青葉の色づく窓際で
「図書室にいたあの男の子が、桐嶋高雅君ね」
栗谷先生と並んで教室までの廊下を歩く最中、彼女はそんなことをこぼした。
「その様子なら、彼とも仲直りできたようね。安心したわ」
「はい、色々ありましたけど、栗谷先生に話したおかげであの後きちんと向き合うことができました」
「そんな、私は大したことはしていないわ」
お世辞で言ったのではないけれど、栗谷先生は肩を竦めてやんわりと謙遜した。不登校の不良生徒の事情にも親身になってくれるなんて、栗谷先生は人ができた先生だ。最早羽根が生えた天使じゃなかろうか。たまに天使の皮が剥がれることはあるけれど……。
「それにしても、まるで本の中から飛び出してきたようにカッコいい男の子ね。桐嶋高雅君」
そんなことをまた栗谷先生が口にする。
やけに高雅さんに食いつくな。でもあれだけ顔がいいなら納得だ。学園のマドンナも虜にする高雅さんのスペックは侮れない。
あと栗谷先生が意外と面食いだったのにも少し驚く。
「藤澤さんもそうは思わない? 彼のことはどう思っているのかしら」
どうやら余計な勘繰りまでされているようだ。確かに一時期はそんな甘い関係にも期待したことがあるような……しかしそんなものはあの鬼畜の所業を前にどうでもよくなる。
しかしここまで食いつかれては、白馬先生の立場がないと言うものだ。ここは白馬先生を立てておこう。
「そういえば白馬先生も、高雅さんに負けず劣らずカッコいいですよねえ。スタイルもよくてモデルみたいだし、優しくておおらかで、定規を投げる腕の角度とかピシッと決まってて……」
「あら、藤澤さんは先生と生徒の禁断の恋に燃えるタイプなの?」
「いやそうじゃなくて!」
そんなことは微塵も言っていない。
あと栗谷先生に売り込むネタが思ったよりなかった。これはもう直接聞こう。
「栗谷先生こそ、白馬先生のことはどう思いますか? 図書室でとても親しげにお話してましたけど」
「あら、先生の恋愛に口出そうなんてやりますね。藤澤さん」
そんなつもりは内心あったが、栗谷先生には見透かされていたのか悪戯っ子な目で見られてしまった。これは内申点に響くだろうか。
「白馬先生のことは、特に何も。生徒から人気もありますし、先生同士なのでそういうのも考えちゃいますよね」
「……そうですか」
ドンマイ。白馬先生。
本人がいないところで脈なしを知ってしまった私は、今後の彼の未来に細やかな幸せがあることを祈るのだった。アーメン。
ちなみに今は彼氏はいないらしい学園のマドンナ。なんでこんな美人に相手がいないんだ!? そりゃ私なんか生まれてからまだ彼氏ができないわけだよ!!
「白馬先生といえば、聞きましたよ。藤澤さんもグランプリに参加するそうですね」
「なんか成り行きで……」
栗谷先生からその話を持ち出されるなんて思ってなかったから、そうやって言葉を濁すしかない。別にやりたくてやるわけじゃないし、前向きな気持ちなんて起こらない。
白馬先生が何を吹き込んだか知らないが、そんな期待に満ち満ちた目を向けないでほしい。
「自分の生徒にこんな話をするのはあれだけど、私が受け持っている部活もグランプリのことでちょっと揉めていてね……」
どうやら栗谷先生のところも意見が食い違うことが多々起きているらしい。悲哀に満ちた表情はさながら聖母マリアのようだ。
そしてあっという間に教室まで来てしまった。
しばらく来ていなかったけど、教室のドアの奥の騒がしさが、胸の緊張を膨らませる。
ろくに授業を受けてないし、また色々と噂されてしまうんだろうなあ。こっちもあんまり気乗りはしない。
栗谷先生は少しずつ慣れていけばいいからとエールを送ってくれたけど、トップクラスのエリート達に囲まれて何をしたらいいんだ。会話のレベルが違いすぎて置いていかれるだけだよきっと。
「あの」
ホームルーム明けのブレイクタイムで、窓際の席にとりあえず座っていたら知らない男の子に声をかけられた。頭がよさそうと言うよりは、すっきりした短髪で爽やか好青年って感じだ。
「藤澤さんだっけ。あんま学校来てないみたいだけど、わからないことあれば言って」
いきなり話しかけられてどんなマウントを取られるのかと構えていたけど、拍子抜けした。
まさか名前まで覚えてもらえてるなんて思わなくて、ちょっと感動していた。
「えっと……」
「あ、俺、明海って言うんだ。明海冬馬。苗字がよく女みたいだなって言われるんだよ」
あけみくん……確かに、女の子みたいな名前だ。それも苗字なんて変わってる。
名前くらいしかまだ知らないけど、どうやらいい人そうだ。
「うん、ありがとう。明海君。藤澤桃香です。正直わからないことだらけだけど、こんなのでも仲良くしてくれるならよろしくお願いします」
クラスメイトとは積極的に話したことがなかったから……相手にもされないと思ってたし……明海君の気遣いが凍えてしまった心に染みる。
「あ、うん。よろしく。あと放課後にクラスの何人かとカラオケ行くんだけどさ、よければ一緒にどう?」
「ほ、放課後……放課後は、図書室に行かなくちゃいけないから、ちょっと……」
「図書室?」
さっき白馬先生が、放課後も集まるようにと念を押していた。
せっかくのクラスメイトからのお誘いだけど、ここは丁重に断るしかない。当たり障りなくそうしたつもりなんだけど、明海君は図書室と言うワードに引っかかるような顔をした。
「うん。明海君もよかったら今度遊びに来てね」
「えっ、ああ」
明海君みたいないい人が、あの曲者の高雅さんとも打ち解けてくれたら嬉しいんだけど、そんなことはあの人嫌いに期待するだけ無駄なのかもしれない。
それに明海君はなんだか難しい顔をしていて、始業のチャイムが鳴ると私にサッと手を振って自分の席に戻ってしまった。
私なんか変なこと言ってしまっただろうか?
第一部以来の登場のお二人。
作者のお気に入りは明海君です。小出しに出番を増やしてあげたい。