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まだ名前のない気持ち side.明海

高雅少年を差し置いて満を持して明海君のターン!


 見ない顔だな。

 教室の前で彼女とすれ違うとき、そう思った。


 初めは頭の片隅で思う程度だった。俺の席は教室の一番後ろだったから、窓際のいつも空いている席が気がかりだった。

 あとからクラスの奴にあのすれ違った娘が空席の主だと聞かされ、なんとなく興味が湧いた。理事長の孫娘だと色々訳ありなのかもしれない。教室で噂をする奴らの空気は、彼女を歓迎するものではなかった。


 単純にどんな人物か知りたくて、その娘が栗谷先生に引っ張られて教室に来たときに俺から話しかけてみた。

 相手は結構驚いていた。まさか話しかけられるとは思わなかったようだ。周りの奴らも俺達の会話に注目している。

 話してみた感じは素直な娘だった。俺を見上げるビー玉みたいにくりくりとした目が、可愛いなと思った。クラスによくいるお堅いご令嬢とは違う雰囲気で、少し親近感が湧いた。


 もっと彼女と話してみたいときっかけを探ろうとしたけど、カラオケは彼女から断られた。どうやら放課後は図書室に用があるらしい。

 図書室……? と俺は頭を捻る。入学式の日にあそこは立ち入り禁止だと聞かされていた。暗黙の了解というか、あの辺には近づくなと実しやかに生徒の間で囁かれている。

 俺もクラスの奴らから聞いた話だからあまり詳しくはないが、やばい先輩があの辺にたむろしているらしい。うっかり近づけばそいつに病院送りにされかねないと……実際にやられた奴もいると聞いたことがある。

 こんなお堅い学校にもまだ物騒な奴がいたもんだな、と俺は心の片隅に思っていた。


 でも、その図書室に彼女は放課後行く用があると言う。どうしてあの娘が? と疑問が湧くのは自然なことだろう。


 放課後まで結局話すタイミングはなかったが、授業中にちらりと窓際を見れば、いつも空いていた席にうとうとと黒板を見るその娘の姿が新鮮だった。


 ……藤澤桃香か。




 これは恋なのか?

 あの娘のことは気になるけど、それが俗に言う恋なのかは俺にはイマイチ答えが出せない。


 ある日の放課後、担任の栗谷先生に頼まれてこの日の授業で出された数冊の課題を彼女に持っていくことにした。

 この学校は名の知れた進学校だけはあって、毎日の課題もそこそこ出る。俺は周りの奴らと比べてそこまで成績がいいわけではない。

 俺はスポーツ推薦でこの学校に入ったから、勉強も他の奴らより人一倍大変だ。だから学校になかなか来ない彼女のことは少なからず心配になる。他の奴ならそんなの放っとけよと言うかもしれないが、俺にはできなかった。



 思えば廊下ですれ違ったときから、一目惚れだったのかもしれない。

 彼女と会話を交わした日以来、一日に一回はふとした瞬間に彼女の顔を思い浮かべる。だからあれ以来教室で姿を見かけない日が続き、少し心配していた。

 そんな折に栗谷先生がふとこぼした愚痴を聞き漏らさず、俺は自分から彼女に課題を届ける役目を受け持った。彼女に何か悩みがあるなら聞いてやりたい。


 しかし頼まれた場所が図書室だったのは意外だった。栗谷先生は「大体そこにいると思うから」と俺に言ったが、普段あまり来たことがない校舎の廊下を歩くだけでも異世界に迷い込んだ気分だ。

 そして人の気配もなく閉ざされた図書室の扉を前にして、身体がそわそわする。図書室なんて自分でも来ようとは思わない。どんなタイミングでドアを開ければいいんだこれ。



「そこで何してるの」


「へっ!?」


 人の気配なんてなかったはずの図書室から、そんな声とともに誰かが出てきた。俺より背は少し高いが、生気がないほど白い肌と冷たい表情が背筋をぞくりとさせる。


「え、えと……」


「君、誰?」


 濁りのない声で、俺の声に被せるように先方が問い質す。その視線や声に、鋭い刺がある。

 目を惹くほど華のあるビジュアルなのに、そいつを「怖い」と思ってしまうのはその無数の刺がこちらに狙いを定めているからだ。


「い、一年の明海です。あの、藤澤さんがここにいると伺ったんですが」


 何とか声を搾り出して、俺は彼女の所在を尋ねる。今のところ彼女がここにいる気配はない。


「ああ、彼女の知り合いか。さっき帰ったよ。フラフラになりながら」


「えっ、大丈夫なんですか?」


「さあ。いつものことだからね」


 大して心配する素振りもなく、うわ言のような返事が返ってきた。何だこいつ、と俺は思った。

 だが、本当にここに彼女は来ているらしい。


「いつものことって、どういうことだ。あんたこんなところに彼女を連れ込んで、何してるんだよ」


 こんな人目につかない場所で、この男と彼女が何をやっているかなんて想像がつかない。いや、考えたくないだけだ。

 だから自分の妄想が杞憂であればいいといち早くそいつに答えを求めた。


「……君に話す理由はない」


「ちょ、待て」


 逃げるように俺の質問を躱し、踵を返そうとする謎の色男に、俺の記憶は混乱する。

 入学直後に聞いた話を不意に思い出す。噂をしていた奴らが口を揃えて話していたそいつの名前を……。



「お前が、まさか桐嶋高雅……」


「だったら?」


 思い出した。桐嶋高雅、そいつの名前を聞いたことがある。

 この学校の図書室を支配する男だ。他人を極端に嫌い、逆らう奴は暴力で捻じ伏せる。だから誰もここには近寄らなくなった。


 俺には縁のない話だと思っていたが、まさか目の前にその本人がいるのは空想神話を目の当たりにするような非現実感を抱く。何なら学園の都市伝説くらいに真に受けていなかった。


 桐嶋高雅は動揺する俺とその手の課題を交互に見て、皮肉ったように言った。


「……そうだね。君が変な気を回さなくてもあの娘の面倒を見るのは僕の管轄だから、君はお役御免だよ。残念だね」


 そんな不敵な笑みも絵画のモデルになるほど圧倒される。こんなの普通の女子なら湧くだろう。


「それに僕と彼女がここで何をしようが、部外者の君に関係あるのかい」


 確かに俺はここじゃ部外者だ。まだ彼女のことをろくに知っているわけじゃない。だが……。


「……負けるかよ。あんたみたいなスカした男が俺は一番嫌いでね」


「ふうん。やってみなよ。やれるもんなら」



 負けてたまるか。こんなふざけた野郎に負けたくはなかった。

 宣戦布告をして、結局俺はこの日課題を抱えたまま教室に戻った。教室で待っていた奴らに冷やかされたが、その内心には静かな闘志が宿っていた。




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