グランプリ
「『Spring festival grand prix for new students』
――新入生歓迎のための春の催し物大会、ってところだ」
前に出る白馬先生はさながら、ランウェイを歩くモデルのように堂々とした佇まいだ。
「新入生歓迎のサプライズに、理事長発案で学内の委員会及び部活動がそれぞれ催し物を披露する。特に評判だったオンリーワンのチームが晴れてグランプリの栄光を手に入れられる、とこんな感じの趣旨だ。どうだ、面白そうだろ?」
白馬先生は、流暢な英語と日本語の二刀流で、グランプリの詳細について説明してくれる。
さすがは英語教師で、しかもイギリス人ハーフ。発音も完璧だ。それもよく様になっている。
「別に、興味ない」
「お前はそう言うだろうと思ってたよ。どうだ、桃香は?」
「えっ、私!?」
予期しない白馬先生からの無理強い。
私の隣で欠伸をかく彼のことは眼中にないようだ。
「私も一応、今年の新入生なんですが……」
そうおずおずと意見する。白馬先生の明るい表情がにわかに曇る。
し、しまった……! やっちゃったのか!? とオロオロしていたけど、白馬先生が幾分か気落ちした声で言った。
「ああ、桃香には迷惑を承知の上でこんな話をさせてもらってる。しかしな、現在図書委員会は、この「アホ」の高雅によって、その他の奴らは全員委員会を退会。そいつらを追い出したこの「アホ」の高雅と、図書委員会顧問の俺ぐらいしか、図書委員会には動かせる人員がいねえ。そう、人手不足なんだっ……!」
途中から熱く拳を握りしめ、また今度はそれを人差し指を突き出して高雅さんに向けると、白馬先生は熱く語る。要は全部高雅さんが悪いと。
言われっぱなしの本人は、めんどくさそうに頭をもたげながら、重い口を開こうとしている。めんどくさいけど言いたいことは言うようだ。
「……誰がアホだって? 26文字のアルファベットでできている脳のあなたに、アホ呼ばわりされたくないね」
「お前も少しは反省しろ! 誰のせいでこうなってると思ってんだ! 大体話しかけてきたからって相手の両手両足の骨折る奴がどこにいるんだよおおお!!」
「本読んでたら仕事しろって煩かったから、手っ取り早く黙らせただけだけど」
見よ。これが桐嶋高雅だ、と言わんばかりの白馬先生の顔。
ええ。知ってますとも。ここまで病院送りにされてないのが奇跡ですよ。
そういえば先日の自分から鉈の刃に対抗していった件は、翌朝起きたら綺麗に包帯が取れていたからよくわからないけどいいやってことになった。もう二度とやるか。
「それにしても、また長いネーミングと奇抜なセンスだね」
「あっ、そうか? 実はそれな、理事長にグランプリのネーミングの件で相談されて俺がつけてみたんだよ。いやぁ、高雅にそう言ってもらえるんなら鼻が高いってもんだぜ」
「何言ってんの、貶してるんだよ」
会話が噛み合っていないかと思えば、続け様に高雅さんから直球で悪口が飛んでくる。
一瞬にしてこの場が一触即発の戦場ムードだ。
ちょ、落ち着いてくださいよ二人とも……。
その刹那、高雅さんが後ろへと飛び退いた。
人間技じゃ到底成せない高く華麗な弧を描いたジャンプに私が唖然と気を取られていると、一秒後に彼がいたところにはシュパッ、グザッみたいな音が数回聞こえてきて、そちらへと視線を向ける。
そこには図書室の床に幾本ものぶっ刺さる定規が、皆一列に30度の角度でめり込まれてある。
「…………はい?」
素っ頓狂な私の声だけが、この場に浮いている。
いやでも、あんなの最初からぶっ刺さってたっけ……?
「てんめえ、高雅……今日こそその腐った口腔にチョークぶち込んでやるからな。覚悟しろ」
「何のことかな。あなたの方こそ、そろそろ図書の顧問から下りてくれないか。目障りだ」
ひいいいいっ。過激だああああ!!
教師が生徒にそんなこと言っちゃっていいのー!? 高雅さんも先生を挑発するのやめなさいっ!!
しかしヒートアップする彼らの戦いを、凡人の私はここから見守ることしかできない。
いやこいつらがおかしいんだよ!!
「Fuck you!!!」
「自分から下りないなら引き摺り下ろしてやるよ」
互いに挑発し合う声が聞こえる。
しかし二人とも凡人の肉眼には捉えきれない速さで移動して交戦しているようで、現状は何もよくわかっていない。なんだ。何がそこで起きているんだ。
というか、こんな神々の戯びみたいなハイスピードな戦いがどうして成立しているの。どうして誰もつっこまないの。……つっこみがいなかったのか。
しかも気づいたら、二人とも二階のあんな高いところまで登ってるし! どうやって!? ――なんて仰天しまくっていたら、白馬先生が高雅さんのもとまで一気に距離を詰め、高雅さんは彼が投げたシャーペンの攻撃をいとも容易く避け、気づけばその手には一冊の本が握られている。
そして相手の攻撃を躱した一瞬の隙を見つけ、本のページをサッとめくった。やばい。なんか目が慣れてしまった。
Chu――――……。
その人は軽く本のページに口をつける。
これが見知らぬ他人ならこんな大事な局面に何をやってるんだと野次を投げただろう。
しかし、違う。むしろ彼は本気なのだ。
高雅さんの右手には、煌々と輝く紅炎を纏った長槍が握られている。そして長槍一本で白馬先生からの攻撃を受け止めた。白馬先生の体勢は一気に悪化した。
どこに備えていたのか「3-A」と太字で書かれた日誌で応戦しているが、息絶え絶えだ。
「ぐっ……また自分の能力を好き勝手使いやがってッ」
「使える手は使う……それが僕のやり方だよ。白馬」
不敵な笑みを浮かべる高雅さんが、それは悪役に見える。じゃなくて。
やっぱり白馬先生も知っていたんだ。
高雅さんの秘密……。
――この能力のことは包み隠さず話すけど、知っている人間は限られる。他言無用だよ。
校庭の最後の桜が散った日――……高雅さんは、そう言って静かに秘密を打ち明けてくれた。
それは彼と一歩距離が近づいたようで、嬉しかったけど、反面胸が苦しくなった。暗い過去を思い出すことになるから。
桐嶋高雅の秘密……それは「本にキスをすると、本の中のものを自由に取り出せる能力」のこと。
彼もあまり多くは語ってくれなかったけど、この不思議な能力があるせいで、自分の意思ではないことが起きたり、多くの人を傷つけてきたと言った。
だから「自分は外の世界にいてはいけない人間」と思い込んで、人との関わりを避けてきた。理事長であるおじいちゃんにこの学院へ迎えられるまで、彼は独りで生きていた。
彼がこれまでどう生きてきたのか、おじいちゃんとどこで出会ったのかまでは教えてくれなかったけど、私には十分ショックなことだった。ショックが大きすぎて、涙が止まらなかった。
「どうして君が泣いてるの」と高雅さんは可笑しそうに言ったけど、なんともないようにしていられるのがすごいと思う。
だから「私がいるから大丈夫です。大船に乗ったつもりでいてください!」って息巻いて言ったらすごく引かれた。すぐ沈みそうだって。
でも、頼りにされなくても私にできることがこれからたくさんあると思うんだ。
なんたってピカピカの一年生だからね!
「ミャア」
しかし自分が仮入学でここにいることもすっかり忘れてて、足元でまん丸満月お瞳々を覗かせる白猫にパッと目を奪われた。
私があげた首輪を今日もしっかり付けて甘えに来てくれる。鳴き声も可愛い。
私もそれに応えるように白猫を抱き抱えて、整った毛並みをなでなでする。猫ちゃんは気持ちよさそうだ。
ただ、この感触はとてもリアルだけど、この白猫は実在しないものなんだ。
こうして抱いている重みとかぬくもりとか、まったく違和感はないのだけれど、実際はこの世に存在しないものとして扱われるらしい。つくづく不思議だ。肉球もプニプニで気持ちいい。まさにファンタスティックな現象である。
ふと気がついた。
白猫ちゃんと一緒にいる黒猫ちゃんがいないではないか。
辺りを見回しだけど、やっぱりいないようだ。
しかしあっちもまだ決着が着いていないようで、間に入りにくい。けどこのまま放置しても日が暮れるだけだ。図書室では静かにしろって言ったのどこのどいつだ。
「高雅さーん! いい加減降りて来てください! 図書室で静かにしろって言ったの高雅さんですよ! あと黒猫ちゃんはどこに行ったんですかあ?」
精一杯声を張り上げたら、彼の方がチラッとこちらを見てくれた。右手は長槍で白馬先生の攻撃を食い止めているが。
「ふうん、君は自分のテリトリーに害虫がいたままで、健やかに暮らしていけるのかい。やっぱりバカが考えることはよくわからないな」
「てめっ、高雅! 誰が害虫だ!」
「あと黒猫なら、まだこっちに呼んでないからいないよ」
「オイッ! シカトするなよ! 訂正しろ!」
ああ、鼻で笑いやがって……あの巣籠もりアグレッシブヤロー。普段と動きが噛み合わないんだよバーロー。
なんとかギャフンと言わせたいところだが、あの様子じゃ白馬先生には期待できない。
……仕方ない。奥の手をここで出すか。
「あ~あ、残念だなぁ。高雅さんが好きなマドレーヌを焼いてきたのに、今日は忙しそうで食べてもらえませんかぁ~」
必殺「甘いもの誘惑作戦」だ。そのまんまだ。
だがまあ予想していた通り、高雅さんの動きが止まる。釣られたようだ。天才も甘い好物には弱いらしい。よし、もう一歩だ。
「誰も食べてくれないのなら、もう捨てちゃおっかな」
「ミィア~」
「うん? 白猫ちゃんが食べてくれるの? じゃあ白猫ちゃんにあげようかなあ~」
「待ちなよ、桃香」
煽りに煽り、彼が上手く釣られてくれた。
しかし久しぶりに名前を呼んでもらえた気がする。こんなときには素直になりやがって、くそぅ。
「マドレーヌには猫が摂取してはいけない乳製品や多量の砂糖が含まれている。だからそのこに菓子は禁物だよ。それに、食べ物を粗末にするのはいただけないね。別に食べたくないけど、君が調理をする過程で消費した材料、ガス、水資源を無駄にしないためにも仕方なくいただくよ」
おまっ……めちゃくちゃ喋るやんけ。
あんたの飼ってる猫もびっくりだよ。
「何をぼんやり突っ立ってるの? さっさとそれの準備に行きなよ」
「はいはい、わかりました。でも先に黒猫ちゃんを出してください。黒猫ちゃんの分の首輪も買ってきたんですから」
「君の指示に従う義理はないね」
「じゃあやっぱりこのマドレーヌ別の人に食べてもらおうかなー?」
「…………」
誘惑に屈した高雅さんは、しばらく苦虫を噛み潰す表情で私を睨みつけた。私は抱きしめる白猫と勝利を分かち合うのだった。
やった! ついにあの桐嶋高雅に勝ったんだ!
そのやりとりの一部始終を上から眺めていた白馬先生は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見守っていたという。