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知らないことばかり


 それは舞台の稽古を終えて、図書室を出た後のことだった。


 この日もあの白雪の皮を被った鬼にボロボロにしごかれて、クタクタになった身体を引き摺りながら、正門に向かう廊下を一人歩いていた。


 周りには、一緒に帰る仲のいい子達の集団があちこちに見受けられて、ほんの少し羨ましいと思った。

 一時はヒモになることを決意したくらい落ちこぼれたけど、こんな青春も送りたかったと思う。




「あ、藤澤さん」


 ふとそんな声がした。

 気のせいかしら。だってこの学校にろくに知り合いなんていない。仮入学だし。


 恐る恐る声の方へ振り向くと、グラウンドからこちらに手を振る誰かが小走りで近づいてくる。部活のユニフォームを着ているようだ。


「やっぱり、藤澤さんだ。今帰り?」


「えっと……」


 爽やか好青年。

 あ、一応いたわ。クラスメイトだけど。

 けどこの時の私はとてつもないピンチを迎えていた。それも唐突なことだ。


 やばい。名前が出てこない。



「明海! 早く戻ってこいよ!」


 彼のさらに後方から、チームメイトの声がしている。それに彼は「すぐ戻るよ」と軽く手を振っている。


 あ、そうそう。明海君だ。女の子みたいな名前の。

 教室で会ったときとは打って変わり、サッカー部のユニフォームを着て肩にタオルをかけている明海君は、頬に滴る汗さえ太陽の光にキラキラと反射して爽やかにこの目に映る。

 これぞ「スポーツ少年」って感じだ。少女漫画ならフェンス越しに女子がキャーキャーやってるクラスの人気者ってタイプだし、実際に彼はそういう人なんだろう。

 そして不登校がちな同級生にも優しく話しかける絵に描いたような聖人君主ときた。もう隙がない。


「早く戻らなくていいの?」


「ああ、ちょうど休憩入ったから平気。それより今日は教室で見かけなかったけど、来てたんだ」


 とても痛いところを突かれる。いきなり声をかけられたかと思えば、まさかの同級生から不登校を問い質されるのか。さっきの言葉は訂正したい。

 まだ他所からヒソヒソと噂をされている方がずっとマシだった。


「まさか、またあの図書室に……」


 険しい顔つきになる明海君に、なんと答えていいものかわからなくて言葉に詰まっていると、不意にもふもふとした感触を足元に感じる。


「あ、白猫ちゃん」


「え、猫?」


 目線を足元に下げると、こちらを見上げる満月のくりくりお目々がある。可愛い。


「ミャ」


「どうしたの? あ、ハンカチ。忘れ物届けてくれたんだね」


「ミャオ」


 今日の分のお菓子を包んでいたハンカチを、どうやら白猫ちゃんが届けに来てくれたようだ。しかも丁寧に畳まれてる。

 白猫ちゃんまでこき使うなんて素直じゃない人だなあ、なんて図書室で本を読んでいるあの人のことをふと考える。

 すると、じりっと足を後退る明海君に気づく。


「どうしたの、明海君」


「……や、俺、猫苦手で」


「あ、そうなんだ」


 少し顔色が悪そうな明海君に申し訳なかったなと、白猫ちゃんを抱き上げて彼から少し距離を置く。

 これを機に部活の方にそそくさと戻るだろうか。早く帰って漫画の続きが読みたい。



「その猫、藤澤さんが飼ってるの?」


 そそくさと帰るどころか、追撃さえされてしまう。そんなにこの猫が気になるのかな。


「このこは……なんて言うか、先輩が飼ってるのかな。たぶん」


 曖昧な言い方になってしまった。

 だって本の中から出てくるし。「飼ってる」って表現で合っているのかイマイチ自信がない。


「先輩って、図書室の……」


「あ、そうそう。もしかして、高雅さんが言ってた知り合いって明海君のことだったのかな」


 すっかり忘れていたけれど、私から図書室に誘ってみたりしたんだ。

 高雅さんにいきなり陽キャぶつけるのはまだ早すぎたか。



「藤澤さん。もうあそこには行かない方がいい」


 明海君から唐突にそんなことを言われ、私は何度か目を瞬かせる。


「え?」


「あいつとは、もう会うな。危険だから」


 あいつって、高雅さんのことだろうか。

 そんな言い方しなくてもいいのに、明海君は冗談なんか通じなさそうな必死の剣幕でそう言った。だから私も、彼への誤解を解こうとしたけれど、なんだかこの胸がもやもやする。


「何それ……そんな言い方ってないよ」


「俺は、ただ藤澤さんのことを思って」


「意味わかんないよ。そんなの。明海君に、高雅さんの何がわかるの」


 少なくとも四月からあの人とハードなビブリオライフを過ごす内に、不器用だけど優しいところも人並みにあることを知っている。

 特別な力を持っているだけで、きっと私が知らない辛いこともたくさんあったんだと思う。私だってまだあの人について知らないことがいっぱいあるのに、明海君にどうしてわかったようなことを言われるの。意味がわからないよ。



「高雅さんのこと何も知らないのにそんな酷いこと言わないで。いい人だと思ってたのに……」


 明海君が愕然とした顔でこちらを見ているから、その視線に耐えられなくなった。

 それでも高雅さんのこと一方的に悪く言われるのは、嫌だったから。ずっとこんな思いをしてきたのかな。高雅さん。



 白猫ちゃんを抱えたまま、校舎の方に引き返してしまった。何やってるんだ。

 せっかく親切にしてくれるクラスメイトだったのにあんなこと言っちゃった。余計に教室に行きにくくなっちゃったな。




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