱量と気迫に、高雅さんも気圧されている。その隣では白馬先生が唖然としている。
「……好きにしなよ」
そして、ついに高雅さんが折れた。
怪我のことを差し引いても、あの桐嶋高雅を完封した白雪姫にはそこはかとない恐怖を覚える。それはきっと白馬先生も同じなのだろう。顔が青ざめている。
ほんの少し前までは、ぼんやりとしていたかと思えば、この張り切りよう……なんだかろくなことにならない予感が、この時すでにバカの野生の勘には働いていた。