ハロー・ウィークエンド
久しぶりに活動報告のプロフ企画を更新しました。
悪夢の一週間を乗り越え、ようやく訪れた週末の土曜日。
さてと、どうして私の前には見慣れた白亜の校舎が佇んでいるんだろうか。
事の発端は、昨夜にかかってきた一本の電話だった。
『Hi, Momoka. How are you?』
英語圏から家に電話がかかってきた。
家の電話線どうなってんだ。
「えー、イングリッシュ、ノーノー、センキュー」
『悪い悪い。俺だよ。白馬だ』
なんだ。白馬先生か。
そういえばどこかで聞いたような甘ったるいハニーボイスだと思ったよ。
『手短に言わせてもらうぜ。明日の10時に図書室集合だ。今のままじゃとても本番の舞台で出せる代物じゃないからな。遅刻厳禁だぞ!』
「はい!? ちょっと待ってくださいよ!」
……そう、つまりは白馬先生がありがた迷惑な顧問魂を見せたことで、私の週末はなくなってしまったのである。高雅さんの気持ちがほんの少しわかる気がする。
かくして、週末にヒモ騎士全巻を読み返すという私の密かな楽しみは、白雪姫の舞台稽古にあっさり変更されてしまった。白雪姫の呪いがここまで降りかかるとは思わなかったよ。
白馬先生もしばらく稽古に出ることができなかったから、確認も兼ねてとのことらしい。
ナレーションも任せてるから、仕方のないのかもしれないけど、ああヒモ騎士……。
泣きたくなるのを堪えて、校内の玄関を潜る。
どこからか吹奏楽部の音色や、運動部のかけ声が聞こえる。ほんとよくやるよなあ。
たとえ高雅さんの能力があっても、彼らのように学校大好き人間になることはないだろう。
高雅さんなんて、読みかけの本があるからとゴールデンウィークも図書室に籠っていたらしい。意味がわからない。別に図書室じゃなくても読めるじゃん。バカなの?
――なんて高雅さんには口が裂けても言えないからここだけの話にするけど、学校の図書室に来るなら別に近くの図書館でもいいじゃん。学校の方が近いのかな。それでも休日に学校に来ることなんて絶対ないけど。
人気のない学校なんて、それこそオカルトの巣窟ではないか。想像しただけでもゾッとする。トイレの花子さんに、真夜中に動く音楽室の肖像画……ダメだ。これ以上は卒倒する自信がある。
こんなことを考えている間にも、この後に起こる白雪姫のスパルタ訓練へのカウントダウンが迫ろうとする。
もう目と鼻の先に私を待ち構える図書室の扉が……帰りたい。帰ってヒモ騎士を読みたい。
はあ、うだうだ言ってても仕方ない。
それくらいはここに来て学んだことだ。腹を括るしかない桃香。ようやく演技が少し板についてきた頃だし、今にも何かが出てくることなんてそうそうな――……。
「ひゃああああっ!」
何とも素っ頓狂な声を上げてしまった。背後から突然身体をくすぐられてしまったような。
しかし、こちらをギロリと睨んできた彼に静かにそれを咎められる。
「……うるさい。こっち見ないでよ」
そうは言っても……何度も自分の目を疑ってみたけど、やっぱりどう足掻いてもこれは現実のようだ。さらに顔が赤くなる。
「す、すみません! じゃなくて! みみ見えるところで脱いでるのが悪いんじゃないですか! 一体何をしてるんですか!?」
例のあれが出たわけではないので安心したが、次なる問題は朝っぱらから高雅さんが、上半身裸で私の視界に映ることだ。何事!?
「朝からうるさい。ひとまず後ろ向きなよ。男の裸見て何興奮してるの。この変態」
「こ、興奮なんかしてませんよ! そっちこそ朝からすっぽんぽんなんて何考えてるんですか!? 本の読みすぎて何か目覚めちゃったんですか!?」
「下は履いてる。何を行きすぎた妄想してるのか知らないけど振り向いたら殺す」
朝からまったく要領を飲み込めていないのに、この仕打ち。理不尽すぎる。
この息するように脅迫してくる人がまたどうして朝から裸? しかも一瞬しか見えなかったけどチートするだけあってそこそこ身体絞まってるし。何ならシックス割れてたし。
こちとらこのひと月で3kgも太ったんだが!?
でもそう言われたからには、仕方なくその場で彼から背を向けて、さらには両手で自分の両目をしっかりと塞いでこの時間に耐えるしかない。だってまだ死にたくないもん。
高雅さんはそれ以降何も言ってくれないし、この状況をイマイチ飲み込めないでいると、私の制服の裾をちょんと引っ張る小柄な身体がある。
紫色の帽子……ドーピーちゃんが、何故か大粒の涙をためてそこにいた。もうわけがわからない。
「え? ええ? どうしたのドーピーちゃん?」
今度はどうして朝からドーピーちゃんがボロボロ泣いているのか……バカにはちょっと頭が足りない。
しかし目の前で涙をためて堪えている健気な姿を前に、何もしないわけにはいかない。
ひとまずは屈んでから小さな身体を抱きしめて、よしよしと慰める。ドーピーちゃんは感情が大洪水で話せるどころじゃないし。
いつもは小人一番の元気っ子なドーピーちゃんがまたどうして……高雅さんと何か関係あるのかな。それしかない。
スニージーちゃんとグランピーちゃんが後からやって来て、ドーピーちゃんの代わりに事情を説明してくれる。
「今朝はな、高雅はんに本から出してもらったんはええんやけんど、そこでなっへっくしゅん!」
「……お前は鼻をかんでこい。ふん、仕方ないからオレが代わりに説明してやる。オレ達を呼び出したところに、背後にある本棚が突然倒れてきたんだ。高雅は逃げ遅れたドーピーを庇って、怪我をしたんだ」
グランピーちゃんからそれを聞かされ、もう一度高雅さんの方を振り返る。
咄嗟に目を逸らしてしまったけど、じっくり彼の様子を見るとその左肩から背中には、大きな青痣ができている。引き籠もりの白い肌に、それはとても痛々しそうに見えた。
「こ、高雅さん……」
「……はあ。だから振り向くなって言ったんだけど。これくらいならすぐ治るよ」
ドックさんやバッシュフルちゃんの助けを借りながら、怪我を自分で診ている彼はそんなことを言った。
そんなことは言っても、すぐに治るっていう怪我には見えないんだけど……。でもきっと彼らを不安にさせないように強がってるんだ。
「ううっ……ボクのせいで高雅に痛い思いさせちゃったよぉ……」
「ドーピーちゃん」
泣きそうになっていたのは、自分のせいで高雅さんに怪我をさせてしまったんだって、自分を責めていたからなんだ……。
そんなことないよって、その小さな身体をそっと抱き寄せる。ドーピーちゃんは驚いたように目をぱちくりさせて、私を見上げた。
「行こう」
ごめんなさいの気持ちは、本人に直接言ってあげよう。高雅さんも、きっと許してくれるから。
ドーピーちゃんを抱きかかえて、私はひとまず治療を終えた彼らのもとに近づいていく。
こちらに気づいた小人達からは歓迎され、高雅さんからは軽蔑の目を向けられた。そんなあからさまな目で見ないでくださいよ。だったら早く服着なさいよ。
そしていそいそとシャツを着始める彼に、おずおずとドーピーちゃんが口を開く。
「こ、こうがぁ……ボクのせいで痛い思いさせてごめんなさい」
勇気を出してテーブルの上に身を乗り出し、ドーピーちゃんは高雅さんに頭を下げる。紫色の帽子がしょんぼりとしている。
意表を突かれたような顔でその要素を見つめていた高雅さんは、少し考えてからその子のしょんぼりした頭にそっと手を置いた。
「別に……君のせいじゃないよ。本棚が倒れたのは、こっちの整備不良だから」
言い方はぶっきらだけど、そこにはドーピーちゃんへの優しさが感じられる。こんな一面もあるんだと、テーブルの上のドーピーちゃんにふわりと微笑みかける彼に、この胸が少しキュンとする。
あ、子供に優しい高雅さん。ちょっとカッコいいな。普段とのギャップというやつ?
私にももうちょっと優しくしてくれてもいいのになあ。
「こ、こおがぁ〜!」
それに感極まったドーピーちゃんが、思わずそこから身を乗り出して高雅さんに飛びかかる。それは華麗なアタックだった。
ドーピーちゃんの無邪気な童心によって、彼の身には声にならないほどのダメージが蓄積された。アーメン。
「高雅ああああっ!」
さらに今度は何だと入口を振り返れば、この状況を目の当たりにして慌てふためく白馬先生だ。休日だからか、黒のラフなシャツに教員用のプレートを首から下げている。
その様は少し前の私の姿を見ているようで、何だか複雑な感情になる。
「クソッ。俺が少し目を離したばっかりに、こんなことになってしまって……可愛い自分の生徒さえ守ることができないなんて、俺はっ……教師失格だ」
しかも、ややこしいことになっている。
案外夕日に向かって走っていくタイプなのか。白馬先生。
「高雅! 頼むからもう一度目を覚ましてくれええええ!」
「……痛い。あんたの都合で勝手に殺すな」
「ハッ! 高雅! 生きてたのか!」
「……怪我さえなければ今日こそその息の根を止めたいところだよ」
話が噛み合っていない。この人達。
あろうことか怪我をしている肩を大きく揺すり起こされ、高雅さんの機嫌は沸点に達しそうだ。しかしながら悲しいことに白馬先生はそのことに気づいていない。