ハザルク(9)
止血効果もあるスキンスーツだというのに、その小さな穴からは血が溢れ出してくる。見るからに危険な状態だ。
力が入らないのかジーンは膝から落ち、そのまま倒れそうになる。反射的に震える腕を伸ばして身体を支えようとするが、それも叶わずうつ伏せに倒れた。
「母さん!」
「おば様!」
悲鳴が交錯する。
そういうときに咄嗟に動けるのは本格的な護衛の訓練を受けている二人。エドゥアルドがラルサスの持つハンドレーザーを叩き落すと、滑るように背後に回ったレイモンドが腕を取って締め上げ、床へと押さえつけた。
「母さん! 母さん!」
ユーゴは母親に縋り付き、その身体を仰向けにして揺する。そうしなければ彼女のの命を繋ぎ留められないような気がした。
「ジャッキー!」
「すぐに軍医を派遣してください! 12番通路です!」
ラティーナが命じ、ジャクリーンは通信機に吠え立てている。
あまり動かすのは良くないと思い当たり、少年はジーンを抱き起すだけにしようとするがその手は真っ赤に染まる。鮮烈な赤が彼の意識までを染め上げ、一気に沸騰させた。
「があああー!」
口から吐き出されたのは怒りに満ちた獣の吠え声だ。
床に転がるハンドレーザーを拾い上げ、床に伏すラルサスに突っ掛かっていく。しかし、彼の身体は重厚な壁に阻まれている。
「堪えろ、少年。ここでこいつに危害を加えることに意味はない。今は母親を救うことを考えろ」
エドゥアルドはユーゴの全力にもびくともしない。
「はっ、はっ!」
「落ち着け。今は何が大事か?」
「母さん……」
興奮に浅い息を繰り返していたが、武器を放り出して取って返す。
傷口はまだ血を噴き出し続けている。流れ出るジーンの命を少年は堰き止めようと力いっぱい押さえた。
『そのまま止血しつつ医師の到着を待て。それが汝のすべきことだ』
リヴェルの指示にユーゴが切羽詰まった表情で傷を押さえる中、ジャクリーンがジーンの状態を調べる。その面持ちは険しくなって下唇を噛み締めた。
「もう手遅れだ! 我らの高邁なる思想の妨げになる愚かな女には消えてもらわねばならない!」
副艦長がいつもより甲高い声を上げる。
「被検体の保全の役目だけを担うはずの女が養育者を気取って最高傑作たる破壊神を弱体化させるとは何事か! そんなものは排除されるに決まっているではないか!」
「黙れ、裏切り者! この場で貴様の首をへし折ってもいいんだぞ!」
「ぎひぃ!」
レイモンドがいつになく獰猛な表情で腕を捻り上げると悲鳴を上げる。無言で歩み寄ったエドゥアルドが後頭部に肘を落として昏倒させた。
失血性のショックだろう、ジーンは浅く弱い息を繰り返しながら朦朧としている。瞳は焦点を結んでいないが、触れている息子の腕の感触だけは感じられているようだ。
「ユーゴ……」
力無い声がこぼれ出る。
「母さん」
「幸せ、だった。こんな幸せが、あるだなんて、思っても、いなかったの」
「しゃべらないで」
震える声を途切れ途切れに紡ぎ出す。
「愛しい子を、この腕で、抱けるなんて……。人を殺める、のばかり上手になった、私が、誰かを愛せるなんて。命よりも遥かに、大事なものが、できるなんて。信じられなかった」
「僕も愛しているから! だから行かないで!」
「あなたが傍にいて、いつも母さんって、呼んでくれるのが、嬉しかった。私の中は、あなたでいっぱい、だった」
彼女の手がユーゴの肩を握る。だが、もう弱々しい力しか感じられない。
「本当に、幸せ。あなたがいるだけで、生きている意味が、感じられたの。あり……がとう……」
「行っちゃ駄目だー!」
「ユーゴ……。愛して……る……」
それ以上、言葉が発されることはなかった。
軍医が駆け付け延命措置を取ろうとするが、その時にはもう反応がない。その状態と、流れ出た血の量を見て手の施しようがないと首を振った。
ジャクリーンの指示でストレッチャーの上へと横たえられ、静かに見守られる。涙でぐちゃぐちゃになったラティーナは耐えきれずにしゃがみ込んで泣き声を上げ始めた。
「あああああー!」
よろよろと歩み寄ったユーゴは母親の身体に縋り付き慟哭する。
悲しみは通路に長く遠く響き渡った。
◇ ◇ ◇
『すまぬ。あれは気休めだ』
「…………」
止血を勧めた件だろう。
ジーンを看取ったユーゴは部屋に一人きりで閉じ籠っている。もう泣いておらず、膝を抱えてベッドに座り背中を壁に預けていた。
『くだらぬ輩に時間を割くよりは、ジーンとの残り僅かな時間を大切にすべきだと思った』
紫色の瞳が彼だけを見つめている。
「いいんだ。ありがとう」
『気落ちするなといえども無理であろう。ただ、あれの言葉は嘘偽りなど欠片も無いものとして大事にするがよい』
「うん、分かっているよ」
内容に意味のある声掛けではない。彼を一人だけにしないために話し続けているのだと思う。自棄的にならないよう、意識を引き戻しているだけ。
『汝は立ち上がらねばならぬ。あれの想いを無駄にせぬためにも』
ユーゴは頷く。
「しっかり考えなくちゃ、僕が何をすべきなのか。母さんにもらったこの命なんだから。そうしないと申し訳が立たない」
『それがよい。ゆっくりと考えよ』
寄り添ってくれる意思に感謝を抱きつつ、ユーゴは黙考に沈んでいった。
次回 「逃げ口上など聞いている精神的な余裕が無いのです」